3―僕は逸れ出す
「何しに来たんだよ。て言うか、霧の悪魔じゃなかったのか。何で湯気から出てくるんだ?」
「霧とか、そういう煙っぽいとこならどこでも現れることが出来るのよ」
「煙っぽいって、いやにザックリとしてるね」
「細かい男は絶対彼女出来ないわよ」
「決めつけんなよ! 細かい男に彼女が出来ないなんて決めつけんなよ! て言うか、悪魔か精霊かもはっきりしてない奴に言われたく」
「そういうところが細かいの! 貴方は一生彼女ができないタイプの人間ね!」
あれ、何でだろう。
僕を指差してるキリコさんの指が、僕の胸に刺さっているわけでもないのに、どうしてこんなにも胸が痛いんだろう。
「……言葉の銃刀法違反で捕まれ」
「何か言った?」
「別にな」
「何か言った?」
「別」
「何か言ったでしょ!?」
「言葉の銃刀法違反で捕まれって言ったんだよ!」
「やっぱり言ってたじゃない! しかも、よく分からない!」
「……すいません」
「いいわよ」
「で、結局君は何の用で来たの?」
「うん? 契約しに来たに決まってるじゃない」
「だから、僕は契約なんてするつも」
「あなたの妹、謎の病にかかってるらしいわね」
何で知ってるんだこいつ。
それは、僕には関係のある話だ。
僕に関係があるのなら全力で事に当たる。
もし、妹に何かする気なら。
「あら、そんな怖い目で見なくても何もしないわよ」
「……妹が病気なのを何で知ってるんだ」
「私は霧から生まれたキリコよ。タバコの煙や物を燃やした時に出る煙、私は煙があれば何処にでも現れるわ。だから、病院の喫煙所から情報を仕入れに行ったってわけ」
「おい! 誰かに見られてないのか!?」
「大丈夫よ。薄い煙の状態で動いたから。見えないわ」
「そうか、そりゃ良かった。病院が大騒ぎになるところだったよ」
美少女が宙に浮いていたらね。
「何で君は僕の妹のことを調べてたんだよ。メリットが無いじゃないか」
「あるわよ」
「妹で僕を脅すつもりか?」
「近いわね」
キリコさんが不敵に笑う。
「貴方の妹の病気、あれは人間の手じゃ治せないわよ」
「はあ!?」
「あれは私と同じような存在。異なる世界の住人の仕業よ」
「幽霊とかそういうの?」
「存在の格が幽霊とは比較にならないわ。幽霊は人から生まれたもの。貴女の妹に憑いてるものや私みたいな存在は、神や妖怪、悪魔って呼ばれる、世界から生まれた存在ね」
「お札とかで退治出来ないのか?」
「そこら辺の神社で売ってるやつはただの紙くず同然。特別な力を持っているか、存在の格が同じ者にしか消せないの。でね、契約をするとそういう存在に存在の格が上がるの」
「だから、妹を治したかったら、君と契約しろ、と」
「話が早くて良かったわ」
キリコさんは綺麗な微笑を顔に浮かべる。
「で、どうするの? 契約する、しない?」
答えなんか決まってる。
「するよ」
「あら、決断が早いわね」「それで、妹が治るなら」
それで、妹が治るなら、僕は何でもしてやる。
僕は何でも出来る。
「でも、もし治らなかったら、あろうことか悪化したりすれば、僕は君をどんな手を使っても消す」
「あら、怖いわね。安心して、貴方の妹を殺してもメリットがないから。それに治る保証もするわ」
「で、契約ってのはどうすればいいんだ?」
「接吻。今風で言えばキスよ」
「キキキキキッス!?」
言いなれない言葉で舌を噛みそうになる。
「そうよ」
そう言ってキリコさんは僕の頬に両手を添える。
「いや、その、心の準備が、ですね」
「黙りなさい」
ゆっくりとキリコさんの柔らかそうな唇が近づいてくる。
ああー、僕のファーストキッスはせめて人間としたかった。
覚悟を決め、固く目を瞑る。
唇にスウーとキリコさんの吐息がかかっているのが分かる。
「終わったわよ」
「……へ?」
「もう終わったわよ。キス」
いやいやいやいや、唇の感触ゼロでしたけど。
「マジですか?」
「マジよ」
「……触れてる感覚してませんけど」
「私は霧から生まれたキリコよ。私の実体は霧。貴方に触れられないわ。でも、契約したことで力が増したから、もう実体化出来るし触れられるけど」
ええーーー! あの、あれか、キリコさんの吐息だと思ってたのはもう唇が重なってたのか!?
嘘だろ? 初キスがサワーッてしたって悲しすぎるだろ。
いや、待てよ、これはキスなのか、違う! これは半キスだからファーストキッスは半分残ってるはずだ! 多分。
「取り敢えず、風呂から上がりたいから出てってくれない?」
リビングのテーブルを挟んで、キリコさんと向かい合って座る。
「で、妹に何が憑いてるんだ?」
「あれは、低級の神ね。貴方の妹、神社とかで何か悪さしなかった」
「いや、してないと思う」
僕の見る限りでは千鶴ちゃんはそんなことをしてないし、そんなことをするような娘じゃないはずだ。
「そう? まあ何かしらの理由があって、貴方の妹に憑いてるんだと思うんだけど、あれはタチの悪い存在ね」
「うん、あんないい娘にとり憑くなんて」
「貴方、結構なシスコンってやつじゃない?」
そんな自覚は無かったけど、若干そうかも。
「あれはゆっくりとゆっくりと衰弱させて、病気のように見せて最後は殺すつもりね」
「あのさー、今思ったんだけど、そこまでわかってるなら契約しなくても君一人で倒せるんじゃない?」
「無理ね。一応相手は神なのよ。実体化出来るほどの力を持ってるの。まあ、私は霧だからあの程度の力なら負けることはないと思うけど、勝つことも不可能よ。だって霧だもの相手も私もお互い触れられない」
「でも、もう君も実体化出来るぐらいの力がついたんだろ? 勝てるんじゃない?」
「貴方の努力次第ね」
「はぁ!?」
「何度も言うけど私の実体は霧よ、霧。実体化出来るほどの力を持とうが、できることは霧になることぐらいよ。後は、煙があればどこでも現れることができるぐらいね」
「契約破棄だ!」
「契約したらどちらかが死ぬまで契約は解かれないわ。じゃあ、私は消えるわね。呼びたかったら煙を出して名前を呼んでね」
手を振り、キリコさんは霧散し消えた。
「……詐欺じゃねえか」
◇◇◇◇◇◇◇◇
次の日。
柔らかな日差しに思わず目を細める。
今日は祝日、浮かれきったカッポー達が、野原でお弁当を食べて「あ、ご飯粒ついてる。取って上げる」「恥ずかしいわ。ウフフフフフフ」「アハハハハハハハハ」とイチャイチャする、非常に嫌気が差す日だ。
そんな祝日に僕は趣味の散歩を兼ね、妹の病院に向け歩いている。
「あのー、キリコさん。そこにいますか?」
――いるわよ
頭の中に声が響くが辺りを見渡しても姿は見えない。
が、特に慌てることもなく話し出す。
非日常的なことに簡単に馴れ始めている自分が若干怖い。
二週間ほど前ならビビって逃げてるだろうなぁ、妹のことが無かったら今でも逃げてるかも知れないけど。
「幾つか質問いいすか?」
――ご自由に
「今、何処に?」
――貴方の中
「僕の!?」
もしかして心とか読んじゃうのか? 僕のプライバシーが。
――何を考えてるか知らないけど安心して。貴方の中にいる限りは私は存在していて存在してない。そういう存在。思考を働かせることは出来ても見ることも聞くことも、話すことも出来ないわ。貴方が呼び出してくれたら自由に動けるようなるけれど
「僕の心の声は……」
――読めないに決まってるじゃない
「じゃあ、もう一つ質問」
と言いながら指を一本立てた時に、通りすがりのおじいさんがいぶかしげな目を僕に向けているのに気づいく。
客観的に見れば僕は、歩きながらぶつぶつ独り言を言っている青年。
……キモッ!
急いで近くのコンビニに入り、ライターと適当な雑誌を買うと、人気のない路地に行き雑誌のページを適当に破り燃やす。
黒い煙と焦げ臭い匂いが立ち上る。
「キリコさん」
黒い煙が宙に収束したかと思うとキリコさんがフワリと優雅に降り立った。
「呼ばれて飛び出て、はぁーい」
「それは問題無いの? 著作権的に」
「うーん、セーフじゃない。で、何の用かしら? もう一つ質問すると言った切り何も言わないから、ぬったり心配したわ」
「何か気持ち悪い心配の仕方だね。言い訳させてもらうと、客観的に見れば僕がたったらな状況になっていたからね」
「なにそれ、何だか楽しそうな状況ね」
「楽しくはないよ。高校生がぶつぶつ言いながら歩いているという、気持ち悪い状況だから」
「ふーん、それで私を呼んで普通に女の子と話をしている状況にしたいと言うことね」
「うん、僕の名誉のためにも」
「いいわよ、どうせ契約したら主の命令には逆らえないし、主に嘘もつけなくなるし」
「主?」
「ええ、契約ってのは主従関係を結ぶことよ、貴方が私の主になってるの」
「え、そうなの? てか、それでいいの? キリコさんは」
「いいわよ。私は契約することが目的だもの」
「ふーん」
何か腑に落ちないな。
何でこんなに契約に拘るんだ?
「そーいやーさ、町の中見ても何にも見えないな。幽霊とかそういうの見えるかと思ったんだけど」
「見えるわよ。貴方はもう私達と同じ存在になったんだから。ただ、私みたいな人外の存在は少ないし、人間程度が死んだところで強烈な憎悪や悪意を持っていない限りこの世に存在せずに消滅するわ」
「人間の存在の格が低いから?」
「そうよ、だんだん分かってきたわね」
「まあね、僕は順応性があるらしいから」
ここ一週間で僕はキリコさんと出会い、逃げて、契約したりして、これから妹にとり憑いているやからを倒しに行こうとしている。
どうやら、僕は『普通』ではなくなったみたいだ。