第一章 日本国立対魔学園(1)
「………ここが目的地点ですか?」
まるでアマゾンのジャングルにでも迷い込んだかのような、生い茂った木々の隙間で夜明はそう口にする。
周りの木は全て背が高いため、昼頃であるのにもかかわらず辺りは暗い。そのせいか地面は湿っていて、かなりぬかるんでいた。湿気ももの凄く、気温はそれほどでもないはずだが、かなり蒸し暑いと夜明は感じた。
そんな暑さの中、夜明は自分が着ている軍服の胸の第一ボタンを開け、パタパタと服の中に空気を送り込んで熱気を逃がす。ただそれはあまり意味をなしておらず、腕を動かすことによって発する熱の方が、身体から逃げている熱より多いと夜明は感じた。
「いや、申し訳ない。いつもなら王都内のもう少し交通の便の良いところに向かうのだが、ちょっとそこが今使えない状況でしてな。仕方なく、次に目的地に近いここに向かうしかなかったのだ」
夜明と同じ黒い軍服を着た初老の男が、申し訳なさそうに夜明らにそう弁明する。ただ、理由があるのであればそれは仕方のない。夜明はそう思ってこの環境を認めることにした。
初老の男は夜明と同じ軍服を着ているわけだが、夜明の軍服の方が遥かに綺麗である。ただそれもそのはずで、夜明はその軍服に今日初めて袖を通したのだ。対して、初老の男が着ている軍服は黒色が薄くなっており、所々が破けてしまっている。それを見て、自分がどれだけ危険な道に踏み込もうとしているのかを、夜明は再び実感することになった。
小早川夜明は、どこにでもいるようないたって普通の高校二年生だった。だが今は違い、軍服を着ていることから分かるように現在は国防軍の一員である。
そんな国防軍となった夜明は、とある理由によりジャングルの中に突っ立っていた。
初老の男は、アルワード•オライト。国防軍の管轄下にある両界編制軍の中佐である。髪はほとんど白くなっているが、戦闘能力はまだまだ衰えておらず、使い古している腰のサーベルが百戦錬磨を物語っていた。
夜明はアルワードに対して、逆らうことなど許されない軍人の中の軍人という感想を持っていた。
「………それにしても暑いわ。いつになったらこんな場所から出られるのかしら?……ねえ?」
しかし、そんなアルワードを睨みつけ、一人苛立っている猛者がここにいた。それは女性で、夜明の知り合いである。
加藤涼火は、夜明と同じ高校二年生だったはずの少女で、今は夜明と同じく国防軍の一員である。
涼火の顔立ちは、可愛いに美しいがバランス良く混じった感じであり、文句無しの絶世の美少女である。体型を見てみると、胸は普通だが、スリムでありながら出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいるという、モデルのようなプロポーションであった。また、茶色のショートカットがより一層美少女さを引き出している。
だが、神は完璧なものを絶対に作らない。単刀直入に述べれば、涼火の場合は外見がパーフェクト過ぎる代わりに、性格と素行が最悪だった。
その具体例として、自分の都合が悪くなると罵詈雑言を老若男女関係なく吐くことが挙げられる。時には暴力さえ惜しまない。
夜明と涼火がまだ高校に通っていたある時、一人の男が美少女に暴言を吐かれることに快感を覚え、涼火にひたすらちょっかいをかけていた。
それに苛立った涼火はその男に暴力で反撃すると、男は全身打撲、四箇所の骨折などの全治半年の大怪我を負ってしまった。殺人未遂で立件されかねない暴行である。
ちょっかいをかけていた男も悪いのだが、報復としてここまでする涼火は、もはや悪魔だった。夜明はこの話を思い出す度に、自分が躊躇いなく誰かに暴力を行使したとしても、そこまでの怪我を負わせれる自信がないと毎回感じていた。
その時の事件は、怪我をさせられた生徒側から和解の申し出があったため無事解決した。その理由は、このことが大ごとになってしまうことをその男が嫌がったからだった。自分の趣味嗜好の為に涼火にちょっかいをかけていたことが周囲に知られると、その男が社会的に生きていけなくなってしまうことは間違いなかったのだ。
これは涼火にとって願ってもなかった申し出であり、これにて解決することになった。だが、これがきっかけというわけではなかったが、涼火は学校内でだんだんと除け者にされていった。
暴力に関しては、一時期よりだいぶおさまったと夜明は感じている。ただその代わりなのか、夜明は何もしていなくても涼火から暴力を受ける羽目になった。何度死にかけたか夜明自身が覚えていないほどにである。
夜明が初めて涼火を見た時、夜明は涼火に嘘偽りなく惹かれた。ここまで容姿端麗な少女を、夜明はこれまでに見たことがなかったからだ。それは夜明だけにとどまらず多くの男も同じだった。
だが、涼火の性格を知った時、夜明らはこの世を憎み神を呪った。それほど涼火の外見と性格が真反対で、多くの男が心にダメージを負ってしまったのだ。夜明もその内の一人であった。
「……あ、ああ。では進むとするか。この森はかなり茂っているが、抜けるのに一時間もかからない」
アルワードは涼火を恐れたのか、苦笑いを浮かべながらそう答える。涼火はそれを聞くと、舌打ちをしてからアルワードを睨むのを止めた。
夜明が涼火と知り合ってから、今で八ヶ月程が経つ。その間、夜明は涼火の性格改善に努めてきていた。
その為、夜明は涼火のことを大体分かっているつもりだった。どんな時に怒って、どんな時に喜ぶのかなど、ある程度夜明は分かるようになっていたのだ。
だが今のように、なぜ涼火が舌打ちをしたのか全く分からないというようなことも多々ある。日頃から、夜明は涼火の取扱説明書が欲しいこと思っているのだが、どうもそれはまだまだ叶いそうになかった。
夜明が涼火の態度にため息をつく。そんな時、夜明の後方から男が二人歩み寄って来て、夜明の耳に囁いた。
「お前も大変なやつを引っ掛けたな」
「確かに。だが、一度手懐けてしまえばこっちのものだよ」
「女なんて優しく扱ったら大抵落ちるものさ」
「そうそう。まあ、せいぜい頑張ることだ」
二人はたったそれだけを言って、再び夜明の後方へ戻っていく。それを聞いた夜明は、苦笑いを浮かべるしかなかった。
イルア•モーゼスとヨードイ•フルオの二人は両界編制軍の精鋭団員で、今日はアルワードと共に夜明と涼火の護衛をしていた。
夜明はアルワードと今日初めて会った身であるが、この二人のことは以前から知っていた。夜明や涼火が巻き込まれた、鬼ヶ谷村事件の解決に尽力してくれた恩人なのだ。
「では、出発だ!」
アルワードはそう言うと地面から小型の機械を拾って、それをポケットにしまってから歩き出した。
向かう先は日本国立対魔学園。
そこが夜明らの目的地である。夜明がそこに向かう理由は、あの時の復讐を果たすに差し当たって、その学園で復讐に必要なスキルを取得するためである。
その為に、夜明と涼火は故郷の鬼ヶ谷村から遠く離れた土地にやってきていた。
ただ、遠く離れた土地という言い方が正しいのか、夜明には分からない。何故なら、夜明と涼火は今まで住んでいた世界とは違う世界にやって来ていたからである。
夜明と涼火は異界に足を踏み入れていた。AWⅢ三十五年、三月十八日のことであった。