26 ゾロ目と天狗と女郎蜘蛛
きっかい村に夏が訪れた。
通販会社の開業を10月に控え、屋号も『ファンタジー暮らし』に決定。
古民家の玄関先で育てている朝顔に水をやりながら、日々伸びている蔓を観察していたときだった。ハルカのファンタジーフォンが鳴る。
「もしもし、青山です」
『あっ――おはようございます。わたくし、きっかい村役場観光課のデーモン・ジュニアです。その節はどうも』
着信相手は、古民家への引っ越しの際に、お手伝いしてくれた若手の悪魔職員だった。
「おはようございます。こちらこそ、お世話になりました。どうしましたか?」
『あのー、青山さん、突然なんですが――』
電話から1時間後、ハルカは村役場を訪れていた。
1階のフロアで出迎えてくれたデーモン・ジュニアは、ハルカに付いてきた金の魔性を目にするなり「ウヒィッ!」と変な声を上げ、怯えと興奮が入り混じった妙なテンションになった。
「貴殿は……極悪非道、唯我独尊、冷酷無情の吸血鬼の王にして、アンデット界の頂点に君臨する金のぉぉぉぉぉ!」
半分怯えている割にはテンションが高いせいか、けっこう云いたい放題云ってから、ザザッァ――ッ!
勢いよく壁際まで後退した悪魔は、極悪非道な金の魔性としっかり距離をとってから、「は~じ~め~ま~し~て~」と遠巻きに挨拶した。
月曜日の午前中とあって、村役場の1階には多くの村民が来庁していた。
デーモン・ジュニアがいいたい放題いうまえから、シルヴィーの登場によって一瞬にしてフロアの空気が凍りついたのは、ハルカも肌で感じた。
魔族の強さが、容姿の美しさに比例するのは周知の事実であるからして、きっかい村の村民たちも、シルヴィーの比類なき美しさを目にして、本能的に恐れをなしたのだろう。とくに魔界出身の職員たちは、金の魔性を前にひれ伏す勢いだ。
チラリとシルヴィーの表情をのぞき見ると、そんなことには慣れっこなのか。遠く離れた場所にいるデーモン・ジュニアに、作りものめいた笑みを送っているところだった。
「キミはたしか、クソ魔王の111番目の妃の息子で、王位継承順位666番のゾロ目殿下じゃないか。あれ、どうしたんだい? そんなに遠く離れて……まさか、この僕が理由もなく殿下を傷つけるとでも?」
期待を裏切らない吸血鬼の王は、悪役ぶりを遺憾なく発揮。一瞬にして壁際に移動すると、絶対零度の眼差しで、ゾロ目殿下を見下ろした。
「そう……ここは魔界ではないからね。だから僕のことも、移住してきたばかりの村民として扱って欲しい。いいよね、デーモン・ジュニア君。そうでなければ僕は、ここが魔界なのかと錯覚するかもしれないよ。それは困るよね、デーモン・小僧君」
「ハイ………騒ぎ立ててしまい、タ、タ、大変申し訳ございません」
「気にしないで。ところで、ハルカさんと僕はどこに行けばいいのかな?」
黒髪赤目のデーモン・ジュニアは、ブルブル震えながら、「コ、コ、コチラデスゥ……」と2階にある村長室に、ハルカとシルヴィーを案内する。
村長室に向かう途中、ハルカはシルヴィーに小声で訊ねた。
「とっても怖がられているけど、シルヴィーって魔界じゃ、極悪非道、唯我独尊、冷酷無情なの?」
「あれは、デーモン・ジュニア君のちょっとした冗談ですよ。クソ魔王の息子らしく、笑えない冗談が大好きなんですよ」
「そうなんだ、安心したよ」
「そうは云っても、悪目立ちするこの容姿のせいで、魔界では誤解を受けやすかったのです。きっかい村ではみなさんと仲良くできるように、積極的にコミュニケーションをとっていこうと思います」
「うんうん、自分から歩み寄っていくシルヴィーって、偉いねえ」
ハルカに褒められて上機嫌の吸血鬼は、村長室で天狗村長の手をガッチリと握りしめた。
「シルヴァン・ハインリッヒ・ドラクルです。この春、あやし区に引っ越してきました。どうぞ、よろしくお願いします」
呼んでもいない吸血鬼の突然の訪問を受けた烏天狗は、
「やあ、これはご丁寧に」
笑顔を浮かべつつ、握手がてらの力比べを挑んでいた。
「お噂は兼ねがね。耳にしていますよぉぉぉぉぉぉ!」
「いやいや、お恥ずかしい限りですうううううっ!」
妖力と魔力が互いの腕で、押し合いへし合いする。
「ところで、タツ子婆の孫とは、どういったご関係でええええぇぇぇ!」
「僕とハルカさんは、大変仲の良い、お隣さんですうううううううっ!」
天狗と吸血鬼がやり合っている間。
「ほら、こっちでお茶でも飲もうじゃないか」
「あっ、糸ゑバァ!」
和風インテリアな村長室に茶菓子を持ってやってきたのは、女郎蜘蛛の糸ゑバァ。
役場の総合案内所で来庁者をさばく糸ゑバァは、勤続800百年の大ベテランだ。村長に何かあったときは、村長代理として村役場を仕切る立場にある。
エルフ族のマーサおばさんと同じく、タツ子の大親友だった女郎蜘蛛は、長々と握手する村長と吸血鬼に呆れ顔を向けた。
「本当に男ってのは馬鹿だよ。いくつになっても、どっちが強いか決めたがるんだから。困ったもんさ」
「糸ゑバァはどっちが勝つと思う?」
「そうさねえ、付き合いも長いから村長って云ってやりたいところだけど、今回ばかりは相手が悪い。だって、あの爺の孫なんだろ? 大方、ハルカに目をつけたんだろうけど」
「そうそう。わたしのことが好きで魔界から追いかけてきたんだって」
「やっぱり、そうかい」
小上がりで茶をすすりながら、はああぁぁ、と深い溜息をついた糸ゑバァは、ハルカの髪を長い脚で優しく撫でながら、青空市でのマーサおばさんように憐れんだ。
「やれやれ、タツ子の孫も苦労しそうだねえ。なんか嫌なことがあったら、アタシかマーサに必ず云うだよ。いいね」
「うん。ありがとう、糸ゑバァ」