第7話:黒い理(ことわり)
深夜特有の静寂が空間を満たし、執務室に静止した世界を生み出す。この落ち着きの相棒を求め、山田の左手はスーツのラペルを割り、内ポケットに痺れる右手を突っ込む。少し歪んだ煙草の箱からカラカラと乾いた音が小さく鳴った。
山田は軽く振って一本飛び出させ、口で咥え跳ね上げると、それは折れていた。本日最後の一本である。
折れた煙草を眺めることもなく、慣れた手つきで佐藤の上着を探る。硬い感触に手応えを感じ、ポケットに手を突っ込み、煙草とオイルライター、そして手帳を借用する。シャッと、フリントホイールを回し、咥え煙草で手帳をペラペラ捲りながら、山田は思案を展開する。
若い草津と三浦は山田が想像していたよりも田中に懸念を示していた。あの事象は単なる偶然か、それともこの世の理を超越した何かか。田中に発生した事象の本質を、試さねばならない。
山田は検証の意をもって、佐藤の頭部を一斗缶で殴打した。
振り下ろした一斗缶は鈍い音を室内に響かせ、接触部位は歪み変形していた。佐藤は後頭部を陥没させ、窪んだ目だけを動かして山田を視認した後、動かなくなった。
静寂の中を秒針の刻音が規則正しく広がる。山田は勢いよく紫煙を吐き出し、空間を埋めていく。煙草は雑に灰皿へ押し付けられた。
呻き声すら上げなかった。まるで神々しくない。田中の事象の再現性は確認できない。
唇を突き出し、口角をへの字に曲げたのは、佐藤の煙草が口に合わなかったのか、期待した事象が起きなかったからなのか。
一斗缶を振ると、内部のシンナーが揺れる音が聞こえる。三浦や草津が話していた角度と速度を合わせた意図で実行したにも関わらず、田中に当たった一斗缶は不思議なことに変形せず、田中の頭蓋は陥没していない。経過は似ているが、結果は違う。やる価値はあったのか?
山田は習慣からか、再度煙草を咥える。先ほどの味を思い出し、一瞬躊躇したが、構わずライターを添えた。が、フリントホイールの調子は悪く、スカスカと空回り。安物の残念な作りにハハと、自然に乾いた笑いが溢れ出た。
点火は成功したものの、口に広がる味は先ほどと同様気に入らないものであった。
室内の時計の秒針が刻む音に合わせ、山田は思考を加速させた。やはり、特別な事象が発生した可能性は残るが、再現性のない偶発的な事象であり、将来的な再発は否定される。若い二人にとって印象的な事象となったのは、あの会場の狂熱的な雰囲気と複合したためであろう。
いずれにせよ佐藤は排除される計画であった。思いつきで田中の事象の再現を試行した行為である。理よりも利、名よりも命、それは山田の規範と同一。佐藤は草津や三浦と違い、明らかに山田側の人種であり、その山田が関心するほどに優秀な男である。
が、不要。
佐藤が握っている初期の利権情報は、陣営がこれから進める新しい計画にとって、最も厄介なノイズである。手帳には有力者を転々としているだけあって、感心するほど濃厚な情報が記載されている。嗅ぎつけた情報を含め、将来の草津時代における危険因子だ。
優秀性がノイズを発生させる原因になる。結果というものを土台にして生きてきた山田は、利潤の帳簿に、佐藤の命を無駄な経費として処理したのだ。
それに応答するかのよう、床の上の一斗缶は低いボコんという音を立てた。
佐藤の葬儀が密かに執り行われたのは、その数日後であった。彼の死は、心筋梗塞という最も無味乾燥な病名で処理される始末となった。
選択肢を剥奪された者達の手引きは、人の命の重さを随分と軽くさせる。ドブ川に運びやすいように、流しやすいように。




