2.ある機銃手の悪夢
2.ある機銃手の悪夢
最初に聞いた時は冗談としか思えなかった。
ここは上空7千メートルだ。「稜帝国の武侠が単身で降下して来る!」と聞いて、そのまま鵜呑みにする奴がいたら顔が見てみたい。……それが事実だと知った時、彼は思った。最低の冗談だと。
その機銃手は対空機銃の銃座にしがみつきながら、双眼鏡で空を見上げた。
雲の切れ間から、黒い何かが確かにこちらにまっすぐ向かってきている。あれが本当に人間だとしたら……。
「バカにしやがって」
銃座のトリガーを引き絞る。途端に、数十の曳光弾と、それに数倍する弾丸がばらまかれる。振動が体を揺らし、硝煙が視界を遮った。これではろくに狙いも付けられないが、そこは24基の対空機銃が作り出す濃密な弾幕で悠々とカバーできるだろう。相手は人間大の小ささだとはいえ、たった一人。しかも、機銃弾は一発当たれば人間なぞボロ雑巾に変えられるだけの威力がある。
機銃手は、トリガーを引きながら、片手の双眼鏡でもう一度空を見上げた。ほら見ろ、弾幕は容易に相手を捉えている。証拠に、何発もの直撃弾が頻繁に火花を散らしているではないか。
……火花を散らしている!?
機銃手は双眼鏡を両手で持ち直した。
確かに、弾幕はその女を捉えていた。しかし、そのすべてが、女の持つ鉄扇で弾き飛ばされていたのだ。
本来、この機銃弾は、航空機の持つ鋼鉄の装甲版を貫くためのものだ。それよりもはるかに薄いであろう鉄扇などに、どうしてあっさりと防がれる道理がある!?
「まさか、本当に……」
そういえば、教練の座学で聞いた覚えがある。稜帝国の一部には、「内力」やら「功力」やらと呼ばれる超能力を持つ「武侠」がいると。卓越した武侠が内力を駆使すれば、銃弾を弾き、戦車の装甲を切り裂くことすら容易なのだという。装備において圧倒的に有利であるはずのトライカミリア王国が、後進国の稜帝国を蹂躙できずにいるのも、その「武侠」の働き故なのだと。
機銃手は、そんなものは信じていなかった。しかし、もはや認めざるを得ない。今まさに、武侠を直撃するはずだった大口径の砲弾すら、剣の一閃で真っ二つに切り割られたのだ。砲弾の爆発を背に、禍々しく浮かび上がる女のシルエット。やつは、
「……化け物だ」
その瞬間、彼は恐ろしい事実に思い当たった。奴は、あの化け物はまっすぐ向かってきている。
つまり、自分の真上に来る。
(落とすしかない!)
相手との距離は、すでに顔の判別がつく程度にまで縮まっている。この至近距離なら、機銃の全弾を叩き込むことも不可能ではない。武侠と言えど、数百発の弾丸をすべて防ぎきることなどできるはずがない。そうあってくれ。
照準の中央に女武侠を捉え、銃身も焼き付けとばかりに弾丸をばらまく。
……不意に、相手が照準の中から消えた。
「そんな……!」
消えたのではない。それまでまっすぐに降下していた女武侠が、突然その軌道を変えたのだ。空気抵抗を利用して落下軌道をずらすなどというレベルではない。まるで横倒しにした釣り針のように鋭く湾曲した軌道を描き、女武侠は銃座の脇にストンと降り立った。千メートルを降下してきた勢いどころか、まるで低い階段を一段降りただけだというように。
教練で聞いた内容がフラッシュバックする。
軽功。武侠は内力を巡らせることで、己の身を誇張抜きに羽のように軽くすることができるという。入神の域にまで達すれば、自在に空を飛ぶことすらできるのだ。
なぜそれを忘れていた。いや、信じていなかった。
(……信じようが信じまいが、どうにもならねえじゃねえか)
機銃手がそんなあきらめの境地に達したのは、強化ガラス製の風防が張り手一つで吹き飛ばされ、胸ぐら掴んで外に放り出されてからのことだった。