第6話:来訪者
ガチャリ。
タクシーのドアが開く乾いたチープな音と共に、切れかけた街灯の光が青白く痩躯の男を照らした。摩耗した革靴、質の悪い生地のスーツ。
折り畳まれたような猫背の姿勢そのままに、車内へと片足を残し身を乗り出した。手入れの行き届かぬ不鮮明なスラックスの折り目は、この男の社会的な信頼度の低さを具現化しているようであった。
男の名は佐藤。
この界隈の社会階層における最低位に位置する人間である。立場が低いまま有力者を転々と変更する三下の腰巾着。
そのような生き方をしているこの男を、草津は無意識に軽蔑した。会議の場で誰かれ構わず媚を売り、堆積した灰皿を交換しながら侮辱的な視線を浴びていた姿が印象に残っている。草津は佐藤に人としての尊厳をまるで感じなかった。
今も切れかけた電灯の不安定な光が、この男の輪郭と闇の境界線を曖昧なものにし、嫌悪の刃を草津の胸中に突き立てている。
佐藤は草津達に気づくと、擦り寄るような挨拶をしながら、一瞬見定めるような視線を寄越した。蔑視の視線を躱し、すぐさま弛緩した笑いを作り、首部を垂れる。敵意のないことをアピールするように猫背に戻った。
この一連の動作に、三浦はネズミや野良犬を見た時のような生理的嫌悪感を抱いた。決して懐かぬ動物が、生存の為の行動を取っているように見えたのだ。
佐藤は窪んだ目をギョロギョロと泳がせ、挨拶もそこそこに事務所の暗闇に吸い込まれていった。浅ましいものを見た余韻が静寂と共に冷えた空気を両名に纏わりつかせる。
田中の事象に関する話題の興が削がれ、三浦と草津は、どちらともなく無言でタクシーに乗り込んだ。
Uターンをしようとハンドルを切るタクシー。そのヘッドライトがドブ川の水面を一瞬、黒く反射させた。いや、反射というより飲み込まれた。シートの褪せた匂いの中で三浦は目を閉じながら長い一日の終わりを感じていた。
遠ざかるタクシーを山田がブランインド越しに眺めていると、ガチャリとノックもなくドアが開いた。
品やら教養やらを無駄だと削ぎ落としたらこんな男になるのだろうなと、山田はドアへ緩めた口角を向けた。佐藤が窪んだ目のまま山田を見据えている。
佐藤の痩せた躯体の心臓がスーツの下で跳ね上がる。上がる心拍数の振動が、秒針の刻音をかき消していく。ゴクリ、乾いた口で唾を飲み込む音が内部で反響する。目の前にいるのは山田。これは最優先すべき佐々木陣営の大物からの呼び出しなのである。
佐藤の行動原理は理よりも利、名よりも命を優先する。
バイパス利権の時勢を読む分析力と佐々木の陣営に接触する嗅覚。立ち上げたばかりの紫煙の向こうの、痩せた男に山田は目を細める。
山田は左手で灰皿を机の上に滑らせた。緊張を隠しきれない佐藤に、まずは一服の提案。
佐藤はヨレたスーツの内ポケットから、煙草とオイルライターを取り出し、山田から視線を逸さぬまま火をつけた。
警戒心が強い野良犬だと、山田は佐藤の様子に口角を緩める。
周囲の評価は不問だが、確実な情報収集能力。底辺を突破する強かさ。草津には欠如している優秀性がある。
若年にして情報鮮度の重要性を認識し、バイパス利権の最新の議論が行われる会場へと潜り込む胆力は命じられてできるものではない。
下っ端の地位を利用し、有力者の警戒度を弛緩させ、秘匿された情報をコレクションする。女の好みから破滅の手掛かりまで、秘密の小部屋の鍵束をヤニ臭い指で弄ぶ。
その蓄積は膨大かつ危険。
摩耗した革靴はこの男の得た地を這うような勲章であった。泥臭い生き方が、幾度となく底を蹴り上げ、佐藤を強くしたのだろう。
チープなスーツは一張羅の戦闘服として、この男を陰謀渦巻く世界の最適な立ち位置で闘争させているのだ。まるで、歯茎を剥き出しにした野良犬そのものだと山田はさらに目を細め、一目置いていた。
山田は、そんな佐藤であれば関心を示し、満足すると判断して一葉の書類を机に置いた。煙草を待つ佐藤の指が震える。山田は紫煙を吐きながら口角を緩るめた。
煙草を持っていることも、山田が近くにいることも失念するほど佐藤は書類に没入した。確実に秘匿されるべき情報のみが記述されている。こんなものを見てしまって良いのか?そんな疑問を山田にぶつけようとした時だ。
一斗缶は佐藤の後頭部へ振り下ろされた。




