咳の花
こん、と咳が出る。
そのたびに花瓶の花がパッと開いた。
「わあ、本当に咲くんだね」
少年が嬉しそうに細いガラス壺に入った黄色いフリージアに目を細めた。
「じいじの言ったとおりだ」
じいじにどう言われているのか知らないが、風邪引きの私を気遣うこともまだできない幼さだ。ズケズケと寝所に入ってきて、さらにズケズケと要求は続いた。
「こっちのも咲かせてくれる? 庭で取ってきたんだ」
無邪気に、カーネーションのつぼみが束になったものを私の目の前に差し出す。
言いなりになんかなるものかと顔を背けた途端に、やっぱり我慢できなくてコンコンッと咳が立て続けに出てしまう。抗いようもなく、カーネーションたちはポンポンッと音を立てそうな勢いで一斉に満開になった。
「助かったよ! 今日は母の日だから、絶対に必要だったんだ」
母の日・・・・・・もう5月なんだ。
自分の不甲斐なさに私は泣きたくて布団の中にもぐりこんだ。
旅の途中で体調不良になっていたところ、この少年のじいじに助けられてはや2ヶ月。私はまだ床上げできずにこの家にご厄介になっている。
「もう行かなきゃいけないのに」
「僕はずっといてくれてもいいんだけどな」
少年はニコニコとカーネーションの束と私を見比べる。
そんなわけにいかないじゃない。窓から見える雪景色を見て、私は布団を頭まで被った。
部屋に備え付けの小さなテレビはそんな私をさいなむようにずっと異常気象のニュースを流している。
「おやすみ、春ちゃん」
用が済んで、少年はすんなりと部屋を出て行った。
布団の隙間から見る美しい後ろ姿は、世界で自分だけが手に入れた春に高揚している。
私、なんでこの子を好きになっちゃったんだろう。
治らない風邪がいわゆる恋の病だと気づきかけて、私はもう一度自分の気持ちに蓋をする。
そんなことをすればまた旅立ちが遅れて、世界は混乱するだけだとわかっているのに。
春は来ない。