第37話:佐藤
灰皿には吸い殻が山を作り、溢れた何本かは机の上に、床に転がっている。椅子という椅子はバラバラに明後日の方を向き、紙クズなのか書類なのかわからない物が所狭しとひしめき合っている。
秩序を失った執務室にて、草津は佐々木から託されたバイパス計画の初期ルート図を目を細め眺めていた。中途半端に吸われた煙草を山に追加しながら、鼻を鳴らす。赤いバツが記された地点へのイラつきは手に現れ、微かに震えながら指でなぞる。
予定ルートは滋賀県内の小さな町工場を避けられず、手詰まりとなっていた。あの肥えた地主は頑として土地を手放さない。下手に出なかったことに気を悪くしたのか、ファーストコンタクトの失敗が未だに解消されず、膠着状態を何ヶ月も維持している。
ドタバタと廊下を踏み鳴らす音が聞こえる。ノックも無しに執務室のドアがギイと開く。
誰も呼んではいないが、佐藤がひらりと革の禿げた靴と共に現れた。窪んだ目をギョロりと動かしながら下手くそな笑顔を作る。いつものように腰巾着然とした態度だが、その目は情報で濡れている。
品やら教養やらを無駄だと削ぎ落としたらこんな男になるのだろうなと、草津は睨むように視線を送る。
評価が著しく低い男であるが、底辺の底を蹴り上がるような独特の野心を草津は強さと見ていた。
媚びへつらうようなヘラヘラとした態度を取りながら、佐藤は草津の元へとやってきた。遠慮も無しにルート図に指を滑らせ、問題の町工場を無視し、わずかに迂回するルートを即座に引いた。
なんだコイツは?という草津の怪訝を無視しながら、ヤニで黄色い歯を見せつけながら佐藤は口角を下手くそに上げる。笑うという挙動を模したような、決して懐かぬ動物が、生存の為のに行う行動のようであった。
「ここに新しく水路を引くという名目で、行政から圧力をかけさせます。あそこの社長は脱税の噂がありますから、書類一本で済む。時間は三日」
草津は顔を上げた。佐藤の提案は、裏社会の古典的な手口であり、草津の「権力機構を動かす」というスマートな手法とは真逆だった。だが、驚くほど迅速でかつての山田のように確実だった。
草津は佐藤から視線を外さぬまま、親指で顎を撫でる。合点がいってしまったことを悟られないよう睨みを強める。認めれば、自分もまたこのドブ川を這いずる住人だと認めることになる。草津の理性が、覇道を描く理想が、その事実を必死に拒んでいた。
「そのルートは、技術的に少しコストがかかる。なぜ回り道をする?」
佐藤はにやりと笑い、草津の顔を覗き込んだ。
「草津様は将来、佐々木様の全ての地盤を統べるお方です。小さな汚点は、将来のこの勢力の信頼に関わる。この小さな回り道こそが、将来『草津様がクリーンなリーダーである』ことの証になるんです。そして、私はその裏の汚れを引き受けます。将来の草津様の清潔な権威のためなら、この程度のコストは安い」
草津の精悍な顔つきが一瞬硬直した。
この男はこれほどまでに自分を見透かしている。草津はポケットに手を突っ込み、握り拳を振るわせる。そうでもしなければ、この湧き出る嫌悪が顔にあからさまに出てしまいそうであったからだ。
自分はただの小物だと、そんな顔を作りながら佐藤は、自分が「将来の汚れ役」として草津の「清潔な権威」と「表裏一体」になることを、既に計算しているのだ。草津が目指すのは「表の顔」というクリーンな権威だが、佐藤が目指すのは「裏の顔」という現実的な権力だった。
動揺を悟られぬよう草津は静かに図面を畳んだ。野良犬の嗅覚にはいくら注意を払っても、やり過ぎはない。
「お前のその利への嗅覚は、確かに鋭いな。だが、その手段はいずれ、お前の首を絞めることになるぞ、佐藤」
佐藤は全く怯えず、腰を低くしたまま答えた。
「草津様のお言葉、肝に銘じます。ただ、首が絞まる頃には、私はもう、草津様にしか締められないところにいるでしょうね」
草津はいよいよ苦い顔を隠せなかった。誤魔化すようにメンソールに火をつけ、わざとらしく煙を吐き出した。煙の向こうに佐藤を隠す。
認識したものをそのまま受容するには、草津は若過ぎる。だが、突きつけられているのだ。この男はただの腰巾着ではない。自分を頂点と定めた上で、裏から組織全体を食い尽くそうとする、最も危険な飢えた獣だと。
これは田中の狂気が介入しなければ、佐々木の後継者である草津にとって、裏の支配者となる佐藤こそが、最終的に組織を二分する、最大の障壁となる運命であった。バイパス計画は大きく停滞し、龍が立つことは叶わない。
それをアカシックレコードは許さなかった。
この未来を検知し、最優先排除対象に佐藤を指定する。完全排除に向け、最適な人員配置を完了させた。
次のエピローグでラストになります。




