令嬢三姉妹は、放課後になると当然みたいに俺の部屋へ集まってくる
日曜の買い物から数日後。
俺の部屋は、見慣れているはずなのに微妙に見慣れない空間へと変わっていた。
落ち着いた色のラグ。
前より少しだけ座り心地のいいクッション。
机の手元を照らす卓上ライト。
そして、新しく増えた紺色のマグカップ。
「……なんか、本当に変わったな」
朝、学校へ行く前に部屋を見回して、そんな感想が漏れる。
たったこれだけの変化なのに、空気が違う。
前までは、生活するためだけの場所だった。
今はそこに、“誰かが来る場所”みたいな気配がある。
その“誰か”が三人もいるのが問題なんだけど。
机の上のマグカップへ目をやる。
あれを見てると、あの日のことまで思い出してしまうから困る。
『似合うと思って選びました』
『その顔、気に入ってるな』
「……朝から思い出すなよ」
自分で自分に言って、俺は鞄を掴んだ。
※ ※ ※
教室に入った瞬間、嫌な予感がした。
視線。
最近、明らかに増えたそれに、俺はうんざりしかける。
理由は分かっている。
西園寺三姉妹だ。
放課後に呼ばれた。
昼休みに囲まれた。
休日に一緒に出かけた。
部屋に来た。
もう十分すぎるほど目立っている。
これ以上は本当にやめてほしい。
「神谷くん、おはよー!」
やっぱり来た。
朝の太陽こと西園寺涼花。
いつものように明るく手を振りながら、俺の席までやって来る。
「……おはよう」
「なんか疲れてない?」
「お前らのせいでな」
「えー、わたしたち、そんなにひどい?」
「ひどい」
「即答だー!?」
涼花は不満そうに口を尖らせたが、すぐにいつもの調子で笑った。
「でもさでもさ、神谷くんの部屋、前よりもっといい感じになったよね!」
「朝一でその話を教室でするな」
「なんで?」
「なんでじゃない」
周囲の空気がざわつく。
やめろ。男子どもの耳が明らかにこっちへ向いてるだろうが。
「神谷くん」
さらに追撃。
教室の後ろの扉から、優里が顔を出した。
「昨日、ライト使ってみましたか?」
「……使いました」
「どうでした?」
「使いやすかったです」
「それはよかったです」
柔らかく微笑まれる。
周囲のざわめきがさらに強くなる。
やめてくれ。
会話の内容だけ切り取られると、本当に俺の部屋が西園寺家のたまり場みたいに聞こえる。
……いや、実際ちょっとそうなりつつあるのが最悪なんだけど。
「おい」
廊下側から聞こえたのは龍華の声だった。
「今日、放課後」
「嫌な予感しかしない」
「部屋、行くから」
「決定事項みたいに言うな」
「だってこの前、買った本まだ読んでないだろ」
「……なんで知ってるんだよ」
「見た」
「見た、で済ませるな」
この長女、俺の行動把握が雑に強いんだよな。
「えっ、新しい本買ったの!?」
涼花が食いつく。
優里も少し興味深そうな顔をした。
「じゃあ、今日は読書会ですか?」
「なんでそうなるんですか」
「面白そうだから!」
「絶対お前はその理屈で全部押し切ろうとするよな」
だが、三人の目はもう完全に“放課後行く”で一致していた。
「いや、待て。今日は駄目だ」
さすがに言う。
今週、三回目だぞ。
入り浸るにも限度ってものがある。
「なんでだ?」
龍華が眉をひそめる。
「今日はバイト」
その一言で、三姉妹がぴたりと止まった。
「……バイト?」
涼花が聞き返す。
「お前、バイトしてるのか」
龍華も少し意外そうだ。
「してますけど」
「初耳です」
優里まで驚いていた。
……あれ。
そういえば、こいつらに言ったことなかったか。
「別に、わざわざ話すことでもないだろ」
「いや、あるだろ」
龍華が言う。
「高校生男子のバイト先とか、普通に気になる」
「なんでだよ」
「神谷くん、何のバイトしてるの!?」
「本屋」
三人の反応は、見事なくらい一瞬で変わった。
「似合う!」
「似合いますね」
「めちゃくちゃ想像つくな」
「なんなんだその一致団結」
涼花は身を乗り出してくる。
「え、制服とかあるの!? エプロン!?」
「あるけど」
「見たい!」
「見せない」
即答すると、涼花が「えー!」と声を上げた。
「神谷くんの本屋バイトとか、絶対レアじゃん!」
「レアかどうかで人を見世物にするな」
優里は少し考えるように視線を落としたあと、穏やかに言った。
「だから、あんなに本に詳しいんですね」
「いや、それは元からです」
「でも、好きなものに関わる仕事をしているのは素敵です」
「……別に、そこまで大したもんじゃ」
「またそうやってすぐ小さく言う」
龍華がぼそっと口を挟む。
「なんだよ」
「いや別に。ただ、お前そういうとこあるよなって」
その言い方が妙に真っ直ぐで、少し返事に困る。
すると涼花が、ぱっと顔を輝かせた。
「じゃあさ! 今日はバイト終わりに神谷くんの部屋集合ってことで!」
「なんでそうなるんだよ!」
「だって、放課後ダメでも夜なら――」
「もっとダメだわ!」
朝から全力で突っ込みを入れたせいで、もう疲れた。
※ ※ ※
放課後。
俺は本当に本屋のバイト先へ来ていた。
駅前にあるそこそこ大きい書店。
学校帰りの学生も来るし、会社帰りの大人も立ち寄る。
忙しすぎるほどじゃないが、暇すぎるわけでもない、ちょうどいい規模の店だ。
エプロンをつけ、レジに立つ。
仕事中は、余計なことを考えなくていいから楽だった。
「神谷くん、この新刊、特典まだある?」
「ありますよ」
「この作者の前作ってどのあたり?」
「二列奥の棚です」
接客は別に嫌いじゃない。
必要なことだけ話せばいいし、本に囲まれている空間は落ち着く。
問題は、その落ち着いた空間に――
「……は?」
見覚えのある金髪が入ってきたことだった。
涼花。
続いて優里。
最後に龍華。
なんでいる。
なんで三人揃っている。
しかも、揃いも揃って私服だ。
学校帰りじゃない。わざわざ着替えて来てる。
「うわ、本当にいた!」
涼花がこっちを見つけて、小声のつもりで全然小さくない声を出した。
「声量!」
思わずレジ越しに睨むと、涼花は慌てて口元を押さえた。
遅い。
「……お前ら、何してるんだ」
隙を見て小さく問うと、優里が申し訳なさそうに笑う。
「少しだけ、お邪魔しようと思って」
「本を買いにな」
龍華が平然と言う。
「いや、それにしても三人で来る必要ある?」
「あるよ!」
涼花が即答した。
「だって神谷くんの働いてるとこ、見たかったし!」
「だから見世物じゃないんだって言ってるだろ」
バイト中にまでこのテンションを持ち込まれると、色々困る。
「でも、似合いますね」
優里がじっと俺を見る。
「エプロン姿」
「……そういうこと言うのやめてください」
「褒めてるんですけど」
「だから困るんです」
龍華はそんな俺たちの会話を面白そうに見ながら、棚から適当に漫画を抜いていた。
「おい、神谷」
「なんだ」
「仕事してる時、普段よりちょっとまともに見えるな」
「普段はまともじゃないみたいな言い方やめろ」
「普段は根暗」
「余計なお世話だ」
すると涼花が、くすっと笑う。
「でも、なんか分かるかも。神谷くん、ここだと落ち着いてる感じする」
「そりゃ仕事だからな」
「うん。でも、好きな場所なんだろうなって思う」
「……」
何気ない一言だったのに、少しだけ胸の奥に引っかかる。
好きな場所。
たしかに、そうかもしれない。
本屋は昔から落ち着く。
誰かの物語が並んでいて、まだ読んだことのない世界が無数に積まれていて、静かで、それでいて退屈しない。
「神谷くん、これおすすめ?」
優里が一冊の文庫を差し出してくる。
俺は仕事モードのまま、それを受け取った。
「それ、少し切ない系です。恋愛というより、人間関係寄りの話ですけど」
「じゃあ、優里お姉ちゃん好きそう!」
涼花が横から言う。
「私はこっちの明るい方が好きかも!」
「お前は分かりやすいな」
「えへへ」
「龍華さんは?」
優里が振り向くと、龍華は手にした漫画をひらひらさせた。
「私はこれ。頭使わなくて済むやつ」
「お前、意外とそういうの読むよな」
「悪いか」
「いや、ちょっと親近感湧く」
「ふん」
龍華は鼻を鳴らしたが、どこか機嫌がよさそうだった。
その後、三人は思い思いに店内を見て回った。
騒ぐわけでもなく、本を手に取って、感想を言い合って、たまに俺へ聞きにくる。
その光景は、思ったより悪くなかった。
……いや、悪くないどころか、少しだけ嬉しいと思ってしまった自分がいる。
俺の好きな場所に、俺のことを知っている連中がいて。
しかも、その連中がちゃんと本を楽しそうに選んでいる。
なんだろうな、これ。
妙な気分だ。
だが、その気分は長く続かなかった。
「神谷くんって、ここでは人気あるんだね」
休憩に入る直前、涼花がそんなことを言った。
「は?」
「さっきから、女の子のお客さんに声かけられてたし」
「仕事だろ」
「でも、ちょっと笑ってた」
「接客だからな」
なんだその尋問みたいな入り方。
「へえ」
龍華が、なぜか少しだけ目を細めた。
「愛想よくできるじゃん」
「仕事中だけな」
「ふーん」
「なんだよ」
「別に」
別に、と言うわりに顔が面白くなさそうだ。
優里まで、どこか考えるように視線を逸らしている。
「……お前ら、もしかして変なこと考えてる?」
「考えてないよー?」
涼花がすごく分かりやすく目を逸らした。
「考えてますね」
優里が静かに断言する。
「お前、味方してくれないのかよ」
「客観的事実ですから」
龍華は腕を組んだまま、じっと俺を見た。
「……本屋だと、少しかっこつけてるな」
「なんで喧嘩売るみたいな言い方なんだよ」
「売ってない。ただ事実を言ってるだけだ」
「それを世間では売ってるって言うんだよ」
だが、どこか三人とも妙な空気だった。
不機嫌……まではいかない。
でも、少しだけ落ち着かないような、面白くなさそうな、そんな感じ。
……まさか。
「お前ら」
「なに?」
「何ですか?」
「なんだ」
「嫉妬してる?」
言った瞬間、空気が止まった。
やばい。
これはやばいかもしれない。
だが次の瞬間。
「はあ!?」
「ち、違います!」
「誰がだ」
三者三様に反応が返ってきた。
返ってきたが――全員ちょっと動揺している。
「図星じゃねぇか」
「ち、違うってば! ただ、なんか……その……!」
涼花が珍しくしどろもどろになる。
優里も頬を少し赤くして視線を逸らしていた。
龍華は舌打ちしそうな顔をしている。
「……お前、たまにそういうのだけ鋭いよな」
「からかわれてる側だからな」
言い返すと、龍華が不服そうに鼻を鳴らした。
優里が小さく咳払いをする。
「と、とにかく。神谷くんがお仕事をちゃんとしているのが見られて、よかったです」
「話を無理やり戻したな」
「戻しました」
「認めるんだ」
涼花はまだ少しだけ顔を赤くしながら、ぶつぶつ言う。
「だって……知らない神谷くん見た感じがしたんだもん」
「知らないって、仕事中なんだから当たり前だろ」
「それでもだよ」
その言い方が、妙にまっすぐだった。
知らない俺。
たしかに、学校でも部屋でも見せてない顔はある。
本屋での俺は、少しだけ別のモードだ。
だからこそ。
そんなふうに言われると、妙に意識してしまう。
「……まあ、もう見ただろ」
「うん、見た」
涼花がじっとこっちを見る。
優里も、龍華も。
そして三人とも、少しだけ満足したように笑った。
なんなんだ、本当に。
俺の何をそんなに知りたがるんだ。
バイト終わり、店の外へ出ると、夜風が少しだけ涼しかった。
「それで、どうするんだ」
俺が聞くと、涼花が元気よく言う。
「もちろん、このまま神谷くんの部屋!」
「当然みたいに言うな!」
「だって、今日の神谷くん見たら、なんか行きたくなったし」
「どういう理屈だよ」
「知らない神谷くん見たあとって、もっと知りたくなるじゃないですか」
優里がさらっと言った。
「優里まで!?」
「私は自然な感想を言っただけです」
「私は今日は別にどっちでもいいけど」
龍華が言ってから、少しだけ間を置く。
「……お前が疲れてないなら、行く」
「最後の一言だけずるいな」
「そうか?」
こうして。
結局その日も、三姉妹は俺の部屋へ集まることになった。
放課後だけじゃない。
休日だけでもない。
バイト帰りまで当然みたいに侵食してくる。
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