第8話 魔犬との戦い
各々が魔犬の攻撃に備える。
ローガンは左手を前に、右手を鳩尾のあたりに構えて半身になり、軽く腰を落とした。
エリスは矢をつがえて引き、魔犬の動きに集中する。
ウルクはこの森で大剣は邪魔だと思ったのか、ナイフを逆手に構えて前を見据える。
そしてまず魔犬に飛びかかられたのは、一番か弱く見えるエリスだった。
エリスの肩に食らいつこうとする魔犬。
魔物ならではの筋力から生み出されたその跳躍はエリスを飛び越さんばかりの高さを見せ――――
――――ギン。
しかしそれは空中にいるうちに活力を失い、エリスの足元に落下してしまう。
見ればその脳天には矢が突き立っていた。
それをちらりと見て、素早く矢をつがえなおすエリス。
その動きは何度も反復練習したことが伺えるほど淀みがなく、ともすれば流麗とさえ言えた。
ローガンも一度ウルクに弓も教えてもらったことがあったのだが、その時に何度も矢を取り落としてしまったことを思い出していた。
(って、感心してる場合じゃないな)
ローガンは気を引き締める。
戦況は進んでいた。
まずローガンの左側面から魔犬が飛びかかってくる。
「せいっ!」
裏拳。
ローガンはその動きをよく見て、掛け声とともに左手を振りぬいた。
次。
正面から飛びかかる魔犬。
と同時に、視界の端で足に噛みつこうとする別の魔犬が見えた。
冷静に。
冷静に。
ニ体が相手だろうが、きちんと見て対処すれば怖くない。
裏拳を出した左手を引きながら繰り出す右拳。
貫くは正面の魔犬の鼻先だ。
「Gyan⁉」
犬の弱点である鼻。
それを打ち抜かれた魔犬は血と唾液をまき散らしながら吹き飛んだ。
さらに右足で、迫ってきていたもう一体の魔犬を踏みつける。
グェ、と嘔吐するような声を上げる魔犬。
ローガンは再度足を踏み上げ、脳を潰す勢いで足を振り下ろした。
「らぁぁぁぁぁ!」
グジュリという生々しい感触。
それには意識を割かないように大声で自分を鼓舞しながら、ローガンは拳を構え直す。
殴り飛ばした魔犬はどうやら止めはさせなかったようで、おぼつかない足取りで奥へと下がって行った。
魔犬に限らず、魔物というのは総じて筋力や回復力が爆発的に高い。
放っておいたら完全に回復してしまうかもしれない。
(止めを刺すか? いや……)
追うことはできたが、しかし深追いするのは良くないだろう。
ローガンは気持ちを切り替え、次の敵に備えた。
徒手を使うローガンにとって、上半身への攻撃の対処は容易い。
面倒なのは足への攻撃だ。
「Gruuuu!」
それに気づいたのかはわからないが、今度はニ体が、唸りながら左右の足に噛みつこうとする。
ローガンは冷静に、まず左の一体を上に蹴り上げた。
「だぁぁ!」
その脳天にめがけて振り下ろす左拳。
ギャン、という甲高い声を上げ地面に叩きつけられる魔犬。
「おうるぁぁ!」
そこに振り下ろす踵。
魔犬は血と脳漿が混ざり合ったわけのわからない体液をまき散らして動かなくなる。
その直後、右足感じる鋭い痛み。
ローガンはもう一体に右足を噛みつかれていた。
ギリギリと食い込む牙と、足をやたらと引っ掻く爪。
(ああ痛い。痛い……!)
痛みだ。
それも、極上の痛みだ。
皮膚を切り裂かれ、肉をほじくり返されるような、極上の痛みだ。
思わずローガンはその痛みに興奮してしまう。
すると。
ローガンに噛みついている魔犬が淡い光に包まれた。
そして、どちらかが切り裂いたのだろうか、魔犬の背にあった傷が塞がり、体力も回復していく。
そうして回復すればするほど力は強くなり、痛みは増してローガンが興奮する。
まるで永久機関だ。
「おい何してんだローグゥ! んで敵を回復させんだよ!」
「すいません、つい!」
「ったァく、テメェは噛めば回復できる薬じゃねェんだっぞ!?」
檄を飛ばすウルクは、ちょうど飛びかかってきた魔犬を手際よく処理したところだった。
「助けはいるかァ?」
「大丈夫です!」
ローガンは尚も足をガブガブとやっている魔犬に目を落とし、そして放っておくことにした。
痛み以外はほぼ無害だし、彼にとってそれはどちらかというと利益だったりする。
神経を直接抉られるような鋭い痛みに酔いしれながら、彼は拳を構えた。
と、今度は3体がタイミングを合わせて飛びかかってくる。
それも全くの同時ではなく、対処されにくいように少しずつ時間がずらされていた。
「ハッ!」
まずは、蹴り。
魔犬のぶら下がった右足で、飛びかかってくる魔犬に回し蹴りを放つ。
その遠心力で足に噛みついていた魔犬は吹き飛ばされ、数m先の樹から突き出た枝に刺さる。
絶命。
蹴り飛ばされた魔犬も吹き飛んで動かなくなり、そこにエリスの矢が止めを刺す。
絶命。
次。
「どぉらっ!」
さらにもう一度蹴り。
先ほどの蹴り足を返す動きで、魔犬の顎先を蹴り飛ばす。
宙で一回転して頭から落ちた魔犬は、首の骨でも折れたのか何度か前足で宙を掻こうとして、動かなくなる。
次。
「せぁ!」
そして、拳。
蹴りを放った回転を利用して、左の拳で鼻をぶち抜く。
顔の正面から当たった拳は骨を砕いて顔を潰した。
瀕死。
更に魔犬は続く。
先ほど止めを刺し損ねた魔犬も幾分か回復したようで、再び戦場に交じってきた。
左拳。
右突き上げ。
回し蹴り。
ローガンの汗が跳ね、魔犬の血が舞う。
吹き飛ばされた魔犬は地面を何度かバウンドし、動かなくなる。
次。
上げ蹴り。
踵落とし。
踏みつけ。
きちんと止めを刺し、邪魔にならないようにその死体を別の魔犬に蹴り飛ばす。
次。
左裏拳。
右拳。
骨を割り砕くメキメキという音。
肉を叩き潰すブチブチという感触。
両足を噛みつかれ、肉を抉られる痛み。
魔犬を殴りつけ、自らの拳も砕かれる感覚。
ローガンは段々と頭に血が上り、ハイになっていく。
度重なる痛みでアドレナリンが分泌され、1秒ごとに動きが早くなっていく。
拳、蹴りの選択が精細さを増し、直勘から最適の動きを導き出す。
次。
魔犬の動きを見て、考えるよりも早く判断して攻撃する。
次。
より鋭く。
より疾く。
次。
拳。
拳。
蹴り。
蹴り。
殺すために、生きるために動き続ける。
鼻を潰し、脳を揺らし、喉を打つ。
次。
「おいローグ」
近づくものを許さず、的確に殺す。
どれだけ強い相手でも、きちんと見て判断すれば怖いことはない。
「ローガン!」
まだだ。
まだ早く動ける。
もっと強い攻撃を出せる。
次だ。
「止まれローガン!」
魔犬が手に噛みついたようだ。
しかし問題ない。
そんなもの、すぐに振り払えばいい。
ローガンは腕を振ろうとして――――動かないことに気付く。
次、次、次。
拳がダメならば蹴りだ。
死なないためには、動きを止めてはいけない。
相手を殺し続けなければ。
ローガンは腕が不自由で少しバランスを崩しながらも蹴りを放とうとする。
「止まれってローガン! もう終わったんだ!」
蹴りもまた防がれ、そして、視界が逆さまになる。
そのまま上下に振られ、脳がシェイクされる。
と、そこでようやくローガンは気づいた。
「おいローガン! 目を覚ませ! もう魔犬はいないんだ! 終わったんだよ!」
「あ、れ……? 僕は、何を……?」
「ったく、やっと気づいたか……」
ウルクはほっと溜息をつき、ローガンを地面に降ろした。
ローガンは蹴りを放った右足を掴まれ、逆さまに持ち上げられていたのだ。
見ればエリスも怖いものでも見るかのような眼差しでローガンから距離を置いていた。
ローガンはキョトンとした風に周囲を見渡す。
するとウルクが優しく声をかけた。
「ローグ。戦いは終わったぜ。俺らの勝利だ」
辺りには何体もの魔犬が倒れ伏し、そのどれもがピクリとも動かない。
ローガンの手と足は、よくわからない体液で気持ち悪く染まっていた。
「な? もう大丈夫だぜ。怖いことはなんもねェ」
深呼吸しろ、と続けたウルクの言葉に従うローガン。
深く息を吸い込もうとし――――失敗する。
「ゲホッ! ゴホッ! オウェ……」
鼻を突く嫌な臭い。
生理的嫌悪感を掻き抱くその臭いに、ローガンは軽くえずいた。
「おっと、場所を変えっか。エリス、ローガンと一緒にいてくれ。あァ、あと川のある方はわかるか?」
エリスにそう伝え、魔犬の残骸を1か所に集めるウルク。
そして背嚢から赤い宝石のようなものを幾つか取り出すと、それを集めた魔犬の残骸にばらまいた。
ローガンは、その光景を未だ明瞭にならない意識の中でなにとはなしに眺めた。
ウルクは軽く目をつむり、集中する。
そして、詠唱を始めた。
「全てを燃やし灰燼と化す煉獄の焔よ。今この場に顕現し、我が敵の骸を燃やし尽くせ。姿は炎柱、作用は焼却、……っと」
すると。
先ほどばらまいた石が共鳴するように明るく光り出し、次の瞬間。
魔犬の残骸を炎の柱が包み込んだ。
少し離れたところにいるローガンとエリスにも、ブワッと熱波が押し寄せる。
その炎柱は見上げるほど高く伸び、そして魔犬を焼き尽くすと一瞬にして消えた。
見れば焦げているところはあるものの、木々には一切延焼してない。
魔法の力だ。
「父さんはやっぱすげえな……」
隣にいるエリスがぼそっと呟く。
「やっぱりあれってすごいの?」
ローガンがエリスに尋ねると、エリスは驚いたように目を丸くして、その後ああそうかと納得した。
「そういえばローグって魔法が使えないんだっけか? 一度使ってみればわかるよ。あれがどれだけすごいのか」
「そう、なんだ……」
じゃあ一生分かることないな、とローガンは思う。
「あの大きさもすごいけど、それで他のものをあんま燃やしてないってのがすごいんだ。それだけ制御力がすごいっていうかさ」
「なるほどね」
と、ローガンが適当に相槌を打って居ると、ウルクがエリスに声をかけた。
「で、エリス。川がある方はわかったかァ?」
「あ、そうだった忘れてた。じゃあ聞いてみるね」
聞いてみるっていったい誰にだ、とローガンは疑問符を浮かべる。
しかしエリスは隣に立っている樹に額を当て、何やらぶつぶつと話し始めた。
それを見てさらに怪訝な顔をするローガンを見て、ウルクが説明を入れる。
「ローグ、昔話したこと覚えてっかァ?」
「昔話したこと?」
「あァ。エルフだのドワーフだのの種族に備わってる力の話だよ」
ああ、とローガンは思い出していた。
確か名前は……。
「木霊の加護、だっけ……?」
「おゥそうだ。よく覚えてんなァ。木霊の加護。エルフの持ってる力だな。エリスにもその力は半分くらい遺伝しててなァ。こいつは木とかの声が聴けるんだよ」
「木の声が……」
それはたいそう便利な力だろう、とローガンは思った。
と、エリスが木から額を離してこちらを向く。
「あっちの方に、浅めの川があるって」
「おォそうか。ありがとな、エリス。ちゃんとお礼は言ったかァ?」
「うん、言ったよ」
「そうかァ! そりゃあ良かった」
ウルクはエリスの頭をごしごし撫で、そしてエリスに道を教えたという樹をねぎらうようにパンパンと叩く。
「じゃあ、行くか」
エリスの指した方向へ進むウルクに、ローガンとエリスは黙ってついていった。
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