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アカシック・ロード  作者: Janpon
本編
24/32

第24話:歯車



 田中の陣営との和解、そして「未来への構想」へと舵を切った新規方針。だが、それを掲げた佐々木は崩壊した。


 山盛りの灰皿に新たに吸い殻が一本追加される。喉を焼くだけ焼いて味がまったくしない煙を、山田は惰性で吸い続けていた。口の中の水分を失うだけ失いながら、休む間もなく佐々木陣営の主要人物達との調整に奔走する。


 口角を上げながら、乗り掛かった利権の餌を揺らし、時折、佐々木への義理を刺激して繋ぎ止める。力はあるが何もしないハイエナのような連中。だが、そのように仕上げたのは他ならぬ山田自身である。それは、ただ御しやすいからであった。


 佐々木の崩壊で不安定な空気が広がる中、草津の失踪だけに意識を取られている場合ではない。やるべきことは山のようにある状態なのだ。

 それを、三浦は実務を隠れ蓑にした現実逃避であると見抜いていた。


 佐々木の崩壊、そして草津の失踪。

この一連の事象は独立したイベントではなく、田中の狙い通りの仕業なのか。

 もしこれら全てが田中の設計図通りに進んでいるのだとすれば、それはもはや組織的な抗争ではなく、一方的な狩りのフェーズに移行したことを意味する。

 

 目を逸らしていても、破滅は過ぎ去ってくれない。利権の盤上は、今まさに何かが進行中なのかもしれないのだ。

 

 山田は、手首のロレックスの文字盤を見つめながら、三浦の言葉を聞き流していた。そして、いつものように口角を緩ませながら、視線を三浦へと向ける。


 自陣営に対しては、山田の引いたレールの上を規定通りに動いている。田中の事象は起こっていない。故に構築した情報網に草津の足跡は必ず引っかかる。田中がどれほど不気味でも、この身内という盤上までは浸食できていないはずだ。

 その事を伝えると三浦をつっ返した。山積みの書類を指差し、見ての通り忙しいと。


 だが、山田は内心「対抗すること自体」の再評価を余儀なくされていた。佐々木の変容は田中との接触によるもの。そのことが思考を掴まえる。三浦の言う一方的な狩りのフェーズとは、まさにその通りだと。

 ロレックスがカチカチと秒針を鳴らしながら山田の思考を進ませる。正確な秒針が進むその合理性を突き詰めた先に残るのは、「詰み」という冷徹な二文字である。

 暴力でも、金でも、知略でもない。田中の持つ「不可視の強制力」が、盤上を完全に包囲している。

 

 親指は空回りするフリントホイールを弄び、ふと山田の目は窓の外へと向かう。穏やかな天候の中、ゆっくりと流れる雲を視線は追い続けた。儚く形を崩し、雲はやがて青い背景へと消えていく。その傍らでタワークレーンが変わらぬオブジェとして静止していた。


 もはや勝利することではなく、いかにしてこの終局を受け入れるか。だが、投了するにも田中の「投了受容条件」は不明のままだ。

 佐々木も草津もコストだと割り切り、今回の利権争いは田中に献上し退散する。得られるものの少なさより、これから失うものの保全を優先する。

 あるいは、自らがまだ「生かされている」理由を探ること。生きたまま擦り潰されるのは覚悟しなくてはいけなくなる。

 どちらにせよ、最善手の着地点は強制的に変質させられている。

 左手で頭を抱える山田は下振りした結論に辿り着いた。それを飲み込みかけ、いや、飲み込めない。左手首からの反射光がそれを許さないのだ。


 修復されたロレックスの歯車が刻む、機械的な脱進音。その輪郭は次第に明瞭となり、山田の聴覚を支配し始める。そのチッチッという音は強制的に計算場を形成する。

 どれほど戦況に誤算が重なり、足元が泥濘と化していても、この黄金の時計が刻む「正確な時間」だけは、山田の迷いとは一切の同期を拒絶する。  

 この非情な規律こそが、山田にリタイアを、敗北を選択させない刻みであった。


 その時、ギギギというタワークレーンの錆びた歯車の悲鳴が外から侵入してきた。その刻みと左手の刻みが同時に山田の鼓膜へと侵入する。

 ぶつかり合う二つの侵入音が織りなすのはハーモニーではなく、不協和音。噛み合わない響きが削られた山田の精神を擦り潰しながら、思考を強制する。盤上にて錆びた歯車と狂いのない歯車が火花を飛ばす。


 佐々木という巨大な歯車は錆びつき、動きを止めたが、抜き取られたわけではない。

 付随する歯車達はバラバラになることなく、巨大な歯車の領域内に佐々木への義理という名の慣性で固定されている。

 依然として勢力の致命的な瓦解は食い止められている。回らない巨大な歯車の求心力は著しく減退しているが、その巨大な暴力という装置が即座に内部分裂へと転じることはない。

 

 山田の計算上、資源・人員・利権の力関係において、自陣営が圧倒的有利であるという構造に変化は生じていない。


 空回りするフリントホイールはカッと噛み合うとオイルを燃焼させ、炎を立ち上げた。その炎は煙草の先へと誘導され、新鮮なコクとまろみを肺の中に導く。


 山田は、失踪した草津の帰還を前提とした次なる一手を策定した。

 草津が戻った際、彼を強引に後継者として擁立する。その過程で発生するであろう内紛や反発は、むしろ好都合であった。それは、草津の代へと移行する前に不要な不純物を一掃する「垢落とし」として機能するからだ。

 

 山田は、田中の超常に直面しながらも、なおも俗世の権力力学という盤面で、損害を利益に転換するための再思考を止めなかった。


 そもそも、利権の奪い合いで、草津を狙い撃ちにする必要がない。佐々木は崩壊し脅しにはならない。なぜ山田自身を狙わないのか。

 導き出す結論としては、やはり草津の失踪は本人の意思によるもの。

 同世代である田中の手によって、圧倒的であった佐々木が敗北し、崩壊させられた。衝撃的であり、その光景を目の当たりにしたプライドのある若い男が、一時的な精神的ショックに陥り、戦線を離脱する。よくある話だ。

 ソープ街にでも入り浸り、女と酒によって現実の不条理を忘却する。それは時に必要なこと。たまには女房以外の女を抱くのも悪くない。  

 「若者は若さを持て余す」

 ステレオタイプな若者像を草津に重ねることで、山田は自らの戦略図に生じた空白を塗り潰した。

 いずれ草津は、使い古された現実の垢にまみれて戻ってくる。山田はそう確信した。


 西陽の差し込む窓外。建設中のビルディングはすでに最上階へと到達し、その頂に座すタワークレーンは、自らの役割の終焉を待つばかりとなっていた。

 眼下をゆったりと流れるドブ川は、青空を背負ったその巨大な鋼鉄の影を、濁った水面に黒く、重く映し出している。それは、頂点を極めた後に訪れる解体という、避けられぬ因果を三浦の思考の奥底に予感させていた。


 思考が分断されながらも、最後まで理性を失わない。それが故に山田は苦しんでいる。三浦には山田が焦燥を持て余しているように見えた。


 山田の思考回路は、田中のもたらす非条理によって断続的に分断されている。

 理解不能な状況を、無理にでも理解可能な論理へと押し込める。その強迫観念こそが、山田を深淵な苦痛へと追い詰めていた。傍らに立つ三浦の眼には、山田が自らの内側に溢れ出す焦燥の処理能力を超え、持て余している様がありありと映っていた。


 一連の事象は田中による足止め、すなわち、佐々木陣営の機動力を完全に奪うための、精緻な計算に基づく時間稼ぎに他ならない。

 佐々木の崩壊は、他者に周知されないよう、自勢力内の会議に起こったのものだ。勢力は瓦解せずにほぼ力を落とすことなく存続している。

 この山田の焦燥ですら、田中が設計した「詰み」までのプロセスに組み込まれているのではないか。

 

 三浦の内側で疑念が波のように押し寄せた。

 その時、遠くから錆びついた歯車の軋みが、鋭い金属音となって届いた。

 窓外のタワークレーンが、最後の手出しをするかのように、ゆっくりとワイヤーを巻き取っていく。

 それは山田の誇るロレックスの精密な音とは正反対の、終わりを告げる機械の断末魔のようであった。

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