第7話 野外訓練と戦いの始まり
次の日、アランやミーシャや屋敷の使用人達に見送られたローガンは、待ち合わせ場所である市民街の噴水へ向かった。
皮の鎧を胸につけ、その手には鉄製の手甲。
背中に下げた背負い袋には火打石やスコップなどの道具が揃っている。
どれもこれも、ウルクに教えてもらったものばかりだ。
「よし」
ローガンは一つ呟いた。
昨晩何度も確認したが、やはり準備は万端。
ローガンは逸る心を抑え、心なしか早足で噴水へと向かっていく。
ーーーーー
「よう! 来たかローグ」
噴水に着くと、近くのベンチに腰掛けていたウルクが片手をあげた。
ローガンも片手をあげて応じながら、ウルクの隣に座っている少年を観察する。
それは、少女と見まがうような少年だった。
陶器のように白く、水のように透明な肌。
光を反射して煌めく透き通るような金髪。
裾から除く手足もあまり筋肉がついておらず、ローガンの半分ほどの細さしかなさそうだ。
……まあローガンの筋肉の付き方が異常だということもあるのだが。
腰には片手剣を提げており、左手には丸盾を装着、背には弦の張ってある弓と矢筒がかけられているその少年は、短めに切られた髪型さえ考慮しなければ十分少女で通りそうなほどの美少年だった。。
「ローガンです。えっとエリスくん、でしたよね」
ローガンはちらちらとウルクとエリスを見比べながら言う。
「エリスくんは……、その、お母さん似なんですね」
本当に血がつながってるのかよ、と心の中で疑問を抱くローガン。
方やゴリラもかくやというほどに筋骨隆々の大男。
方や透き通るようで線の細い、はかなげな美少年。
すると、そのはかなげな美少年が口を開く。
「はっ! てめえそれは俺が女々しいって言いたいのかァ? それ以上なんか言うようだったら、もう2度としゃべれねェようにこの矢で口を縫いとめてやんよ」
――訂正しよう、こいつは間違いなくウルクの子だ。
変声期も迎えてない少女のような声で口汚い言葉を発するエリスを見て、ローガンはそう思った。
「すまねえなァローグ。こいつはちょっと――――俺に似すぎててな」
頭をかきながらそう告げるウルクに、ローガンは苦笑いするしかなかった。
ーーーーー
――ギン。
弦音が一つ。
数秒後に、ドサっという音を立てて鳥が落ちてきた。
その首には正確に矢が突き立っている。
その矢を放った主は軽く息を吐いてリラックスすると、ローガンの方をドヤ顔で見てきた。
「ま、ざっとこんなもんだな」
エリスの顔にカチンときたローガンは足元にあった石を拾い上げた。
耳を澄ます。
木々がこすれ合う音、遠くの滝がこだましてきた音。
サ――という音に意識を集中していく。
微かだが、ハタハタと鳥の羽音が聞こえた。
(右……!)
目を凝らすと、遠くの木の枝の上にキジのような鳥が止まってるのが見えた。
腕を振りかぶり、投げる。
その鍛え抜かれた腕力から放たれた石は、狙いたがわずその鳥に向かって飛んで行った。
「はっ、急にお前どこに投げて――」
――ドサッ。
ローガンをバカにしようとしたエリスは、先ほど自分が仕留めた鳥より大きい鳥が落ちてきたのを見て黙り込む。
先ほどからずっとこんな感じだ。
エリスはいつも自分の父親に訓練を受けていて、さらにいつも褒められているローガンのことをずっと気に食わないと思っていた。
それ故どうにか勝とうと奮闘しているのだが、それは中々上手くいっていなかったのだ。
バチバチと火花を散らしあう二人をにやりと見つめ、ウルクは手をパンと叩いた。
「よし、これで今晩の飯は揃ったな。二人とも、よくやった!」
二人の頭に手を乗せ、わしゃわしゃとかき混ぜるウルク。
ローガンもエリスもくすぐったそうに眼をつむった。
「じゃあ、血抜きの仕方はわかるな? あとは乾いた木を集めるぞ」
昼頃に森に入り、日が暮れる前に寝床の準備をすることになった3人は、順調にそれを進められていた。
ローガンはナイフを取り出し、無心で鳥の首に切れ込みを入れる。
切り口から血がじわりと山を作り、それはあっという間にぽたぽたと落ちていく。
地面にシミを作る赤を眺め、ローガンはこっそりと自分の人差し指にもナイフを通した。
鋭い痛み。
ペロリとそれを舐めると、鉄のような、命の味がする。
軽く快感を覚えつつ、ローガンはすぐに癒えた人差し指を物惜しそうに見つめた。
ーーーーー
パチン、とたき火の中で木が爆ぜた。
ジュージューと音を立て、肉汁を溢れさせる鳥肉。
ウルクによって手早く解体されたその肉の上に乗っている香草は、エリスが見つけたものだ。
ハーフエルフという種族が関係しているかはわからないが、エリスは草花を見分けるのがたいそう得意だった。
なんでもないような野草の中から一つをひょいと摘むと、それはことごとく香草なり薬草なりなのだ。
負けじとローガンも探すのだが、どうやら彼にはその才能はないらしく、自慢げに草を摘むエリスを見ているのみであった。
ウルクは背負い袋から岩塩を取り出し、ナイフで粗く削って肉に振りかけた。
「そろそろいいな。お前ら、先に食っていいぞ」
ちょうどいい木の枝に刺したその肉を差し出すウルク。
火から離されてもなおジュージューと脂を騒ぎ立てるその肉はローガンとエリスの胃袋を強烈に揺さぶった。
二人は両手を軽く組み、二言三言エルミスに祈りをささげた後その肉を口に運ぶ。
歯がその皮を突き破ろうとした瞬間、パリパリという心地よい食感とともに口の中にジワッと油が広がる。
舌と歯を押し返そうとする弾力は野生動物ならではのものかもしれない。
そのひきしまった肉をかみつぶすと、さらに肉汁が溢れた。
振りかけられた岩塩が頬の奥をピリリと刺激し、分泌した唾液と混ざりあって甘味やら何やらが、これまた肉の脂と調和する。
(う、うまい……)
肉を食べない動物というのは、総じて臭みがあまりない。
そしてさらにその鳥肉を香草が香りづけすることで、少し残った野生特有の臭みさえこの肉の長所となっていた。
ちらり、とエリスを覗き見ると、彼もおいしそうにがつがつと肉を口に運んでいる。
ローガンは負けじと自分も肉にかぶりついた。
「ったくお前ら旨そうに食うなァ! どれ、俺も食ってみるか」
そう言ってウルクが肉を直接鷲掴みにしてむしゃぶりつくと、彼も幸せそうに破顔した。
「こらァ美味いわ! エリスとローガンのおかげだな!」
ウルクは、肉の焼ける臭いにつられた獣に殺気を浴びせて追い払いながらも、息子と弟子の取ってきた肉を堪能した。
ーーーーー
今日は俺が見張りをやるからお前らは寝てていいぞ、と言ったウルクの言葉に従い寝ることになった二人。
たき火を挟んで反対側に寝転んだエリスをちらりと見た後、ローガンも目をつむった。
目をつむると、森には色んな音が溢れていることがわかる。
隣で燃えるたき火のパチパチという音。
何の虫かはわからないが様々な虫の合唱。
夜行性の鳥の鳴き声。今どこかで狩りでもしたのか、羽ばたくような音も聞こえてきた。
不気味だ。
でも、命の音だ。
地面に耳をつけると、遠くの獣の足音まで聞こえてくるような気がした。
ごそごそという衣擦れの音。
エリスだろうか。
すると、ふと右肩に温かみを感じた。
「エリス……?」
うっすら目を開けると、その少女のような横顔が目の前にあった。
「もしかして、怖いのか?」
「うっせ、黙って寝てろ」
小声で問いかけると、これまた小声で、鈴をコロンと転がしたかのように返答された。
(そうか……、考えてみれば、まだ小学1年生ってことになるんだもんな……)
エリスはローガンと同じ7歳だ。
前世で自分が7歳の時は……と振り返ってみると、そういえば祖父母と一緒に寝ていたはずだ。
夜中になると聞こえるヴーヴーという低い鳴き声が近くの田んぼのウシガエルの声だと知るまでは、その声が聞こえる度に祖父母にしがみついていたものだ。
ローガンは祖父母のことを懐かしく思うとともに、なんだかエリスがかわいく思えてきた。
「手でもつなごうか?」
ローガンが冗談半分に手を差し出す。
すると。
「……」
エリスはそっぽ向きながらも、くいっと小指を握ってきた。
(やっぱり怖いんだ)
ローガンは隣で寝ているエリスを微笑ましく見つめた。
そんな二人を影から見て、ウルクは一人嬉しそうに笑うのであった。
ーーーーー
騒々しい。
グゥグゥと唸るような低い声。
それに、嫌な胸騒ぎがする。
薄く瞼を開くと、辺りはまだ暗く、光源は青白く輝く月と燻ぶったたき火のみ。
ローガンが目をこすりながら起き上がろうとすると、野太い声が降ってきた。
「ローグ、やっとお目覚めかァ。たるんでるんじゃねェか?」
たるんでる?
どういうことだ、とローガンが辺りを見ると、爛々と輝く何対もの紅があるのが見えた。
なんだ? と、ローガンがまだぼーっとした頭で漠然と思うと、ウルクが言う。
「お客さんだぜェ。ちょっと遅めの夜食としようかァな」
ちらり、と横を見ると、青ざめた顔をしながらも既に弓に矢をつがえたエリスの姿も見える。
それを確認してようやく状況を理解したローガンは手甲をはめ直し、手をリラックスさせた。
「相手は魔犬。まあちょっと強いってだけのただの犬だな」
次第に闇に眼が慣れて敵の姿がようやっと浮かび上がってくる。
歯をむき出しにしてグルルと唸るその姿は、ローガンとエリスを殺すのには十分すぎるように見えた。
「さあお前ら、運がよかったなァ。いい機会だ。初めての実戦訓練をやろう。いいか、俺が今まで教えたことを思い出せ。教えた通りに、冷静に、慎重に、殺せ。相手はただの犬畜生だ。必要以上に恐れなくていい。殺せ」
ローガンとエリスがごくりと生唾を飲み込む。
「リラックス、リラックス。大丈夫、俺がいる。危なくなったらすぐ助けてやるから、思う存分戦えや」
ウルクがニィと口角を上げる。
魔犬と同じように歯をむき出しに笑うその姿は、魔犬よりも凶暴で、魔犬よりも凶悪で、そして、何よりも頼もしかった。
ローガンは体にたまった緊張をすべて吐き出すように深く息を吐いた。
そうして、ウルクと同じように口角を上げる。
瞬間、何匹かの魔犬が飛びかかってくる。
――戦いが、始まった。
ブックマークとか本当によろしくお願いします。