カーブ
打たれたら悔しかった。
当たり前のことだけれど、バッターを相手に投げ、そのボールを受け止めるキャッチャーミットがあるという、ずっと求めていたものが手に入ったのに、打たれた瞬間、それまでの高揚や充実感など、どこかに消え失せてしまった。
悔しかった。気に食わなかった。目の前の現実に苛立った。
家に帰った後も、いつの間にか無意識に奥歯を食いしばり、拳を握りしめていたから、意識して全身の力を抜かないといけなかった。
開いた手のひらを指でなぞると、爪の食い込んだ跡がはっきりと残っている。
投げなければよかった、マウンドになんて立たなければよかっただなんて、微塵も思わない。
けれどマウンドに立てたからそれで充分だとも、まるで思えなかった。
次は打たせない。今日対戦したあの倉敷とかいうバッターだけじゃなくて、誰にも。
バッティングピッチャーだからとか、そんなものはどうでもいい。わざと打たれるくらいなら、それこそ投げない方がマシだ。
翌日の日曜日、改めてバッティングピッチャーとして投げた。
試合に近い形で、ということで後ろに守備がついた状態で、打者九人に対して三巡。
結果として打たれた。全員にヒットを。ときにはホームランを。
打者一巡、そこまではそれなりに抑えた。
倉敷に打たれた二塁打以外、捉えられた当たりもありつつ、結果的にはノーヒットだった。
けれど二巡目、急に打たれ始めた。
ストレートもカーブも、どちらを投げても狙っていたかのようにタイミングを合わせられ、打ち返された。
完璧に抑えきれる自信があったわけじゃない。だけど、ここまで打ち返されるとも思っていなかった。
頭の中が怒りだけで満たされそうになるが、その片隅で、この状況に違和感を抱く自分がいた。
妙にタイミングが合いすぎじゃないか?
バッターの待ち方がおかしくないか? ボールを指から放す少し前の段階ですでに、バットの引き方、身体の沈みや動きが、カーブのときだけ深くないか?
(球種がバレてる?)
フォームに違いがあるのか、なにか癖があるのか。ボールを放すより早い段階で、球種を読まれている。そう感じた。
考えてみれば、少年野球では変化球は禁止だった。ストラックアウトでも、投げるのはほとんどストレートだった。
変化球を、カーブを一体どれだけ投げてきたか。まして実戦での投球はゼロと言っていい。
バッターを抑えることへの意識が明らかに薄かった。そんな意識のまま過ごしてきた自分に、苛立ちを覚える。
結局二巡目は半分以上の打者に、三巡目はほとんどのバッターに打ち返され、その日の投球は終わった。
翌日は左腕を中心に身体中に痛みがあった。
痛みの種類として、それがただの筋肉痛だということは分かるけれど、その痛みが今までに経験したことのない強さだった。
それなりの球数を投げたし、なにより久しぶりにバッター相手に投げた。だからある程度筋肉が痛むのは理解できた。
だけど歯痒かった。自分の弱みになることはすぐにでも潰しておきたかった。
幸いなことにその翌日にはほとんど痛みは引いていたけれど、念のため軽いランニングとストレッチ以外は身体を動かさないように努めた。こんなところで身体を壊したら馬鹿らしいと、逸る感情を抑え込んだ。
次の日には完全に痛みが引いた。
私は学校から帰るとすぐにジャージに着替え、公園に向かった。
人の出入りの少ない、マウンドのある公園。
そこで念入りにアップを済ませた後、バックネットの裏側にビデオモードにしたスマホをくくりつけた。
そしてマウンドから、ホームベースの向こうに架空のキャッチャーを思い描き、そのミット目掛けてストレートとカーブを交互に投げ込んだ。
数球投げ込んだ後、くくりつけたスマホを外し、録画した映像を再生してディスプレイの中に映る自分の投球を確認する。
ストレートを投げたときの映像と見比べてみると、カーブを投げるときのフォームはほんの一瞬、腕の振りが緩む時間があった。
(これが原因?)
だったら、緩まなくなればいい。
改善の最も手取り早い方法は投げ込みだろうと、何度もカーブを投げ込む。ストレートを混ぜ合わせて。
意識しても腕が緩んでしまうことがあった。緩まなくても曲がりが悪くなることがあった。
それでも球数を投げ込むうちに感覚を掴んできた。
これを数日続けていると、ビデオで見る限りストレートとカーブのフォームの違いがわからないようになった。
そして翌週の土曜日、例の独立チームでまた、バッティングピッチャーとして投げた。
結果としては、前回に比べればずっと打者を打ち取れるようになった。
先頭打者に対して投じた一球目はカーブ。
身体に繰り返し投げ方を覚えこませた、ストレートと同じ腕の振りから弧を描いてキャッチャーミットへと届く曲がり球に、バッターは体勢を崩し気味になりながら見逃す。
いける、使える。バッターの反応を見てそう感じた。
四番の倉敷さんに対してもそうだ。
私のカーブが、カーブを投じるときのフォームが変わったことを倉敷さんは感じ取っていて、だからこそ私は初球、カーブを投じた。
ストライクゾーン枠内より僅かに低く、僅かに打者よりのコース。けれどカーブを強く意識していたらしい倉敷さんはこれに手を出す。バットはボールを捕まえていた。
快音。打球の速さは捉えたときのそれで、けれどフェアゾーンに収めるには引っ張り過ぎていた。白いラインの左側へと切れていく。
二球目に投じたのも初球とほぼ同じ球。ストライクゾーン枠内にぎりぎり触れないようにして曲がり落ちる、インローへのカーブ。
これに対する倉敷さんの反応も同じだった。フェアゾーンにギリギリ収まらない、ファールゾーンへのライナー。
ヒットにこそならなかったものの、ストレートと同じフォームで投じているはずのカーブを捉えている。カーブに対し、タイミングが合っている。合わせている。
そのことに内心、ほくそ笑んでいた。
三球目のストレートで打ち取れる、その確信を持てたから。
たとえ狙っていたとしても、二球連続で球速の遅い、曲がり落ちるボールに合わせた身体は、真っすぐミットに突き刺さる速球に対応できないはずだ。
だからインローの対角線上、アウトハイを狙ってストレートを放つ。
これを倉敷さんは打ち上げた。ファーストフライ。
正直、三振を狙っていた。だから空振りを取れなかったことに内心、歯噛みする。
けど、打ち取れる。その感覚を掴めたのは収穫だ。




