1―情報屋と黒
季節は夏。
爽やかな風など微塵も感じられない。ただ、照りつける太陽が元気良く光り輝く季節。
八月の夏休み。僕は学校に出かけていた。何をしに? って、部活なんていう爽やか高校男子の理由じゃなく、補習。前の戦いの時に負った数多の傷、膝小僧のすり傷から右腕やあばら骨の骨折、僕の体を診察した医者から出された答えは全治、一ヶ月半。千鶴ちゃんと同じ病院だから、それもいいか、と思っていたのだが、何と千鶴ちゃんが晴れて退院し、一ヶ月半の間、お見舞いする側とされる側が変わった。
ベッドの上で聞く千鶴ちゃんの話では、どうやらすぐにクラスに馴染み、何と! 友達なるものがいるらしい、しかも、何人も! 全く、本当に僕と血が繋がってるのかを怪しく思い始めた。
閑話休題。
そして、病院編が終わって無事退院した後に待っていたのは、テスト。
もちろん分かる訳もなく、悲惨なテスト結果の中には大きな丸があるのもあった。正解の丸じゃない、ゼロの丸。
そんなこんなで、僕はみんながキャッキャッ言って楽しんでる夏休みに、僕は学校に行くことになった。
生徒と教師、そして教室。これだけ聞けば中々エロスな雰囲気を醸し出すのだが、実際は大根並の腕の太さと、Tシャツの上からでも分かる胸筋を持つ体育教師に見守られながら、延々とプリントをこなす地獄の時間だった。
それを無事終えて、少し涼むためそして、夏休みの暇を解消するための本を借りるために、学校の図書室に寄った。
夏休みということもあり、塾に行かない受験生が多く勉強しているかと思ったが、図書室はガランとしており、人の姿は見当たらない。
そんな図書室でのんびりしていると、
「だーれだ?」
いきなり目隠しされた。 目に当てられた手を外そうと僕は足掻くが、手は一向に緩む気配がない。
「だーれだ?」
「誰だよ!?」
「えー、私のこと分かんなかな?」
「分からないよ!」
「もー、しょうがないなー」
目隠しが外され、僕は勢いよく後ろを振り返って、謎の人物の姿を確認する。
記憶の中を泳いで、泳いで、泳いだ。窒息しそうなぐらい記憶の海の深くまで行ったのだが。
「誰だよ!」
全く素知らぬ女の子がノートパソコン片手に立っていた。僕が通う学校の夏服を着た黒髪ポニーテールの女子高生だった。顔も可愛いっちゃ、可愛いのだが……
「私は一年D組、仙里見 統朱だよ」
「ホント誰だよ!」
学年は一緒だったが、クラスは全く違う、無駄に元気な仙里見さん。
「あなたは一年A組、秋白くんだよね?」
「うん、まあ」
「身長、自称百七十センチ、実測値百六十六センチ、体重五十五キロ、座高八十二センチ、血液型A型、家族構成は父、母、妹の四人家族、誕生日は十月十日、五十メートル走七秒フラット、立ち幅跳び二メートル二十センチ、握力左右共に四十キロ、上体起こし二十九回、持久走五分三十四秒、ハンドボール投げ三十メートル、反復横跳び五十六回、五月のテスト二百六十人中百十番、七月のテストで二百六十人中二百三十二番」
つらつらと止まることなく仙里見さんは僕の情報をほとんど息継ぎなしで話していく。何なんだ、この子は?
最後に一息、大きく息を吸うと彼女はこう締めくくった。
「……の、秋白くんで合ってるよね?」
「まあ、合ってはいるけど、何で僕のことそんなに知ってるの? 軽く引いてんだけど……」
「そんなにって、こんなのただの予備知識だよ。これぐらいの情報、この学校の生徒一人一人、知ってるんだよ。まだまだ私はみんなのことを知りたいわ。もちろん、秋白くん、あなたのことも。好みの女性のタイプは? 好きなミュージシャンは? 好きな数字は? 好きな人は? 嫌いな人は? 好きな熟語は? 嫌いな英単語は? ああ、知りたいことが多すぎるんだよね」
目をキラキラ輝かせ、どこか遠い世界へ脳ミソが飛んでいってるような仙里見さん。普通の女の子じゃないと思ったが、ぶっ飛び過ぎだ。
突如、何かを思い出したように、仙里見さんは手のひらを叩く。
「あっ、でも、一番秋白くんには是非聞きたいことがあったんだよ! 聞いてくれるよね? よね?」
「……う〜、まあ、いい、けど」
正直この子、怖い。
「一ヶ月半ぐらい前に起きた事件、覚えてるよね? 毎夜、毎夜、起きていた殺人事件がパタリと終わったあの事件だよ。覚えてるよね? あれが終わった日と、秋白くんが大怪我をして入院した日が重なってるんだけど、関係ある、かな?」
仙里見さんは僕の目を見る。それはもう、仙里見さんの目に映る僕の、動揺している姿がはっきりと見えるぐらいに。
「……いや、たまたま同じだっただけじゃないのかな?」
「そうかもしれないけど、そうじゃないかもしれないんだよ。それがどちらであろうと、少しでも可能性があるなら、私は聞きたくなんだよ。それに、自転車でスピード出してて勢いよく転けたって、お医者さんに言ったらしいけど、あり得ないよね、そんなこと。それで全治一ヶ月半の重症だなんて」
「……でも、君の言葉を借りるなら、そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない、本当に僕は自転車から転けて一ヶ月半の重症を負ったかもしれないだろ?」
「そんな、たわ言聞きたくないんだよ。結局、あの事件に君は関係あるの? ないの? そこのところ、私は知りたいんだよ」
仙里見さんは一旦僕から離れ、手を広げる。
「だって私は、情報屋だから」
「情報屋?」
「そう、情報屋。あなたが事件の加害者だろうが、協力者だろうが、被害者だろうが、傍観者だろうが、どうでもいいんだよ。事件の情報が欲しいんだよ。奇人変人凡人天才老若男女、貴族王族奴隷千差万別、全ての物事に対して与えられる情報。それを手にするのが私の至福にして最高の喜びなんだよ。世界の全ての情報を得るなんて無理だけど、私の生活範囲内の情報は全て知っておきたいんだよ」
そして、また、僕を見つめる。
「で、どうなの?」
「……関係、ないよ……本当に、たまたまだったんだ。仙里見さんが期待してるようなものじゃないんだ」
「ふーん、それならまあいいんだけど、とりあえず、さんはやめるんだよ。友好関係ってのはこういう事から始まるからね、あまり他人行儀は駄目なんだよ。また、これからも仲良くして欲しいんだよ」
そう言って、仙里見さん、仙里見はその場を後にした。
最後に僕を見たあの目、確実に人を怪しむそれ、だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
図書室で本を借りた後、僕は家路に着いていた。
八月に、日常で変わったことと言えば、家に帰れば千鶴ちゃんがいることと、キリコさんが千鶴ちゃんに見られては困るため、僕の部屋以外でのを実体化が禁じられて拗ねていることぐらいだ。僕の部屋の隅で三角座りし、僕にギリギリ聞こえるぐらいの声量で嫌みを言ってくる。
伸ばしっぱなしの前髪が目にかかる。邪魔だし暑いなあ、髪の毛切ろっかな〜。前髪を弄りながら歩いていると、突然、横から声をかけられた。
「おい、そこのお前」
声のする方を向くと、黒い男が壁に寄りかかって腕組みをし、立っていた。
正に男は黒と表現するのが一番的確だと思う。真夏だというのに、真っ黒なスーツを着用した上、カッターシャツにはこれまた真っ黒なネクタイを締めている。髪もこれまた墨汁を塗りたくった色をしていて、腕と足がモデルのようにスラリと長く、その痩身長躯の体に似合ってる似合ってないで言えば、似合い過ぎなんだけど、男はどこか異質な雰囲気を醸し出している。
「お前だよ、お前」
男は僕を指差した。
一応辺りを見渡したが、僕以外誰もいない。
「……僕、ですか?」
「だから最初からそう言ってるだろう? お前だ、お前」
男は元々目深に被っている帽子を、完全に目が見えなくなるくらい深く被り直し、嬉しそうに口を歪める。
「今時の高校生ってのは金持ちらしいじゃねぇか」
「いえ、別にそんなことはないですけど……」
「腹減った何か奢れ」
人の話を聞かない人でした。
「……いや、でも」
「いいから奢れって、ほら、あそこにちょうど定食屋があるじゃねぇか、定食屋が」
男は僕の肩に腕を回し、僕を強引に引きずっていく。
その瞬間、僕は何かもう諦めた。ほら、言っても無駄な人っているじゃない? 今絶対、僕はそういう人種に絡まれている。
この人といい、仙里見さんといい、異常な人に遭遇する日だ。僕も異常な人間の側だから、類は友を呼ぶと言うけど、友達は普通の人間に限る。
……厄日だ。