3―容疑者
翌日、僕は加藤の葬式には向かわず、その公欠を利用して、キリコさんと殺害現場を点々としていた。殺害現場にはまだ赤黒い染みが付着している場所もあり、事件の凄惨さを物語っている。
陽射しが強い。額に流れる汗を手の甲で拭い、地図の殺害現場の場所に赤ペンで丸をつける。
「全部回ったけど、手がかりは……落ちてないわね」
辺りを見渡しながらキリコさんは言った。
「まあそんな上手くいかないよ。こうやって地図に丸を付けただけでもかなり絞れる。犯行現場を全部繋げていくと、少しいびつだけど円ができる。この円の中心か、中心近くの神社か寺に犯人外はいるはず……あれ?」
「どうしたの? もしかして、なかった?」
円の中心には神社も寺もない。だけど、そのすぐ近くに神社があった。あったにはあったんだけど……
「中心からほぼ等距離に二つ、東と西に一つずつあったよ」
「うーん、難しいわね。それ。一つしかなかったら問答無用で消しに行ったらいいんだけど……」
「問答無用で二つとも消すって言うのは?」
「駄目よ。悪行を行っている土地神を消しても特に影響はないけど、善行を行ってている土地神を消したら土地に影響が出るわ」
「そうか。うーん、じゃあ事情聴取しますか」
◇◇◇◇◇◇◇◇
キリコさんが居ると怪しまれるかもしれないから、キリコさんを僕の中に戻し、僕は階段を上っていた。なっ、長いな。
ようやく上り終えると、善島神社がその姿を表した。善島神社は山の中に佇む小さな神社だった。
鳥居をくぐり中に入ると、一人の背の低い少年が空を見上げ立っていた。腰まで伸ばした白い髪の先をくくり、美少年と言っても差し支えない顔立ちの白い着物を着た少年。だが、少年の体は淡く光っている。
あれが、容疑者だな。
僕の視線に気づいたのか、少年は空を見上げるのを止め、僕を見る。数秒の間、少年と見つめあっていると、少年は目を見開き僕に近寄って来た。
「あの、失礼ですが、僕が見えますか?」
「うん」
「あっ、え、そうなんですか!? いやー、僕が見える人と会うのは久しぶりなんでどうしたらいいか……」
少年は頭を掻いて照れ笑いをする。
「まあ、とりあえず、名前を教えてくれない?」
「あっ、そうですね、では」
少年は一歩下がり、軽く咳払いをする。
「はじめまして。僕はこの善島神社の神、雅織です」
ペコリと、ちょうど九十度くらいまで雅織くんは頭を下げた。
こんなに頭を下げられる経験は初めてだ。偉い人になった気分だ。それじゃ、事情聴取、開始しますか。
上体を起こした雅織くんに僕は声をかける。
「ときに雅織くん」
「はい、なんでしょう」
「今、この町で起こってる事件について知ってるかな?」
「ええ、もうすでに六人の人が亡くなっているんですよね。しかも、皆僕の神社に来た人だ」
「そうか、知っているか、それでね……って、え!? 今なんて!?」
いきなり大声を出したからか、ビクリと雅織くんは体を震わす。
「いや、あの、僕の神社に来た人が皆亡くなっているんですよ」
……どういう意図だ? なぜわざわざ自分から言った? 自分を容疑者として外すためか? いや、僕はまだ犯人外を探してるなんて言ってない。それじゃあリスクが高過ぎやしないか、何も知らない人から見たら犯人外としか思えない言動をなぜ、今したんだ?
「雅織くん。その言葉は殺したのが雅織くんのように思えるから、止めといた方がいいよ」
「え? そうなんですか? 忠告ありがとうございます。でも、僕は嘘をつけない神なので、聞かれたら言ってしまいます」
「嘘をつけない神?」
「はい。僕は嘘をつこうとしても言葉が出ないんですよ」
「へー、そんな神がいるんだ」
「不便ですけどね」
「嘘をつかないことは良い人、良い神の証拠じゃないか」
「そうかもしれないですけど、時には嘘をついて隠したい本心が有りますよ」
「……ねえ、雅織くん」
「はい」
「もしかして、六人の人を殺したやつを見たことない?」
「はっきりとは見てないんですけど、大きな獣の姿をしたものが、この神社の前を通りすがったのを見たことが一度だけあります」
大きな獣の姿をしたもの、ね。
「よし、ありがとう。じゃあ、僕は行くね」
「どこにですか?」
「芯隠神社に」
「あそこの神に聞いても無駄ですよ」
「なんで?」
「彼は天の邪鬼だから、僕と違って嘘しかつけない」
「それでも、まぁ、行ってみるだけ行ってみるよ」
雅織くんに背を向け、階段に向かおうと数歩進んだ時、
「あの!」
雅織くんが僕を呼び止めた。
「うん?」
僕は振り返り雅織くんと向かい合う。
「あの、あなたが六人の人を殺した犯人を探しているとしたら、絶対捕まえて下さい! 僕は、僕は許せないんです。願いを叶えるため、こんな小さな神社に足を運んでくれた方々を殺したやつが、心の底から願っていたあの人たちを守ることも、願いを叶えることもできない自分に」
雅織くんは流れ出る涙を袖で拭いながら、なおも続ける。
「お願いです。犯人を捕まえて下さい!」
「全力は尽くすよ」
長い階段を下り、次の目的地を地図で調べながら向かっていた途中、どこからか来た線香の香りが僕の鼻腔をくすぐった。一週間の内に死で溢れた町、町のどこかでいつも葬式をやっていた。でも、なんとも思わなかった。葬式の時に掲げられた看板を見ても、どうにも思わなかった。どうにも思わなかったはずなのに。
今、目の前にある看板を見た瞬間、体が揺らぐ、心がざわめく。ただ、『加藤』という文字が書かれているだけの板に対して恐怖を抱き、僕は早くその場所を立ち去りたくて駆け出した。
まだ、現実を受け入れるのには時間がかかるのか。
ある程度走ったところで走るのを止めた。
さっきの雅織くんの顔が思い出される。涙をボロボロと流し、僕に懇願した神の姿。
◇◇◇◇◇◇◇◇
芯隠神社はビルとビルの間の路地奥のひらけた場所にあった。僕の胸ぐらいの高さの大きさで、その両脇に誰が入れたかは分からないけど、花瓶に花が供えてられていた。第一印象は不気味、だった。場所自体も湿気が多くじめじめとしているのもあると思うけど、それ以上にその小さな神社自体から何か禍々しい力が漏れ出しているような気がする。
「何しに来たんだ、お前」
何処からか一匹の黒い狛犬が現れた。いや、こいつは神か。
「いや、少し事情聴取に。あなたはここの神ですか?」
「ちげえよ」
ここの神じゃないのか? いやいや、確か雅織くんがここの神は天の邪鬼なんだから、言ってることは嘘なんだから、こいつは神か。てか、こいつが犯人外じゃない? でっかい狛犬だし、人なんてカプリッでしょ。
「名前を教えてくれませんか?」
「逆さ神」
「じゃあ、逆さ神さん、一週間ぐらい前からこの町で人が死んでいることを知っていますか?」
「知らん」
「殺したやつを知ってますか?」
「一週間ぐらい後に、人の姿をしていない奴が通りすぎるのを見てない」
……一週間ぐらい前に人の姿をした奴が通りすぎるのを見た。でいいのかな? ああー、めんどくさい。
「人の姿をしてたんですか?」
「いや、してなかった」
雅織くんと言っていることが違うというか、雅織くんは犯人外が大きな獣の姿をしていたと言い、この神は人の姿していたと言い、まるで互いが互いを犯人外にしようとしてるみたいだ。
「君が殺したんではないんですね?」
「いや、俺が殺した」
殺してないっと。
まあ犯人外だったら自分からは名乗り出ないよね。
「殺した奴に心当たりはありますか?」
「ない」
あるのか。
「誰ですか?」
「善島神社の雅織って野郎ではない」
◇◇◇◇◇◇◇◇
「と言うわけなんだけど」
「ふーん」
今日の出来事をキリコさんに話したが、キリコさんはせんべいをかじりながら僕の話を流し聞き。
しっかし、どうなんだろうな、嘘をつけない雅織くんと嘘しかつけない逆さ神。
「まるで正直村の話みたいだ」
「何よそれ?」
「あれ、知らない?」
「知らないわよ」
「キリコさん知らないんだ〜」
有名なのにな〜。
少しバカにして言ったら随分と不満そうな顔をして、せんべいをフリスビー代わりに投げつけてきた。
「いいから教えなさいよ!」
「おっと」
せんべいを避け、キリコさんに向き直る。これ以上バカにすると本気で切れそうなので教えることにしよう。確かねー
「ある旅人がいました。旅人は正直村に行きたかったのですが、その道中に別れ道がありました。旅人はどちらが正直村への道か分からず、近くにいた一人の村人に質問をすることにしました。ただ、その人は正直村の村人か、嘘つき村の村人かは分かりません。正直村の村人は正しいことしか口にせず、嘘つき村の村人は嘘しかつきません。旅人は村人にどんな質問をすれば正直村に行けるでしょうか? って話だったよ」
「地図を見ればいいじゃない」
「それを言ったら終わりだよ。じゃあ、あれだ。道具使うの禁止」
「じゃあ、お手上げ」
「早いよ! もうちょっとマジで考えなよ! 案外簡単だから」
「もういいじゃない、答え」
キリコさんは答えを寄越せと人差し指をチョイチョイ動かす。
ため息しか出ない、この横暴魔神が! 僕の気が短かったらもう殴ってるぞ。
「……あなたの村に連れてって言えばいいんだよ。正直村の村人なら正直村に連れていくし、嘘つき村の村人なら自分の村とは違う村、つまり正直村に連れて行ってくれるんだよ」
「ふーん、でもそれおかしくない?」
「何が?」
「嘘つき村の村人だとしたら、自分の村と違う村ならどこでもいいんでしょ? なら、正直村じゃなくて撲殺村や首絞め村に連れて行くかも知れないじゃない」
「ぐっ」
確かにそうだけど、他の村の名前、不吉過ぎない? A村、B村でもいいだろ。
「まあでも、確かに似てるわね。嘘つきと正直者」
「だろ?」
「互いが互いを犯人外と言ってるのね。まっ、明日も事情聴取、頑張って」
「……」
楽しやがって。
◇◇◇◇◇◇◇◇
キリコさんとの会話を終え、ベッドに潜る。
今日は疲れたな。色々歩き回って、話まくって、骨を粉にして働いた。
さあ、明日は学校か。
もう、あの空席を見ても体調は崩さないと思うけど、僕は普通を取り返せるのか? このごろ僕が考えてるのはこんな事ばかりだ。
普通の日常、普通の生活、普通の学校、普通の友達、普通の家族、普通普通普通普通普通、普通、普通、普通、普通? 普通って何だ? 僕は自分を見失う。自分が僕から抜けていく。空っぽの僕、中身のない僕、早く僕の中身を埋めないと、僕は僕が分からなくなる。
分からなくなる前に、僕は暗闇に落ちていった。