第48話 風呂場の決戦
結果:シリアスかコメディなのかよく分からなくなった。
……うおぃっ!?
と、1人ツッコミを入れたハモニカです。
では、どうぞ。
「ふう、今日は疲れました……」
大きな浴場で1人身体を洗いながら、フランは息を吐く。
結局、水漏れは決壊することなく教員の応急処置で食い止められた。それでも数十人の観客が水を頭から被ってずぶ濡れになってしまった。
しかし、その程度で冷める熱気の持ち主でなかったようで、ステージ上の10メートルにもなる水の排水作業が終わると何事もなかったかのようにそれ以降の試合が行われた。
フランとレティアはずぶ濡れになった服を乾かすために学園の洗濯室へ行き、物干し竿に引っかけてそそくさと服を乾かしている間に運動部が使用するシャワー室で身体を洗い、午後の試合の観戦に向かった。
散々見るよう言っていたウルの試合だが、初戦は開始10秒でケリが着き、2戦目は開始の合図と共に終了した。見てて興奮するかと聞かれれば、むしろ唖然としたというのが適切だろう。事実観客もカミラも何が起こったのか理解するのに若干の時間を要する羽目になった。
その後、帰宅したフランとレティアは夕飯の前にお風呂に入る事にしたのだ。
本来ならばフランは使用人用の小さなお風呂を使うべきだったのだが、今日はもう1つの大きな浴場に来ている。レティアが「今日のMVPは文句なしでフランだから、先に入ってきなさいよ」と言い、拒否は許さないという表情だったため、主よりも早くお風呂に来ることになった。
この浴場はファルケン家の自慢の1つで、同時に4~5人なら入れる大きさがある。高い位置に窓があって、湯気の隙間からわずかに星が観察できる。
フランがこの浴場を使ったのは、おそらくこの屋敷にやってきた最初の数か月くらいだろう。メリスやクレアに今思えばまるで洗濯物のように洗われた記憶に、苦笑してしまう。
「…………ん」
泡立ったシャンプーで髪を洗っていると、不意に自分の顔が映りこんでいる鏡に視線が向いた。
眼帯も、カラーコンタクトも、ウィッグもしていない、言ってみれば「本来の自分」がそこに映っている。何故か癒えることのない左目の爛れたような傷が生々しい。
――――――あなたは誰?――――――
鏡の中の彼女がそんなことを呟いたように思える。
鏡の中にいる黒髪黒目、隻眼の少女はどこか冷めた視線で自分を見ている。
夢という形で蘇りつつある記憶、テトは記憶の封印に綻びが生じている、と言っていただろうか。
過去の自分はエネアと呼ばれていた。それが本名でないということは分かっている。数字の「9」を意味する言葉であり、おそらく識別番号か何かだったのだろう。
拷問じみた実験の被験者にされていたことは確かに思い出したくない悪夢だ。
だが、それと同時に自分にとって大切な存在がいたことも確かなのだ。
エナス、デュオ、トリア、ゼーカ、少なくとも4人の「家族」の名前を思い出した。思い出したくもない男の顔を未だに思い出せないのは幸いと言えるだろうか。代わりに母親と慕っていた女性の顔も思い出せないが。
フランは自分を全くと言ってもいいほど知らない。自分の事であるのに、赤の他人のような感覚すら時折覚えてしまう。
「……赤の他人、か」
ポツリと頭に浮かんだ言葉が口をつく。
記憶とは不思議なものだ。
思い出そうと必死にもがいても、雲をつかむかのように指の隙間をすり抜けて零れ落ちていく。ところが、こちらが望んでいないときに、背後から不意打ちでもするかのごとく思い出してしまうことがある。学園祭の時のあれは、まさしくそれだ。こちらが身構えてもいないところに、強烈なボディブローをかましてくる。
「はぁ……、しかし、最近はどうも生傷が絶えませんね……」
視線を自分の身体に戻すと、二の腕や足に治りかけの傷が随分と増えたことに溜息をついてしまう。
以前なら数時間とかからずに治癒していた切り傷も、一晩寝ないと治らないような気がする。この頃、激しい運動を度々しているせいなのだろうか、と思いつつ泡の付いたタオルで身体を洗う。
治りかけの傷に石鹸の泡が触れてわずかに痛みが走るが、気にせずにタオルを動かしていると、突然勢いよく浴場と脱衣所を繋ぐ扉が開けられ、フランと同じようなタオルを身体に巻いたレティアがそこに仁王立ちしていた。
「お、お嬢様!?」
身体を洗う手を止め、顔を上げると仁王立ちしていたレティアが笑みを零す。
「背中洗ってあげるから、そのままでいなさい」
「い、いえ、お嬢様にそのような事をしてもらうわけには……」
水で濡れているため、滑らないようにフランの所まで歩いてくると、フランの手から泡の付いたタオルを引っ手繰る。
「今日はフランのおかげで勝てたようなものなんだから。これくらいのお礼はさせてよね?」
「しかし、むしろあたしとしてはお嬢様のお背中を流すべき立場で……」
突如現れたレティアにフランはまだ動揺しているのか、しどろもどろになりながら言葉を紡いでいる。
それを見かねたのか、レティアは小さくため息をつくと鏡越しにフランの顔を見て口を開く。
「仕方ないわね。なら後であたしも背中流してもらうから、それでいいでしょ?」
有無を言わせる気はないようだ。
フランの返事も待たず、レティアはフランの背中をタオルで擦り始める。
「うう……、致し方ありませんね……」
「そうそう、メイドは大人しく主の命令に従うべきよ」
「はあ……痛っ!」
不意に背中に鈍痛のようなものを感じ、フランはビクリと震えてしまう。
それに驚いたのか鏡の中のレティアも自分が何かしたのではないかと思って不安な表情になる。フランはそれに対して苦笑いしつつ首を振る。
「腰の少し上あたりは、なるべく触らないようにしてください……」
「え? ええと、うわ、酷い内出血してるじゃない……」
泡に隠れて気づいていなかったのか、レティアがフランの背中を見下ろすとそこには大きな内出血の跡があった。
「初戦で吹き飛ばされた時、盛大に背中を打ちましたから。2回戦には響きませんでしたけど、触られると……」
「ご、ごめんなさい」
「お嬢様が謝られるようなことではありません。あれはあたしの不注意でもありますから」
レティアの謝罪に慌ててそう付け加えるが、お互い続ける言葉が見つからず、しばらく無言の時間だけが過ぎてしまう。
辺りにはレティアがフランの背中を洗う音と水の音だけが響き渡る。
しばらくして、ふとレティアがその手を止めた。
「……フラン」
「はい、なんでしょう?」
「フランってさ。どうしてあんな危ない真似が平気で出来るの?」
「……と、言いますと?」
顔を伏せたレティアの問いに、フランはそう聞き返す。
「自分から敵の懐に突っ込んだり、普通の人間じゃまずやらないような危ない事、たくさんするじゃない。それも、下手をすれば命に係わるような」
「ああ……」
レティアの疑問に、フランは苦笑してしまう。
それに気が付いたのか、レティアが顔を上げ、辛そうな表情をする。
「笑っていられる問題なの? フラン、あなたは死ぬのが怖くないの? いくら試合とはいえ、魔法を使う以上、死ぬことだってあり得るのよ? だから先生たちが常に待機しているわけで……」
「違うんですよ」
レティアの言葉を遮り、フランが口を開く。
その表情は酷く穏やかだ。それこそ、まるで何かの境地にでも達しているかのような表情だ。
「フラン……?」
「あたしにとって、生き死にはそれほど大切なものではありません。あたしにとって大切なのは、お嬢様を守り抜くことです。助けられた恩を返す方法は、あたしにはそれしかありません。ならば、お嬢様を守るためにどんなことでもやるのは当然というものです」
「で、でも、それで死んじゃったら元も子もないじゃない!」
「いいえ、お嬢様を助ける事にあたしの死が必要であるならば、あたしは喜んでこの身を捧げる所存です。どうせ、一度は絶えかけた命です」
レティアと、さらに言えばファルケン家の者に助けられなければ、フランがこうして生きている事も、誰かに背中を流してもらうような事もありはしなかっただろう。
たとえ誰がなんと言おうと、レティアを守るためなら命を失おうと構わない、それがフランの「生き方」だ。
「お嬢様、『フラン』という名はあなたが考えてくれたんですよね。どうしてですか?」
いきなり話題を変えられ、一瞬答えに詰まるような仕草を見せるが、レティアは思い出すようなそぶりをした後に気恥ずかしそうになりながら答える。
「あなたがここに来て間もない頃は、何も分からず驚いたり、暴れたり、泣いたり、それこそ赤ん坊のようだったから、そういう意味で『フラン』とつけさせてもらったわ」
「はは、さすがに覚えていませんが、そんな感じだったんですか」
「そうよ。割ったお皿の枚数、すごいんだから。メリスとグラントが頭を抱えていたの、覚えてる?」
「いえ、さっぱり」
その当時はまだいいとしても、今思い出せば二度と2人に頭が上がらなくなるような気がしてならない。
「クレアは妹が出来たみたいに喜んでいたしね。今じゃどっちが姉か分からないけど」
レティアの言葉につい吹き出してしまう。
先日もメリスに半ばペット扱いされていたクレアの姿が脳裏に蘇る。
あれでフランより年上なのだから、現実は小説より奇なりと言う言葉もあながち間違ってはいないだろう。
「あたしは、良い人たちに囲まれましたね」
「っ! そうよ、だから勝手に死ぬなんて許さないんだからね。せいぜい恩返ししてもらうんだから!」
「はい、お嬢様」
顔を真っ赤にしながらそう言うレティアにフランが頷くと、レティアは満足げな表情をする。
「……しかしお嬢様」
「ん? なに?」
「さすがに背中が痛いのですが」
「わ!?」
散々擦られたフランの背中は真っ赤になってしまっていた。
前後を逆にしてフランがレティアの背中を流した後、2人揃って湯船に浸かる事にする。
大きなお風呂は1人で入るのには勿体なさすぎるとレティアが零しているのを聞きながら、フランも久しぶりに大きく身体を伸ばして1日の疲れを癒す事にする。
「ふぅ、気持ちいいものです……、お嬢様?」
身体を反らせて気持ちよく伸びをしていると、何やらレティアがムスッとした表情でこちらを見つめている。
「フラン、こうやって2人お風呂に入る事なんて久しぶりだけど……、あたしより大きい?」
「……何が、ですか?」
「…………それ」
レティアが指差す先には、タオルに隠されたフランの胸がある。
「……いや、そんな事はないかと……」
「いいえ、絶対あたしより大きいわよね……?」
急にレティアの目が妖しく光ったと思うと、浴槽を泳いぎながらフランの前までやって来て、フランの胸をタオル越しに触れようとしてくる。
「お、お嬢様ぁ!?」
タオルを手で強く握り、慌ててレティアの「攻撃」を避ける。
「良いじゃない、減るもんじゃないし」
「いいえ、そういう問題じゃないです。お嬢様、テトの真似事のような事はおやめになって下さい」
「フランって、着痩せするタイプなのね」
「話聞いてます!?」
頬を赤く上気させたレティアが妖しい笑みを浮かべながら、自分の身体の前で手を開いたり閉じたりさせる。その動作に何とも言えない危険を感じたフランは浴槽から飛び出して脱衣所に向かおうとする。
「な、なんなんですか……ひゃわっ!?」
突然タイル張りの浴場の床とは別の何かを踏んだフランは、体勢を崩して倒れそうになってしまう。
後ろに身体が倒れそうになるところを、レティアに背後から抱きとめられる。
「す、すいません、お嬢様……」
これはまずいと思い、一応礼を言ってレティアから離れようとするが、レティアは抱き留めた腕をフランの身体の前に回そうとしてくる。
(こ、これはやばいです!)
いろんな意味で。
なんとしてもこのレティアらしからぬレティアの腕の中から脱出しなければ何か大切なものを失うような気がしてならない。
「や、止めてください、お嬢さ……あれ?」
抵抗しようとした時、ふと視界の両脇から姿を見せている手に違和感を感じたのか、言葉を切った。
ワキワキと動くその手を注視していると、フランはある事に気が付くそぶりを見せる。
「おかしい……」
「へ? 何が?」
「お嬢様は、確か今日の試合で軽く火傷を負っていたはずです」
「え、嘘――――――」
そこからは速かった。
フランは腕を掴み、身体を折り曲げてレティアを持ち上げるとそのまま背負い投げの要領で浴場の床に叩き付けようとする。
しかし、レティアは叩き付けられる直前で器用に体勢を立て直すと足で着地し、フランに巻き付けていた腕を離すとわずかに距離を取る。
「……何の真似ですか、テト?」
「にょ、ばれてしもうたか。あと少しじゃったんだがのう……」
レティアの口から出てきたのは、なんとテトの声だった。
そして「ポンッ☆」と言う音と共にレティアの身体を白い煙が包み込み、それが晴れるとそこにレティアの姿はなく、生まれたままの姿のテトが立っていた。
「あの姿ならいけると思ったんじゃが、よもや火傷とは……」
「何を言ってるんですか、お嬢様はあたしが守りましたから、火傷なんてしてませんよ?」
「……謀られたか」
「謀ったのはあなたでしょう」
「むぅ、どこで気が付いたのじゃ?」
「簡単な話です。『お嬢様らしくない』、ただそれだけです」
どこか納得の行かない様子のテトではあったが、フランはそれを無視すると浴場を見渡す。
「……ああ、あんなところに」
浴場の端で眠りこけている本物のレティアを見つけると、フランは駆け寄ってレティアの肩を掴んで揺さぶるが、まったく起きる気配が無い。
「当分眠っとるぞ。今日1日分の疲労もあって、術などほとんど使わなくてもスヤスヤと眠っとる」
「それを聞いて安心しました……が、テト、あたしも疲れてるんです。今日は大人しく戻ってくれませんか?」
「む? そうはいかないのじゃ♪ 大人しく我の手にかかるがよい」
ジリジリと距離を詰め始めるテトは、もはや変態以外の何者でもなかった。
「……はぁ、仕方ありませんね。とっとと終わらせたいので手加減しませんよ?」
そう言うとフランは拳を握りしめた。
「――――――様、起きてください、お嬢様」
「…………んあ?」
レティアがうっすらと目を開けると、真っ白な肌と真っ黒な髪の毛が視界に入ってくる。
「ああ、やっと起きてくださいましたか」
「フラン……? あれ、あたし……」
ようやく視界のピントが合ってきて、見下ろしているのがフランだという事に気が付く。
フランの後ろには脱衣所の天井が見え、いつの間にか浴場から出ている自分に疑問を抱く。
「浴場で眠ってしまわれたので、失礼ながら運ばせていただきました。湯冷めしてしまっては大変でしたが、起きられて良かったです」
そう言われて自分の身体に視線を向けると、白いタオルがかけられているだけだということに気が付く。まだ身体に火照りが残っているから、浴場から出てまだそれほど時間は経っていないようだ。
それから再びフランの顔に視線を戻すと、ふと、その位置関係に意識が向く。
レティアは今、フランを真下から見上げている。そして、フランは真上から自分を見下ろしている。頭の後ろには何か柔らかい感触もある。
(こ、ここ、これはまさかっ……)
そう、世にいう「膝枕」だということにレティアは気が付いたのだ。
それを認識した時、レティアは恥ずかしさを嬉しさと照れくささが一度に来たように自分の顔が紅潮していくのが分かった。
「お、お嬢様、大丈夫ですか? もしかしてのぼせてしまいましたか?」
「い、いや、そんなんじゃないんだけど」
(言えるわけないじゃない)
慌てて言い訳をすると、フランがホッとした表情を見せる。
今日はよっぽど疲れていたのだろう。フランの疲れを少しでも癒そうと思って彼女の後を追って浴場に来たのに、結局最後はフランの世話になってしまった。
それを悔やむ自分がいると同時に、そのおかげでこうしてフランと共にいられることを嬉しく思う自分もいる。
「……ねぇ、フラン?」
「なんでしょう?」
声をかければ、必ず返事をしてくれる。
どんな時でも、どんな状況でもそれは変わらない。
「……ずっと一緒にいてよ?」
何気なく出たその言葉に、フランが意外そうな顔をする。
その表情の意味を理解するよりも早く、フランの表情は笑みに変わってしまう。
「もちろんですよ、お嬢様」
「ん……。なら、もう少しこうさせて……」
ひどくフランの膝が心地よく感じられてしまい、このまま再び眠りに落ちてしまいそうになる。
もちろん、それでは風邪を引きかねないし、フランも眠る事が出来ない。だからあとほんの少しだけ、レティアはこの温もりを感じていたかった。
「……ここで何をしているの?」
メリスが心底訳が分からないという表情をしている。
屋敷の裏、大きな音がしたと思って出てきてみれば、庭に大の字になって倒れているテトがいた。頭と鼻から盛大に血を吹き出しながらも、まるで理想郷でも見つけたかのように目は爛々と輝いている。猫であるだけに、夜はより一層輝いている気がする。
場所は丁度浴場の裏側、空を見る事が出来る浴場の窓のすぐ下辺りだ。窓は閉まっており、すりガラスの窓からは淡い光が漏れている。
「いやな? 女湯は理想郷と言った過去の偉人たちの言葉を、今本当の意味で理解したような気がしてな」
「あなたも女性でしょう?」
「そういう意味ではないのじゃ。つまるところ、フランラブじゃ」
「……訳が分からないわ」
メリスは小さくため息をつくしかなかった。
はい、そういうわけで、今回はお風呂回でした。
といっても、キャッキャウフフというよりはシリアス風コメディみたいなよく分からないものになってしまいましたが。
しかし、自分でも思うんですが、
テト、ぶれないねwww
まあ、そういうつもりで書いてるんですがね。このままだとテトが親父になっちゃうんじゃないかと不安に思っている今日この頃です。
では、また次回。
誤字脱字報告、ご感想などお待ちしております。