1 イミテリアル構想
日の出国生まれの、日の出国育ち。
外資系企業のキャリアウーマンとしてバリバリ働いていた青山ハルカは、昨年の冬、都会での会社勤めに別れを告げ、かねてより憧れていた山奥でのスローライフを決意した。
移住先は、都心から数百キロ離れた中核都市・異界県空想市の奥地に開拓されたとあるモデル地区。
ハルカが、この地区を選んだ理由はいくつかある。
昨年、母方の祖母・大江タツ子が天寿をまっとうし、享年99歳でこの世を去った。命の火が消えるその日。枕元でタツ子と交わした言葉がある。
「わたしが死んだら……この家は、ハルカにあげるよ。気に入ったら……もらっておくれ。ここは、いいところさ。お試しでいいから住んでみたらいいさ……きっと気に入るさねえ」
「もうとっくに気に入っているよ。嬉しいな。こんな素敵な村で暮らせたら最高だよ。明日からでも引っ越してこようかな。だから、婆ちゃんも……もうちょっと、がんばりなって……また、桜をみようよ。ねえ、婆ちゃん」
遺言どおり、ド田舎村にある古民家はハルカが相続することになり、まずはスローライフにぴったりな環境と住居を手にいれたわけだが、この地を移住先に選んだ最大の理由は、また別にある。
この地区が、国策である【異種族との楽しい共存・イミテリアル構想】における特定異種族・共存モデル地区のひとつであったこと。移住者には特典として『オール税金免除』が付与されることが、何よりも決め手だった。
イミテリアル構想とは何か。
青山ハルカが誕生する400年ほど前。大陸では先進国を中心に、異世界に暮らす異種族との交流が徐々にはじまっていた。
この当時、日の出国は、ギリギリ先進国の仲間入りをしたか、いやもう少しか。という位置づけにあり、目立ちたがり屋の政治家たちを中心に、声高らかにあがったのが、総じて異世界交流だった。
「他国に遅れをとるなかれ! いまこそ開国すべきときです!」
「異種族との国交は、我が国に高度経済成長期をもたらすでしょう!」
「ボーダレスな異世界感覚を養うことで、我々は胸を張って、先進国ですっ、と名乗れるのです!」
これといった根拠はなかったが、世論もよくわからないまま、それを後押しする形となった結果。
「とりあえずやってみよう」
異世界のことも異種族たちのことも、ほぼ調査することなく、その年の国会で国策として『異世界への開国』が決定、宣言され、『異種族との楽しい共存』を目的とした異世界交流がスタートした。
そして案の定、見切り発車からまもなく、政府は「こんなはずじゃなかった」と頭を抱えることになる。
日の出国の開国宣言を受け、観光気分でやってきた多種多様な異種族たちが、各地で暮らしはじめたが、これまで異種族とは幻想的で霊的な存在としか認識していなかった人々。
規格外のパワーやスピードに度肝を抜かれ、魔法やら霊力やら妖力やら、異能の力を目の当たりにして、すっかり恐れ慄いてしまった。
何の対策もないままに異種族を受け入れた政府に対し、各地で責任を追及するデモが起きる。連日、電話回線がパンクするほどの苦情が関係各所に殺到し、開国推進派だった議員は雲隠れした。
責任追及を逃れたい政府は、「特定異種族・共存モデル地区」を制定して、人里離れた辺境の各地に住居を整備、『オール税金免除』の特典をつけて異種族たちを勧誘したのだった。
やっつけ感が満載の政策だったが、これが意外にも異種族たちからも、日の出国民からも受けが良かった。
異種族としては、人間たちに気を遣うことなく、のびのびと暮らせるうえに免税という好条件。
日の出国民としても、遠くから異種族たちを見る分には好奇心が勝り、怖いモノ見たさ半分、度胸試し半分という、アミューズメント感覚でモデル地区を訪れることもしばしばあった。
もちろん人間も移住すれば、免税特典を受けられるのだが、さすがに人族の移住希望者は数えるばかりだった。
そうして、イミテリアル構想にすっかり及び腰になった政府は、「日の出国全域において、異種族たちとの共存は可能か、否か」この決定がくだせないままに、アマテラス暦410年以降、およそ200年にわたり『オール税金免除』の特例自治区が継続中なのである。
ちなみに人族の移住希望者には、政府より直々に説明がなされ、国の免責同意書に署名が求められる。
「いかんせん、異能の住民たちが住む集落ですので、火を噴く者や、なんでも凍らせてしまう者がウヨウヨしています。ちょっと危険かもしれませんが、特例自治区での存命中は、年1回の生存報告と3年に1度の継続居住申請をしていただければ、税金を全額免除します」
なかなかどうして署名に勇気が求められるが、同様の説明を受けた祖母のタツ子は、夫に先立たれた35年前、迷いなく署名をした。
「老い先短い人生だろうし、なにせタックスヘイブンだからね」
住民税、固定資産税、所得税、事業税、消費税……ありとあらゆる免税の魅力が、命のリスクを上回ったのだ。それから30年以上、その地での暮らしを楽しんでいたタツ子。
祖母の晩年をみてきた孫のハルカは、
「わたしもいつか、婆ちゃんみたな暮らしがしてみたい。だって、タックスヘイブンなんて最高じゃない」
祖母の死をきっかけに、同じ理由から移住を決意したのだった。
今春、退職金で購入した小型EVワゴンに荷物を詰め込み、山を越え、谷を越え、のどかな田舎道をすすみ、険しい峠道をすすみ、山奥のさらに山奥にある奥地、特例自治区〖きっかい村〗をめざした。
山桜が美しく咲いている日だった。