表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
酒と煙草にスパイスを。  作者: 中村悠介
序章〜幼少編〜
5/19

第4話 決意 希望

 



「ローガン様。おぼっちゃん。お止めなさいな」



 そこにいたのはルーカスだった。


 この屋敷に仕え続けてきた使用人だった。



「じい……」



 そういえば、青年が東京に引っ越す前、祖父はちょうどルーカスくらいの歳だったな。

 青年はもう何年も前になることを思い出した。

 少し酒焼けしたような、かすれた声の人だった。

 日本に住んでいた頃のことは、もう遠い昔に感じる。


 ルーカスは、ローガンに優しく話しかける。



「おぼっちゃんは、良いスキルを得られましたな」

「……そんなことないよ。だって僕は、魔法が使えないんだ」



 そんなことない。

 魔法が使えなければ意味がない。



「それを補って余りあるスキルじゃないですか。おぼっちゃん。あなたは、幸運ですよ」

「そんなこと、ないよ」



 幸運なんかじゃない。

 確かにスキルは欲しいと思った。

 でもそれは、魔法という選択肢を捨ててまで望んたことではなかった。

 当然のように魔法も使えて、さらにスキルもあったら、と。

 そう望んでいたのだ。

 魔法が使えなければ意味がない。


 アランが、ローガンの父親が望んだのは、魔法だったのだから。

 期待されていたのは、魔法だったのだから。



「いいえ、おぼっちゃんは神様に愛されていますよ。とても恵まれています」



 そんなことない、とローガンがまた否定しようとした時だった。



「――おぼっちゃん。一つ、昔の話をしましょう。おぼっちゃんが生まれる、ずっと前の話です。あなたのお父様のアラン様が、ぼっちゃんと同じ年だった時の話です」



 ルーカスは巨木のような声で切り出した。



「プリーシア家の人間はみな、強力なスキルを得ることで有名でした。今は亡きダグラス様、ぼっちゃんのお爺様をはじめとして、皆様がスキルを持っていたのです。これは物凄いことなのですよ」



 遠い目。

 ルーカスはダグラス・プリーシアのことを思い出していた。

 この国一の猛将として恐れられた男のことを。



「しかし、アラン様。アラン様には、スキルがありませんでした。彼一人だけ、スキルを授かれなかったのです」



 それは、どんな気持ちだっただろうか。

 ローガンほどではないにしろ、五歳と言ったらもう十分人としての知性が存在している。

 はっきりと理解できたはずだろう。


 自分だけ。

 自分だけが劣っている。

 自分だけその力がない。


 辛かった、だろうな。


 ローガンは想像した。

 その気持ちは容易に思い浮かべることができた。


 自分と一緒だからだ。



「それで、父さまはどうしたの?」

「アラン様は……、教会から家に帰ると気を失ってしまい、半月ほど寝込んでしまいました」



 碌に食事もできず幾度となく死の淵を彷徨ったのです、とルーカスは続けた。



「危ない容態になる度に、それはもうダグラス様が大慌てなさって。戦場では敵なしと恐れられる猛将が、寝込む息子の前でおろおろと何もできずにいる」



 あの時は本当に大変だったのですよ、とお茶目に笑う彼の瞳は、ここじゃないどこかを映していた。

 きっと彼は今、昔に戻っているのだろう。


 段々と、声に張りと若々しさが戻ってきている。



「そんな子供が、今では立派に宮廷魔法使いを務められています。並大抵の努力ではありませんでした。寝る時も食事をとる時も、用を足しているときでさえ、アラン様は魔法の練習を続けました。そして遂には、ダグラス様を魔法で打ち負かすようにすらなったのです」



 ダグラスは、その時やっと安心したようだ。

 あの時寝込んでいた子供が、努力を重ねてスキルを持つ自分をも上回ったと。

 それは贖罪にも、懺悔にも似ているかもしれない。


 許されたと感じたのだという。



「ローガン様。おぼっちゃん。あなたは、幸運なんですよ」

「…………」

「羨ましい限りです。どんな怪我をしてもたちどころに癒えてしまう。その力があれば、このじじいの膝も治りましたかな」



 ほっほっほと笑い、冗談じみた声で自分の膝をさするルーカス。

 それを見て、はたと気づいてしまう。



「でも、そうだよ。僕のこの力は、自分しか治せない。じいの膝を治すこともできないんだよ……?」



 自分自身しか癒せない力。

 それにどんな意味があるのだろうか。


 しかしルーカスは、このローガンの言葉を聞いて満面の笑みを浮かべた。



「おお! これはなんとも嬉しい! おぼっちゃんは、この老いぼれの心配をしてくださるのですか。いやはや、その気持ちだけでこの膝、痛くなくなりましたぞ」



 おどけたようにそう言ったルーカスは、いつもついていた片手杖を手放した。


 ポンポン、と膝を叩いて調子を確かめる。


 そして、勢いをつけて芝生の上を駆けだした。


「じい、なにを……!?」

「ほっ! はっ! よっと! この通り! この通りですぞ! おぼっちゃんのお優しき心遣いのおかげで、膝の痛みも治りました!」



 昨日ローガンが走った芝生の上をなぞるように、ルーカスは走った。

 お世辞にも速いとは言えない。


 だが、愛があった。

 溢れんばかりの愛が詰まっていた。


 痛みなんて癒えたはずがない。

 なのに。

 なのに。



「じい……、じいじ……」



 ローガンの心に様々な光景が思い浮かぶ。

 じいじ、じいじと呼んで慕っていた祖父の姿。

 最後に見た祖父は、どんな姿だっただろうか。

 どうして自分は、祖父を一人置いて東京に出てきたしまったのだろう。


 ――どうして自分は、死んでしまったのだろう。


 廃れかかっていた道場を営んでいた祖父。

 厳しくて、力強くて、愛してくれた。

 いつでも帰ってきていいからと、笑って送り出してくれた。


 祖父の教えてくれた護身術は、死に際の青年の身を一度、護ってくれた。


 ――どうして自分は死んでしまったのだろう。


 どうして。


 どうして。


 どうして。


 ローガンの目から、とめどなく涙があふれた。


 ――どうして自分は、最後まで生きなかったのだろう。


 あれだけ愛してくれた祖父を置いて、どうして先立ってしまったのだろう。


 後悔が、胸の奥から湧いてきた。

 とめどなく涙が溢れてきた。



「ごべん、ごべんね。お゛れ゛、おれさ、ぢゃんど生ぎるから! 今度はぢゃんと、最後まで生ぎるがら……!」



 嗚咽交じりにひねり出された声は、全て日本語だった。

 ここにいるのは、ローガンではなかった。


 青年は、泣きじゃくっていた。


 死んでごめん、と。

 生きれなくてごめん、と。

 一人で先に逝ってごめん、と。

 後悔から、泣いていた。



「じい゛じ! じい゛じ! お゛れ゛、だいずきだっだよ。じいじのおかげで、おれ、一度助かったんだ。じいじ、あ゛り゛がど! ありがと……!」



 青年は、子供のように泣きじゃくっていた。

 年相応に、泣きじゃくっていた。


 その涙は決意から。

 その嗚咽は感謝から。

 青年は――ローガンは、愛に泣いていた。 


 泣きじゃくるローガンを、ルーカスはそっと抱きしめる。

 それをローガンは力強く抱き返し、一層強く泣きじゃくった。



「ありがとう! あ゛りがどう! じいじ、ありがとう……!」



 ルーカスは慈しむような目でローガンの頭を撫でた。



「ローガン様。ローガン様。あなたは、強い子です。あなたは、アラン様の、そしてミーシャ様の、大事な大事な最高の息子です。あなたは神様にも、そして周りの誰にも愛されてるんですよ。このじいもローガン様に仕えられて幸せです」



 さ、もうお泣き止みくださいと、ルーカスはローガンに囁いた。

 その声は、柔らかい愛に満ちていた。






ーーーーー





 泣き疲れたのか抱き着いたまま眠ってしまったローガンを、ルーカスは背におぶさろうとした。


 するとずっと聞いていたのだろうか、物陰からアランが飛び出してきた。



「ありがとう……。本当にありがとう。もう、なんてお礼を言えばいいか……」



 アランは、ローガンにどう話しかけたらいいのか、全くわからなかった。

 怖かったのだ。

 もっと傷つけてしまうんじゃないかという不安も。

 聡明な息子に、父親失格な自分を見抜かれることも。


 だから、ローガンとルーカスに声をかけることができなかった。

 ずっと物陰で見ていることしかできなかった。


 そんなアランにルーカスは、明朗な笑いを送る。



「はっはっはっ、礼には及びませんよ。わたくしは、このプリーシア家に仕える使用人として当然のことをしたまでです」

「ありがとう……。ありがとう……。じいやのおかげだよ。僕は、本当にダメな父親だ」

「やはり、皆さんよく似ていらっしゃる。ダグラス様も、幾度となくそうぼやいていらっしゃいましたよ」



 遠い目で昔を見つめるルーカス。



「え、親父が? 知らなかった……」

「男親というのは、中々に不器用なものですからな」



 いつも豪放磊落だったダグラス。

 彼も父親として悩んでいたのかと思うと、アランは少し肩の荷が下りたような気がした。


 完璧に思えていた父の意外な情けない所を聞きながら、二人は笑いながら屋敷に戻る。



 アランも、その背で寝ているローガンも、つきものが落ちたような顔つきをしていた。






ーーーーー






 目が覚めると――いや、気が付いた時にはと言うべきか。

 ローガンは見知らぬ場所に横になっていた。



(あれから、どうしたんだっけ……)



 頭の下には温かくて柔らかい感触。

 どこか安心するような、とても落ち着く感触。


 母の膝枕だった。


 未知らぬ場所ではない。

 そこは既に、ローガンの知っている場所だった。


 ローガンの、居場所だった。


 段々と意識がはっきりとしてくると、周りの会話が聞こえてくる。



「もうルーカス。あなた無理をし過ぎよ」

「ほっほっほっ。ローガン様を見ると、色々考えさせられましてな……。私にも孫がいたら、こんな気分だったのだろうか、と。はは、こんなことを言ってはダグラス様に怒られてしまいますな」

「そんなことないさ。親父だったら、よぉくやったぞぉルーカスぅ! って、君の肩をバンバン叩いただろうさ」



 ミーシャにルーカス、それにアランもいる。

 野太い声で声真似をしたアランに、みんな笑っていた。

 みんな、幸せそうに笑っていた。



「でも本当にありがとう。ルーカスのおかげだわ。ほら、ローグったらこんなに柔らかい顔して眠ってる。私、少し嬉しいわ。ローグったら本当に手がかからなくて、寂しかったんだもん。もっとこうして甘えてくれるといいのに」

「まあ小さい頃の暴れようったらなかったけどな。俺が抱っこしようとしたら、物凄い力で肩によじ登ろうとするんだから」

「私も、おっぱいあげようとするたびによじ登ってきて」

「それが今では逆立ちで階段を登るのですからな。いやはや全く、子供っていうのはわからないものですな。私もあんなことができる子供を見るのは初めてです」



 ローガンの家族の声だ。

 今の家族。

 両親におじいちゃん、それに妹までいる、今の家族。

 幸せな家族。


 また、ミーシャの声がする。



「それよりルーカス、ほら。膝見せてみて」

「いえいえ、これしき大丈夫ですよ」

「そんなこと言って、さっきすごく引きずってたじゃない。これはお礼なの。受け取ってくれる?」



 そういうと、ミーシャはなにやら祈りを唱え始めた。

 ローガンの瞼の裏にも、淡い光が映し出される。


 数秒して、その光が収まるとルーカスは言った。



「ああ、痛みが少し引きました。やはり奥様の回復魔法は素晴らしいですな。ありがとうございます」

「いいのよ、お礼なんだから」

「本当にありがとう、ルーカス。ルーカスのおかげだよ、本当に」



 と。

 ふぇぇぇぇんという可愛らしい泣き声が聞こえた。

 そういえばソフィアは体調を崩していたのだった。


 ローガンに膝枕をしているミーシャの代わりにソフィアをあやしに行ったアランとルーカスをうすぼんやりと眺め、ローガンは思った。


 温かい。

 これが両親の温かさなんだ、と。

 これが家族の温かさなんだ、と。






 この日から、ローガンは本当の意味でローガンとなった。





ブクマや感想、評価など、是非是非よろしくお願いします!

よろしくお願いします!


9/1 誤字修正

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ