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狂気

「人は誰しも身の内に狂気を孕んでおり、普段はひた隠しにして押し殺しているだけだ」とは、僕の推論である。

「社会」の「ルール」に当て嵌まる人が「普通」であるが、そういう普通の人だって、恐怖体験や人の死、或いは大切なものを失いたくないという感情によって、ふとした瞬間に狂気に支配されるのかも知れない。

常に狂気とは隣り合わせだからこそ、見て見ぬフリを貫けなくなった時には「こう」なってしまうのかも知れない。そう、例えば「こんな」風に。


「アグアグアウッ」と意味不明な音を発して彼女が仰け反る。

彼女は彼女の部屋の、彼女のベッドの上で、壁に背を預けている。そうだというのに、それ以上はないというのに、壁に向かって後ずさりをする。

今度は俯いてブツブツと口中で何事かを言い、かと思えばまた突如「アアアゥ」みたいに叫び、喚く。

彼女はもうずっとこんな調子だ。


困ったな、と呟き彼女にチラリと視線を寄越すが、僕の声が小さすぎて彼女に届かなかったのかも知れない。彼女は本当に狂ってしまったのだろうか。


僕は壊れ物を扱うように、そっと彼女の右手をとる。勿論彼女が怯えてしまわぬように、微笑みを携えるのも忘れはしない。

そうして「ご飯、また食べなかったの?」と優しく問うが、答えがもらえた試しはない。

部屋の入口に置かれたままのトレイを見る。彩りのあるモーニングは、決して不味そうには見えないし、実際僕が作ったにしては味も悪くはないと思っている。


僕が「社会のルール」に則って働き、此処に帰ってきたのは20時で、朝食として出勤前にエッグベネディクトを置いたのは確か7時頃だ。それに手をつけていないという事は、彼女は丸一日何も食べていないという事で。幸いにも水の方は減っているようだから、死にはしないだろうが、こういうことが何日も続いているのは少し不安を感じる。

僕は、彼女には生きていて欲しいんだ。


少し乱暴だけれど仕方がない。喚き散らす彼女をベッドに押さえつけて、食事を彼女の口へ運ぶ。鼻をつまんでしまえば口の中のものを飲み込んでしまう他ないだろう。


えずく彼女の髪を、そっと、撫でて梳かす。

彼女がこうなってしまってから何日目だろう。

彼女が此処へきてから何日目だろう。


僕は外していた手錠をそっと、本当にそっと、嵌めて、つけた首輪の鎖の先をベッドへ繋ぎ、未だ喚いている彼女の口に軽い口づけをしてから部屋を出る。

そうして「僕の家の」彼女の部屋の扉の外側から重い南京錠をつける。厳重にしないと、発狂してしまっている彼女は何をしでかすかわからない。

「また」、僕から離れるなんて言い出してしまうかも知れないし、また、自殺を試みてしまうかも知れない。もう殺して、なんてまた言われるかも。そんな事がないように。


だって僕は知っているんだ。狂気とは常に人間と隣り合わせに潜んでいるってこと。だから僕が、自殺願望のある彼女を守ってあげる。この先、ずっと。

ありがとうございました

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