第66話 真実
ファルケン家が襲撃されたというニュースはあっという間に町中に広がった。
それも当然で、騒ぎを聞きつけた町の人々が警察を呼び、真夜中にも関わらず町全体に厳戒態勢が敷かれた。まだサナトスの一件が落ち着いて間もないヘラの町にとって、大臣の屋敷が襲われるという事は大事件どころの話ではない。もちろん、王国にとっても、だ。
早朝には警察に混じって重装備の近衛兵が屋敷にやってきてクラウスを安全な王都に連れていってしまった。彼らとしてもこれ以上何かあってこの国の頭脳を失う訳にはいかないのだ。
後に残されたレティアたちは大怪我を負って重体のフランを屋敷に担ぎ込んで必死の治療を行った。以前の様に病院に連れていくはずであったが、予想外の障壁がそれを阻んでいた。
「フランの容体は?」
まだ日も昇らぬ時間にも関わらず、自宅から騒ぎを聞いて飛んできたグラントは看病をしていたデックスが広間に戻ってくるのと同時にデックスにそう訊ねた。
「駄目だ。下手に動かそうものなら簡単に傷が開く。治癒魔法も効果は薄い上、フラン自身の治癒能力も何かに阻害されている。傷の周りに得物の魔力が残っているんだが……もはや呪いのようなものだ」
「それじゃあ意識は……」
「戻っていない」
デックスの言葉にレティアは落胆の色を隠せない。
「で、でも、大丈夫なんでしょ……?」
すがる思いでレティアはデックスに詰め寄るが、デックスは何も言わない。
「ッ!!」
その様子にレティアは顔を歪め、デックスの脇をすり抜けるとフランの寝かされているメリスの部屋に飛び込んでいった。
部屋に入る直前、いつものように笑みを浮かべたフランの姿がそこにあるような錯覚をした。
だが、現実は違った。
ベッドに寝かされたフランは傍から見れば生きているのか死んでいるのかも分からないほどの状態だった。何度変えたか分からない包帯もすでに滲み出した血で紅に染まりつつある。顔を近づけてみないと呼吸しているかどうかも心配になってしまう。
「フラン……」
あの時、駆け寄った自分にフランは何かを言おうとしていた。
しかし、こみ上げてきた血のために言葉にする事が出来なかった。
(あの時言おうとした言葉、直接言ってもらわないと怒るからね……)
ベッドの傍に置かれた椅子に腰かけ、フランの手を握る。
その手も包帯が巻かれているが、それでもフランがまだ生きている事を実感するには十分だ。
今まで、フランは事ある毎にレティアを守るために無茶な事をしてきた。よく言えば身を挺して主を守るとなるが、無謀の類に入る事を何度もしてきた。その度にこんな無茶はもうしないで、と言ってきた記憶があるが、結局今の今までそれが改善された気配はなかった。
サナトスの時も、その前も、だ。
けれど、その度にレティアは「フランなら大丈夫」だと思っていた節がある。
フランの大切な家族であるトリアを取り戻し、フランが幸せそうな表情をしていたのを見て皆が安堵したに違いない。彼女の過去がどうであれ、今幸せならまだマシだろうと。
メリスやデックス、クラウスですらその接近に気づけず、襲撃を許した今回の敵。
彼らはまさにそうして気の緩んだファルケン家の隙を突いてくる結果となった。
「けど、あたし、どうすればいいのか、分からないよ……」
結界に閉じ込められた時、最初レティアは何をすればよいのか分からず、ただただ右往左往していた。
思えば、いつもフランと行動していたあまり、自分で考えると言う事をおろそかにしていた気がする。フランがいれば大丈夫という信頼は裏返しになり、フランがいないと何も出来ないような状況を呼び込んだ。
「フラン、教えて、どうすればいいの……?」
答えが返ってくることはない。
「なあに、今までフランに支えられてきたのならば、今度はお主が支えれば良いだけの話じゃ」
「……テト?」
テトの声がして顔を上げるが、声の主の姿が見えない。
立ち上がってベッドの反対側を覗き込み、ようやく床に寝そべっているテトを見つける。背中をこちらに向け、拗ねているのかこちらを見ようともしない。
「お主は強い、それは我が保証しよう。それにフランが一番大切に想っている……。その想いに応える事こそ、今お主がすべきことであろうよ」
尻尾で床を叩くテト。
「そう、かな……」
「お主が嫌なら我が代わりを務めたいところなのじゃが、あいにくそれをするとフランに嫌われそうでのう……」
自嘲じみた乾いた笑い声が聞こえてくる。
フランにとって何が最良の選択か、テトも理解しているようだ。普段の行動からは分からないが。
レティアはテトの言葉を脳内で反芻する。
一番最初、この屋敷にフランがやって来た時、フランは右も左も分からぬどころか言葉も不安なほどの状態だった。それが今ではレティアを支える一人前のメイドになっている。屋敷で、学園で、レティアは幾度となくフランに支えられてきた。
それは自分を助けてくれたフランの恩返しだったのだろう。
ならば主としてそれに応えるためには何をするべきか。
それが分かった時、自然とレティアの足は広間に向かっていた。
扉を出る前にベッドの反対側にいて姿の見えないテトに一言声をかける。
「ありがとう、テト。だからあなたも、泣かないでね?」
「……泣いてなど、おらぬわ」
「トリア、昨晩見たあの2人、誰なの?」
広間に戻ってきたレティアは開口一番トリアに向かってそう訊ねた。
「お嬢様、今はフランの容体を第一に……」
「確かに。だけどそれ以外にもやらなければならない事もあるでしょう? フランをあんな目に合わせたあの2人、昨夜トリアは兄弟かもしれないと言っていたわよね? 知ってること、話して頂戴」
メリスの言葉を手で制し、レティアはトリアに詰め寄る。
今、レティアにとって出来る事はこれくらいしかない。デックスのように人を治療できるだけの技術もなければ、メリスやグラントのように知識が豊富なわけではない。足りない部分は、外から入手するしかない。そのためには、こうして話し合う必要がある。
「……ああ、青年の方、彼はゼーカ、僕たちの兄弟の中では末っ子だった。まあ、実年齢は知らないからもしかしたらフランより年上だったかもしれないがね。お嬢は僕たちがどういう境遇を持つか、知っていますか?」
「いいえ、詳しくは。メリスたちは?」
「概要は調査していますが、その具体的な内容はまだ断片的にしか。……言いにくい事ですが、子供を使ってかなり非人道的な実験を繰り返していたと」
後半を言うべきかメリスは若干躊躇った。
しかし、事ここまで至ってはもはやレティアに隠し立てするわけにはいかない。レティアが受け入れてくれると考えて言葉を続ける。
「それも、魔法の使えない子供ばかりを集めて」
「そう、そこまで分かっていれば当面説明を理解してくれると思う。ゼーカはある実験で『理性』の大半が欠如した。人を殺すことに抵抗がなくなり、傷つける事を容易にする」
「まるで、機械のように、ね。そうやって最強の兵士を作り出そうと」
メリスがトリアの言葉を引き継ぎ、トリアがそれに頷く。
「それじゃ、もう1人の女の人は?」
最後になって現れた全身に機械が埋め込まれたような女性に話が及ぶと、トリアが黙り込んでしまう。
自分が考えている事に自信がないのか、言葉にするべきか悩んでいるように思える。
「……僕の姉妹であろうことは確かです。顔を見ていないので自信はありませんが、おそらくエナス姉さん、一番上の姉です」
「1に、10……、どう考えても偶然じゃあないな。フランやトリアを集めたあの計画の関係者が背後にいると考えて妥当か」
グラントが呻くように呟く。
特にエナスと呼ばれる女性に関しては、体の至る所に機械的な特徴が見受けられた。人体に取り付けられるほど高度な機械となれば、当然それに見合った整備設備が整っていなければならない。そしてその筋に通じた技術を持つ人間もだ。
「そうなると、あの女もゼーカとやらと同等かそれ以上の実力を持っているということか。そんな連中を使って何をしようというのか……」
「国家転覆とか?」
「クレア、滅多な事を言うんじゃないわ」
この場にいる者で唯一、蚊帳の外だったクレアがポツリと呟いた言葉にメリスが釘を刺す。
相手の目的が分からず、広間に沈黙が流れる。
「それはそうと、彼らはどうしてフランの居場所がここだと分かった?」
ふと、気が付いたことをグラントが口に出す。
「確かに、フランは外に出る時ウィッグをするし、トリアがこの屋敷にいる事はあたしたち以外はジョブ先生ぐらいしか知らないはず……」
まさかジョブが、という空気が流れる。
「ジョブ先生はフランの事もトリアの事も知っている。可能性はあるわね……」
「ドランク校長の見込んだ男がそのような事をするとは思えんがね」
その可能性をグラントが否定する。
しかしそうなると、一体どうやって彼らはフランとトリアの情報を知り得たのだろうか。議論は暗礁に乗り上げてしまう。
「とにかく、メリス、あなたの所にある情報、全部あたしに教えなさい。あとになって『知らなかった』じゃフランに合わせる顔がないわ」
「ですが……」
例の計画の内容はやはりレティアには直視することも難しいと思われる内容が含まれている。
それを話すことには抵抗があるようだ。
その様子にレティアは苛立ったのか、少々語気を強めてもう一度言った。
「メリス、言いなさい。フランの過去に何があったのか、洗いざらい、全部!」
「逃げるのよ!」
お母さんがそう言いながら、部屋の隅で怯えていたあたしの手を取り部屋から連れ出す。
部屋の外には白衣を着た男性が数人倒れており、腹から血を流している。それに小さく悲鳴を漏らすと、お母さんはあたしの目を手で隠し、何も見えないようにしてくれる。
ただ、ひたすらに走り続ける。
男性の悲鳴、女性の悲鳴、何かが崩れ落ちる音、何かが潰れる嫌な音、肌を時折熱波が焼き、火の中を走っているような感覚に襲われ、あたしは泣きだしてしまう。
「お母さんッ」
「大丈夫よ、あなただけは、助けるから」
「あなただけは」と言う単語に、あたしは思考を他の兄弟姉妹に向ける。
他の皆は?
どこにいるの?
無事なの?
質問したい事が山ほどこみ上げてくるが、どうしても口に出せない。それを聞くのが酷く怖い。
『二区から出火、被験体が逃走、速やかに確保せよ』
頭上から機械的な女性の声が聞こえてくる。
『エナスとゼーカは問題ない、残りを探せ』
さらに続けて男性の声が聞こえてくる。聞き間違えるはずもない、あのリーダーのような男の声だ。
「姉さん、ゼーカ?」
「大丈夫、あたしの仲間が助けてくれたのよ」
そう言いながらも、お母さんの口調には悔しさが滲み出している。
不意に視界が明るくなる。
お母さんが目隠ししていた手を離し、ドアを開けようとしていた。厳重な扉にはロックがされているのか、お母さんは端末を操作して開錠しようとする。
背後を見ると、今自分たちが走ってきた通路は既に火の海だった。天井が崩れ落ち、扉から飛び出してきた白衣の男性の頭を潰し、火の海の中に新たな可燃物を投下した。
「ッ! 真面目に開けてる暇はないわね……」
お母さんはそう呟くと指先を端末に向け、鋭い稲妻のようなものを指先から放つ。
端末が吹き飛んで黒鉛を上げると、ドアがプシューという空気が抜けるような音をさせながら開く。僅かに開いたその隙間をくぐって外に出ると、木々が生い茂る森が視界一杯に広がる。
「さあ、行くわよ」
そこで視界が暗転する。
「駄目だ、失敗だ」
天から声が投げかける。
激しい痛みが顔の左半分を焼き、涙すら枯れる痛みに声一つ出せない。
手足は固定され、自ら痛みをどうにかして和らげようと体をよじるが、その程度でどうにかなるような痛みではない。
「なぜだ、パンドラニウムは効いているはずだろう?」
「分かりません、傷が治癒しません」
あたしが苦しんでいるのを余所に、白衣の人影がしきりに首をかしげながらこちらを見下ろしている。
左目が開かない、いや、左目の感覚がないと言った方がいいのだろうか。神経が焼け、その痛みが脳に伝達され形容しがたい痛みがいつまでも続く。
「ふうむ、エネアは当分実験できんな……。致し方あるまい、部屋に戻しておけ」
体が縛り付けられた手術台がガタンと揺れ、動き始める。
なぜ。
なぜこんな目に合わなければならない?
一体何回この自問をしてきただろうか。通路を移動しながら、等間隔に並んだランプを視界にとらえる度にやっているような気さえしてくる。
ふと、視界にお母さんの影が映る。
涙目になった右目ではぼやけてその輪郭しか捉える事が出来ないが、それでもそれがお母さんだと分かる。
お母さんは優しく涙を拭ってくれると、耳元で何事かを囁いた。
「安心して、当分あんな苦しい目には合わせないから」
その言葉には何か別の意図すら感じさせる。
そしてまた、視界が暗転する。
「皆、新しい家族よ」
不意に、部屋を見渡すような視点からに変わる。
部屋には5人程度の少年少女がいて、ドアから姿を現したお母さんが全員に向かってそう言う。お母さん、ではあるのだが、先ほどまでの彼女よりかなり若い。どうやら相当過去の彼女のようだ。
「あたらしいかぞく?」
一番幼そうな少女が歩み寄ってくると、お母さんは胸に抱えていた赤ん坊を見せる。
赤子ではあるが、目の色からこの子もまた「インペリティア」、つまり魔法が使えない子であることが分かる。お母さんは皆に見えるように屈んで赤ん坊を見せてやると、子供たちはその柔らかい頬を突いたり、頭を撫でたり手を触ったりし始める。
「お母さん、この子の名前は?」
その内の誰かがその質問をすると、お母さんは赤ん坊の腕を持ち上げる。
持ち上げた腕には「9」の刻印、それを見せながらお母さんは口を開く。
「エネアよ。今日からあなたたちの妹になる子よ」
あれは、あたしなのか。
つまり今日は、あたしがこの施設に連れてこられた日、皆と家族になった日。
子供たちに視線を向けると、半袖のTシャツから覗く腕にそれぞれ刻印がある事に気が付く。「1」の刻印があるあの女の子がエナス姉さん、「2」の刻印がある男の子がデュオ兄さん、「3」の刻印があるトリア兄さん、皆まだ幼い。
という事は、まだゼーカはここにはいないと言う事か。ゼーカは「10」、あたしより後になってこの施設にやってきたと言う事になる。
「他の皆にも、あとで紹介するから、ここに集めておいてね、エナス」
「分かった、母さん」
エナス姉さんが頷き、それを見てお母さんがニッコリと笑みを浮かべる。
思えば、彼女もまたこの施設の一員、にも関わらず被験体であるあたしたちにこれほどまでに優しくしてくれた。あたしたちはそれに疑問すら抱かなかったが、今から思えばこれは理解に苦しむことだ。
この施設で働く者として、あたしたちを大切にしようとすることは方針に反しているのではなかろうか。彼女自身の立場を危うくしかねない行為とも言える。
どうして彼女はそこまでしてあたしたちに手を尽くしてくれたのだろうか。なぜ、実験を最優先せず子供たちの命を優先してくれたのか。
浮かんだ疑問は後を絶たない。
しかし、そこまで考えたところでまた視界が暗転する。
「本当に、よろしいのですね?」
お母さんの声が聞こえる。
しかし、その声はどこか悲しげだ。
「良いんです。それがこの子のためなのでしたら。私たちの家にいても、おそらく幸せにはなれないでしょうから……」
聴き馴染みのない声が聞こえてくる。
けれど、とても懐かしい気がする。声の主を探そうにも、お母さんの胸に抱えられたあたしの視界にはお母さんの顔しか映らない。
「……分かりました。では、失礼します」
「娘を、よろしくお願いします」
娘……?
それじゃあ、この声はあたしの本当のお父さんとお母さん?
そう思い何とかして2人を視界に捉えようともがくが、赤ん坊であるあたしは微動だにしない。
体に振動を感じる。どうやら今あたしを抱えているお母さんが歩き出したようだ。横を仲間と思われる黒服の男性が歩きながら、彼女に指示を仰いでいる。
「班長、指示を」
「……ええ」
感情を押し殺したような声が響く。
そして、その直後、信じられないような指示が彼女の口から伝えられる。
「この村を焼き払いなさい。1人の例外なく、この子の存在を知るであろう人間は全て、1%でも見た可能性があれば、殺しなさい」
やめて。
そんな事をしないで。
だが、男たちは彼女の指示に「了解」とだけ答えると走り去っていく。1人になったお母さんはそのまま近くに止まっていた馬車に乗り込むと、扉に付いた窓のカーテンを下ろし、外が見えないようにする。
「ご苦労様だね」
「あら、来ていらしたんですか」
あの男の声だ。
「まったく、時々君が恐ろしいものに見えてくるよ。子供を多額の金銭と引き換えで引き取り、おまけにその村を焼く。いくら国家機密で一般人に知られることは許されないとはいえ、ここまでするかい?」
どういうこと?
これはこの男の指示じゃなく、お母さん自身の指示だと言う事?
そんな事はあり得ない。だってあんなに優しい彼女がそんな酷い事をするはずがない。
「ご両親は、能無しを生んだ事に今後苦しむ事になるでしょう。そして苦しめるのは周りの人たちです。それを考えれば、今誰も彼も死ぬのは彼らにとっても幸せでしょう」
「……それが君の理論かね」
「ええ、では出発してください」
「はいはい、班長」
ああ、なんということだ。
あたしは勘違いをしていたようだ。
この男が今まで全ての首謀者だと思っていたが、彼女こそがそれだった。
お母さんお母さんと慕いながら、本当の親を奪ったのは他でもない彼女だった。
あたしは馬鹿だ。何も知らずに、目に映るものだけを盲目的に信じて、真実を知ればこのざまだ。まるで心の支えを失ったような虚無感に襲われる。
「どうして、こんなことに……」
彼女ではない、自分の口から漏れた言葉だ。
どーも、一か月半ぶりくらいですかね、ハモニカです。
リアルが忙しかったため、執筆とかに割いてる時間、体力がアババな状態だったので休みが終わった後もグダってましたw
なんとかペースを元に戻そうとも思っているのですが、お絵かきもしてるとどうにもならない!(゜Д゜)
まあ、チマチマ進めていきます。
△▽△▽△▽△▽△▽△
と、いうわけで主人公を肉体的にも精神的にも抉り続ける話が続いたのですが……、大丈夫、うちの子はこれをバネにして高みへ行ってくれるに違いない!
まあ、クライマックスに向けてようやく今書いている話の辺りで事態が動き出すので、終わりが見えてきたのは確かですな。長かったですなぁw
それではまた次回。
誤字脱字報告、ご感想などお待ちしております。