4-誰が救いを求めるか?
――これは、デートって言うのかしら?
――他に何て言うんだよ。男の子と女の子が絡まりながら歩いてるんだ。デートと呼ばずして何と呼ぶ? て言うか、頭の中で僕も会話できるんならさっきに言って欲しかったよ、何だったんだよ、あの、君が僕の頭の中で喋って、僕は声に出して会話してた時のことって
――まあまあそのことはいいじゃない、って言うか……絡まるって、私は霧の状態じゃない
――うん、そうだけど
――こんなのデートとは呼ばないわ!
少年とは会う可能性はかなり少ないけど、少しでも情報を集めるために、昨日襲撃された場所から少ししたところにある商店街を、僕は、いやいや、僕らは歩いていた。
人の視力じゃ見ることができない程、薄くなった霧の状態のキリコさんが、人の雑踏に少し嫌気が差している僕に対し、抗議の声を上げる。だが、僕は抗議を無視する。
だって、もし人間状態のキリコさんと歩いていて、犯人外に見つかったら大変だしね。相手はまたもや人外ですから。
――まっ、勘弁してよ。今度アイス買ってあげるから
――……約束よ
右を見ても左を見ても少年は見当たらないし、何の情報も入らない。入ったとしても、キリコさんは案外物につられやすいということぐらいだった。
「さすがに難しいな」
一応少年の顔だけは分かっているけど、それだけで住所とか割り出せる程の技術も人脈も持ってないしな〜。正に手詰まり。
大きなため息を吐いた僕の目の前に、立ち塞がるようにして一人の男が現れた。キャップを目深に被り、無精髭を生やした、青い光を纏った男が。
人外だ。
男はジーンズのポケットに手を突っ込んだまま、僕に言う。
「付いてこいよ。ここは人間が多い」
男は顎で行き先を示すと、僕の反応を待たずして歩き始めた。
こいつが少年に取り憑いている人外の存在なのか? そのわりには、簡単に人前に姿を現すじゃないか。どういうことだ? どういう意図だ? くそー、分からない。
…………例え罠であっても行くしかないだろ。数少ないチャンスなんだ。今を逃したら、いつチャンスは来るんだ。余計なことをごちゃごちゃ考えるのは、僕の悪い癖だ。今はとりあえず、この人外をどうやって殺すかを考えよう。
僕は人混みに消えかけた男の背中を追った。
◇◇◇◇◇◇◇◇
男は周りに雑木林が生えている人気のない公園の中に入っていった。
僕も男の後に付いて公園に入ると、男は開けた場所で僕を待っていた。
「おっ、来たか」
「まあ、あの〜、一つ質問いいですか?」
「いいぜ」
「あなたは人外の存在ですか?」
「お前なら、見たら分かるだろ?」
「そうですか、では、キリコさん!」
僕がキリコさんの名前を叫ぶと、キリコさんは霧の状態を濃くして、男の目隠しをした。打ち合わせ通り。
僕は戸惑う男に向かって駆け、速度、体重を乗せた拳を男の顔面に振るう。が、男はそれを軽くかわした。
僕は勢い余って、地面に転がる。何でかわされた?
すぐさま立ち上がり、何度も拳を振るうが、男は軽々と全ての拳を避ける。体力も限界なので、最後の一撃に、と放った拳も軽々と手のひらで受け止められた。
男は僕の拳を握り込んだまま、もう片方の手で目の前の霧を払った。風が吹いても全く動かない霧の状態のキリコさんが、一瞬にしてかき消された。
男の目と、僕の目が合う。
「こんな小細工じゃあ、俺には勝てないよ」
「何で……」
「見えてないのに避けれるかって? だって、俺は人間の心が読めるからな」
「「なっ、そんな……嘘……だろ?」」
男は一分の狂いもなく、僕とセリフをハモらせた。
本当に、心が読めるのか。勝ち目ないじゃん。
「……僕を殺すのか?」
「いやいやいやいや、殺しなんてしない。ただ、一つ、頼みがあるんだ」
「頼み?」
「ああ、あいつを助けて欲しいんだ」
「……あの子?」
「お前を襲った少年だよ」「はあ!?」
あの少年を操って、人を殺させてなのはこいつじゃないのか?
「俺が? まさか! 確かに俺はあいつに取り憑いているが、そんなことはしてない! 俺はあいつを助けたいんだ!」
「……じゃあ、何で取り憑いてるんだ?」
「俺は人間の心を読むことや、人間の心を操ることに長けている、サトリという妖怪だ。……あいつは自分の親から暴力を受けていた。仕事や近所付き合い、些細なストレスの捌け口としてあいつの両親は暴力を振るった。そして、振るわれたあいつの心は壊れかけていた、いや、俺があいつに取り憑いて、暴力の時間だけでも心を閉ざしてやらなかったら、あいつの心はもうすでに壊れているはずだ」
サトリさんはキャップを深く被り直し、唇を噛みしめる。
「で、何で僕なんですか? あなたが少年を止めてあげたらいいじゃないですか」
「俺があいつの体を操るのに力を入れたら、あいつの心はどうなる? 体を操つるのに力を入れたら、ギリギリ保っているあいつの心が崩れる、だから」
「だから、僕に止めろと?」
「……あいつの事情が分かるのはお前らだけなんだ。あいつは、俺に取り憑かれて人間の心の奥底の声が聞こえるようになってしまった……」
「……人の心の奥底?」
「ああ、どんなに表面上、いや、心から今を楽しんでいるようでも、ほとんどの人間が心の奥底で自分の置かれた状況について、不満や苦しみ、憤怒の叫びを上げているんだ。それが、聞こえるようになるんだ」
まあ、そうだろう。現状に不満を抱かない人間なんていないし、過去に後悔がない人間なんていないし、未来に不安がない人間なんていない。
「そんな人間の苦しみの声が聞こえるようになったあいつは、あいつは……」
「人を殺した」
「そうだ。頼む! あいつを助けてくれ」
サトリさんは僕の目の前で土下座した。額を頭に擦り付けて、他人から見たら必死な、僕から見たら無様な、懇願をした。
「そんなこと、僕には関係ないですよ」
「…………」
「何で僕がやらなきゃいけないんですか? あなたがあの少年を甘やかしたから、こんなことになったんじゃないですか?」
サトリさんは顔を上げた。キャップの下から鋭い眼光が覗く。
「……俺がやったことは無駄だって言うのか? 俺にあいつを助けなきゃ良かったって言うのか? 俺がいなかったら、あいつは死んでいた。あいつに……死ねって言うのか」
「人を殺す奴なんて死ねばいいさ」
「……ふざけるな」
サトリさんは地面を手で引っ掻き、肩を震わす。
「ふざけんじゃねえぞ!」
避ける間もなく僕は胸ぐらを掴まれ、近くの木に叩きつけられた。足が宙を掻き、酸素の供給が悪くなる。
「あいつは人間を助ける力もないし、方法もない、お前みたいに自分と他人を分けて考えられるような頭もない。ただ、あいつは、優しいだけなんだよ……」
「……僕が助けるのは自分の世界だけだよ」
そう、僕は僕の世界、日常だけを守る。
「あの少年を放っておけば、少年が妹の友達を殺して妹が悲しむかもしれない……少年が妹の知り合いを殺して妹が悲しむかもしれない……少年が近所の猫を殺して妹が悲しむかもしれない……少年が妹を殺すかもしれない。だから……僕は自分の世界を守るため、少年を止める」
「……なっ」
首の締まりが弱くなり、僕は地面に着地した。無理に喋ったから堪らずその場に座り込み、咳き込む。
「ゴホッ、ゴホッ」
そして、僕は深呼吸をする。枯渇していた肺に酸素が満ちていく。
顔を上げると、唖然とした顔でサトリさんは僕を見下ろしていた。
「……どういうことだ?」
「だから、僕は決して少年を助けない。僕は自分の日常を守るために少年を止めるだけ、ただそれだけの話です」
◇◇◇◇◇◇◇◇
街灯から伸びる放射状の光が突き刺さる公園。
「何が『だから、僕は決して少年を助けない。僕は自分の日常を守るために少年を止めるだけ、ただそれだけの話です』、よ。かっこつけてんじゃないわよ」
キリコさんが明らかに僕をバカにした顔で言う。
「別にかっこつけたつもりじゃないけど……」
「はいはい、分かった分かった。自分の世界を守りたいだけなのよね」
「そうだよ」
僕はただ、自分の世界を守りたいだけ。
「だから、少年を止める手段は選ばないよ」
「時には殺すってこと?」
「時と場合と気持ちによる」
「貴方、人殺しは死ねとか言っといて……」
「嘘も方便だよ」
「信頼できない主ほど頼りないものはないわ」
やれやれといった感じで、キリコさんは額に手を当て首を振る。
「でも、キリコさんも嬉しそうじゃん、人助けができて」
「……別にそんなことないわよ」
「いやいや、キリコさんは霧の悪魔だ何だと言っといて、人を助けるもんね?」
「そんなことないわよ。私はただの」
キリコさんが僕に何か言いかけた時、街灯の光がブツリと消えた。公園には夜が下りてきて、空に浮かぶ月が雲の間から顔を出す度に、夜のカーテンで覆われたものの輪郭が浮かび上がる。風に揺れるブランコ、砂山が築かれたままの砂場、滑り台、僕とキリコさん。そして、少年。
少年はゆったりと僕に近づいてくる。右手に鉈を左手は拳を握り、心に狂気を持って。
「やあ」
僕は右手を上げ、できるだけ陽気に言った。意外なことに、少年はピタリと足を止めた。
僕は何もせず、黙って僕を見つめてくる少年に問いかけた。
「なあ、君。君は何で人を殺すんだ?」
「苦しみから、解放するためだ」
「それは、もっと他の方法はないのかな?」
「ない」
即答だった。少年は続ける。
「この世に、苦しみから逃れる場所や苦しみから守ってくれるヒーローなんてない。だから、死ぬしかないんだ」
「じゃあ、何で君はまだ死んでないんだよ。聞いたところじゃ、君はかなり劣悪な環境で生きているらしいね。この世から一番逃げたしたいのは君じゃないのか?」
「そうさ、僕は早く死にたい。でも、助けてあげなきゃいけないんだ。僕のこの力はそのためにあるんだ。声が聞こえるようになってから、僕の体は生まれ変わったように強くなった。この力は、神様が僕に苦しんでいる人を救えっていう印だ。それに、僕は一応、最低の環境からは抜け出した。まだ、汚い世の中にいるけどね」
「……どういうことだ?」
「だから、劣悪な環境からは抜け出したってことだよ」
「……まさか」
「そうだよ。力を手に入れて一番最初に殺した人は僕の両親だ。彼らもまた、心の奥底では救いを求めるものだったんだ」
「可哀想だよ。君は」
「……僕の? 何処が?」
「いや、君に言っても無駄だ」
この世界が苦しみばかりなんて、それは違う。確かにこの世界は苦しみがある。けど、楽しいこともある。その二つが同じ比率とは、口が避けても言えないけど、楽しいことはある。ただ、彼がいた世界はそれを知るには狭すぎた。世界が狭いなんて僕には言われたくはないと思うけど、彼の世界は狭すぎた。
彼の世界にあったのはただ一つ、暴力。何をするにも、暴力、暴力、暴力。だから、人助けも暴力。どんなに優しかろうが、彼はそれしか知らないんだ。そして、彼は普通の人間を圧倒する力、暴力を手に入れ、それを善として力を行使していくだろう。
本当に可哀想な奴だ。
僕は少年を見た。
「お喋りはここまでだ。最後に、君に、良いことを教えて上げるよ」
「なんだい?」
「君の両親も、君が殺した人達も、僕も」
僕はできるだけ顔の表情を緩める準備をする。少年が不思議そうに僕を見ている。
「誰も君の助けも救いも求めてねーよ」
僕は自分にできる最高の笑顔と共に、そう言った。