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酒と煙草にスパイスを。  作者: 中村悠介
序章〜幼少編〜
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第10話 訓練の終わり、日常の始まり




 身体の周りを物凄い勢いで水が流れているのを感じる。

 まるでローガン自身が渦になったような不思議な感覚。

 洗濯機に放り込まれた洋服の気分はこんなだっただろうか、とローガンは思った。


 そして気づく。


(息が苦しくない……?)


 そう。

 身体を水が覆っているというのに、息苦しさは感じないのだ。

 

 と、頭に声が響いた。



――変なの。

――変だね。

――変なの?

――変だよ。



 変ってなんだよ、とローガンは夢うつつといった風に頭の中で呟いた。

 すると。



――だって、路がないもん。

――路がないよね。

――路ってなに?

――路は路だよ。



 路ってなんだ、とローガンは思う。

 なんだか白昼夢でも見ているようで、この状況に関しての疑問符は一切浮かばなかった。



――変な身体。

――変な身体だよね。

――変な身体なの?

――変な魂かもね。


――面白いね!



 クスクスクス、と耳元で鈴をいくつも振り回したような音が脳に響く。


 その五月蠅さにローガンが思わず、うッと頭を抱えた瞬間、パァンと水がはじけた。



「おい。おいローグ、大丈夫か?」



 ぺちぺちと頬をはたく感触に目を開けると、自分をのぞき込むウルクの顔が。

 思わずビクリと体を震わせ、そして我に返る。



「えっ、と……」



 既視感を感じる。

 ローガンは、ウルクとエリスに見つめられていた。



「お前だけやったら長く捕まってたからよォ。大丈夫か?」

「う、うん……」



 なにがあったんだっけ。

 水の渦巻きに巻き込まれて、それで……。

 なんだか、声を聴いていた気がする。

 なんだっけ、と思い出そうとする。

 しかしそれは昨晩見た夢を思い出そうとするかのように、靄がかかったようで上手くいかない。


 ローガンは諦めて頭を一度振った。



「しっかし、これで身体ァ洗う必要なくなったなァ……」



 ウルクの声に、ローガンは自分の身体に目を落とす。

 すると確かに、返り血やらの汚れは一切目立たなくなっているのが確認できた。

 手も足もきれいで、服からは汗の臭いすらしない。

 それどころか、奇妙な清涼感すら感じられた。


 と、エリスが怪訝な顔をしてローガンの顔を指さした。



「あれ? ローグの耳、何かついてない……?」



 耳?

 ローガンは怪訝な顔をしながら耳をこすった。



「どう? 取れた?」

「いや、耳たぶの方。なんか、模様……?」



 再度ローガンは耳をこするが、どうやらそれは落ちなかったようだった。

 どんな模様だろうか、とローガンは気になるが、何しろ耳たぶなんて鏡でもなければ見ることができない。


 すると、ウルクがローガンの耳をのぞき込んできた。



「これは……」

「どんな模様?」

「なんつったらいいのかァ。雨粒、みてェな……?」



 そう言ってウルクが地面にその模様を模写する。

 なるほど、それは確かに雨粒というか、水玉のような模様だった。



「わっかんねェな。まあ、気にしなくていいんじゃねェか?」

「そう、だね。まあいっか」

「ところで、どうする? ほら、もう日の出も近そうだぞ」



 空を仰ぎ見ると、さっきまで仄暗い紫色だった空にほんの少しの朱が差し、夕焼けとはまた違った紅色をした朝焼けが顔を覗かしていた。

 もう日はすぐ上るだろう。



「……帰るか」

「うん」



 ウルクの声に二人は返事をし、水を吸って重くなった服を引きずっていった。





ーーーーー





 王都に着いた頃には日はすっかり登り、対照的にエリスの瞼はほぼ落ちかけていた。

 夜中に戦い、そして王都まで歩いた疲れが出たのだろう。

 普段から身体を鍛えているローガンも流石に疲れたようで、寝そうになる度に手のひらにきつく爪を立てていた。



「じゃあローグ。お疲れさん。帰ってゆっくり休んでくれ。おらエリス、しゃんとしろ」

「ウルク、今回もありがとね。エリスも、またいつか」

「……うみゅ、う……」

「おい起きろエリス」



 ウルクはぶにゅっとエリスの頬を潰した。

 そのままウルクが指を動かすとエリスの顔は面白いほどに形を変える。

 思わずローガンがクスリと笑ったとき、エリスがようやく意識をはっきりさせた。



「あれ……?」

「おらエリス、ローグと挨拶しろ」

「……もうお家帰るの?」

「あァもうしゃんとしろやァ! ったくローグすまんな。こいつはもうへとへとみてェだ」

「うん、見てればわかるよ」



 じゃあね、とローガンが言おうとした時、エリスが自分の頬を両手でパチンと挟み込んだ。

 それで少しは覚醒したのだろうか。

 エリスがはにかみながら言う。



「ローグ、明日の朝、家の前で待ってて。むかえに行くから」

「明日の朝? いいけど……」

「じゃあ、約束ね」



 そう言い終わるとあくびを一つ、そして目をごしごしと擦った。



「じゃあね」

「う、うん、じゃあね」

「ローグ、今日は鍛錬しなくてもいいぞ。今は体を休ませること優先な」

「うんわかった」



 エリスとウルクに別れを言って、ローガンは屋敷へと帰っていった。






ーーーーー





 屋敷に帰って、碌に着替えることもしないで泥のように眠ったローガンが目を覚ましたのは、日が十分に傾いた後だった。

 首元は寝汗かよだれかわからないが湿っており、ローガンはなんともいえない不快感を感じた。



(風呂にでも、入ろうかな)



 風呂。

 一般的には風呂に入りたいときは公衆浴場に行くか、そうでなければ濡らした布で体をふくことくらいしかできない。

 しかしプリーシア家は裕福である。

 2、3人が入れば窮屈に感じるほどの広さではあるが、個人で風呂を所有しているのだ。


 ベッドから体を起こす。

 と、ベッドの横の椅子に誰かが座っていることに気付いた。


 それはルーカスだった。

 目をつむり、背もたれに首を乗っけるようにして動かない。



「じい、寝てるのかな……?」



 普段の矍鑠とした感じから忘れてしまうこともあるが、思えばもうルーカスもかなりの年齢だろう。

 耳を近づけると確かに呼吸音が聞こえて、ローガンはどこか安心した。

 

 と同時に、言い知れない不安感のような、胸の奥がざわざわするような感覚を感じた。



「いつもありがとう」



 小声でささやく。

 考えてしまうとそれが現実になってしまうようで避けてきたが、ルーカスも、もうそういう年齢かもしれない。

 数え切れないくらいお世話になっている。

 ローガンはもう一度ありがとうと呟きながら、座っているルーカスに布団をかけた。


 淡い光。


 ローガンの想いに呼応したかのように、ルーカスの身体が淡い光で包まれた。

 回復魔法だ。

 ローガンの使える唯一の魔法。

 人を癒せる魔法。

 感謝を伝えられる魔法。


 と。



「う、うーん……」



 ルーカスが声を上げた。

 どうやら、起こしてしまったらしい。



「おや、いつの間にやら寝てしまいましたか……。おはようございます、おぼっちゃま」



 ルーカスはそういってローガンににっこりと笑いかける。

 そこで自分の身体に布団が掛けられていることに気付いた。



「これはおぼっちゃまが? ありがとうございます。この爺、感激ですぞ」

「ううんいいって。いつものお礼だよ。ありがとうね」

「いえいえいえいえ。ローガン様、こちらこそいつもお優しくしていただいて、本当にありがとうございます」



 ルーカスは目を細めた。

 ただでさえここ数年でぐんと皺が増えた顔が、いっそうしわくちゃになる。

 


「ところでさ、お風呂入ってきてもいい?」

「ではご用意しますね。少々お待ちください。あ、下の階にいる奥様に顔を見せるといいかもしれませんな。心配していらっしゃいましたから」

「そっか。うん。そうするね」



 では、とルーカスは脇に置いてあった杖を手に取り、ゆっくりと立ち上がった。

 ローガンが手を貸すと、ルーカスは嬉しそうに笑った。



「おぼっちゃんも力強くなりましたなぁ。手もこんなにしっかりして」

「そう、かなぁ?」

「それに、こんなにすべすべだ。爺のしわくちゃな手とは大違いですなぁ」



 そう言ってルーカスはローガンの手の甲を指でそっとなぞる。

 甲で感じるその指の感触はやはり乾いていて、皮もぶかぶかのズボンの裾のようにしわくちゃだ。

 

 それを見て、ふと昔のことを思い出した。

 小さい頃、ローガンはルーカスに風呂に入れてもらったことがあった。

 その時も手のしわの話をした気がする。

 風呂に入ってしわしわになった自分の手のひらをローガンがいじっていた時のこと。


(なんて言ってたんだっけ?)


 確か……。


「じいはいつもこのお風呂のように温かい皆さんに囲まれてますから、手がお風呂に入った時のようにしわしわなんですよ、だっけ?」


 ローガンは小声で呟いた。

 何とも言えない懐かしさ。

 この想いを、なんと表現したらいいのだろうか。

 そこまで昔ではないし、決してもう戻ってこない時間というわけでもない。

 それでも、今とは違うこの時間を惜しむような……。



「そういえば、今回のウルク様との訓練はいかがでしたかな?」



 と、ルーカスの声にローガンは思考の海から顔を上げた。

 ローガンは明るい顔をする。


 今は、今だ。昔とは違う。

 この今も、いつかは惜しむようになるかもしれないから。

 もう何度も惜しんできた。

 ローガンは後悔するのはもうたくさんだった。


 ローガンは、心から楽しい声を出す。



「もうね、色々あったんだよ! 魔犬と戦ったりとかね」

「おや、魔犬と!? それはそれは、お怪我はございませんでしたか?」

「うん、大丈夫だったよ。だってすぐ治るしね」

「ああ、そうでした。それはようございましたなあ。しかし、その力を過信なさいませんように。何かがあってからでは遅いのですからな」

「そう、だね……。うん、ありがと!」



 力を過信、か。

 確かに過信しているかもしれない、とローガンは思った。

 もし何かの拍子に一瞬で首を切り落とされでもしたら、流石に治るかはわからない。


 そういえば、ウルクにも昔言われたことがあった。

 普通は戦う時、自分の命を一番に考えるのだという。

 しかしローガンの能力では、防御よりも攻撃を一番に考えた方が上手くいくことが多いかもしれない。

 だからこそ、自分の命を一番に考えることを忘れるな、と。


 今回の戦いでは、それはできていなかっただろう。

 なにしろ頭に血が登って、手当たり次第に攻撃したりしていたのだから。


(ダメ、だな……)


 せっかく貰った命なのだ。

 感謝してもしきれない命なのだ。

 なぜ、それを忘れていたのだろう。

 命を大事に、だ。



「ありがとうね」



 ローガンはもう一度そう言い、どうしようもなくルーカスに抱き着いた。

 歳をとった、くすんだような匂いがした。

 命を大事に。

 ローガンは、怖かった。

 いつかくるかもしれない日が来ることが。


 ルーカスは、急に抱き着いたローガンに一度目を丸くしたが、しかしまた優しく頭を撫でるのであった。


 その節ばった手は固く、そして柔らかかった。




今のこの命がもし転生した命だったらって考えると、前世の亡くなった自分のためにも頑張らなきゃって感じますし無限の可能性を感じますよね。


ブクマや評価、感想など、本当によろしくお願いします。

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