第一章 日本国立対魔学園(6)
夜明が謝罪しても、涼火の調子は良くないままだった。ずっと俯いていて、夜明からすれば可愛いことこの上ないのだが、やはり心配してしまう。
だが、涼火が本調子でないからといって。また、夜明が涼火の心配をしているからといって、式典に遅れるわけにはいかなかった。その為、未だ夜明は涼火の手を引いて学園を練り歩いていた。
涼火の足がもつれることはすでにない。だが、夜明が引いている涼火の手を離すと、格ゲーさながらのコンボ技が夜明の体に決まることは目に見えていたので、夜明は手を離せずにいた。ただ、夜明が掴んでいるのは涼火の右手だけであり、涼火が本気を出せば夜明など涼火の左手で簡単にねじ込められるのだろう。夜明はそのことに気づいていなかった。
こうして歩くこと三十分ほど。残念なことに、夜明らは迷子になっていた。周りを見ても目に入るものはコンクリートの建物だけで、人の姿など全くない。それどころか、夜明は動くものさえ見つけられずにいた。
夜明は歩きまわることがムダなことだと悟り、一度立ち止まる。そして仕方なしに涼火のほうに振り向いた。対する涼火はというと、何かを訴えるような目で夜明を見ていた。その目には、殺意こそないが怒りが見て取れる。
「えー、迷子になってしまったみたい。……申し訳ありません」
夜明は引いていた涼火の手を離すと、半歩だけ後ろに飛びのいてから謝った。半歩飛びのいたのは勿論、涼火の暴力を警戒したからである。
だが涼火は、ムッとした表情をしただけで特に何もしてこなかった。それは夜明にとって嬉しいことだったが、それと同時に怒りが涼火の中に溜め込まれていることを夜明は懸念した。というのも、後々の一撃が大きくなることがあるからである。
「それで、これからどうするのかしら?」
涼火は辺りを見渡しながら夜明に聞いた。
「迷子になったからには仕方がない。もと来た道を戻るしかないだろうな」
迷子になった時の鉄則はその場から動かないことである。だが、今そんな悠長なことをしていると、式典に遅れてしまうことは間違いない。その為、人を探しつつ門まで戻ることが夜明らには必要で、結果として道を戻る他なかった。
少し強引な態度を取っておきながら迷子になり、夜明は恥ずかしさを感じた。慣れないことをした夜明の自業自得であった。
「だから、あのベンチで待っていれば良かったのよ」
「それは結果論だろう。まあ、今回は僕が悪いからなんとも言えないけど」
涼火は夜明を責めたが、その声は冗談を交えているようなものだった。夜明は涼火が自分の失敗を許してくれているように感じた。
そうして夜明らが道を戻っていると、再び問題が発生した。一難去る前にまた一難である。
「……あれ?こんな道通ったっけ?」
夜明らは、もはや道を戻ることさえできなくなっていた。
森の中を進む時、景色がずっと同じである為に自分がどこにいるのか分からなくなり、迷子になることがある。それと同じで、夜明らは似たような建物の横を歩いた為、自分が今どの建物の横を歩いているのか分からなくなり、迷子になってしまった。
そんな現状を把握するなり、涼火はその場に座り込んだ。へたれこんだと言うほうが正しいかもしれない。エネルギー切れのようだった。
「……もう疲れたわ。私はここで休ませてもらおうかしら」
「大丈夫か?でもこんなとこに居座っても、絶対に人は来ないぞ?」
今、夜明らがいるのは建物と建物の間。人目につきにくいどころか、人通りがない場所である。
「悪いけど、小早川君が辺りを索敵して来て。私はもう動けないわ」
「索敵って……。まあいい、ちょっとそこで休んでろ」
涼火は本当に疲れていた様だったので、夜明はそう言うと一人で人探しを始めることにした。
涼火はもともと体力があるほうではなく、また、身体能力もそこまで高くない典型的な人間である。今はとある能力により少しばかり身体能力が向上しているが、ついに限界が来たと見てよかった。考えてみれば、昔の涼火なら森を抜けた時点で限界が訪れていたはずなので、涼火としてはよく頑張った方である。
対する夜明は元々の体力もそこそこあり、それに加えて能力の恩恵も多大に受けている。この程度で限界を迎えるわけがなかった。
涼火の為にも人を探さなければならない夜明は小走りで比較的大きな道に出て、そこで人を探すことにした。道は煉瓦造り。周りに見える建物は無機質なコンクリート造りで、淡白といえばそれまでなのだが、それでもこの景色は綺麗だった。
そして、そんな景色の奥に夜明は人影を見つけることになった。一人で探し始めてからそんなに時間は経っておらず、運がいいとしか言いようがない。
「すみませーん!」
夜明は声を張って叫ぶ。だが相手には聞こえていないようで、夜明から離れて歩いていく様子が確認できた。ただそれもそのはずで、その人影は少なくとも夜明から五百メートルは離れている。学園が大きいことを、こんなことで夜明は再び認識することになった。
夜明は人を見つけた嬉しさと見失ってはならないという考えから、急いでその人のもとへ走って向かおうとする。だが、そう思って一歩を踏み出したとき、夜明は大事なことを一つ思い出した。
「ああっ、もう!」
涼火を置いておくわけにはいかない。夜明は声を少し荒げて涼火を取りに戻った。
結果的に夜明と涼火は例の人影に追いつくことができた。ただ、夜明は生きてきた中で一番息が上がっており、涼火はそれを見てか夜明の背中の上で満面の笑みだった。涼火は疑いようのないサディストである。
「……仲がいいんですね」
一緒に歩く男が夜明にそう言う。夜明は自分が虐げられているこの状況を見て、この男がなぜ仲がいいと思えるのか不思議でたまらなかったが、それは言わないでおいた。
「ええ、そうかもしれませんね」
夜明は強引に作った笑みを男に返すと、それと同時におんぶしている涼火の足を抓った。その意図は降りるように催促することである。涼火に夜明がこんなことを思っていると知られれば確実に涼火は怒るだろうが、涼火はただ単純に重かった。体重的には平均やや下なのだろうが、今の夜明にとってはただの石でしかなかったのだ。
だが涼火は、夜明の首に抱きつけている腕を強く締めて降りることを拒んだ。それをされた夜明には、重さの上に暑さが加わる。さらに、何か柔らかいものが夜明の背中に強く当たっていたため、夜明は邪念を振り払うことに専念した。
「何故、彼女をおぶっているのですか?」
男は夜明にそう聞いてきた。そして、その質問は実に妥当だと夜明は思った。傍から見れば、夜明と涼火は異様な存在なのだ。
「………いや、こいつが……もう歩けないと……言うもんで」
夜明は呼吸を乱しながら事実を述べる。人影を見つけて涼火を迎えに戻った時、夜明はそこから涼火を走らせようとした。だが、電池切れの涼火にそんなことが出来るはずもなく、仕方なく夜明がおんぶすることになった。
そしてなんとかしてこの男のもとへ追いつき、夜明らを事務所まで連れて行ってくれることになった。今からは歩くだけなので涼火には降りてもらいたかったが、涼火の態度からしてそうはいかないようである。
「あっ、自己紹介が遅れました。今日からここに入学することになった小早川夜明です」
「同じく、加藤涼火です」
息が整うと夜明はそう名乗った。涼火も夜明の後に続く。但し、背中の上からなどマナー違反も甚だしい。
敬礼をするか夜明は迷ったが、男が軍服を着ていなかったのでやめておくことにした。
「ああ、君たちが先進世界から来たという学生さんですか。私はドリアク•セリヌと言います。学園では生存方法学を教えていますよ。あっ、白衣は趣味なのであんまり気にしないでください」
ドリアクはそう自己紹介をした。ドリアクについてさらに説明を付け足すならば、身長は高く百八十五センチ程ある。また、今までの会話で分かるように、比較的穏やかな口調で喋る。年齢は夜明が見たところ、三十代の真ん中というところだった。
ドリアクは伝えられた名前から、夜明らが先進世界から来たと分かったのだろう。外見が違うことも、その結論を導き出すことに使われたはずである。
「でも、もし私がここを通らなかったら一体どうしてたつもりだったんだい?確実に式典には遅れていたと思うけど」
ドリアクは笑いながらそう言った。こちらとしては苦笑いを浮かべる他ない。
「でも、どうしてこの辺りに人が全然いないんですか?」
丁度いい機会であったので、夜明はさっきまで気になっていたことを尋ねる。学園は大きいのだが、人が全然いない。そのことが夜明の腑に落ちなかったのだ。
「ん?ああ。ここらは二年生の教室や実践演習室が並んでいるんだ。今日二年生は実技訓練で学園にはいないから、ここらに人がいないんだよ。ちなみに私は自分の研究室にいたから、たまたまここを通りかかったんだ」
ドリアクはそう言うと、一つ笑みを浮かべた。彼は常に笑顔を絶やさない人のようで、社交的な人間であることが推測できる。
「……なんか、イライラするわね」
すると涼火が小声で夜明にそう言ってきた。ただ同意などできるはずもなく、耳を貸す必要もなかったので、夜明はそれを無視した。そのおかげで、夜明は十秒ほど首を絞められる。
ドリアクについていくこと数分。夜明らは事務所の前に到着した。三階建ての普通の建物のようで、その一階が事務所となっている。途中、スタート地点だったあの門を通り過ぎており、それは夜明らが初っ端から真反対に歩いていたことを意味していた。もしここで間違っていなければ、ものの五分で到着していたことだろう。
「多分君たちは私の授業を受けることになると思うから、その時にまた」
そう言ってドリアクは最後まで満面の笑みで事務所に入っていった。夜明はドリアクがとてもいい人だと感じたのだが、涼火はお気に召さなかったらしかった。
「……そろそろ降りろ!」
事務所に着いても一向に背中から降りようとしない涼火を、夜明は引き剥がして落とす。そして、背中が軽くなったところで、講堂まで案内してくれる人を待った。落とされた涼火は淋しげにため息をついたが、今回ばかりは夜明が責められる点などなかった。
夜明はふと思い返してみると、自分は涼火に対して甘いのかもしれないと感じた。暴力に怯えて涼火の世話という世話をしていることは事実だが、そういう場合でない時でも夜明は涼火の面倒をよく見ているのだ。親が子どもの世話をしているような関係である。
それが原因で、涼火は夜明に甘えてきているのかもしれなかった。本人にそんなことを言えば、間違いなく暴力を奮われることだろう。だが夜明は、どうもそんな気がしてならなかった。
よく解釈すれば、涼火に信頼してもらっているということかもしれない。だが、そろそろ涼火には自立して欲しいと夜明は思った。ただ、夜明と出会う前の涼火は、誰にも頼ることなく一人で生きてきた人間である。そのツケを、今になって払っていると考えれば納得もできた。
そう今後の涼火への対応について夜明が考えていると、講堂への案内人が事務所から現れた。夜明らはその人についていき、念願の講堂にたどり着いたのだった。到着は式典開始の五分前であり、紆余曲折あったものの夜明は安堵することが出来た。
迷子になったことは、決して悲観するべきことでないと夜明は感じた。何故なら、夜明らは迷子になることによって得るものがあったからだ。それは、学園がとてつもなく広いことを実感出来たことである。
ただそれは、間に合うことができたという安心感から、夜明が適当に意義をつけ加えただけであることは言うまでもない。