第12話 メイドは指名制ではありません
うむ、もはや何も言うまい。
では、どうぞ。
「えぇと、これはいったいどういう事でしょうか?」
今、目の前に広がる光景を目の当たりにしてフランはその言葉を絞り出すのが精いっぱいだった。あまりに信じられない光景のため、どこか現実逃避しているのかもしれない。
「うむ、良い質問だ、フラン。これはな、人間が起こした巨大な火球によって燃え尽きた荒地というのが一番適切だろう」
「グラントさん、そういう事を聞いているのではありません」
隣のグラントすら、ここではないどこかを見つめているような表情をしている。
それもそのはず、昨日まで何の変哲もない庭だった屋敷の目の前が、土の露出した荒涼とした大地になってしまっているのだ。それも、春先で冷える靴底に温もりが届くくらいの熱気を持って、だ。
「消火するより、上から土かけた方が早かったから、ですか?」
「……うむ」
「……で、当のお嬢様は?」
「お部屋で横になっている。怪我はないが、煙を吸われたようでな。クレアが面倒を見ている」
「なら良いんですが……」
事の発端は数時間前に遡る。
休日という事で昼間から庭で実技の練習をしていたレティアだったが、作り出した火球の操作を誤り、芝生がある方向に火球が飛んでいったのだ。そして春先の乾いた空気も後助けしてあっという間に炎が広がろうとしたため、グラントがとっさに土で炎をもみ消したのだ。
クレアも慌てて水を操り庭に出てきたのだが、その時には白い煙を吐き出す土の山しかなかった。
消火は一応完了したのだが、とっさの事で後先を考えなかったグラントは庭の土をハチャメチャにしてしまい、ようやく平坦な庭になったは良いが芝生も何もかもが混ざり合ってしまい、手入れのされていない庭のような状況になってしまった。
そして土は未だに熱を帯びているようで、若干靴底が温かく感じられるのは先ほど述べた通りだ。
「で、これ、どうするんですか?」
「もちろん綺麗にするんだが、ただ元通りにするのではなく、この際大規模な改装をしようと思う」
「年末にするものじゃないですか、それ?」
「丁度そろそろ年度末だ」
グラントはそう言うと脇に抱えていた大きな白い紙を運び出したテーブルの上に広げる。丸めていたため端がクルリと丸まるので重しに小さな石を置く。
紙には直線や曲線が無数に書き込まれており、それがすぐにこの屋敷の敷地を現している事が分かった。
「設計図ですか、すごく細かい……」
「陣地構築は白兵戦の第一歩だ」
「そこで軍隊経験持ってきますか……」
ニヤリと笑みを浮かべながらグラントはそう言うと、胸ポケットからペンを取り出し、設計図にペンを走らせ始める。
「基本的な配置は決まっている。しかしデザインなどに関してはこれから決めていくつもりだ。できれば夕方までに終わらせたいところだが……」
「ですね。基本的な配置は前と変わらない感じですけど、池の傍にあるベンチに日差し避けでもつけてみては?」
やはり、大きなもの、例えば池だが、そういったものの配置を大きく変える事はないようだ。池は日当たりのよい場所で周りがひらけている方が管理しやすい。
「ふむ、屋根付きか。それくらいならどうとでもなるな」
グラントは設計図上のベンチに矢印を書き、その先に「屋根付き」と走り書きしていく。
その後も大まかな所を決めていき、それが全て済むと実際に設計図を持ってグラントが土を移動させ始める。池を作る場所はへこませ、その縁を盛り土にして体裁を整える。芝生に関してはすぐにどうこう出来るものではないため、注文して専門の業者から取り寄せる必要がある。
そのためそれ以外の所は出来るだけ終わらせておく事にする。
地面が滑り、池の周りや底に敷き詰める石を運び、消火の際に動いた土で随分と遠くまで動いていたベンチも定位置に戻される。
その間にフランは物置から必要な工具を持ってきてベンチの上に取り付ける屋根を作り始める。設計はグラントが細かい所までしっかりやってくれているのでフランは図面に従って木材を切り分け、組み合わせれば良いだけの話だ。
「あら、さっそくやってるのね」
庭先で金槌片手に木材と木材を繋ぎ合わせていると、メリスが様子を見に来た。
「メリス、お嬢様の様子は?」
「クレアが見てるけど、大丈夫よ。今は大人しく横になってるわ。私は少し出かけるから、屋敷を頼むわよ」
メリスはそう言うと手に持っていた大きめの封筒をヒラヒラと振ってみせる。
事務処理を担当しているメリスは屋敷の出納も管理している。グラントは自分の家の事があり、フランは過去の記録を覚えていられるか不安、クレアは書類を紙飛行機にしかねないので却下、だそうだ。こうして考えると事務処理の全般を引き受けられるのはメリスしかいないのかもしれない。
グラントも時折手伝ってはいるが、その場で解決できる書類が多いそうだ。やはり時間をかけて作る必要のある書類はメリスに頼るしかない。
(とはいえ、クレアが真面目にやれば良い気もするんですよね……)
金槌を置き、釘がしっかり頭まで入った事を確認して、次の木材を切り出しにかかる。すでに製材になってはいるが、細かい寸法は決まっていないため組み合わせる継ぎ目や穴は自分でやらなくてはならない。フラン自身、こういう作業をするのは初めてだが、何をやれば良いのかはっきりしている作業は楽だ。おまけに正確な図面まであっては、間違える要素がない。
鑿で長方形の穴を手早く掘り、それに合う様に凸型の木材を作る。
「その調子じゃ、夕飯までには終わりそうね。ああ、これを出しに行くついでに花屋で幾つか注文しておくわ。芝生もそのつもりだから」
「分かりました。行ってらっしゃいです」
メリスはグラントと何がどの程度の数必要なのか口頭で軽く相談すると出かけていった。
「グラントさん、ベンチの柱用の穴開けておいてください」
「分かった、何メートルだ?」
「ええと、図面だと1メートル弱になってます」
地面に丸い穴が開けられ、その中に平べったい木材と石が放り込まれて土台が完成する。ベンチは今丁度グラントが立っている場所に配置される予定で、テーブルも同じ場所に置かれることになっている。
「よし、こんなもんですか。あとは屋根ですが……」
屋根ばかりは骨組みを実際に組み立てなければならない。グラントに必要な材木の製作と細かい部品の取り付けが完了したことを伝えると、フランの足元がズズッと動いてそのまま材木がグラントの下へと運ばれていく。
「よし、問題はなさそうだな。手早く片付けよう」
「分かりました」
土が波打ち、横になっていた材木が土で出来た拳によって掴まれて先ほど開けた穴にストンと落とされる。それを4回繰り返して骨組みとなる4本の柱が立てられ、続いて柱同士を繋ぐ木材が持ち上げられる。
「フラン、頼んだぞ」
「了解です」
土製の拳が柱と柱の間に木材を持ち上げ、その拳を器用に上るとフランは足場を確認しつつ木槌を握りしめる。
「もう少し右です。……行き過ぎです、左に5センチくらい」
間近から柱の位置を見て下にいるグラントに指示を飛ばし、柱の凹凸がしっかり組み合わさる様に調整する。
「そこ! そのままゆっくり下におろしてください」
加減を間違えれば容易く木材が折れてしまうため、慎重に木材を柱の上に乗せ、凹凸が合っている事を確認してからフランは木槌を振り上げ柱の上に叩き付ける。
木槌に叩かれ木材同士の凹凸がかみ合わさり、フランは1回毎に左右均等に叩く。それを数回繰り返すと柱同士が隙間なく組み合わさってピクリとも動かなくなる。
「次、お願いします」
「よし来た」
フランの掛け声で、土の拳はまた1本、柱を持ち上げる。
日も傾き始めた頃、ようやく全ての作業が終わった。
終わったといっても地面はまだ土が露出しているし、庭を飾る植物もほとんどない。ある程度の大きさがある木は生き残っているのだが、春先で緑は少ない。
「終わった~」
「お疲れさん」
完成した屋根付きベンチに腰を下ろして天井を見つめていると、グラントが隣にやって来てコーヒーを差し入れてくれた。マグカップを受け取り、一口啜ると喉の奥にコーヒーの苦みが染み入って何とも言えない心地よい気持ちになる。
「あ~、仕事の終わった後の一杯は格別ですね」
「親父くさい事を言うな。だが仕事は終わってないぞ?」
「分かってますよぅ。お嬢様も起きられた事ですしね」
マグカップから立ち上る湯気越しに、フランは一通りの作業が終わった庭を見渡す。
池には既に水が引かれ始めており、まだ溜まっていないために石を水が叩く音が聞こえる。水はクレアにお願いして地中を通す形になっており、流れた水を循環させる事で動きを作り出している。水の汚れはグラント特製の天然土によるろ過装置によって綺麗にされる。さすがに今時は人工のろ過装置を地中に埋めても良いのだが、グラントはそんな物の必要性を皆無にするほど性能の良いろ過装置を作る事が出来るため、時折他所でも仕事を請け負っているそうだ。
「そういえば、具合は大丈夫なのか?」
「ほぇ? ああ、あれはもう大丈夫です。デックスさんから痛み止めも貰ったんですけど、寝たら治りました」
先日の鈍痛は既にない。違和感はまだほんの少し残っているが、気になるようなものでもない。あの時は病的なものすら疑った冷や汗はいったいなんだったのか、と思えるほどだ。
(あ、そういえばまだ調べものをしていませんでしたね)
話題がその事になってフランは自分が何かを調べようとしていた事を思い出した。
「グラントさん、少し、質問しても良いですか?」
「うん? どうした、急に?」
「エネア、という言葉に聞き覚えはありますか?」
コーヒーを啜り、そう尋ねるとグラントが一瞬顎を撫で、唸り声をあげる。
「エネア……、この国の言葉じゃないな。昔の言葉か、外国で使われている言葉の可能性があるな。メリスに聞くのが手っ取り早いと思うぞ。メリスは言語に長けているからな」
自分の記憶と照らし合わせているようで、エネアという言葉を呟きながら考えに耽っている。
「そうですか、ありがとうございます」
ベンチを立ち上がり、コーヒーを一気に流し込むと、身体がポカポカと暖まっている事に気づく。グラントに礼を言ってから、フランはコップを持って屋敷に戻る事にした。
メリスは先ほど外出先から戻ってきている。
それならばおそらく自室にいるだろうと思ってフランはメリスの自室兼事務室のようになっている部屋へ向かい、その扉を数回ノックする。
すぐに室内から返事が聞こえてきて、扉が開くとメリスが姿を現した。
「あら、フラン、どうしたの?」
「すみません、少し聞きたい事がありまして」
フランがそう言うとメリスは中に入るよう促し、フランを室内に招き入れる。
メリスの部屋は寝るためのベッド以外個人的な物がほとんど見受けられないほど、生活感を感じさせない場所だ。窓の前に大きな仕事用の机が置かれており、基本的にメリスは部屋に入ると扉と机の往復しかしていないように思われる。ベッドはいつ見ても皺一つない綺麗なシーツがかけられていて、使っているとは思えないほどだ。
ベッドとは反対には大きな本棚があり、仕事上必要な本は全てここに収められている。時々クレアから没収した漫画が収められている事があり、フランに奪還要請が出る時すらあるが大抵は拒否している。
「それで、聞きたい事って?」
事務仕事をする時、メリスは眼鏡をかけている。今も丁度仕事の真っ最中だったのか、フランを部屋に招き入れると自分は机の前に座って細かい字がびっしりと書かれた書類にペンを走らせ始める。
「ええ、エネア、という言葉を聞いたことはありませんか?」
ペンを走らせるメリスは、「どこかで聞いたことがあるわね」と呟きながらも書類からは視線を放さず、その書類にサインをするとペンを置き、立ち上がって本棚の前に進んでいく。
「外国とかの言葉ですか?」
「いえ、この国の言葉よ。だけど随分と昔よ、確か……この辺に」
本の背表紙を指でなぞりながら、メリスは何かを呟いている。どうやら本のタイトルを呟いているらしく、その言葉と一致する本を探しているようだ。
「古語辞典は確か……ああ、あったわ」
本棚の端の方に収められていた分厚い本を取り出すと、フランを手招きして自分は机の前に立つ。辞典を机に置くと、ページを捲りながらお目当てのページを探し始める。
「エ、だから最初の方よね。えーと……」
古語辞典だけあって、捲られていくページに載っている言葉には全く聞き覚えのないものが多い。そんな中でメリスはページを捲る手を止め、指でページ内の言葉を1つひとつ確認していく。
「あった、エネア、は数字で『9』を意味する言葉よ」
「え……」
メリスの言葉に一瞬フランは固まる。
「ほら」
古語辞典を手渡され、メリスはそのページの中央付近を指差した。そこには確かに「エネア」の意味で「9」という説明が書かれている。
(エネアが『9』……もしや)
自分の腕を無意識に握り、夢の中の記憶を思い出そうとする。
(あれは、あたし……?)
だが記憶にない。
1年前より過去の記憶がないフランに、それの真偽を知る事は出来ないが、もしそうであるのなら、あの異様にリアリティのある夢の内容にも納得がいく。
「フラン……?」
メリスが怪訝な顔をしてフランの顔を覗き込んでくるが、フランはそれを無視して頭の中で考えを目まぐるしく回転させる。
(仮にアレがあたしの過去だとして、あたしはどうしてここにいる? あんな場所なら、普通は外にも出られないような気がしますが……)
あの夢の中で、フランの過去であると思しき少女は厳重に拘束されていた。そんな状況を打破できたとは到底思えない。
(確か、あの女性は何か言っていましたね、ええと……)
しかし、肝心のその言葉を思い出そうとするも頭に霞がかかったようになってしまい思い出せない。
「フラン、一体どうしたの?」
「あ……、すみません、少し考え事をしていたもので。ありがとうございました、助かりました」
本をメリスに返すと、足早にメリスの部屋を後にしようとする。
「フラン」
それをメリスが呼び止め、フランが振り返ると目の前にメリスが立っていた。
「メイド長?」
メリスは優しくフランの肩に手を置き、ニッコリと微笑む。
「何か相談があったらいつでも乗るから、言ってね?」
きっと、内心フランの様子が気になってしょうがないのだろう。今すぐにでも、どうしてあんなことを聞いたのか問いただしたい気持ちもあるだろう。
だが、あえて自分からは聞かない。フランから言ってくれるのを待つつもりなのだろう。
メリスの一言からそんな思いを感じ取ったフランは、小さく頷き、メリスの眼をまっすぐに見つめる。
「分かりました、メイド長」
まだ、可能性の域を出たわけではない。今は、まだ言うには時期尚早かもしれない。
フランはメリスの心配りに感謝して頭を下げると、部屋を後にする。
(とはいえ、何も分からない状況から一歩前進しましたか……)
廊下を歩きながら、自分の腕を擦る。メリスから「エネア」の言葉の意味を聞いてからどうにも違和感を感じるような気がする。
(ともかく、情報が足りないですね。……そうだ、旦那様なら何か知っているかも)
クラウス・ファルケン、レティアの父親でこの屋敷の主、大臣としてこの国の政治に長く携わっている彼なら、何か知っているかもしれない。
最近はあまり屋敷にも戻ってこない事から多忙なのだろうが、今度帰って来た時にでも聞いてみる事にしよう、とフランは決めてポケットからメモ帳を取り出すとその事を書き込んでおく。
「……よし、と」
「あ、フラン、こんなところにいたの?」
メモを書き終えたのとほぼ同時に、廊下の突き当りからクレアが現れ、フランを視認すると駆け寄ってきた。
「お嬢様がご指名だよ。まったく、探したんだから」
「お嬢様が? 何かあったんですか?」
「まあ、行けば分かるよ」
「?」
クレアに背中を押され、レティアの部屋まで誘導されるとそこでようやくクレアは背中を押す手を放し、「それじゃ後は頼んだ」と言い放って廊下の先に消えていってしまった。
訳が分からず首を傾げつつも、レティアを待たせるわけにもいかないので扉を軽くノックすると部屋の中に入る。
「お嬢様、ご用でしょう、か……?」
「フラン! 救援要請よ!!」
入った途端、レティアがフランに飛びついてその胸倉を掴むと鏡の前に引っ張り、自分は椅子に座る。
その頭は理解不能なまでにカオスな空気を発している。
「ええ、と、お嬢様、一応聞きますけど、どうしたかったんですか?」
「……三つ編み」
「三つ編みは3本の髪の毛でやるものじゃありませんよ? ていうかこんなに器用ならどうしてこうなるんですか」
想像してみて欲しい。
わずか3本の髪の毛で三つ編みを作ろうとして、それが無数になっている光景を。
それがどれほど理解しがたいものかは、容易に想像できるだろう。
「なぜ、こうしようと……?」
「クレアに髪型変えてみれば、って言われたから試しにやってみたのよ……」
「そのやり方で何度同じ間違いを繰り返してます?」
「う、うるさい! お黙れ! さっさと元に戻してよ! 自分じゃ戻せないのよ!」
「本当にどうやったんですか?」
指先で何とか三つ編みを解こうとするのだが、あまりに細かすぎてなかなか思う様に出来ない。おまけにレティアが悔しいのか悲しいのか地団駄を踏むので頭が動いて集中できない。
「クレア……恨みますよ」
逃げ出した言いだしっぺに、フランはそう悪態をつくしかできなかった。
「早く!」
「あ、はい、すみません……」
はいはい、どーも、ハモニカです。
グラントが地味にドジ属性を身に着けかけてしまいましたが、そんなものは撃ち砕きますw
カッコいいおじ様がドジっ子とかいろいろ気持ちも悪いですしねw
と、ハモニカのオヤジ趣味を出す場所ではないですね。
中盤のシリアスを吹き飛ばすために最後のをやりました。
はい、頭は良いけど手先が不器用。
そんな感じで行きます、彼女は。
ああ、それと遂にですね、応募キャラが次回出てきます。
依然応募は受け付けておりますので、ガンガン送って下さい。
ただ、設定どおりのキャラになるかは疑問符がたくさんつきますけどね!
では。
誤字脱字報告、ご感想お待ちしております。