西園寺家はどうやら落ち着ける場所じゃない
西園寺家の屋敷は、家というよりもはや施設だった。
「……でか」
門の前に立った瞬間、思わずそんな感想が漏れる。
高い塀。手入れの行き届いた庭。奥に見える洋館みたいな本邸は、どう考えても高校生が「ただいま」と帰るスケールじゃない。
「反応が田舎者すぎるぞ、神谷」
「うるさい。誰だってこうなるだろ」
隣で龍華が面白そうに笑う。
その一方で、優里は少し申し訳なさそうにこちらを見た。
「ごめんなさい。こういう場所、緊張しますよね」
「いや、まあ……します」
緊張しない方がおかしい。
門から玄関まで少し歩くという時点で、もう俺の知ってる一般家庭の範囲を逸脱している。
しかも使用人らしき男性が玄関前で一礼して待っていた。
「お帰りなさいませ、お嬢様方」
自然すぎる出迎えに、俺は危うく踵を返しかけた。
無理だろ。場違いにもほどがある。
「こちら、神谷悠真くんです」
優里がそう紹介すると、使用人の男性は俺にも丁寧に頭を下げた。
「お待ちしておりました」
「え、いや、待たれてるの怖いんですけど」
「安心しろ。逃げ道はない」
「安心要素ゼロだな」
龍華の横槍に即座に突っ込みつつ、俺はぎこちなく会釈を返した。
そのまま屋敷の中へ通される。
玄関だけで俺のアパートの部屋三つ分くらいありそうだった。床はぴかぴかで、飾ってある絵とか壺とかも、なんとなく高そうだということしか分からないが、とにかく高そうだった。
「靴はこちらで」
「す、すみません……」
なんで俺、こんなに縮こまってるんだろう。
いや、答えは分かってる。場違いだからだ。
「神谷くん、そんなに硬くならなくて大丈夫ですよ」
優里が柔らかく笑ってくれる。
その一言で少しだけ肩の力が抜けた……気がしたが、すぐ後ろから龍華の声が飛んできた。
「こいつ、緊張すると余計に無口になるからな」
「お前は黙ってろ」
「ほらな」
いちいち神経を逆撫でしてくる。
案内された客間は、客間というよりホテルのラウンジみたいだった。
ふかふかそうなソファ。広い窓。庭がよく見える景色。テーブルの上に置かれた菓子も、全部が「高級です」と顔に書いてあるような見た目をしている。
「どうぞ、座ってください」
「……失礼します」
ソファに腰を下ろした瞬間、座り心地が良すぎて逆に落ち着かなかった。
なんだこれ。沈む。俺みたいな庶民が座っていい柔らかさじゃない。
「飲み物は紅茶でいいですか?」
「いや、なんでも」
「じゃあ紅茶ですね」
「決定早いな」
優里は小さく笑って、使用人に指示を出した。
その様子があまりにも自然で、ああ本当にこういう家の人なんだなと実感させられる。
「さて」
向かいのソファにどかっと座った龍華が、俺を見た。
「まずは優里からだ」
「何がだよ」
「礼だろ。今日はそのために呼んだんだからな」
「そうでした」
優里はぺこりと頭を下げた。
「昨日は本当にありがとうございました。神谷くんが助けてくれなかったら、どうなっていたか分かりません」
「……別に、大したことはしてないです」
「大したことでしたよ」
きっぱりと言われて、言葉に詰まる。
真正面から感謝されるのって、なんか居心地が悪い。
「それと、昨日ちゃんとお礼を渡せなかったので」
そう言って、優里は隣に置いてあった小さな箱をこちらへ差し出した。
白い箱に上品なリボンまでかかっている。
「受け取ってもらえますか?」
「いや、でも……」
「お菓子です」
「そこは知ってます」
「毒は入ってませんよ」
「なんで龍華と同じ発想なんですか」
「仲いいですから」
「だからどこがですか」
思わず即答すると、優里は楽しそうに笑った。
この人、静かな雰囲気のわりに、時々さらっと強い球を投げてくるんだよな。
「受け取ってください。私が助けられた記念でもありますから」
「その言い方だと、なんか大ごとみたいになるんですけど」
「大ごとでした」
今度は真面目な目で言われる。
そこで断るほど、俺もひねくれてはいない。
「……じゃあ、ありがたく」
「はい」
箱を受け取ると、優里は本当に嬉しそうに微笑んだ。
そんな顔をされると、こっちがむず痒くなる。
そこへ、使用人が紅茶を運んできた。
いい香りがする。カップすら高級そうで、うっかり割ったら俺の人生が詰みそうだった。
「神谷」
「なんだよ」
「その菓子、一個くれ」
「お前の家のもんだろうが」
「客のもんを横取りするのが楽しいんだろ」
「性格終わってるな」
俺が呆れていると、優里がくすっと笑う。
「龍華、今日は少し機嫌がいいですね」
「そうか?」
「そうですよ。神谷くんが来てくれたからじゃないですか?」
ぶふっ、と危うく紅茶を吹きそうになった。
龍華は一瞬だけ固まり、それから露骨に眉をひそめる。
「は? なんでそうなる」
「だって、昨日からちょっと楽しそうです」
「気のせいだ」
「そうでしょうか」
「そうだ」
即答だ。
でも、語気がほんの少しだけ強い。図星を突かれた時の反応に見えなくもない。
「……おい、なんで二人して俺の前でそんな会話してるんだ」
「面白いから」
「理由が最低なんだよ」
龍華は悪びれもせず紅茶を飲んだ。
その時だった。
「お姉ちゃーん! って、うわっ、本当にいる!」
勢いよく客間の扉が開いた。
飛び込んできたのは、もちろん涼花だった。
金色の長い髪を揺らしながら、ぱっと俺を見つけると、目を丸くする。
「神谷くん!? なんで!? え、なんでうちにいるの!?」
「こっちが聞きたいくらいだよ」
「えーっ! え、なになに!? どういう流れ!? もしかして、もう家族公認みたいな感じ!?」
「飛躍がすごいな!?」
涼花のテンションはいつだって急上昇しかしない。
部屋の空気が一気に明るくなるのはすごいが、その分こっちの精神がついていけない。
「涼花、落ち着きなさい」
「だって優里お姉ちゃん! 神谷くんってあの神谷くんだよね!? 教室でいつも静かで、でもちゃんと挨拶返してくれて、なんか達観してそうなあの!」
「お前、俺をどう見てるんだよ」
「静かでちょっと不思議な子!」
「だいたい合ってるようで全然嬉しくないな」
涼花は俺のすぐ横まで来ると、ぐいっと顔を近づけてきた。
「で? なんで? 本当に何があったの?」
「昨日、優里が絡まれてたのを神谷が助けた」
龍華がさらっと答える。
「えっ」
一瞬で、涼花の表情が変わった。
さっきまでの無邪気な明るさが引いて、真剣な色が差す。
「……優里お姉ちゃん、大丈夫だったの?」
「うん。私は大丈夫。神谷くんが助けてくれたから」
「そっか……」
涼花は胸を撫で下ろすように息をついたあと、次の瞬間には、ばっと俺の方へ向き直った。
「神谷くん、ありがとう!!」
「うおっ」
勢いのまま両手を取られた。
距離が近い。近すぎる。目もきらきらしてるし、真っ直ぐすぎて逃げ場がない。
「本当にありがとう! お姉ちゃん助けてくれて! わたし、お礼したい! なんでもする!」
「語弊しかない言い方やめろ!」
「えっ? あっ、違っ、そういう意味じゃなくて!」
涼花が真っ赤になる。
優里は口元に手を当てて笑いを堪えているし、龍華は露骨に吹き出していた。
「涼花、お前ほんと面白いな」
「笑わないでよ龍華お姉ちゃん!」
「いや、今のは笑うだろ」
「神谷くんも忘れて! 今すぐ忘れて!」
「無理だろ、印象が強すぎる」
「もうー!」
涼花はそのまま俺の肩をぽかぽか叩いてくる。
軽い。全然痛くない。でも、なんというか、距離感がバグってる。
「涼花、神谷くん困ってるよ」
「はっ!」
優里に言われて、涼花はぴたりと止まった。
それから慌てて一歩引く。
「ご、ごめんね!? つい……!」
「いや、別に……」
謝られるとこっちが困る。
涼花はちらちらと俺の顔を見たあと、ふと何かを思いついたように手を打った。
「じゃあさ! せっかくだし一緒にご飯食べていきなよ!」
「は?」
「いいですね」
「えっ、優里も乗るの?」
「お礼にもなりますし」
「私は別に構わん」
「龍華、お前は最初から全部肯定側だろ」
三対一。
しかも全員西園寺。
勝てる気がしない。
「いや、でも、流石に長居しすぎるし」
「遠慮しなくて大丈夫です」
「いや遠慮とかじゃなくて」
「料理人の方も今日は気合いが入ってますし」
「料理人?」
「うち、専属がいるからな」
「さらっと言うな、世界が違いすぎる」
俺が頭を抱えかけた時、客間の扉が再び静かに開いた。
「皆さん、お揃いのようですね」
入ってきたのは、一人の女性だった。
黒髪を綺麗にまとめた、いかにも“出来る大人”という雰囲気の人。年齢は三十代後半くらいだろうか。落ち着いた美しさがある。
そして、その人を見た三姉妹の空気がほんの少しだけ変わった。
「母様」
優里がそう呼ぶ。
……ああ、この人が。
西園寺家の母親。
三姉妹の親であり、この家の空気の中心にいる人間。
「あなたが神谷悠真くんね」
女性は穏やかに微笑み、俺を見た。
「娘たちから話は聞いています。優里を助けてくださったそうで。本当にありがとうございました」
「い、いえ……たまたま通りかかっただけです」
「その“たまたま”で救われた子がいるのですから、胸を張っていいことですよ」
柔らかい口調なのに、言葉に妙な説得力がある。
この人、たぶんかなり強い。
「どうか今日はゆっくりしていってください。せめて、お礼をさせてちょうだい」
「……ありがとうございます」
ここまで言われて断れるほど、俺のメンタルは強くない。
母親は満足そうに頷くと、三姉妹へ視線を向けた。
「それと龍華」
「なんだよ」
「神谷くんにあまり迷惑をかけないように」
「……なんで私だけ名指しなんだ」
「一番可能性が高いからよ」
即答だった。
龍華が地味にダメージを受けているのが分かる。少しだけスッとした。
「ふふ」
優里が小さく笑う。
涼花もつられて笑い、客間の空気がやわらぐ。
その光景を見ていて、少しだけ意外に思った。
もっと堅苦しくて息の詰まるような家だと思っていたのに、家族でいる時の空気は案外普通だ。いや、普通よりだいぶ華やかではあるんだけど。
「神谷くん」
不意に優里が俺の方を見る。
「少し、安心しました」
「何がですか?」
「神谷くんが、ちゃんとここにいてくれて」
その言い方があまりにも素直で、思わず言葉に詰まる。
「……逃げようとはしましたけど」
「それでも来てくれました」
「龍華に半分脅されたようなもんです」
「私は背中を押しただけだ」
「押し方が雑なんだよ」
俺がそう返すと、優里はまた笑った。
穏やかで、でも昨日よりずっと近い笑い方だった。
気づけば、さっきまで感じていた場違いな緊張が、少しだけ薄れていた。
もちろん落ち着くかと言われたら、全然そんなことはない。
目の前には西園寺三姉妹がいて、どいつもこいつも俺のペースを乱してくる。
けれど。
「神谷くん、夕飯までまだ時間あるし、庭見ていく?」
「私が案内するよ!」
「いや、私が行く」
「龍華お姉ちゃんは絶対余計なことするでしょ!」
「それは偏見だ」
「説得力がなさすぎます」
騒がしいやり取りを前にして、俺は小さく息をついた。
――やっぱり、西園寺家は落ち着ける場所じゃない。
でも、悪くないと少しだけ思ってしまった時点で、もう手遅れなのかもしれない。
また俺の青春が、賑やかに揺れ始めていた。
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