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6―普通の日常


「あいつは俺に任せてくれよ、俺はあいつに殺されたんだ」


 加藤は逆さ神さんを指差し、見て分かるぐらい深く息を吸い込むと、駆けて行った。

 痛みが消えた。

 正確には痛みが僕の感じる痛覚の向こう側に行ってしまったような。体はボロボロだけど、精神はフワフワと高陽しているような感覚。


「キリコさん、加藤を手伝ってあげて。多分あいつは……」

「あの狛犬に殺された恨みで残ってるんでしょうね。任せて、やれるだけやってみるわ」


 キリコさんは空中をスライドするような動きで、逆さ神さんに飛びかかっていった。

 バットを杖にして立ち上がる。

 目の前には、僕と同様にボロボロな雅識くんがいる。真っ赤に充血した目で僕を見つめる。

 僕は雅識くんに近づきながら言った。


「これで、対等だね」

「ハッ! 人間と神だ。対等じゃない」

「いや、対等だよ。僕はもう、人間じゃないんだよ。片足はもうこっちに突っ込んでんだ」


 鼻と鼻とが触れあいそうなほど近くの距離に近づくと、僕はバットを捨てた。

 左の拳を握りしめる。


「あんまり、舐めるなよ」


 僕が拳を振るうのと同時に、雅識くんも拳を振るった。どちらも避ける分に割く体力はもう無いのに気づいてる。だから、後はもう、殴るだけだ。

 僕の拳が肉を打つ感覚を捉えると、僕の体は肉を打たれた感覚を捉える。

 打たれた痛みは一瞬だけど、じわりじわりと毒のように疲れた体を蝕む。

 足はその場に踏ん張るのがやっとで、頭は意識を繋ぎ止めるのに必死で、拳は雅識くんに振るうので手一杯。それは、雅識くんも同じはずなのに、雅識くんは笑っていた。何故だ?


「ハハハハハハ。貴方、バカですよね。勝てる訳でないでしょ! 貴方、右腕折れてますよね!?」


 ああ、だから、雅識くんは笑っていたのか。


「どちらも満身創痍と言っても、貴方は片腕一本、対する僕は両腕二本。この差はただ二倍と言うに」

「黙れ」


 僕の右腕が雅識くんの顔面を殴りつけた。

 右腕が激しく痛んだが、雅識くんは僕が右腕を使わないと思っていたのか、思い切りいいパンチが入り、雅識くんは倒れた。


「……何で?」

「雅識くん、君は間違いを二つしているよ」


 立ち上がる力ももうないのか、雅識くんは僕が近づく度、座ったまま後ずさる。

 僕は雅識くんの胸を足で踏みつけた。


「一つ、右腕を使ってたのは、これ以上使ったら治るのが遅くなるのが嫌だからだよ」


 雅識くんが僕の足首を掴むが、僕の足を退かすことはできない。


「そして、もう一つは」


 雅識くんの手を払いのけ、僕はできるだけ、高く、高く、足を上げた。せめて、雅識くんに殺された人々が見えるよう旗印にするため。


「ごめん……一つだった」「助けてくれ!」


 僕はその足を振り下ろした。足は雅識くんの鳩尾に入った。

 ここで限界が来たようで、僕は倒れ込むようにしてその場に座る。

 雅識くんは血を吐き出し、僕を睨むつける。


「何でだ……何で……僕が」


 その目からは涙が流れていた。


「僕だって……最初は頑張ったんだよ? ……皆知らないかもしれないけど……必死に頑張って……必死に努力したんだ……願いを……叶えようとしたんだ……なのに……僕の努力は……人間には見えない……でも、人間は願いが叶わなかったら……僕を恨んだ。人間は……我が儘だよ」

「全く持ってその通りだよ。でも、だから人間を殺すってのは違うよ」


 僕がそう言うと、雅識くんは僕から目を逸らし、空を見上げた。


「……僕は間違っていたんですかね?」

「それは僕には答えられないよ。間違っているか、間違ってないか、それは君の価値観で判断してくれ」

「……なら、一応間違ってないことにします。自分を一番信じないといけないのは……自分なんで。……一つ話を聞いてくれま……せんか?」

「ご自由に」

「……僕は神や人間や植物や動物じゃなく、空になりたかった……です」

「……空?」

「はい……空は存在することが……忘れられがちです。……でも……記憶の片隅には……誰もが空のことを覚えてます。……ある人は突き抜ける青さに……心地よさを覚え……ある人は……雨の冷たい水気に……潤い覚え……ある神は……空の広さに高さに……優しさを覚え……その記憶は一生消えません」


 雅識くんの体が青白い光の粒に包まれ、粒はだんだんと空に飛んで消えていく。


「今だって……空が僕を見てくれてます。……空は、優しいなぁ」

「……」

「……すいません……さっきの言葉……訂正していいですか?」


 雅識くんは僕の顔を見た。何も言えずにいる僕の姿を了承を捉えたのか、雅識くんは光の粒の中で言った。


「やっぱり、僕は間違っていたかもしれません」


 雅識くんは消えた。

 最後、消える一瞬、雅識くんは安らかな笑顔だった。本当に幸福そうで、同時に、本当に不幸そうな、そんな笑顔だった。

 ふと、空を見上げると、雅識くんとは別の、黒い光の粒が空を舞っていた。


「倒したのか、お前も」

「君も倒せたんだね」

「ああ、あの女の子の手助けもあってな」


 気づくと、加藤が横に座っていた。


「何で僕がここにいるって分かったんだよ」

「お前、俺の遺影の前でくっちゃべってただろ? そこから後ろからついて行ってた」

「……そうか」


 何を話せばいいか分からず僕が黙っていると、加藤の体が光の粒に覆われ始めた。


「俺はあの狛犬を倒したから、目標達成。成仏って感じかな」


 さして慌てる訳でもなく、まるでこんなこと生きていた時から知っていたように、加藤は軽い口調で続ける。


「で、お前はどうなんだよ。目標達成できたのか?」

 頭の中に広がる。

 雅識くんの無邪気な顔、楽しそうな顔、泣きそうな顔、怒り狂った顔、獣のような顔、安らかな顔。


「分からないんだ。僕は彼らを倒したら、いつもの普通が返ってくると思ってたんだ。でも、今、何も変わらない。本当に何も変わらない」


 むしろ、変な虚無感が心に染み渡っただけだ。


「僕は、異常なんだな」

「んー、別にいいんじゃね」


 加藤は頬を書きながら、僕に言う。


「異常でも、普通でも、天才でも、何でも。誰だって自分の日常があって、昨日と同じように今日は過ごさないし、そもそも過ごせない。そして、今日と同じように明日を過ごすことも不可能だ。一日が一日が変化して、日常は作られるんだ。日常に普通なんてものはない。まあ、俺の考えだよ」

「でも」


 僕が言葉を発そうと口を開くと、加藤は僕の唇の前に人差し指を立て、僕を黙らすように大きな声で言った。


「でももし!」


 加藤は人差し指を立てていた手で僕の頭を掴む。


「でも、もし、お前が普通の日常はあるって言うなら、俺はこう答えよう。一般人だろうが、天才だろうが、王様だろうが、奴隷だろうが、貴族だろうが、娼婦だろうが、兵隊だろうが、総理大臣だろうが、大人だろうが、子供だろうが、男だろうが、女だろうが……異常だろうが……そんなもんが何で普通の日常を過ごしてはいけない理由になるんだよ。誰が罰するんだよ。今、お前を罰してるのはお前だろ。異常だとかなんとか、くだらない理由で自分で自分の首を絞めてるんだ。少し、自分に優しくなれ」


 加藤は僕の髪をかきむしる。

 もう加藤の体は全て光の粒に覆われ、後は顔だけだった。


「じゃな、俺の友達」

「バイバイ、僕の友達」


 加藤は笑った。

 僕も笑った。

 そして、加藤は消えた。


「ありがとう、僕の親友」


  ◇◇◇◇◇◇◇◇


 しばらく横になった後、僕は立ち上がった。まだ身体中の色んなところが痛い。でも、前みたいにキリコさんを呼び出して肩を借りることはしなかった。男のプライドとか、そんなんじゃなくて、ただ単純に僕の日常を一人で感じていたかった。

 朝日が顔を出し始めた、まだ薄暗い帰り道を僕は歩いている。

 雅識くんはどこからどこまでが嘘だったのだろう。本当のことしか話せないっていうのも嘘なのか、あの涙も嘘なのか、最後の言葉も嘘なのか。

 でも結局、一番の嘘つきは僕だったのか知れない。だって、あれだけ雅識くんに好き勝手言っていて、僕は彼らを倒すと日常が戻ると勝手に願って、期待して、絶望していたんだ。加藤がいなかったらどうなっていたんだろ。気が狂ったりしたかな? 結構、洒落にならないから考えるのは止めとこう。

 腕、痛いなぁ〜。歩く度振動が腕に伝わり、骨の中まで痛い気分。家に帰って仮眠とったら、病院に行こうかな。

 こういうのもなんのことなしに思ってしまってるのも、僕が異常たる由縁だろうか? まあ、いいか。

 足取りは軽い、心も軽い、頭も軽い。……頭はダメだよ。

 取り敢えず、今はもう、昨日から続く今日と言う日常を、明日へと繋がる今日と言う日常を噛みしめて、楽しもうか。異常な僕の普通の日常を。


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