第60話 紅い空の下の再会
警察はいよいよサナトス、トリアを仕留めるために手段を選ばない事に決めたようだ。
ジョブがメリスを通じてフランに教えてくれたことだが、警察がサナトスの逮捕ではなく死亡でもってこの事件に終止符を打とうとしている事は明らかだ。身内を殺される苦しみはよく分かるが、だからといってトリアをサナトスとして殺させるわけには到底いかない。
そのために、テトの力を借り、ジョブが知らせてくれる情報からトリアの居場所を絞り込み、警察より先に彼の所にたどり着く必要がある。それは生半可な事ではないが、フランしか出来る者はいない。
「可能な限り人気のない場所で会わなければなりません。そうでないと警察の人が来てしまいます」
「それは同時にフランが助けを求められない事を意味するが、それでも良いのか?」
テトと共に作戦会議を自室にて行っているが、具体的な中身となるととてもじゃないが正気の人間がやることとは思えないものになってしまっている。
「そこは……、テトが守ってくれるのでしょう?」
「そりゃまあ、お主を守るというか、我のモノなのだから守るのは当たり前じゃが……」
やはりまだテトは納得出来ない様子だ。
フランを溺愛していると言っても過言ではないテトからすれば、フランが自分から身を差し出すような真似は全力で阻止したいところだろう。それもこれもフランがそのような作戦で行くと決めてしまったせいであるのだが。
フランが考えているのは、テトがトリアの居場所を突き止めると同時に急行、警察よりも早く彼を見つけて正気を取り戻させるために呼びかけを行うというもの。見つけた際には自分を囮にトリアを人気のない所まで連れ出し、極力町から離れた場所まで移動する必要がある。
おまけにメリスに頼んで記憶喪失などに関する文献を読んでみたは良いものの、これといった特効薬は存在せず、強い衝撃を与えるとか、呼びかけを通じて記憶を呼び戻すなど、確証がどれも薄い物ばかりだ。クレアに至っては「頭に一発ブチかませば」などと呟いた途端、フランの鋭いチョップが入ったほどだ。
これはトリアを殺す作戦ではない。彼を助けるための作戦なのだ。
だというのにどうして彼を傷つけられようか。フラン自身、それでは襲われた時応戦出来ない恐れがある事くらい分かってはいるのだが、前回は何も知らなかったから戦えたようなもので今回は訳が違う。
「悩むのなら、我が奴と戦うが?」
「駄目です。戦っては駄目です。誰であっても、これ以上あの人に罪を重ねさせないためにも、戦うわけにはいかないんです」
「それでは、どうやって話を聞いてもらうのじゃ。話を聞く限り、大人しく座ってお話モード、なんて事にはなりそうにないんじゃが……」
「きっとあたしを狙うでしょう。逃げ回りながら、とにかく話しかけます。いつかは、きっと……」
「はぁ……、生まれて云千年、ここまで中身のスッカスカな作戦会議を聞いたのは初めてじゃ……」
呆れ果ててため息をつくテトではあったが、それでも彼女は一度たりとも否定しようとはしなかった。
テト自身がまだトリアと出会っていない為に有効な策を考えつかないのもあるだろうが、フランの意志を尊重したいという思いもあるのだ。兄と慕った者を傷つけるなどフランには到底出来ないだろうし、それを強要するというのはフランにとって苦痛でしかないだろう。当然、フランの承認なくテトもトリアを攻撃する気はない。
「兎にも角にもあなたが兄さんを見つけてくれなければ話は始まりません。絶対に、見つけてくださいね?」
「うむ、その点については心配ご無用じゃ。すでに我が街全体を覆う様に探索魔法陣を張り巡らせたから探索魔法の検知対象となる者が動き回ればすぐに分かる。ついでに野良猫たちにも情報を集めさせている故、今夜動けば確実に見つけられるであろう」
「明け方猫の鳴き声がたくさん聞こえたと思ったら、そんな事をしていたんですか……」
「にゅふふ、まさしく人海ならぬ猫海戦術じゃ」
テトは自慢げに笑いながらベッドから起き上がると椅子に座っていたフランの背後に回り込みその首にそっと腕を絡ませる。
「……テト?」
「無茶をするな、とは言わん。だからその代わり、我を頼ってくれ、フラン」
「ふふ、そうさせてもらいますよ、テト」
雲がうっすらと月を隠している。
窓の外に見えるヘラの夜景を視界の端に捉えながら、フランは数週間ぶりに握るアフェシアスの感触を確認していた。
机の上には机を汚さないためのシートやブラシといった銃の手入れに必要な物が整然と並べられていて、その中央にアフェシアスが鎮座している。そしてその右上に今まではなかった金色に輝く物体が置かれている。
鍛冶職人のヘルマンが先日届けてくれた弾丸だが、銀色の丸い弾丸ではなく、先端のとがった金色の弾丸だ。弾丸とは別に薬莢というものが弾丸の尻の部分を覆う様につけられており、そのため全体として円柱状の形をしている。薬莢には火薬が本来入っているものだが、アフェシアス用の弾丸は魔力の爆発力を上げる工夫が仕込まれているそうで、武器も作るヘルマンならではの「殺しやすくなる工夫」が随所に施されている。
その弾丸をフランは手を休めながら真剣な眼差しで見つめていた。
トリア相手に使うべきか考えているのだ。今までであれば問題のなかった威嚇射撃もこの弾丸では命に係わる大事に至る可能性は十二分にある。それはフランも望まない事だ。
以前遭遇した時、アフェシアスの引き金を引く余裕すら与えられることはなかった。持っていくことは無意味かとも思ったが、無防備で彼と相対するのは自殺行為だと考える自分もいる。
「まったく、悩んでる顔で固まるわよ、そんなに眉間に皺を寄せてたら」
声をかけてきたのはレティアだ。
今晩から寝ずにトリアの出現を待つため、突然屋外に飛び出すかもしれない事は既に全員に伝えてある。メリスやグラントは心配しつつも成功を祈ると言ってくれたが、レティアは口をへの字に閉ざしたまま黙っていた。今も扉の前に立つレティアはどこか不満げな表情をしている。
「第一、あなたがやらなくたって警察とかジョブ先生とかに任せられないのかしら?」
「兄さんを放ってはおけませんよ」
アフェシアスの銃身内を軽く掃除しながらそう答える。
「兄さん、ね。あなたにとって大切な人なんでしょうけど、その人のためにあなたが酷い目に合うようなことは、他でもないあたしが許さないからね?」
アフェシアスに視線を向けながらレティアは強い語気でそう言う。
もちろんフランもそんな目に合わずに終わる事を望んでいるし、そうするつもりだ。
「今回はテトもいますし、そんな最悪の事態にはならないですよ」
「本当はあたしも一緒に行きたいんだけど……、やっぱり駄目なの?」
「当たり前です。お嬢様に何かあったら旦那様やメイド長にどんな顔して戻ってこられるというんですか。それに、兄さんはまだサナトスです。町の中にいる以上お嬢様やご学友の皆さんに危険が及ぶかもしれないんです。あたしは兄さんを助けると同時に、お嬢様を危険から未然に助けたいんです」
最初にトリアの事を告げた時、レティアは真っ先に一緒に行くと言い出した。
当然、フランだけでなくメリスやグラントは猛反対した。
レティアの安全を守るという面を持つ今回の件にどうしてレティアを巻きこめるだろうか。何があってもレティアを連れていくわけにはいかない。
「……どうしてもっておっしゃるなら、あたしはお嬢様をベッドに縛り付けておく必要があります」
「……この間の仕返し?」
「さあ、どうでしょう?」
嫌な事を思い出したのかレティアが苦い顔をする。
あの件に関してレティアは直接的な記憶を残していないが、デックスから事情を聞いているのだ。さすがに自室でテトを半殺しにしたのはまずかったかもしれない。
「見つけた」
短く、凛としたテトの声が室内に響く。
「町の北西、あまり時間はない。急ぐのじゃフラン」
窓から逆さまに頭だけを覗かせたテトはそれだけ言うと窓の外へ消え、屋根の上へと戻っていく。
それを見てフランも慌ただしく立ち上がるとアフェシアスをホルスターに収め窓から屋根の上に上がろうとする。
「フラン」
窓の縁に手をかけたところでレティアが声をかけ、フランが動きを止める。
「行ってらっしゃい」
「……行ってきます、お嬢様」
それだけ言うとフランもまたテトの後を追って窓から姿を消した。
「……ところで、どうして屋根の上に?」
「うん? そりゃまあ、速いからのう」
「速い……?」
テトの言っている言葉の意味がよく理解できず、フランは首を傾げてしまう。
「まあ、言うよりやった方が理解も追いつくってものじゃろう」
そう言うとテトはいきなりフランの腰に腕を巻きつけ、自分に引き寄せる。
テトの脇に抱えられるような感じになり、おかげで嫉妬の対象にならざるを得ない柔らかい感触が喉から上の辺りに広がる。
「しっかり掴まっておれよ?」
「は――――――?」
次の瞬間、フランの足の裏に感じていた屋根の硬い感触が消え去る。
視界が勢いよく上下に移動し、風が顔に打ち付けられる。
訳も分からず、ただ本能的に「落ちる」事を回避しようとテトの体に腕を回し、何が起こっているのか理解しようとする。
「ほれほれ、前を見るのじゃ、フラン」
「へ……、うわっぷ」
風を顔面に受けないようにしていたが、テトに促されて前に視線を向けると強烈な風で首が曲がりそうになる。
そして視界に入ってきたのは、物凄い勢いで眼下を通り過ぎていくヘラの夜景だった。
「すごい……」
テトは驚異的な跳躍力を生かして屋根伝いに移動しているのだ。それも、一度の跳躍で軽く数十メートルを移動している。まるで鳥になったかのように視界が目まぐるしく変わっていくが、それを理解するとフランはふと自分を抱えるテトの顔を見上げる。
下から見上げているからなのか、それとも月明かりに照らされているからなのか、ないとは思うが何かしらの特別な感情を持ったのかは定かではないが、見上げたテトの姿がとても心強いものに思える。
そんな事を考えていると、風の音に混じって警笛のような音が聞こえてくるのをフランの耳が感知する。
「あれはっ」
「警察が使う奴じゃ。急がんと手遅れになるのう……、少し飛ばすから、目を閉じているのじゃ」
「え、あ、分かっ、たああああああああっ!?」
言い終わる前に体が引力以外の何かに引っ張られて真下に落ちる。
狭い裏路地に滑り落ちると今までの速さが可愛く思えてしまうほどの速度に加速し、テトに言われるまでもなく目を開けていられる状況ではなくなった。何とか少しだけ開いた瞼の隙間から視界を確保しようとすると、裏路地から裏路地へ、屋根から屋根へ、果てには狭い塀の上を、文字通り縫うように走っていた。
それでも見上げるテトの表情には一切の躊躇は窺えない。猫特有の暗闇での視力の良さだけでなく、おそらくこの町の地形を全て把握しているという事なのだろう。真昼間からフランのベッドでゴロゴロしていただけではなかったということか。
「ちょ、わっ、なんか擦ったあああっ!?」
「手足をプラプラさせてるとブチッといくぞぉ?」
「じょ、冗談じゃない!」
宙ぶらりんだった足を何とかテトに引っ付かせようとするが、そうすると必然的に母猿に抱き付く子猿のような態勢になってしまう。
「にょほほ、役得役得♪」
「今回は仕方ありませんから何も言いません! 急いで!」
今回ばかりはテトにツッコミを入れている余裕はない。
フランはとにかくトリアの事が気にかかって仕方のない状態、思考を他の事に向ける事はせず、これから現場に着いたら何をすべきか、どうすればよいのか、それだけに集中する。
(兄さん……)
「まったく、これだから警察は……」
商店街の平たい屋上で双眼鏡を手に持つジョブはため息交じりにそんな独り言を呟いた。
今、ジョブの足元の細い路地にはランプと警棒を持った警察と軍用の剣を背負った鎧姿の兵士が慎重な足取りで歩いている。
捕り物とはいえ、下手をすればこちらが狩られる事態になりかねない相手であるため、決して単独行動せず、とにかく慎重に行動することを厳命されている。それでも警察は身内を殺されている事を背景に先陣を切ってサナトスがいると思われる地域一帯で捜索している。
最初にサナトスが発見されてから30分、この町の警察とは思えない迅速な包囲網によってネズミ一匹逃さない鉄壁の陣が組まれている。そして徐々にその包囲網を小さくしていき、最終的にサナトスを捕えるという作戦だ。
しかし、殺気立っている警察が大人しく逮捕するとは思えない以上、ジョブは包囲網内を隈なく捜索、いち早くサナトスを捕まえるべく、こうして双眼鏡で暗い夜の町を見渡しているのだ。もしサナトスが動きを見せればそれを見逃すわけにはいかない。
(問題は、彼女がいつ来るか……)
来る来ないはこの際問題にはならない。
ジョブの直感が、彼女がここに来ることを知らせている。
警察ではなく、一度サナトスに襲われた経験を持つ彼女。
「さあ、動けサナトス。お前の悪魔の尻尾を見せろ……」
「っ!?」
「いたっ!!」
視界に捉えたわけではない。
あの独特な、狂気を纏った背筋も凍る気配をフランとテトは感じ取ったのだ。警察に追われ、そこから距離を取ろうとする形で町の中を驚くほど速いスピードで移動し続けている。
今や警察の鳴らす警笛は四方八方から聞こえてくる。急がなければ包囲網が縮まり、トリアを先に発見されてしまう。そうなっては困るため、フランはテトに急ぐよう叫ぶ。
「分かっておるよ! じゃが、奴さんがこれほどに速いとは思わなんだよ! ちょっと荒っぽい事をするが、舌を噛まんように!」
言った直後、テトは思い切り地面を蹴って狭い路地から吹っ飛ぶような勢いで空に飛び上がる。一瞬の浮遊感の後、眼下に広がるヘラの町の一点にフランの視線が釘付けになる。
僅かな月明かりを反射させながら、素早く動く黒い人影。屋根から屋根へ飛び移り、ヘラの町から出るための最短ルートを突き進んでいる。だが、当然、今進んでいる方向にも警察の包囲網が伸びているのが上から町を見る事が出来ているフランとテトは分かっている。このままでは自ら警察と鉢合わせしてしまう可能性が高い。
「テト、あそこです!」
「分かっておるっ。フラン、奴にお主の存在を知らせてやるのじゃ、もしあ奴がフランをまだ狙っているなら、必ず食いつく!」
「なら、これ以上に派手なモノはありませんね」
ホルスターからアフェシアスを抜き、空に向けて引き金を引く。
バガンッ
肩が外れそうな衝撃に襲われるが、力加減を考えずとにかく大きな音を響かせるためだから致し方ない。気が付いたかどうかは分からないが、一瞬人影の動きが揺らぎ、次の瞬間屋根の上から路地の中に消えていった。
「乗ったな。よしフラン、こちらの舞台に彼を招き入れるぞ」
「し、しかしどうやって……」
「にゅふふ、我に出来ないことはあんまりないのじゃ♪ ……ていうか、今回のはこの間偶然探し当てたモノじゃがの」
「御託は良いので早くやりましょう!」
「分かった分かった」
路地の中に飛び降り、フランを抱えていた腕を放すとテトは手近な壁に近づいてそこに手を当てると小さく何かを呟いた。
すると壁に丸い魔法陣が浮かび上がり、その中心に紅い膜のようなものが生み出される。膜は波打ち、近寄ってみると膜からわずかに風が吹いているのも感じられる。
「さあ、往こう、フラン」
テトが魔法陣の前でフランに手を差し伸べる。
「……はい」
フランもまた、意を決してテトの手を取り、魔法陣に反対の手で触れる。
本来、そこにあるべき壁の冷たい触感はなく、代わりに手が生暖かい空気に包まれていく。そのまま腕、肩、そして体を魔法陣の中へと進めていくと視界が真っ赤になる。体全体が温い液体の中に浮かんでいるかのような感覚に襲われ、足元にあった固い地面の感覚も失う。ただテトの手の温もりだけは確かにはっきりと感じる事ができ、フランはそれだけを頼りに歩を進めていく。
不意に、足がしっかりとした固い地面を踏みしめる。
「ここは……」
真っ赤だった視界から風景が姿を現すと、その風景に見覚えがあるフランは半ば呆けてしまう。
「ようこそ、かつての我が牢獄へ」
そこは、テトが封じられていた赤い広場だった。
中央の噴水、赤い空、どこからどう見ても以前テトと初めて会った場所だ。ただ、今回は後ろに入ってきたと思われる魔法陣があり、テトは人の姿で立っている。
「町を散歩している時、以前お主と共に出てきた”道”の残滓を見つけてな。ここに再びやって来ることが出来るようになったのじゃ。まあ、来る用もなかったので放置しておったが、余所からの介入を防ぐにもってこいの場所じゃ」
「なるほど……、それで、後は待つだけですか……」
「そう、お主に気が付いたあ奴なら外の世界にある入り口を見つけるじゃろう。そうすれば入り口を閉じる、それだけじゃ……、と、話している暇すらありゃしないのぅ」
噴水に腰を下ろしたテトがため息交じりにそう言うのとほぼ同時にフランは魔法陣の方に振り返る。
「………フフ」
そこには巨大な鎌を手にした彼の姿があった。
赤い空ではあるが、以前会った時に比べればはっきりと顔を窺い知ることが出来る。フードで顔を隠す事もせず、彼は口角を吊り上げながらフランを見つめている。
対してフランは無表情で視線を彼に向ける。
こんな再開でなければ、抱き付いて再開を喜びたいところだが、それをすることは出来ない。首に残る傷痕に視線を一瞬向けるも、フランは彼の目から視線を外さない。
「……やっと会えたね、兄さん」
どうも、どうも↗どうも↘、ハモニカです。
ちょっと間が開きましたが学業が忙しかったり新しいゲーム買ったら思いっきりはまったりしていたせいです。はい。
さあ、やっとこさ「お兄さん奪還作戦」が始動、そしてとっととクライマーックスですw
ちょっとPCの調子が芳しくないので更新がどうなるか分かりませんが、ご了承ください。立ち上げるのに15分かかってしまったのでちょっと怖いんですよね…。
では、また次回。
誤字脱字報告、ご感想などお待ちしております。