第19話 やる事の順番が違うと思う
うーん、大丈夫ですよね?
まあ、うん、どうなろうともう遅いですし。
襲われます、はい、いろんな意味で。
それとかなりの急展開、ですかね?
では、どうぞ。
さて、今の状況が理解出来ている者がいたら是非とも教えてもらいたい。それがフランが目を覚まして最初に思った感想だ。
「♪」
自分の身体の上に、見ず知らずの女性が馬乗りになっている。それも、女性であるフランから見ても超をつけたくなるほど美しい女性だ。薄い布のような物を纏っているが、その上からでも出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいるのがはっきりと分かる。
「って体型なんてどうでもいいんです」
髪の毛の色は黒、だが透き通るようなその髪の毛は月明かりを反射させて銀色に輝いている。女性はフランのお腹の上に乗っており、何とか退けようとするのだがピクリとも動かず、見た目に反して想像以上の力で自分が押さえつけられている事を思い知らされる。
「暴れない方が身のためじゃぞ」
「誰ですか、あなた。屋敷の戸締りはしっかりしているつもりだったんですが」
口を開いた女性は妙に古風な喋り方をして妖しい笑みを浮かべるとその口元に人差し指を持ってくる。
「ふむ、やはりこの恰好だと我じゃと分からんかのぉ?」
「……え?」
女性はわさわさと髪の毛を両手で触り始めると、髪の毛の間から何かがひょっこりと姿を現す。
「どうじゃ?」
「耳……?」
姿を現したのは獣の耳にも見えるものだ。それを見せつけるようにピクピクと動かしながら女性は笑みを絶やさずフランを見下ろしている。よく見れば女性の背後からヒョコっと尻尾のような細いものまで姿を現している。
白い肌が月光で照らされ、魅入ってしまうほど美しい肢体がはっきりと視界に入る。目の色は燃えるような紅、その全てを総合してようやくフランはある答えにたどり着くことが出来た。
「テト……?」
「うむ、正解じゃ、まさか我を見つける者がいるとは思わなんだがな」
「どういう意味です?」
自分が置かれている状況はさておいて、目の前でテトを名乗る女性の言葉に疑問を投げかけると、女性は笑みを深めて顔を近づける。歯を見せて笑みを零すと、鋭い犬歯が姿を覗かせる。まるで獣のそれのようだ。
「ふふ、我があの猫だと信じておらんな? なら血の泉と言えば分かるじゃろ?」
「っ!!」
出てきた単語にフランは驚愕する。
あの場にいたのはフランとテトだけだ。しかも、あの広場がヘラの町にあったわけではない事を夕食の時にレティアやメリスに確認している。
「どうしてあの場所を……」
「じゃから、我はあそこで寝ていたのをお主が叩き起こしたのじゃ。まったく、あのまま眠らせてくれていれば良かったものを……」
ため息混じりにそういう女性は不満そうな表情でフランを見下ろす。
そして両手でフランの両手首を押さえつけるとその顔をフランの顔に近づける。近づくと月明かりの中でも猫のように光る紅い眼がはっきりとフランの視界に入り、長い髪が肩から滑り落ちてフランの上にかかる。
「そうすれば、このような事にならずに済んだものを……」
「話に全くついていけないのですが。それと出来ればそこから退いてほしいのですが」
「そうはいかん。我が退いたらお主はそこにある銃を手に取るじゃろうからな。我とてあんなもので撃たれるのは御免じゃ」
チラリとテトはその視線を扉のドアノブに引っかかっているアフェシアスに向ける。
「それに、人を呼ばれるのも嫌なのでな」
「な、なにをしようっていうんですか」
フランは自力での脱出を図るがテトの手はピクリとも動かない。それどころかこちらの骨が軋むかと思うほどの力で抑え込もうとしている。目の前の女性の意図は分からないが、あまり良い方向に向かっているとは思えない。
「ふふ、お主に興味が湧いた」
「興味……?」
「そう、我とてインペリティアに出会ったのは初めてじゃ。好奇心には勝てなんだ」
「イン……え?」
聞き慣れない単語につい聞き返してしまう。
するとテトが意外そうな表情をしてみせる。
目の前、物理的に目と鼻の先にいるテトの穏やかな息が頬に触れるのが感じられる。
「お主、自分が何者なのか分かっておらんのか? インペリティア、魔法を使えない者の総称じゃ、直訳すれば『能無し』になるがの」
「能無し……」
「ふふ、だからこそ興味が湧く」
能無し、という言葉に複雑な感情が胸の中で渦巻いているのを知ってか知らずか、テトはその胸を器用に尻尾でつつく。
「何者にも染まっていない魔力、味見させてもらっても良いかの?」
「……はい?」
最初、テトが言った台詞の意味が良く分からなかった。
ところが、フランが聞きなおすという意味で言った「はい」をテトは了承の「はい」と受け取ったのか、満面の笑みを浮かべるとその視線をフランの首筋に移す。そして口を開けて遠慮なしにフランの首筋にかぶり付いた。
「なっ――――――!」
「んむ、美味じゃ」
かぶり付かれた瞬間、鋭い痛みが身体を駆け巡った。おそらく歯が皮膚を破ったのだろう。首筋に生暖かい液体が流れているのを感じて、テトの歯がそれなりに深く食い込んでいる事を知るが、両手を抑えられ腹の上に乗られていては抵抗すら出来ない。暴れようにも、下手をして動脈でも噛み千切られたら出血多量で死にかねない。
「じゅるる……、ん? なんじゃもう塞がってしもうたか……」
液体を啜る音をわざと響かせながら血を飲んでいたテトがしばらくして首筋から顔を離すとその口元は鮮血で真っ赤に染まっている。唇に残ったその血を舌で舐めとるとうっとりとした表情をする。
「インペリティアがそのような再生能力を持っているとは聞いておらんな。とはいえ、これなら多少無理をしても大丈夫そうじゃな」
「な、なにを……?」
おかしい、テトに噛まれた時にあった痛みがどんどん希薄になっていく。それも、尋常ではない速度だ。まるで神経を丸ごと抜き取られたかのような感じだ。痛覚だけが欠如してしまい、脳に血液が回らなくなったのか意識が朦朧としてしまう。
「我に噛まれた者は痛みを眠気、快楽に変換されるのじゃ。そなたの場合は、どちらか……はむ♪」
「あぐっ!?」
再び同じ場所を噛まれる。
だが、先ほどと違い痛みはほとんど伴っておらず、ただ頭からスーッと比喩などではなく血の気が引いていくのだけは分かる。ジタバタと足を暴れさせてみるが、テトはそんな事にはお構いなしに血を啜り続ける。
「じゅる……くちゅ、……」
本来脳へ送り届けられるはずの血液がテトの喉の奥に流れていく。先ほど傷が塞がってしまったのを考慮してか、今度はより強く噛みついているため、呼吸が苦しくなる。
「く、はぁっ、……んく、い、いい加減に……」
「じゅるる、ぷはっ、嫌じゃ。じゃが安心せい、死んだら最後の一滴まで飲んでしんぜよう。じゃから精々死なんようにな」
「んな事、冗談じゃありま、せんっ!」
「んお――――――?」
身体の上から退かせない事は分かっている。そこでフランは渾身の力で身体をベッドの上で回転させるとテトがフランを固定するために乗っていた腹からテトの重心をわずかばかりずらす。右にも左にも身体をずらせなかったからこそ抵抗できなかったが、一度わずかでもバランスを失えばそこに突破口が見いだせる。
「ほほ、これは……」
バランスを崩しテトはフランの上から飛び退く。そして感心したような笑みを浮かべながらフランに視線を向ける。
フランはベッドから這い出すが、血が足りなくなっている上に酸欠寸前だった身体から意識が飛び立とうとしている。
首筋に手をやると、ねっとりとした鮮血で右手が真っ赤に染まる。テトが離れた段階で傷の修復は始まっているが、失った血液までは戻らない。心臓がフル稼働で失った血液を補充しようと鼓動を速めている。
「よもや抜け出されるとは。じゃが、これからどうするつもりかの?」
「何が目的なんですか……」
テトの一挙一動に注意を払う。
一見すると無防備なようにも見えるが、耳はフランの方に向いているし、尻尾が忙しなく動いて何かを感じとろうとしているのが見受けられる。
「……目的、ね。お主、まさかと思うが我が何者なのか分かっておらんのか?」
「……?」
「その様子ではそのまさかのようじゃの。それを知ったうえで我を引っ張って来たのかと思っておったが、……ああ、そう言えば昼間の会話でも我の正体は話題にもなっておらんだな。あのメイド長なる剣士にはばれかけておったが……」
そこでフランは昼間のやり取りを思い出す。
確か、メリスはテトを見て見覚えがあると言っていた。それは、何らかの違和感も感じ取っていたという事なのだろうか。
「なら自己紹介をせんといかんな。我は…………」
深夜、メリスは自室で寝る事もなく分厚い本を読みふけっていた。
昼間フランが拾ってきた猫、テトの事がどうしても気になったからだ。
(なにか、なにかを見落としている……)
近くで飼われている飼い猫のように思える、というような理由ではない。もっと深刻な、下手をすると大変な事態を招きかねないような事を見落としている気がしてならない。
そこで本棚にあった動物辞典をまず読み返し、特徴が符合する生き物がいないか探すことにした。
だが、猫の分類以上詳しく調べる事は出来ず、手詰まりになっていた時、不意に目に留まったのは「神話・伝説上の生き物」を取り扱った書物だ。存在自体があやふやな、そう言った生き物を数多く載せた本だが、何かの手がかりになればと思って読んでいくうちに、ここに手がかりがあるという確信に変わっていった。
(あれは、そういう類の生き物だ)
確証があるわけではない。本能が、長い間に培ってきた第六感が、警鐘を鳴らしている。
あの一見すると純粋無垢な、これっぽっちも力のないような猫に、これほどの危機感を持っている自分が不思議でならないが、メリスはその危機感を信じて調べを進める。
「……っ!」
そして、とあるページでその手が止まる。
「こいつか……」
ようやく思い出すことが出来た。神話や伝説などそうそう読むものではないから失念していたようだが、こうしてその絵を見ればはっきりという事が出来る。
「セクメトの猫……、よりにもよって、なんて猫を拾ってきたのよ、フラン」
説明文に目を通し、メリスは小さく舌打ちをしてしまう。
フランが何も知らなかったとはいえ、メリスからしてみれば自ら死神を家に招き寄せたようなものだ。
「……こうしてはいられない」
メリスは本を閉じると立ち上がり、何の躊躇もなく異空間から自らの剣を引き抜くと音もなく扉を開いて暗い廊下を走り出していた。
セクメトの猫。
その存在は有史以前の古代からあったと言われている。数多ある神話や伝説でその存在が多数確認されており、全く関係がないような神話同士にさえ登場していた事から、それほどまでに知られた存在だったのだろう。
だが、その個体数は非常に少なく、全世界で10匹いるかいないかとすら言われている。そしてその多くが人里離れた深い森の中で暮らしているため、人の前に姿を現す事はほとんどない。だからこそ、崇めたてられたのだろう。
闇を纏ったかのような漆黒の体毛と、血を滴らせたかのような紅い眼が特徴的で、その美しさからどうにかして手に入れようと過去の大富豪たちは金に糸目をつけずに探し求めたと言われている。
そしてある時、1匹のセクメトの猫が老夫婦に保護される。夫婦はその猫がセクメトの猫だとは知りもせず、ただ畑で怪我をして倒れ込んでいたところを助けてやっただけだった。
セクメトの猫は人など足元にも及ばぬ叡智を身に着けていると言われている。その時の猫もそうだったようで、老夫婦の言葉を理解して、助けてくれた恩に報いようと2人に幸福をもたらした。おそらく、その時点でようやく老夫婦はその猫がただの猫ではない事に気が付いただろう。
まるで前からその場所を知っていたかのように地面を掘り始め、それに気が付いてそこを掘ってみるといくら探しても見つからなかった井戸を掘り当てたり、猫が来てから妙に作物が豊作続きになったり、果てには所有する狭い土地から金の鉱脈が発見されたりと、セクメトの猫は自分に出来る最大限の恩返しをその老夫婦にした。
しかし、それが不幸をもたらしたのだろう。
いつしか、猫を飼うその老夫婦の話題は広まり、セクメトの猫を探し求める者たちの耳にも入るようになる。黒い赤眼の猫がいる、という情報は瞬く間にその界隈の者たちの知る所になり、いつしか老夫婦の元に猫を譲ってくれるよう使いの者がやって来るようになっていた。
それも、世界中から、果ては一国の王の代理が来るほどだ。
だが猫は既に老夫婦の大切な家族、恩返しなど無くとも誰かに譲る気はさらさらなかった2人は全ての申し出を断っていく。
セクメトの猫は自分が2人に負担をかけている事は知りつつも、それでも大切にしてくれる老夫婦の傍を離れたくなかった。だからずっと2人と共にいようと考えてしまった。
ある日、いつものように老夫婦が農作業の傍ら猫の相手をしていると扉を叩く音が聞こえてきた。
また交渉に来た者だろうか、と老父がため息混じりに扉の鍵を外し、外に出るといきなり大男が老父を床に突き倒し、その腹に深々と剣を突き刺した。口を押えられ、悲鳴を上げる事すらできずに老父は絶命する。物音に気が付いた老母が様子を見に来て、そこで初めて大きな悲鳴が上がる。見に来てみれば最愛の夫が腹に剣を突き刺されているのだ、悲鳴をあげない方がおかしい。
だが、逃げ出す事すらできなかった。
裏口から入ってきた大男の仲間がその背中を斬り付け、床に倒れたところに止めの一撃を加える。大男2人は老夫婦が死んだ事を確認すると椅子の下にいた猫を抱き上げ、袋に入れると死体を一瞥すらせずその場を後にする。
老夫婦を襲った大男たちを差し向けたのはセクメトの猫を追い求める大富豪の1人だ。
いくら高値で買い取ると言ってもにべもなく拒否されたその男はついに我慢できず強行手段に出た。2人を殺し、力づくでその猫を手に入れた大富豪は大喜びでその猫のために屋敷を建て、数十人の部下に世話をさせることにした。
セクメトの猫が幸せを運ぶと思っていた彼は出来る限りの贅を尽くして猫にそれ以上の見返りを求めたのだ。
しかし、目の前で大切な家族を殺されたセクメトの猫がそれに報いるはずもなかった。しばらくすると屋敷の者たちの間で伝染病が流行し始め、ついには屋敷の主すらも蝕み始める。たくさんあった贅はいつの間にか消え失せ、彼は古く小さな家で病と闘いながら寝たきりの生活をすることになってしまう。
それでも猫だけは放すまいと自分の病床の近くに置いておくと、ある日、セクメトの猫を名乗る美しい女性が彼の傍に現れる。
彼女はこう言った。
「今まで養ってくれてありがとう。代わりに最大級のお礼をさせていただきます」
彼がその女性をセクメトの猫だと認識していたかは定かではない。
それでも彼はこの苦痛から、この貧困から抜け出したい一心で彼女の申し出を受け入れた。女性は小さく頷くと笑みを覗かせ、彼の顔に近づくとその喉元に思い切り噛みついた。
男は理解できなかった。
何故、このような事をされねばならないのか。彼女は最大級のお礼をすると言ったではないか。なぜ自分は喉笛に噛みつかれ、今まさに殺されようとされねばならないのか。
すると、不意に女性の声が頭の中に響き渡ってくる。
「あなたは私の大切な家族を殺した。それは、あなた1人の人生では贖いきれぬもの、よってあなたに関係した全ての者の命を私の最愛の家族の供物としました。そしてあなたが、最後の供物です」
どんなに大切に扱われようと、どんなに求められようと、彼が老夫婦を殺したという事実は変わらないし、セクメトの猫は決して忘れなかった。
彼を不幸のどん底に突き落とし、その人生すべてを罪の償いに当てて、ようやく彼女は彼を幸せにしたのだ。あらゆる苦痛から、貧困からも解放された世界に、彼を連れていったのだ。
それからも、セクメトの猫を求める者は後を絶たなかった。
だがセクメトの猫を手にした者はことごとく不幸になり、主が死ぬとセクメトの猫は再び獲物を求めて旅をする。
ゆえに、セクメトの猫は「主を不幸にする猫」と呼ばれるようになり、ある者からは命を狙われ、ある者からはそれでも求められるようになっていった。
ある時、聡明な王によってその猫には安住の地を与えられる。民のためを想ってか、猫の事を想ってかは分からないが、それがそれまでの全てに終止符を打つものとなった。
「決してここから出てはいけない。そなたは人を不幸にする。あの老夫婦のような犠牲者を出したくなければ、ここを一歩たりとも出てはいけない」
王は猫に語りかけ、猫もそれを了承する。
封印された場所は小さな噴水のある広場、その空はそれまでにセクメトの猫が吸ってきた血の量だけ濃さを増すという。猫が勝手に出歩いて血を吸ったとしても、それがすぐに分かるよう噴水からは猫が吸った血が流れ出すようにされていたが、王の心配をよそに猫が外に出る事は決してなかった。
セクメトの猫はずっと眠り続ける。決して邪魔されぬ深い眠りの中で、彼女はあの老夫婦と過ごした幸せな日々を夢見ると言う。
ぎゃー、超いきなり、出会ったその晩にこれとか!
いやはや、どうしてこうなったんだろう……。
という訳で、猫擬人化とか。猫吸血鬼化とか、そんな感じの回でした。
さてさて、フランの運命はいかに!? ていうか頸動脈噛まれて出血多量で死なないでね!?(お前が言うな!)
では!
誤字脱字報告、ご感想お待ちしております。