第39話 思い出す事の辛さ
前半と後半のギャップが激しい!www
ど、どうしてこうなったんだ……。
今回、フランのトラウマが蘇ります。前半の空気で油断していると、結構不意打ちになるかもしれません。
でも、とりあえずこれ以上のシリアスはおそらく当分ない、かな?
だって学園祭ですもの、楽しまないと、ですね。
では、どうぞ。
「「「いらっしゃいませー」」」
昼時、待ち合わせの場所にしたレティアの教室にやって来てみると、教室に入るなり中にいた店員を務める学生から一斉にそう声をかけられ、ついフランは一歩たじろいでしまった。
ただ、学生たちもすぐに入ってきたのがフランだと気づき、気さくに声をかけてきたので、すぐにフランも気を取り直すことが出来た。
今、クラスの皆が着ているのは手作りの衣装だそうだ。フランが提案したように、教室の後ろには突貫で作られたと思われるステージがあり、踊り子も兼ねているのか動きやすそうなウェイトレスの服に仕上がっている。
踊りに関してはカラッキシであったが、レティアからの頼みで店員としての基本的な態度などを教えるよう頼まれ、クレアと共に先日簡単な講習を行った。
メイドと店員ではやる事が全く違うかもしれないが、人のための心配りを尽くすという意味では大差はない。どう動けばお客さんが心地よく食事を楽しんでくれるかなどをフランなりに考えて書面にまとめたわけだが、どうやら彼らは自分たちなりにアレンジを加えているようだ。
「レティ、フランさん来たよー」
生徒の1人が簡易の壁で仕切られた調理場の奥に向かってそう声をかけると、すぐさま表にレティアが飛び出してきた。どうやら料理を担当していたらしく、エプロンに三角巾という姿で手にはフライパンを持ったままだ。
「フラン、やっと来たのね。メリスたちはもう来てるから、ちょっと待ってて!」
「レティ、持ち場離れないで。こっちの仕事はこっちでするから。さっきの人たちと同じところで良いんでしょう? シフト変わるまで大人しくしてなさいって」
レティアはフランが来たという事で仕事を放りだそうとしたようだが、さすがはこのクラス、そういう事はうるさい。手が空いていた学生2人に調理場に引き戻されてしまう。
そして残った学生がフランとテトをテーブルの方へと案内する。
何度か来ている教室なのだが、調理場と会計の場所を引いても随分と広々とした内装になっている。既に教室のテーブルのほとんどが埋まっているところを見るに、繁盛しているようだ。
「フランさんにはいろいろ助けていただきましたから、特別に一番前の席を皆さんのために空けておきました」
「お、主賓の到着か」
仮設のステージの真正面、その場所にあるテーブルに座っていたグラントがフランを見て軽く手を振ってきた。学生が使う長机を幾つか合体させて8人程度の人数が1つのテーブルを囲むようになっている。
「遅れてすいません。……えと、これは突っ込むべきなんですか?」
「……まあ、それはフランの判断に任せる」
「フラン~、ヘルプミ~」
テーブルに近づき、それに気が付いたフランは若干頬を引きつらせつつグラントにそう声をかけるが、グラントは曖昧な言葉でしか言い返してくれない。代わりに返ってくるのはクレアの悲しい叫びだ。
「なんじゃ、メイド長殿は妹をペットにでもしたのか?」
「まさかこの歳で迷子になるとは思ってなかったわ。だから丁度売ってたペット用のリースをつけたまで」
椅子に座っているクレアの手首には、本来猫や犬の首に取り付けられるはずの首輪がついていた。そしてそこから伸びる紐はメリスの腰元で結ばれている。
「うう、公衆の面前でこんな辱め……、姉さんのいじわる……」
「あら、あなたほど大きな子供を迷子で呼び出されるこちらも、十分羞恥心の限界だったのだけれど?」
無慈悲にクレアにぶつけられるメリスの言葉に、これは割って入る事は出来ないと即座にフランは判断する。仕事云々だったら多少助け船を出せたかもしれないが、これはもはや家族内の問題に近い。他人が首を突っ込めるような雰囲気ではなかった。
結局、メリスとクレアの事は苦笑いをしつつスルーする事にして、テトと共に椅子に座る。
椅子、といっても学生が日常で使っているものであるため、屋敷にあるような椅子ほどの座り心地の良さはないが、学園祭でそれを求めるのも野暮というものだろう。
「ご注文をお受けいたします」
ほどなくウェイトレスの女子生徒がやって来たのでメニューを開いてコーヒーを注文する。
メニューは軽食から本格的なものまで幅広く網羅しているようなので、期待して待つ事にする。注文を受け取ったウェイトレスが一度お辞儀をすると調理場の方へと消えていき、受け取った注文を声に出して伝えている。そう言ったところもまた、本場のレストランのようなシステムだ。
コーヒーが来るまで若干の時間があるので、教室を見渡してみると、男子生徒が見当たらない事に気が付いた。このクラスは男子生徒と女子生徒が半々程度いたはずだから、表に1人もいないというのはむしろ違和感を覚えてしまう。頻繁にこのクラスに顔を出しているからなのかもしれない。
「そういえば、このステージはいつ使うんですか?」
「ふふ、もうすぐだと言っていたわよ。スケジュールがあそこに貼られているわ」
クラスの中で決して狭くないスペースを使用しているステージ、中央にはマイク台が置かれているが、誰かが使うような様子はない。
それを不思議に思ってそう訊ねると、エルザが教室の壁を指差して笑みを浮かべた。
指差された先に視線を向けると、時間割を使いまわした紙が貼られていた。丁度2時間目と昼休み、そして6時間目の所に星の印がされている。
自分の持っている懐中時計とその時間割を見比べて、エルザの言う通り2回目の時間が迫っている事を確認する。
「お待たせしました、コーヒーをお持ちしました」
横から先ほどのウェイトレスがコーヒーを持ってやって来る。
フランが目の前にコーヒーを置かれて小さく礼を言うと、ウェイトレスはニッコリと笑みを浮かべる。
そのまま裏に戻るかと思われたが、彼女はステージに上がりマイクに近づくとお辞儀をしてからマイクを手に取った。
「え~、皆様、お待たせしました。本日2回目の『レッツパーリィッ!』を始めたいと思います。今お立ちのお客様はどうぞ席にお座りください」
ふと人の気配が増えたような気がして後ろを振り向くと、入り口に人だかりが出来ていた。どうやらこの時間帯に合わせて教室に来ようと思っていた人々が席数の問題から教室の扉の所からステージを見ようと押し合っているようだ。
「まずは自称我がクラスのお笑い担当、ダニー&リチャードです。では、どうぞ!」
どこからともなく軽快な音楽が流れ始め、ステージ裏から2人の男子生徒がヘコヘコしながら姿を現す。1人は茶髪で運動部にでもいそうな爽やかさとアクティブさを兼ね備えている。対する相方は若干目つきが怖い青髪の男子、普段の教室では目つきの悪さを気にして穏やかな物腰、服装を意識しているのだが、今日という日は「不良」のイメージを前面に持ってきているようだ。ワイシャツを第二か第三ボタンぐらいまで開け、首には髑髏のアクセサリを巻き付けている。
もし街中で見かければ十中八九不良と間違われるだろうが、胸元にある名札のおかげで怖さが激減してしまっている。
(…………あれ?)
ふと、その2人を見ていると妙な懐かしさを感じた。
もちろん、彼らの事はレティアのクラスメートということで知っているが、懐かしさを感じるほど親しいわけでもないし、そんな長い付き合いと言う訳でもない。
テーブル席の方から拍手が送られ、ステージ上で2人がお辞儀をした辺りで、フランは急に頭の中で何かが掘り起こされるかのような感覚に襲われた。
不意に、目の前で少年の頭に拳が落とされた。
軽くではあったが、鈍い音がして拳骨を貰った少年は頭を押さえながら恨めしそうに自分に拳骨を喰らわせた相手を見上げる。
「痛いよ、兄さん」
「阿呆、殴られて当然だぞ、ゼーカ」
腰に手を当て、大きく息を吐いたのは少年より一回り大きい青年、デュオだ。
「まったく、お前はアレ以降理性が抜け落ちているんだ。ちょっとした事がきっかけでこんな事になる」
デュオは部屋の端で縮こまっている少女と、彼女に寄り添うように腰を下ろしているエナスに視線を向ける。エナスは縮こまる少女の肩を抱き、その胸に手を当てている。
「弱い奴が悪いんだ。第一、あれくらいで壊れるなんて、思わない」
少年はそう言いながら自分の腕に視線を落とす。
少年の両手は真っ赤に染まっており、今も指の先端から赤い液体が滴り落ちている。それを見ながら少年は口角を吊り上げ、人差し指を口へと運ぶと、自分の指に舌を這わせて赤い液体を舐めとる。
「……不味い」
「俺たちは兄弟で、姉妹だ。なぜこんなことをするんだ」
「特に理由はないよ。強いて言うなら、退屈だったから、かな? ああすれば、何かが起きて僕の退屈を紛らわせてくれる。現に今、兄さんは僕を叱っている、僕はそれを聞くという暇つぶしが出来てるわけだよ」
「…………反省する気はないようだな」
「反省、ね。反省で飯が食えるのなら、いくらでも土下座するよ」
「ゼーカ、当分寝たきりにしておくしかないようだな」
デュオの纏っていた気配が急に重くなる。
同時に部屋の中の空気が膨張するような感覚に襲われ、床が、壁が、天井が、軋み始める。
「デュオ、止めなさい!」
爆発寸前の爆弾に囲まれたかのような空気を貫いたのは、凛としたエナスの声だった。
エナスは少女を抱きかかえた状態で立ち上がるとその足でデュオの後頭部に頭突きを食らわせ、さらにしゃがむとゼーカの額にも頭突きを打ちこむ。
加減のない、強烈な頭突きに2人が蹲るとその間に立ち、険しい表情で2人を見下ろす。
「まったく、人を叱るのに全力出したらここにいる全員が大怪我するのが分かってるのかしら、デュオ?」
「なにするんだ、姉さん……」
デュオの痛みを堪えながら絞り出された問いには答えず、エナスはゼーカに視線を向ける。
「ゼーカ、デュオの話が聞けないのなら、私の話を聞きなさい。あなたは強い、そして躊躇しない。それがいかに他者を傷つけるものか、それを理解しなさい。もし分からないのであれば、私がいつでも相手になるわ。他の兄弟に手を出さないようにしなさい。良いわね?」
「……分かったよ、姉さん」
ゼーカは納得いったような表情ではなかったが、有無を言わせぬエネアの台詞に渋々押し黙る。
「デュオ、私はテセラを医務室に連れていくから、後は任せるわよ。ゼーカ、あなたも一緒にいらっしゃい」
そう言うとエナスはテセラと呼ばれた少女を抱きかかえながらゼーカと共に部屋を後にする。
後に残されたのは眉間に皺を寄せたデュオと、エネアだけだ。
部屋は以前子供たちのために宛がわれた部屋のようだが、今はエネアとデュオしかいない。本が収められていた本棚はなくなり、クッションやカーペットは部屋の端に綺麗に畳まれている。
「はあ、エネア、ああはなってくれるなよ?」
デュオはエネアの頭を撫でながら、半ば懇願のような事を小声で呟く。
デュオが意味したのは、おそらくゼーカの事だろう。眉間に深く浮かび上がる皺が事の深刻さを意味している。
「アレはもはや心優しい少年じゃない。自分の力を試したくて仕方がないんだ。お前も見ていたように、なんの前触れもなくテセラの腹を穿った。『俺たちだから』という言葉を使いたくはないが、俺たちだから『腹にこぶし大の穴が開きかけた』で済んでいるんだ。外で同じことをするような事があれば……」
「……兄さん、ゼーカは、どうしちゃったの?」
エネアが絞り出すようなか細い声でそう言う。
「あんなに優しかったのに、兄さんとも仲が良かったのに……」
「全てはあの男のせいだ。もうすぐ母さんが全てを終わらせてくれる。そうなったら、もうこんな辛い事も、悲しい事もない場所に行こう。エネアの世話は俺と姉さんでやるし、ゼーカやトリアだって、絶対に元に戻してやるさ」
「トリア兄さんも? 本当?」
エネアは顔を上げ、涙目でデュオを見上げる。
「もちろんだ。もうこれ以上、兄弟をいなくさせやしない」
いなくなる、その言葉が言葉通りのはずはないのだろう。
デュオは言いながらわずかに表情を曇らせている。エネアはそれに気がついてはいないようで、デュオの言葉に少し気が緩んだのか笑みを浮かべている。
ようやく部屋の空気が穏やかになったと思ったら、その空気をぶち壊すかのように勢いよく扉が開いた。
そして白衣を着た男が無遠慮に部屋に入ってくる。その男を見た瞬間、デュオの顔があからさまに歪むのをエネアは見逃さなかった。
「やあ、デュオ、先ほどテセラが医務室に運ばれたようだが、大したことがなくて良かったよ」
「『大したことなくて』? お前は俺たちに痛覚がないとでも思っているのか? 腹に穴が開けばどれくらい痛いか、お前にも味わわせてやりたいところだ」
デュオが殺気すら感じさせる目つきで男を威圧するが、男はまるでそれを感じていないかのような涼しい顔だ。ポケットに手を突っ込み、まるで観察するかのような目でエネアとデュオを見ている。
「ふふ、それが出来るのならとっくにやっているだろう。まあ、今日は君に用があったんだ」
「俺に?」
「そうだ。まあすぐに済むからここで済ませるよ。おい」
男が腕を振ると部屋の外から物々しい恰好をした男が2人現れ、デュオの両脇に立つといきなりデュオの腕を拘束する。そして膝を後ろから蹴り、デュオを跪かせる。
「何を……」
「兄さん!?」
「おっと、エネアにはやってもらう事があるんだ。こっちに来てもらおう」
デュオに駆け寄ろうとしたエネアは男に腕を掴まれ引き寄せられてしまう。
そして男はエネアの手に棒を握らせ、エネアの手の上からその棒を離さないように自分の手で抑え込んでくる。
男がスイッチを入れると小さな音が鳴り始め、徐々に棒の先端が赤く変色し始める。
「まったくもって、君という存在はエナス共々厄介だよ。私には一向に懐かないエネアたちが君とエナスにはまるで本当の兄弟、姉妹のように懐いている。それを利用しようとも思ったが、彼女に止められてね」
「母さんならそうするさ」
「そう、彼女は反対した。だから私はそれを利用しない。その代わり、君とエナスを私の言う通り動くようにしたい。その下準備をさせてもらう」
男はポケットから小さな紙を取り出す。
そしてそれを赤く変色した棒の先端に近づけるといきなり燃え出し、一瞬で燃え尽きてしまう。
「視界、というものは重要だ。どんなに力のある者でも視力を失うと途端に弱者となる。まあ、私も君にそうなる事を期待しよう。さあ、エネア、その棒でデュオの目を突け」
「え……」
言われた意味を理解できず、男を見上げるエネアは身体を強張らせている。
「簡単な事だ。それでおしまいだ。君には何もしない。いつものような躾けもない」
「や、やだ……。兄さんを傷つけるなんて、出来ない」
「ふふ、兄弟想いで良いね。だが、私はそんな見ていて和むような光景を期待はしていないのだよ!」
エネアの腕を掴んでいた男はその腕に力を入れ、エネアの意を介さず棒を突き出し、その棒はデュオの左目に突き刺さる。
「ぐ、ああああああああああああああああああああああっ!!!!!!!!!」
「兄さん!!!」
「ははは、良い声を上げるな、デュオ。前から君が苦しむ姿が見たかったよ」
棒を抜くとデュオの目から血と血に塗れた固体が流れ落ちる。
棒に付着した血液が熱で蒸発して赤黒く変色する。
痛みに苦悶の呻き声を上げるデュオを抱えていた男が何かを取り出すと、それをデュオの左目に押し込む。再びデュオの叫び声が部屋に響き渡る。
「傷は治る君たちにいつかは治る事をしても仕方ないだろう? ならば本来治る場所に異物を入れるまで。そうすれば異物に邪魔されて傷は癒えず、痛みは継続される。異物を中心に目の周りが再構成され、二度と君の目に光は映らない」
嬉しそうに言葉を紡ぐ男にデュオは残っている右目で睨み付ける。
「ああ、残念だ。二度とその鋭い目を見られないのは。だが、それ以上に君は私の邪魔だ。エナスの前に、まずは君が無力化されろ。さあエネア、仕上げと行こうじゃないか」
「い、いや……、兄さん、姉さん……っ!!」
「おいおい、そんなに嫌なのかい? なら、君もこうなりたいか?」
棒をエネアの顔の前に持ってきながら男がそう言うと、エネアは小さく悲鳴を上げる。
「エネア、良いんだ」
「兄さん?」
「お前まで光を失う必要はない。やれ」
「嫌だ、よ! なんであたしが兄さんを傷つけなきゃいけないの? もう傷つかなくて済むんじゃないの!?」
「やれ! エネア!!」
デュオの言葉に呼応したかのように、男は強引に腕を突き出させる。
エネアが何か言おうとしたが、それはデュオの言葉にならない叫びにかき消される。
部屋が拍手に満たされる。
気づけば、2人組の漫才は終わっており、7人の女子生徒たちがステージの上でマイクを手に踊っていた。軽快な音楽に合わせて踊る彼女たちは満面の笑みで拍手を受けている。
「良かったじゃない。この学園は毎年こんなことをやっているのね……、フランちゃん、どうかしたの?」
拍手を送っていたエルザがフランの様子がおかしい事に気が付いて声をかけてくる。
「……いえ、なんでもありません」
「そうは見えないけど、具合でも悪いの?」
「そうじゃありませんけど、少し席外しますね」
今の気分ではここにいられない。
そう思ったフランは席を立ち、すぐに戻りますと言って教室を後にする。
女子トイレに早足で駆け込むと、洗面台の蛇口を捻って水を出すと手で掬って顔にかける。眼帯が濡れる事など、この際気にしなかった。
(あれは、夢じゃない。あたしの、過去……)
あまりにも唐突に、気が緩んでいたところに強烈な一発を受けたような気分だ。
いや、事実フランは体調に異常を来たすほどだった。頭の頭痛が激しく脳を締め付け、眼帯の下の左目がズキズキと疼く。
(だとすれば、あたしはあの人を、自分の兄弟を……)
血のつながりがなくとも、あの状況で境遇を共にする仲間を自分が傷つけていた事を思い出してしまった事は、フランにとって大きなショックを与えた。
(やはり、思い出すなんて……)
するべきではなかったのか。
以前、記憶を思い出すべきなのか、思い出さないべきなのかで悩んでいたような気がするが、今なら確実に思い出さない道を選ぶだろう。あんな思い、二度としたくないという思いだ。
「フラン?」
「っ!!」
不意に声をかけられ顔を上げると、洗面台の鏡にレティアが映っていた。
「急に教室を出ていったけど、大丈夫?」
すぐさま顔を拭き、一度深呼吸をしてから振り返る。
「大丈夫です、大したことはないです」
「そう? すごく怖い顔してたけど」
「お嬢様が心配なさるようなことはありませんから、大丈夫です」
今、ここでレティアと話していたら表情から何かを読み取られてしまうかもしれない。
そう思ったフランはレティアの脇をすり抜けて教室に戻ろうとする。
しかし、腕を掴まれ、それを防がれそうになると、あの光景と、男が自分の腕を掴んでいた感覚が蘇って思い切りその手を払いのけてしまう。
「あ――――――」
レティアの手を払いのけたということを認識したのはそのコンマ5秒ほど後だった。
「す、すいません、その、嫌とかそういうんじゃなくてですね……」
「フラン……」
言い訳を言うという情けない事になっているが、言い訳を言うくらい今のフランは頭の中がぐちゃぐちゃだった。
「すいません、ちょっと頭冷やしてきます」
今は、とにかくこの場にいたくなかった。
フランは頭を下げると即座に廊下に飛び出していた。
自分が頭を冷やしにトイレに行っていた事もすっかり忘れ、とりあえず屋上にやって来たフランは柵に寄りかかってぼんやりと空を見上げる。
下からは楽しげな声が聞こえてくるが、今のフランにはそれすら苦痛に感じられてしまう。
「……なにやってんでしょうね、あたしは」
頭を冷やすとようやく冷静な考えが出来るようになってきた。
一時の感情に任せて自分の主を傷つけてしまったかもしれないと思うと、自嘲の笑みしか浮かばない。
「悩み事1つ、打ち明けられないなんて……」
「なら聞き出すまでよ」
「え?」
気づけば、いつの間にか目の前に荒い息のレティアが立っていた。
どうやらフランを追って走り回っていたようで、腕を捲り、膝に手を付きながらもフランを見下ろしている。
「まったく、ここまでフランがなるんだから、きっと相当大きな悩み事なんでしょうね。まだまだ子供なあたしには話したところでどうにもならない問題なんでしょう、きっと! ええ、そりゃもう、メリスやお父様でもない限り駄目なんでしょうね」
「あ、あの、お嬢様?」
「だから大きくなるわよ!」
大きく息を吸い込み、姿勢を正すと「ズビシッ!」という効果音が似合いそうな勢いでフランを指差す。
「……はい?」
「フランがあたしを頼ってくれるくらい! フランが悩みを打ち明けてくれるくらい! あたしが頼もしくなればいいってことでしょ!? だったら、今すぐとは言わないから、あたしが大きくなった暁には、その悩み、ズバッと解決してあげるから覚悟しておきなさい!!」
真っ赤になりながらそう言うレティアは、若干やけになっているように見える。
これならどうだ、という表情のレティアは言い切ると黙ってフランの顔を見つめてくる。
「お嬢様……」
なんだか、馬鹿みたいに逃げ出した自分が情けなくなってしまう。
レティアに負担をかけるかけないで勝手に悩んだ挙句、自分で抱え込もうとしていたが、レティアはそれを許さないようだ。
「フランの悩みが今のあたしには抱えきれないくらいなら、抱えられるくらい大きくなるから、その悩み、解決せずにずっと悩んでなさいよ?」
「あ~らら、我の出番はなかったかの?」
「にゃっ!?」
背後から声をかけられたフラン以上にレティアが驚いている。
柵の反対側、つまりは数センチ後ろに下がれば地面に一直線という場所にテトが平然と佇んでいる。
「何時からいたんですか」
「今来たばかりじゃぞ? 一応レティアに一番を譲ってあげたのじゃが、まあ結果オーライじゃな」
言っている意味がいまいちよく分からないが、テトもまたレティアと同じような事を考えていたのかもしれない。
「さてと、午後の部が始まるぞ。こんな所でグダグダせず、今日という祭りを楽しもうではないか。祭りの時くらい、悩みなどパーッと忘れてしまうと良いのじゃ。その後思う存分苦しみ抜けばよい。その時は我も共に在ろう」
柵をよじ登ってフランの隣に飛び降りると身体を摺り寄せてくる。
「テト、暑いです」
「ふむ♪ それでこそいつものフランじゃ」
あの光景は二度と忘れられないだろう。
これから記憶が徐々に戻るとしたら、その思い出す記憶に怯える事になるだろう。
だが、それは今ではない。
なら、今は、この一瞬だけは、それに怯えずに楽しもう、そう思う事にする。
「はあ、自分が馬鹿らしくなってしまいます……」
「馬鹿らしくなったのなら、教室に戻ろうではないか。メイド長殿たちも待っておるぞ」
「そうですね、取り乱してしまってすいません……」
2人に差し出された手を取り腰を浮かせ、フランは2人と並んで屋上を去る事にした。
少なくとも、今だけは、あの光景に囚われる事はない、フランは2人の手の温もりを感じながらそんな事を考えていた。
あー、過去話はどうも暗いイメージが付きまとう。
あと、ちょっと簡単にまとめ過ぎたかなぁ、なんて思っちゃったりもしてます。ただこの話で一万字近くかかっていたのでどうしようもなかったです。次回に持ち越すには切りの良い所が中途半端だったので。
はい、そういうわけで、どうもハモニカです。
ええとですね、どうも週一投稿になってるんですが、GW中はもうちょっと早めに投稿したいと思っています。とはいえどうなるかは未定です。
ではでは、また次回。
誤字脱字報告、ご感想などお待ちしております。