第一章 日本国立対魔学園(5)
軍事施設さながらの学園は敷地に足を踏み入れるのにもあらゆる手続きが必要だと、夜明は無意識の内に思っていた。だが、皆がアルワードの顔パスだけで学園に入ることができてしまい、夜明は驚かざるを得なかった。
こうして学園に入った夜明たちは、持ってきていた荷物を門兵に預けて式典に向かうことにした。
門に掛かっていた時計を見ると、時間は午後の三時過ぎ。予定より到着は遅れていたが、式典は午後四時からだとアルワードから伝えられていたため、時間的には問題はなかった。また、復讐という重い理由でやってきた夜明だが、このような新しい環境は夜明の気持ちを上擦らせた。こればかりは男の性なのかもしれない。
「小早川、私たちは君たちの護衛任務を完遂し、両界編制軍の基地に戻ることにする。今後のことは事務所に行って聞いてくれ。荷物は寮に運んでもらえるように手配しておいた」
アルワードはそう言うとイルアとヨードイの二人を連れて敬礼をし、その後に来た道を戻り始めた。
「あっ、ありがとうございます」
夜明は三人にお礼を言う。世話になった人に感謝の言葉を述べる。非常に当たり前のことである。
「ああ、式典に遅れないようにな」
アルワードは首だけこちらに向けてそう言った。イルアとヨードイの二人は夜明たちに手を振っている。何やら楽しそうだが、その理由は分からない。夜明らも敬礼をすると、アルワードらは門から出て行った。
「じゃあ、僕もそろそろ行くよ。馬の世話をしないといけないしね」
学園に入る時に、馬を全員分回収したケイラーがそう言う。ケイラーは馬の世話が仕事なのだろう。それから夜明はケイラーにも礼を言い、ケイラーが建物の角を曲がって行くのを見届けた。
そして勿論のことながら、残るは夜明と涼火だけとなった。
「……………」
「……………」
フクロウ小屋に入れられたネズミ状態となった夜明は、その場で少しの間黙り込んだ。涼火と二人きりというのは非常に居づらい。いつもなら何の問題もないが、異界に来ているという気持ちがそうさせているのかもしれなかった。
「……んじゃ、事務所とやらに向かうか。まだ一時間あるとはいえ、物事は先に済ませておくべきだからな」
夜明は正論を言って涼火の同意を求める。なぜ正しいことの同意を求めなければならないのか全く分からないことではあるが、夜明は無意識のうちにそうしていた。
ただ、相手は知っての通り涼火である。涼火がどんな奇抜な考えを思いつくか分からない今、夜明が下手に出るほうが賢明であった。これは夜明が痛い目にあって学んだ尊い教えであるため、あえてそれに逆らうようなことはしない。
すると、涼火は何を思ったのか近くにあったベンチに向かい、公園でよく見かけるおっさんのように腰掛けた。そのまま見ていると一服しそうな勢いである。これを見た夜明は、涼火に気づかれないようにため息をついた。夜明の考えが正しければ、涼火のこの行動は動く意思がないということを夜明に示していたのだ。
「………何をしていらっしゃるのですか?」
提案が無視されたことはともかく、認めざるを得ないこんな美少女がおっさんのようになっているのを見て、夜明はつい敬語になってしまう。対する涼火は夜明を睨んだ。
「事務所ってどこなの?」
涼火はそう口にすると空を仰ぎ始めた。そこで夜明は、事務所の場所が分からないことに気がついた。
普通の施設なら徘徊すればいつかは見つけられるだろう。だが、この学園はそうはいかない。なぜなら、学園が広大すぎてどこから手をつけるべきか分からなかったのだ。敷地の端はかなり遠くにあるようで、現に学園の反対側の端をここから見ることは叶わない。
こんなことならアルワードやケイラーに事務所の場所を聞いておけば良かったと夜明は後悔する。だが、残念なことに彼らはもう何処かへ行ってしまっていた。
そこで、夜明は事務所の場所を門兵に聞くことを思いついた。しかし、夜明が先ほど通った門の方向に視線を向けるも、そこには門兵の影も形もなかった。
そんな夜明を見て状況を把握したのか、涼火は空を眺めながら蔑むように笑った。
「多分、私たちの荷物でも届けているんでしょ。さっき荷物持って何処かに行ってたから」
それを聞いて、学園の警備がかなり杜撰であることを夜明は知った。思い返してみれば、入る時も顔パスだったのだ。
「それ以前にね、案内役が一人いたっていいと思うんだけど。こんな言い方はアレだけど、私たちの移動に両界編制軍の中佐までが赴いたのに、学園についた途端案内役がいないなんておかしくないかしら」
夜明は涼火の言う事に一理あると思った。日本国から代表として来ている夜明らは、学園では特別な存在のはずである。その為、案内役がいないということはおかしかった。
「確かにその通りなんだけど、アルワード中佐は僕たちに案内役の存在なんて言わなかった。ということは、自分で頑張れってことじゃないのか?」
「何はどうあれ私はここから動かないわよ。門兵か案内してくれる人がここに来るのを待つ。そのほうが合理的じゃない?」
「だ、だとしてもだ。ここにずっといることは良くない。いつ帰ってくるか分からない門兵や、来るかも分からない案内役を待って式典に遅刻したくないからな」
新しい環境で初めから浮いてしまうと、皆から距離を置かれてしまう。まさしく高校での涼火のようにだ。それを防ぐ為、夜明らには迅速な行動が求められていた。
「嫌よ。どこにあるかもわからない事務所を目指して適当に歩くのは」
涼火はそう言って腰のあたりをさすった。馬での移動の際に腰を痛めたのかもしれない。ただ事実は、夜明にそう思わせるための罠である可能性もある。あらゆることを総合的に考えた夜明は、ここで涼火に譲歩しないことにした。
「遅刻などあってはならない行為だ」
夜明は日本男子の中の日本男子だった祖父の言葉を借りて、涼火の重い腰を上げるように仕向けた。
「それなら小早川君が探してきて頂戴。もし見つけたらここに戻ってきて。私はここで門兵か案内役が来るのを待つから。あと、遅刻したことがある人にそんなことを言われたくないわ」
結果として、夜明はパシリ扱いされた。そして、残念なことに夜明が遅刻したことあるのは事実である。涼火の言い分にも少しばかり正当性があった。しかし、そんな事実があるからと言って、涼火の今の態度は認められるはずがない。
理由として、二人がばらけて効率が悪いのを始め、もし涼火が事務所の場所を先に知ったとしても、それを夜明に伝えるわけがないからだ。つまり、夜明は見捨てられる可能性が高かった。従って夜明は、多少強引にでも涼火を引っ張っていくことにした。動いた方が賢明であるだろうし、動くなら二人で動いた方がいいに決まっているのだ。
「ダメだ、ダメ。今回ばかりは僕について来てもらうからな」
そう宣言すると夜明は涼火の腕を引っ張り、涼火を立たせようとした。
「ちょっと触らないで。何か嫌だわ」
涼火は何のオブラートにも包むことなく露骨に夜明を避ける。それを聞いて、夜明は普通にショックを受けた。中身がどうであれ、涼火の外見は美少女の中の美少女。そんな涼火に避けられるという事実は、夜明の中で響くものがあったのだ。
ただこうなった今、夜明も負ける気はなかった。夜明は涼火の細い手首を掴み直すと、渾身の力で持ち上げた。夜明がさらに行動するとは思ってもいなかったのか、涼火はすんなりと腰を上げる。そして、涼火は珍しく驚いた顔をした。
「本当に、今回ばかりは言うことを聞いてもらうからな」
夜明にこんな行動をさせたのは、涼火に避けられたという事実だけだった。だが、始めてしまったものは仕方が無く、夜明は最後まで押し通すことを決意した。
夜明がその意気で涼火の腕を掴みながらアテもなく歩き始めると、涼火もなんとか歩き始める。しかし、そんな涼火は足を絡ませて幾度となく倒れかけ、それを夜明が支えるという動作が繰り返された。
なぜなのかは夜明の知るところではないが、涼火はかなり動揺していた。涼火にとって、夜明に逆らわれることが驚くべきことだったのかもしれない。夜明はいつも涼火の言いなりだったことは間違いないのだ。
「えっ、あっ、あ……」
後ろで涼火が声をあげ続ける。手首を握っていることが嫌がられていると、夜明は薄々察した。それも無理はなく、夜明は涼火に反抗するという孫の世代まで語り継がれそうなことをしている。その為、そんな夜明の手はかなり汗ばんでいた。
対する夜明は夜明で、正直なところかなり一杯一杯であった。歩き始めた夜明だったが、涼火のことを考えすぎて目的を見失いそうになっていたのだ。
そして、それが理由なのか夜明は失敗を犯してしまった。後々に起こるであろう報復に、夜明は恐怖してしまったのだ。その結果、口が滑るという言葉の意味を夜明は身をもって知ることになった。
「手首が掴まれるのがそんなに嫌か?あの時に、僕にキスまでしておいてそれはないだろう」
自然に口から零れたその言葉は、たちまち周囲に広がっていく。そして夜明は、自己防衛が行き過ぎてしまったと言ってから気がついた。
この言葉を口にするために夜明が振り返ったとき、すでに涼火の顔はほんのり赤くなっていた。そして、追い打ちをかけるこのセリフである。夜明が発言した後、涼火は首や耳までもを赤くして俯いてしまった。
涼火がかなり怒ってることは言わずして分かる。ただ夜明がそう思った時は、もう後の祭りでしかなかった。何をされても仕方のない状況である。夜明はただ涼火の怒りを待つことにした。
そうして夜明が涼火の行動を待っていると、後ろから何か小さい声が聞こえてきた。涼火の小さな声は震えており、怒り狂っておかしくなってしまったのかもしれなかった。先進世界での夜明の体験として、涼火は怒ると本当に怖い。涼火の怒りを買ってしまって、夜明は幾度となく殺されかけているのだ。そのため、今回も例に反することなく、夜明はある程度の覚悟を決めて待っていた。
だが、発せられた涼火の言葉は実に意外なものだった。
「……ごめん」
「…………?」
夜明はそれを聞くなり、驚きで息が詰まる。そして、少し変な声を出してしまう。それくらい夜明は衝撃を受けた。
今日の涼火は何かがおかしかった。先程涼火が夜明の体の心配をしてくれたことも、未だ腑に落ちていないままである。涼火が人を労わり、そして今度は謝った。夜明はその事実を信じることが出来ず、ただ困惑した。夜明が涼火と親しくなってからもうすぐで八ヶ月になるが、こんなことを経験したことがないのだ。
そう思うと、夜明の心に罪悪感がこみ上げてきた。具体的な原因は夜明の知るところではなかったが、自分がその発端となっていることは十分に理解できることだったのだ。
「いや、僕が悪かった!………今のは気にしないでくれ!」
夜明としては全く見に覚えのないことであったが、気がつけば涼火にそう誠心誠意謝罪していた。