二年前に戻った聖女の物語
会う度に傷が増えていく。
そんな彼の姿を見る度に、私は自分の無力を呪わずにはいられなかった。
聖女なのに治癒魔法が使えない。
私に与えられたのは結界魔法だった。
魔物の発生源である魔の森に、結界を張るために私は全力を注いでいる。
傷ついた彼を目の前にして、私は何も出来ない。
「……ごめんなさい、カイゼル将軍」
包帯を巻いた左腕にそっと触れる。
治癒師に魔法を施された腕ではあるが、深かったようで傷は残ると聞いていた。
将軍は感情を見せない瞳でこちらを見ている。
「もう少し待ってくれますか?」
「どうかお気になされませんよう。俺は俺の仕事をしているだけですので」
「もう少しで魔の森で結界を張ることが出来ます。そうしたら貴方に危険が及ぶことはありません。その時は、どうか」
私はそこで口を噤んだ。
その時は?
その時に私はここへは居ない。
天界へ召されている時だからだ。
ずっと彼を見てきた。
私が聖女に任命される前から彼は将軍であった。
その地位に見合う大柄で鍛え上げられた身体と、射殺しそうな鋭い切れ長のの瞳。
ご令嬢なら泣きそうな程の強面であるが、私は好きだった。
ずっとずっと好きだった。
この想いを彼へ伝えることはない。
私は聖女としては落ちこぼれで、出来ることはこの命と引き換えに結界を張ることだけ。
それを誰かへ打ち明けたことはないけれど。
私の命と引き換えに貴方の命が救われるなら本望だ。
「どうかご自分の幸せを求めて下さいませ、カイゼル将軍」
浮いた噂ひとつもない。
ただひたすら、魔物から民を守ることだけを追い求めてきた人。
「私はそれだけを願っております。聖女としては至りませんが、貴方の幸せを神へ祈っております」
想いを隠して聖女の顔をする。
万人へ平等に祈りを捧げる聖女として、カイゼル将軍へ聖女の祝福である彼の額へ唇を落とした。
彼に触れる唯一の術だ。
疑われないように、すぐに離れる。
「聖女の祝福へ感謝を」
カイゼル将軍は淡々と答えた。
離れていく熱に、寂しさを覚える。
それを押し隠して私は微笑んだ。
将軍である彼が先陣を切って魔物を戦ってくれていた。
私はそんな彼へ残りの人生を幸せに生きて欲しいと切実に思っている。
「ディルク・カイゼル将軍。どうかお幸せに」
彼の背へ、届かない祈りを呟く。
もうすぐ終わる。
私の人生も、結界魔法の完成も。
そうすれば魔物が国を脅かすこともなくなり、カイゼル将軍へ命の危険が及ぶこともない。
大好きだった人。
貴方の人生に幸多からんことを――
※
大聖堂の鐘が鳴る。
聖女の死を告げるものだ。
彼女を悼むかのような重い曇天だった。
聖女はその命と引き換えに魔の森へ結界を張った。
魔物へ脅かされた日々は無くなる。
その平和の対価の意味を、本当に理解している者はいるのだろうか。
ディルクは唇を噛んだ。
聖女は月光のような銀色の髪に琥珀色の瞳の、儚げな女性だった。
聖女の証である治癒魔法が使えないことをずっと気に病んでいた。
傷が増える度に、彼女は痛ましい顔をしていた。
だが、彼女は間違いなく神に選ばれた聖女だ。
治癒魔法が使えなくとも、この国へ平和をもたらす存在であった。
彼女の最後の言葉を思い返す。
「どうかご自分の幸せを求めて下さいませ、カイゼル将軍」
胸に秘めた想いをついぞ伝えることは出来なかった。
彼女は聖女だったから。
自分の幸せは聖女の、リーゼロッテと共にあること。
手を伸ばせば届くところにいたのに、それを許されなかった女性だった。
「リーゼロッテ様」
彼女の墓の前で跪く。
「貴女と一緒に生きてみたかった。リーゼロッテ様を思わない日はなかったのに。俺は何も出来なかった」
今更何をと言われるかもしれない。
ディルクは愛剣を鞘から引き抜く。
「許されるなら、貴女と同じ場所で生きたい」
人間へ刃を向けたことはない。
だが、死ぬための急所は知っている。
ディルクは刃を自分の心臓へ当てた。
※
「リーゼロッテ、ぼんやりしてはなりませんよ」
厳しい言葉を聞いて我に返った。
前聖女のメラニー様に反射的に頭を下げる。
「申し訳ございません!」
「謝ればいいと思っていませんか?貴女は聖女なんですよ。自覚なさい」
「はい」
おかしい。
リーゼロッテとしての人生は終わったはずだ。
それなのにまた聖女であり、リーゼロッテと呼ばれている。
目の前には未だ元気一杯の師匠が背筋を伸ばして立っていた。
聖女として独り立ちしてから師匠に会うことはなかった。
時間が巻き戻った?
師匠は私が死んだ時は健在だったはずだが、すでに一線から退き、故郷へ戻ったと記憶している。
「貴女の力は希有なものです。しっかり修行すれば、魔物で命を落とす者がいなくなるでしょう」
「師匠」
「いいですか。聖女とは国の為に、民の為に力を使う存在です。ですが、自分の人生を犠牲にすることとは違います。そこを間違ってはいけませんよ」
師匠は分かっていたのだろうか。
私が自分の命と引き換えに結界を張ったことを。
聖女としての意味を見出せず、国や民の為でなくたった一人の愛する男の為に死ぬことを。
「あの、師匠」
「何ですか?」
「結界を効率よく張る方法はあるのでしょうか?」
「リーゼロッテ」
声が強くなる。
「貴女が治癒魔法を使えぬよう、私は結界魔法を使えません。それは貴女が考えなければならないことです」
私はローブを握り締めた。
師匠の言うことは尤もで、一度死んだ自分はそんなことを考えたことはなかった。
もし時間が戻ったのなら、違う道を歩みたい。
これが夢だったとしても。
同じ選択をしたくない。
「師匠、私の聖力はまだ増えますか?」
「貴女の器は私よりも大きい。努力次第でしょうが、かなり増えると思いますよ」
前の時に師匠はそんなことを教えてくれなかった。
それは私が治癒魔法を使えない呪縛に捕らわれていたからか。
単純に私が質問しなかったからか。
「聖力を増やしたいんです。どんなことでもします」
「貴女からそんな前向きの言葉を聞けるとはね。良いでしょう。私が知っていることは全て教えます」
「ありがとうございます!」
「しばらくは食べ物を受け付けないぐらい過酷でしょうけど、まぁ、頑張りなさい」
恐ろしく不穏な台詞を吐いた師匠は目を細めた。
背筋に寒気が走る。
私はこの師匠の恐ろしさを身に染みて知っている。
孤児だった私を拾ってくれたのは師匠だ。
聖力があるからと弟子にしてくれた。
師匠は宣言通り、私に試練を課した。
聖力を増やすために連日聖域で祈りを捧げるというものだ。
聖域は大聖堂の奥にある泉のことである。
胸近くまで水へ浸かり、そこへ立ったまま祈りを捧げる。
真冬の泉は寒く、水は身を切るように冷たい。
あれから色々考えてみたが、やはり時間が巻き戻ったのだと思う。
暦を確認すれば約二年前。
神様のいたずらなのか、誰かの思惑なのかは分からない。
カイゼル将軍は相変わらず頻繁に魔の森への討伐へ出向いていた。
彼の傷は増えていく。
それは、前の人生で私が見てきたものと一緒だった。
私は嘆いている暇はない。
一刻も早く結界魔法を完成させて、彼を痛みから遠ざけたい。
結界魔法は魔力だけでは完成しない。
質の良い魔石に聖力を込めて、魔法の補助として使用する。
その魔石によって私がいなくなっても結界を持続させることが可能になる。
私は今回、その魔石を増やすつもりで準備に取り掛かっていた。
魔石が増えれば私の負担も減る。
そうすれば命を掛けずとも結界魔法を完成させることが出来るかもしれない。
断言できないのは、魔の森という広範囲へ結界魔法を完成させることが難しいことを知っているからだ。
六日間の祈りを終えて一日休日という日々を送っていた私は、討伐から帰ってきたカイゼル将軍から報告を受けることになった。
魔の森の状況や魔物の数など、聖女である私が把握しなければならないのだ。
結界の効果は完成してからだから、状況は変わっていないだろう。
「カイゼル将軍、ご無事で戻られて何よりです」
「温かいお言葉ありがとうございます。聖女リーゼロッテ様へ討伐報告に参りました」
この国で聖女の地位は王族よりも高い。
国王ですら、私へ頭を垂れる。
将軍もまた私の許しがあるまで顔を上げることはない。
「どうか顔を上げてください、将軍。お疲れの所わざわざこちらまで来て頂いたのですから、楽な格好で構いません」
「失礼致します」
彼がゆっくりと顔を上げる。
前の報告の時にはなかった頬の傷に、思わず眉を下げた。
浅い傷だからかガーゼを貼ってもいない。
師匠なら一瞬で治せる傷だが、私にはそれが出来ない。
「お見苦しいかと思いましたが、報告が先かと」
「見苦しいなど。私の無力さ故の痛みに申し訳なくて」
「リーゼロッテ様はしっかりお役目を果たされていると、メラニー様より伺っております」
「……治癒師を呼びましょう」
私は将軍の言葉に追い打ちを掛けられたような気さえした。
側使えに指示をして、大聖堂に勤めている治癒師を呼び出した。
彼女に治癒して貰い、頬の傷が消えたのを見てようやく息を吐くことが出来た。
それなのに私は傷を治した治癒師の力に、触れる機会がある彼女へ嫉妬する。
聖女だと祭り上げられたとしても、私は浅ましく狭量な人間だ。
カイゼル将軍から報告を受けて、やはり今までと変わらない状況に、私は彼へ頭を下げた。
「リーゼロッテ様!」
怒りを含んだ声で名前を呼ばれた。
聖女は誰にも頭を下げてはいけないと知っている。
だが、ここには私の側仕えしかいない。
「カイゼル将軍、私の力が及ばないこと深くお詫び申し上げます。結界の完成まではまだ時間が掛かります。貴方に負担を掛けているのは誰でもなくこの私です」
「リーゼロッテ様は歴代の聖女とは違う。結界が出来れば魔物は森から出てこなくなる。治癒魔法より尊い力だ」
「そうかもしれません。それでも私は」
貴方を癒やす力が欲しかった。
それは私の胸の中に押し込まれた言葉。
浅ましい自分に嫌気が差す。
頭を上げられない私に痺れを切らした将軍が、近付いてくるのが分かった。
嬉しいけれど顔を見られたくない。
「カイゼル将軍、近付いてはなりません」
「では頭をお上げ下さい」
「出来ぬのです。これは聖女の意志ですからお聞き下さいませ」
顔を上げれば、きっと泣いてしまう。
将軍は私の言葉に躊躇った様子だったが、逆らった。
肩を掴まれて上半身を起こされる。
彼が私の指示に従わなかった――予想しなかった――ことに瞠目した瞳からぽろりと涙が零れた。
「リーゼ、ロッテさま」
カイゼル将軍もまた目を見開いていた。
私はすぐに顔を逸らす。
未だ肩へ触れられており、それが嬉しさを上回って恥ずかしかった。
「離れてください、将軍」
「……っ、大変申し訳ありません」
小さい声でお願いすれば、彼はようやく肩から手を離して最初の位置まで戻った。
触れられた場所が熱い。
顔も熱くなっていて、結局俯いたまま、私は彼へ退出を促した。
※
師匠の言いつけ通り、毎日神域での祈りを続け、増えた聖力を魔石へ注ぎ込む。
単調ながら地味に辛い作業をこなしていく中で私の楽しみはカイゼル将軍に会うことだけだった。
あれから彼はきちんと治癒を終えてから報告へ来るようになった。
最後には必ず、聖女の祝福を施す。
そっと彼の額へ口付けを落とす。
少しでも聖力が将軍の身体へ入るように。
聖力を渡すなんて出来ないけれど。
「カイゼル将軍へ神のご加護があらんことを。次の討伐もどうかご無事で」
「聖女の祝福へ感謝を」
決まり切った文句を交わす。
それでも彼へ一瞬でも触れることの出来る時間が愛おしい。
カイゼル将軍の背中を見送り、私は長い息を吐いた。
あと少し。
あと少しで彼を解放してあげられる。
先ほどの逢瀬が、最後だった。
しっかりと目に焼き付けている。
彼の鋭い瞳も、大きな身体も、優しい心も。
師匠曰く、私の聖力は最大まで増えたと云う。
魔石の準備も万全にした。
そして、前よりも早く結界魔法は完成させることが出来る。
師匠は結界魔法の完成を見届けてから大聖堂を去ることになった。
前と違う時間が流れている。
「散歩してくるわ」
聖女の顔は公表されていないから、大聖堂の敷地を歩いていても修道女と区別出来る人間はいない。
ローブを脱げば修道女と同じ格好になる。
「承知いたしました」
側仕えにローブを手渡し、代わりにストールを受け取った私は聖女の部屋を出た。
大聖堂の外へ出たいがそれは許されない。
だから門まで行って外の景色を眺めたり、敷地内にある塔から町並みを眺めることが私の息抜きだった。
今日は塔の上から、とゆっくり歩を進める。
師匠と打ち合わせて、明後日結界魔法を完成させると決めていた。
もしまた同じような結末になるなら、その前に私が守るものを見ておきたい。
塔へ上がれば、少し息が上がる。
定位置に――私の為に椅ベンチが置かれているので――腰掛けて、息を整えながら街を見下ろした。
人が小さく蠢いている。
お年寄りや子供や、顔の知らない人々の営みがそこにあった。
「羨ましいわ」
聖女であることを厭うたことはない。
それでも普通に恋をして、生きてみたかったと望むことはある。
聖女になりたくてもなれない人だっているのだから、無い物ねだりなのだろうけど。
「リーゼロッテ様?」
良く知った低い声に、振り向きながら立ち上がる。
いるはずのない人物の姿に呆然としていたら、カイゼル将軍と私の間に強い風が通り過ぎた。
ストールが空を舞う。
それに気づかない程、私は動揺していた。
聖女の部屋以外で彼と会ったことはない。
「将軍、なぜ?」
「……メラニー様にリーゼロッテ様を探すよう仰せつかったので」
師匠、そんな些事をカイゼル将軍へ頼むなんて。
「貴重なお時間を使わせてしまいましたね。メラニー様はどちらにいらっしゃいますか?」
何とか気を取り直して尋ねれば、彼は黙って落ちたストールを拾った。
それを手に私へと近付く。
「お身体を冷やされませんよう」
カイゼル将軍はストールを私の肩へ掛けてくれる。
「ありがとうございます。あの」
「実はメラニー様にお願いをして、リーゼロッテ様とお話する時間を頂きました」
「え?」
彼の言葉が理解出来ずに首を傾げる。
カイゼル将軍はストールの上から私の肩を抱き込んだ。
「あ、の?」
「明後日、結界魔法を完成させるとお聞きしました」
「っ、それは」
「貴女の他へは誰にも言いません。メラニー様からもそうご命令されておりますから」
引退したとはいえ聖女の肩書きは大きい。
それにしても師匠は何故将軍へ秘密を漏らしたのか分からない。
結界魔法の完成については、師匠と私、国王しか知らない。
命を落とすこともあるので、国王には聖女の後始末をして貰わなければならないからだ。
彼へ抱きしめられたまま、私は混乱したままだ。
「どうか、無力な俺をお許し下さい、リーゼロッテ様。聖力のない俺は貴女の代わりになれない。貴女をまた失いたくない」
最後の言葉に身体が強張る。
「将軍、また、って」
まるで私と同じで前の人生を知っているようで。
思わず顔を上げれば、彼は苦しそうな顔をしていた。
この人は知っている。
私の前の人生を。
それは彼の表情が鮮明に物語っていた。
「貴方ですか?私を、私の時間を戻したのは?」
「違います。俺は貴女の命と引き換えの平和を見届けてから、リーゼロッテ様の後を追ったんです。それなのに気づいたら、二年前へ戻っていた」
「後を追った?将軍?」
「貴女が犠牲になった世界に興味がなかったので」
私は理解しきれず、一番の疑問を口にした。
「それでは、誰が時間を?」
「俺にも分かりません」
「……平和になったのに、平和じゃない時間に戻す人なんて」
誰が、何の為に。
「リーゼロッテ様、どうか生きて下さい。結界なんぞ完成しなくていい。生きて笑って、どうか自分の幸せを求めてください」
私は目を瞠った。
自分の声が甦る。
「どうかご自分の幸せを求めて下さいませ、カイゼル将軍」
聖女としては望んではいけない個人的な感情を乗せた言葉だった。
死ぬ前の私の願い。
カイゼル将軍はなぞらえるように、私へ願う。
嬉しくて。
でも、それに応えられないのは聖女を捨てきれないからだ。
「貴方が将軍であるように、私は聖女です。逃げ出す訳には参りません」
私は心を押し殺して彼の腕から抜け出した。
「出来ることは全て済ませました。ですが、どうなるかは私にも分からないのです」
「命を差し出さなければならないなら俺の命を」
「なりませんよ、将軍」
切なげに見つめられて、私は自然と微笑んだ。
感情を露わにした彼は貴重だ。
私が引き出したのなら、尚嬉しい。
「私の願いは前と一緒です。貴方の幸せだけを祈っているのです。国や民の為になんて高尚な願いなどではなく」
「リーゼロッテ様」
「私は随分前から将軍のことを知っておりました。メラニー様が大聖堂を堂々と抜け出す人で、弟子の私は師匠を探すために良く城内を走り回っていたんです。軍の訓練場にも足を運んだことがあります。何度も。その時に剣を振るう将軍に見惚れました。当時はまだ将軍ではありませんでしたね」
「そんなに前から?」
「ええ、貴方が私の初恋でした」
きっと師匠は私のそんな気持ちに気付いていた。
「どうか聖女としての務めを最後まで果たさせて下さいませ」
理由がどうあれ、私がすることはひとつだけ。
私は将軍の頬へ手を添える。
いつもは跪く彼へ祝福を与えるが、今は見上げる形だ。
爪先立ちになり、ぐっと彼の顔を引き寄せて額へ口付けた。
「ディルク・カイゼル将軍へ神のご加護があらんことを。さぁ、ここでの事を忘れなさい。貴方はひとりでここへ居たの」
「……リーゼロッテ様、なに、を」
私は忘却魔法を発動させた。
※
「リーゼさまー」
元気な子供の声に、我に返る。
私は王都の外れにある教会へ併設されてあ孤児院の院長をしていた。
結界魔法は完成し、私は生き残った。
けれどその対価として、師匠と国王へ私は死んだことにして貰った。
二年の時を戻したのが誰なのか、分からないまま。
子供たちを育て、野菜を作り、修道女として教会を訪れた人へ祝福を与える。
そんな生活をしていた。
平和な世界で、それなりに忙しくしている。
「どうしましたか、エル」
「お客さんだって。シスターが探してたよ」
「あら大変。この野菜を料理担当のシスターへ届けてくれるかしら?」
「いいよ!」
子供たちはシスターの教育もあって素直で元気に育ってくれている。
エルの背を見送って私はタオルで手を拭いた。
目立つ髪色を隠す為に、髪は結ってウィンプルを被っていた。
元々、聖女の絵姿は公表されていないので、私を知っているのは大聖堂の聖女付きか、一部の城の関係者ぐらいだろうけど。
教会の奥にある客間へ辿り着けば、扉の前に青い顔をしたシスターが立っていた。
「お客様だとエルから聞いたのですが」
「はい、それがその、男の方が院長へ会いに来ておられます」
「そう」
「凄く怖い顔をしておいでで。院長の身に何かあってはいけないので、いま男手を探しているところです」
「私ひとりでも大丈夫よ。身を守る術は知っているの」
渋るシスターを落ち着かせて、私は客間へ声を掛けて入った。
聖力は健在であり、何かあれば魔法で対処出来る。
「お待たせ致しました」
部屋に入れば背を向けた大柄な身体が見えた。
彼は私の声に振り向く。
私は息を飲んだ。
「カイゼル、さま」
殺気すら感じさせる程の圧に、私は怯んだ。
聖女の葬儀が終わった後、彼は将軍職を辞したと聞いていた。
王都から離れた実家の領地に帰ったとも。
その彼がどうしてここへいるのか分からなかった。
「リーゼロッテ様」
「……私の名前はリーゼです。どなたかとお間違いではありませんか?」
「酷いひとだ」
彼はじり、と私との距離を詰める。
躱すことも出来ない速度で、彼は私のウィンプルを剥ぎ取った。
その勢いで結っていた髪が解けていく。
はらはらと肩から胸へと落ちていく髪を、私はただ見ることしか出来なかった。
「まるで月光のような銀色の髪。薄紫の瞳。俺は忘れたりしません」
「……」
「また忘却魔法を使いますか?残念だが俺には効かない」
カイゼル様は歪んた笑みを浮かべた。
「メラニー様から伝言を頼まれています」
「師匠から?」
私を死んだことにしてくれと言った時、師匠は激怒した。
それ以来、連絡を取り合っていない。
「何の為に時間を巻き戻したのか分からない、この馬鹿弟子が。自分の人生を犠牲にするなと教えたでしょう」
「は?え、師匠、が、時間を」
「メラニー様の力だそうだ。ただ一度きりしか使えないという制約があって、二度と使えないとおっしゃっていた」
「師匠」
「可愛い弟子を鍛え直す為に、貴方の命を犠牲にさせないため使ったとも。まぁ、リーゼロッテ様が元気で生きておられるので、冗談めいた感じで話されていたが」
話の内容に衝撃を受けた私は立っていることが難しく、カイゼル様に断ってソファーへ腰掛けた。
聖女の力は個々で違う。
私が結界魔法と忘却魔法を使えるように、師匠は治癒魔法の他に魔法が使えてもおかしくない。
カイゼル様は呆然としている私の前で跪いた。
「リーゼロッテ様、聖女でない貴女ならば攫ってしまっても良いだろうか?」
「カイゼル様」
「俺は貴女の告白を覚えている。初恋だと言ってくれた、あの言葉は生まれ変わっても忘れない」
「忘却魔法は効かないのですか?」
「忘却魔法とは、貴女が選んだ記憶を封じ込めることでしょう。俺は貴女の告白をずっと夢で見ていた。随分、自分に都合の良い夢だと思っていました。何がきっかけかは分からないが、その蓋が外れたんですよ。俺の貴女への想いが思い出させたのだと考えています。だからきっと、俺に忘却魔法は効かない」
跪いたまま私の手を握ってカイゼル様は言い切った。
「愛しています、リーゼロッテ様」
「……っ」
「一度目は告白すら出来なかった。二度目は諦めない。貴女が受け入れてくれるまで、俺はここへ通います」
熱烈な求愛に、私は目を白黒させることしか出来なかった。
※
日差しが柔らかい朝の内に畑へ水を撒いているのはディルク――カイゼル――様だ。
私はその近くでトマトやナスを収穫していく。
こんな穏やかな時間もあと少しで終わる。
私が粘りに粘ったディルク様の求婚を受けたからだ。
修道女のままでは婚姻出来ない為、私は院長を辞めてディルク様のご実家の領地へ引っ越しすることが決まっている。
そうして私は聖女であったことを隠したままシスターや子供たちとお別れした。
ディルク様は領主である彼の兄の右腕として働く。
領地は海に面していて、新鮮な魚貝に恵まれている所だった。
私とディルク様の婚姻は身内だけの小さな式にした。
私の素性が素性であったし、ディルク様も派手なことが苦手な人だったから。
式には師匠が来てくれた。
久しぶりに会った師匠は、一線を退いたにも関わらず聖女の雰囲気を纏っている。
「良い式でした。幸せそうな顔をしていますね、リーゼロッテ」
「師匠」
「貴女が独りを選んだ時、口を出すべきが迷ったんですよ。随分拗らせているのを知っていましたから」
「うっ」
「諦め慣れてはいけません。貴女の命は貴女のもの。貴女の人生もまた貴女のものだということを忘れぬように」
師匠は私の手を握った。
時には親のように、私に接してくれた師匠は、優しく微笑んでくれる。
「婚姻おめでとう。カイゼル様と共に幸せにおなりなさい」
「……っ、はい、メラニー師匠」
私は零れ落ちる涙を止められなかった。
そんな私の肩に大きな手が置かれる。
師匠は顔を上げて、その人物へ話し掛けた。
「カイゼル様、貴方も忘れてはなりませんよ」
「肝に銘じます」
「ええ、それからリーゼロッテ」
私へ視線を戻した師匠は、小さな箱を掌へ乗せてくれた。
「これは婚姻のお祝いに。魔石へ私の治癒魔法を付与してあります。貴女の聖力を流せば治癒魔法が使えるようになっています」
「私、治癒魔法が使えるんですか?」
「結界魔法の応用です。貴女が魔石を使ったのを見て思い付いたのですよ。聖力を持つ者だけの特権ですからね。領地の為に活用なさい」
私がディルク様以外で欲しかったもの。
「師匠……っ」
「それ以上泣くと目が腫れますよ」
「ありがとう、ございます」
「私は明日の朝一番で帰ります。見送りの必要はありませんから」
「ええ?でも」
「リーゼロッテ」
師匠の声が少し低くなった。
お小言の前の雰囲気を感じ取って、反射的に背筋が伸びる。
「貴女、花嫁の自覚がありますか?今夜は初夜なのですから明日は動けないでしょう」
涙が止まった。
横へ立っているディルク様の顔を盗み見れば、目が泳いでいる。
「また会いに来ますから。身体に気を付けなさいね、リーゼロッテ」
師匠は私たちの間を微妙な空気にして帰って行った。
そして翌日の朝、師匠の言葉の意味を私は身を持って思い知った。
腰から下は全く動かない。
ディルク様は申し訳なさそうな顔をしながら、甲斐甲斐しく私の世話を焼いてくれた。
「愛してる、リーゼ」
毎日、私へ愛を囁くディルク様は幸せそうで。
私の望んだ彼が目の前にいて。
「ディルク様、愛しています」
私もまた彼へ愛を伝える。
師匠がくれた二年間を思いながら、私は今の幸せを噛み締めた。
何番煎じか分かりませんが。
純愛を書いてみたかったんです。




