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MURDER

作者: 玩具リオン
掲載日:2026/03/02

 寿命が可視化された。

 その人の健康状態や遺伝情報などを読み取ることで『残り年数』──あとどれくらい生きられるか──が、確実にわかるようになったのだ。

 無論それはとりもなおさず、今日からポテチの代わりにサラダを食べれば、その数値は大きくなるということを意味するものであり。

 寿命可視化スコープが活用されたのは、主に医療現場──それも、残り年数幾ばくという難病を有する患者のいる、いわばターミナルケアの場だった。

 余命うんちゃら年。

 そういうのを知ることができるようになれば、誰だって有意義に余生をまっとうしようとするだろう。僕だってそうだ。

 だからというべきか、それでもというべきか、世情の選択は二つに割れた。当然だ。「自分の寿命? そんなの知りたかないね」という意見と「寿命をぜひ知っておきたい」という意思とに二分されたのだ。真っ二つだった。

 こういった思想および判断は、得てして家庭に左右されるものだということは、まあ言わずともおわかりのことでしょうけれど。つまり僕の家庭は、というより僕の両親、祖父母、いとこはとこ再従曾姪孫に至るまで、寿命を「知りたくない」派だったのだ。

 人として生きたい。

 最後まで、人間として。

 これを『自然派』あるいは『旧思想家』というらしいが、これもまたネットの狭い世界でのことだ。

 普通に思想の自由だし、それを非難するのは憲法なんちゃら条違反でよろしくないことで、もちろん僕は誰も批判しないし非難しないし貶めるつもりもはぐらかすつもりも毛頭ないし平和主義の平等自由愛万歳至って神妙に善良な市民である。

 長話が過ぎた。

 要は、僕は自らの意思(という体)で自分の寿命を知らないし、取り立てて知りたいとも思わない。

 そして彼女も──否、彼女は自らの確固たる意志で、寿命を知りたくなかったというだけで。



  ¶



「別に、確固たる意志でもなんでもないよ」

 病床の彼女は言った。

「なんとなくってほどでもない。寿命なんて、本来知り得ないものでしょ?」

「二十年前まではそうだったね」

「君、増粘多糖類って知ってる?」

「名前だけは」

「乳化剤は?」

「名前だけは」

 昼食べたチキンカツサンドのパッケージに書いてあった気がする。

「私、添加物ってきらいなんだ」

「その心は?」

「聞こえのいいように言ってるけどそれって『だから何』ってことだよね」

「その心は?」

「女の子にそういうこと言っちゃいけないよ。モテないよ」

「モテの価値基準で人を判断するような女性と付き合いたいとも思わない」

「……ほんっと、モテない」

 頬をぷーっと膨らますその姿は、リスを連想させる。

「で、食品添加物うんぬんの結論はなんだったの?」

「君は結論おばけだね」

「そう言う君は雑談ゴーストだ」

「意味不」

「帰っていい?」

「待ってよ」

 ドアへと歩き出したら、腕を掴まれた。

「なに」

「君の大好きな結論を言うとね、つまるところ私は『寿命を知ること』と『添加物』をリンクさせたかったわけで」

「どちらも人工的なものでしょう」

「そゆこと」

「なんにもかかってない。上手くない」

「そういうのはどうでもいいの。会話を楽しんでこそ若者でしょ、ってか女の子の話は『ふむふむ』って聞くものよ」

「言いたいことは三つ。まず君の思考は前時代的だということ。次に、女性の話を『ふむふむ』と聞けるやつは大抵ヤリ手だということ。最後に……ああ、何を言いたいのか忘れちゃったよ」

「あるある」

「はあ……」

「ため息の数だけモテ度が減るよ」

「君の脳内ではどうやらモテるか否かに重きが置かれているようだ」

「脳内メーカー的な? でも、そうだよ」

 彼女の視線がそのとき、ふっ、と窓の外へと。

「モテるって重要だと思うよ。だって、好きになるってことだもん。恋をするってことだもん」

 その目はどこか物憂げで。

「……子孫を残すってことだもん?」

「高橋くん、無粋」

「瀬良さんはロマンチストだ」

「そうじゃないとやってけないでしょ」

 次に視線は、つい、とチューブに移る。つられて僕も、彼女に繋がれたその何本かの細い管を見た。

「恋、したかったなあ」

「……」

「今フォローに困るって顔してた」

「……そんなことないよ」

「ありがと」

「でも別に、恋ができないってわけでもないだろ? まったくってことは、さ……」

「余命半年、回復の見込みなし、経過観察のため週三で病院通い。医学の進歩の許す限り学校へは行ってるだけの、友達にも事情を話してないだけの、平凡な女子高生であります」

「正直に言っていい?」

「どうぞ」

「ちょっと重い」

「『ちょっと』って付けてくれた君の優しさを噛み締めるよ」

「どうぞご自由に」

「でもさ、やっぱり君くらいのものなんだよ。私んとこ通ってくれるの」

「ご家族もいるだろう」

「そりゃあ、事情知ってるからね」

「事情、ね……」

「君に知られちゃったのだってまだ、ちょっと後悔してるんだよ」

「ちょっと、ね」

「そうだよ。ただのクラスメイトくん」

「なんだい美人で有名の薄幸の深窓の令嬢さん」

「多いな」

「盛りだくさんだ」

「ね。私のステータスなんて『ただのちょっと可愛くて成績優秀なピチピチJK』でいいのに、それで十分なのに。どうして神様はそこに『現代医療もハンズアップな不治の病』を追加させたんでしょう」

「うん……まあ」

「日頃の行いなのかな」

「……いや」

「私、なんか悪いことしたかな」

「……」

「もしかして、その罪に気づいてないってことが、すでに罪なのかな」

「……」

「なんてね」

 彼女は笑った。

「ありがと、今日も来てくれて。そろそろ一時間経つよ、ナースさんに怒られちゃう」

「いつもの人?」

「うん。あの人優しいけど時間にはうるさいから」

「そっか」

「また学校で。ありがと」

「ああ、また」



  ¶



 教室の彼女はいつも通り朗らかに友人へと挨拶する。

 その「おはよう」が僕に向けられることはない。

 いつも通りだった。

 はずだ。

「おはよ、高橋くん」

 ザワッ──と。

 教室に波が起こった。

「……おはよう、瀬良さん」

 波はザワザワと広がっていく。

 僕はため息を吐いてから、窓際の自席から空を眺めた。これから流されるであろう根も葉もない噂にこめかみを押さえながら。

「高橋、ちょっと来い」

 案の定、昼休みに同級生の男子数人からの呼び出しが。

「辞世の句を詠め」

「……最下位の旗のところに向かいけり」

「言いたいことはそれだけか?」

「問われた限りはね」

「胸の前で十字を切って愛する者のことを想え」

「ならば僕が瀬良さんのことを思い浮かべる確率はゼロパーセントなわけだ」

「なんだと?」

 ようやく弁明の余地が入れられるらしい。

 体育館裏の壁に背中をつけるほど追い詰められた僕は、しかし淡々とした口調で解説する。

「実は僕は瀬良さんとは、それはそれは遠い親戚だったんだよ。というのが、つい最近判明してね。もちろん向こうは僕にまったくもってこれっぽっちもそういった感情を抱いていないわけだけれど、知ってしまった以上、まったくの他人行儀というわけにもいかないし、ひとまず挨拶をするだけの関係で落ち着こうそしてそれ以上は何も発展しないねうんそうだねという結論に収束したんだ」

 言わずもがな、ハッタリだ。

 彼女とはなんの血縁もない。

 ミトコンドリア・イブ説を支持するのならば、別だが。

「神に誓ってそれが真実と言えるか?」

「神はいないと思うから君に誓うよ」

「瀬良さんと本当に何もないんだな?」

「もし検挙できるような証拠があったら君は僕をその拳で殴っていい。君にはその権利がある」

「そ、そうか」

 まんざらでもない表情でリーダーの野球部だかの生徒が去ると、追随して他の生徒も。

 残された僕は一人、ずるずると壁を背中で伝って石段に尻を落とした。

「もうこういうのはこりごり〜、ってね」

「他人事みたいに言うな。発端は君だ」

「私はただクラスメイトに挨拶しただけですぅー」

「君と僕の立ち場わかってる?」

「美人で有名の深窓の令嬢とただの冴えない男子生徒」

「僕の自尊心を控除するならその通りだ」

「さすが私。全問正解♪」

「まだ一問目だろう」

 放課後の第二理科室には、ノートを運んだ僕ら以外の生徒はいない。

「なんで僕に挨拶したんだ?」

「クラスメイトに挨拶するのがそんなに変?」

「質問の仕方を変えよう。今まで挨拶をしなかったのに、なぜ今日に限って僕に挨拶したんだ?」

「なぜって……んー、なんとなく?」

「なんとなくで僕は殺されかけたのか」

「私の所為じゃないもん」

「慎みって言葉知ってる?」

「何を慎むって言うのよ」

「自分をだ」

「なんでこれ以上、慎まなきゃいけないの。遠慮しなきゃいけないの。あと一週間で死ぬのに」

「……今、なんて?」

 僕は耳を疑った。

「死んじゃうんだよ、私。あと一ヶ月後に。ぽっきり、ぽっくり……」

 机の黒い天板の下を意味もなく覗き込む仕草で、

「そういう結果が出たの」

「……寿命、測定したの?」

「うん」

 彼女は肯定した。

「ナースの人が勧めてきたんだ。『寿命をそろそろ検査していいんじゃないか』って。じゃないと、先が見えないと、色々と……さ。終活みたいな?」

「確かに、そういう時期になると色々予定を立てるために検査するって聞くけど」

「あ、就活じゃなくて終活だよ。終わるほう」

「知ってる」

「私、余命半年とか二、三ヶ月だか前に聞いて『まあまだ大丈夫か』って思ってたんだけど、というか今も『まだまだ』って思ってるんだけど、まさかあと一ヶ月で死んじゃうなんてね。全然持たなかったじゃん。先生、嘘ついたじゃん」

「……容態が急変して、とか?」

「たぶんそうだねー。もしかしたら、早めにしっかり検査してれば、まだ対策立てられたかもね。もう遅いか」

「今からでも」

「無理じゃないかな。一ヶ月じゃ、どうしようも」

「そんなこと」

「ないって言ってくれる?」

「……」

「優しいんだね」

「……そんなことないよ」

「うん。ありがと」

 ガラス戸から取り出した顕微鏡を覗き込む彼女。ステージにはプレパラートも何も乗っていない。

「何やってんの?」

「なんか見えるかなって」

「何も見えないでしょ」

「だね。なんにも見えない」

 ちろりと舌を出しつつ、苦笑した。

「あのさ、高橋くん」

「うん?」

「これから毎日、おはようって言っていい?」

「……まあ」

「ふふふっ」

「なんだよ」

「ありがと」

「……あっそ」



  ¶



 彼女が死んだのは、それから一週間後だった。

 現代医学じゃどうすることもできない範疇にすでにあった、と医師は言った。らしい。

 らしいというのは、僕が彼女の家族から聞いたからであって、その後──彼女が死んだ後、僕が机をぶっ叩いたり壁を蹴っ飛ばしたり夜中に奇声を発しそうになったり自分でもどうしようもなくなって、ようやくそのお宅に訪問したときのことだ。

 僕が彼女のクラスメイトなこともあってか、拒むようなことはされなかった。

 特にびっくりしたのが、

「あの子はあなたのことをよく話してましたよ」

 と彼女の母親が言ったことだった。

「クラスメイトの男の子がいて。その子が、私の話をよく聞いてくれるの、私と話してくれるの、って」

「……」

「あの子、そのときすっごく笑顔だったんですよ」

 遺影を撫でる指は骨と皮だけであるかのように細く。

 僕は淹れられた紅茶で唇を濡らした。

「あんまり笑わない子で。いえ、笑いはするんです。でもそれも遠慮がちというか、周りを見て状況に合わせた笑顔のようで」

「そうなんですか」

「ええ。だから、ありがとうね高橋くん。娘は……娘は、最期に……」

 ごめんなさい、と言って廊下に出た。手のハンカチでその顔を覆いながら、声に涙を混じらせて。

 戻って来ると、僕のコップにさらに紅茶を注ぐ。

「これ。娘の日記なんです。あなたのことが、よく書いてあります。よかったらもらってください」

「いえ、結構です」

「え」

 見開かれた目に僕は告げる。

「僕が知りたかったのは娘さんの心情ではありません。誰が娘さんを殺したか、です」



  ¶



「おや、本日の面会時間は終わってますよ」

「今日の当直があなたでしたから」

「うん?」

「あなたですよね。噂の連続殺人犯さん」

「……はっはっは。おかしなこと言うね」

 夜の医師当直室に、その男はいた。

「よくないいたずらだ、よしなさい。君、お家の住所は? 学校は?」

「世田谷区深沢九の二の一、私立西土院大学医学部看護学科卒」

「……」

「あなたの経歴は調べさせてもらいましたから」

「君は何を言っているんだい?」

「まだしらばっくれるつもりですか、いやはや腹が据わっていらっしゃるというか、往生際が悪いというか」

「……君さあ」

「黙れ殺人鬼」

 ナイフを看護服のそいつの喉元へと。

「イカれてるよな。患者の点滴に毒盛ってシメるなんてよ。しかもそれが五年にわたってときた。いや、あっぱれだよ、よくバレなかった。よほど周囲に信頼と責任ある人間とでも思われてんだろうな」

「……」

「どこでわかったかって? 簡単だよ。五年前に──お前が一連のオアソビを始めた初っ端に殺された患者、あれが俺の妹だったんだよ。お前が犯人だと確信したとき、嬉し過ぎて壁を蹴っ飛ばしたり奇声を発しそうになったりしたさ」

「想像力豊かだね」

「今じゃそこらの美容クリニックでも検査キットが置いてあるが、寿命可視化スコープの使用許可が下りる病院ってのも、五年前じゃ限られてきてね。もちろん俺の妹も寿命検査を受けた後だった」

 残り年数一年。そう判定された。

 死んだのは、半年後だった。

「不思議だよなあ。あらゆる病院でお前が受け持った患者はよく、判定された寿命よりも明らかに短い年数で死んだそうじゃないか」

「未来は不確定なものさ。検査結果よりも短くなる可能性など十二分にある」

「目的を言え。お前が妹を殺した戯れのその意味を」

「警告さ」

 男は平手を天井へと向けた。

「寿命検査──社会に汎化しつつある常識。人口に膾炙しつつある幸福。ある日、一人の会社員がそれを受けた」

 男は徒然と語る。

「彼は知ってしまった。己の余命が幾ばくかであるということを。そして悟ってしまった、自らの人生がなんら変哲のない、どころか、ひどく不条理で救い難く、不幸ばかりのものであったことに」

 寿命を知らなければ。

 未来を信じられれば。

「彼は自身の未来を裏切ることを決意した。もう何も失うものはなかった。振りかざした牛刀は地下鉄の中で若い女性一人の首を掻いた」

「その女性の恋人がお前ってか?」

 問えば、男はアメリカ映画よろしく肩を竦めた。

「あんな検査、ないほうがいい。検査結果がまるで出鱈目と知れれば、いずれ普及もしなくなる」

「……死んだ妹は帰ってこねえ。俺はお前をサツに突き出すつもりはない。ただ」

 俺は腕を引いた。

「妹は自分の寿命を、絶対に知りたくなかったんだ」

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