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現役女子高生のアウトロー

 どうして彼女の申し出を断ることが出来なかったのだろう。

 そう頭を悩ませつつも翌日、チームが練習しているグラウンドに、バッティング練習に入る直前を見計らって彼女を連れてきてしまった。選手たちがこちらに不審そうな視線を向けているのが嫌というほど分かる。

 それを振り払おうと、強めの声でうちのチームの四番打者の名前を呼んだ。


「倉敷!」


 耳によく響く、はいという返事とともに、大柄な男がこちらへと駆け寄ってくる。


「次のメニュー、フリーバッティングだよな? ちょっとこの子にバッティングピッチャーをやらせてみるから、相手してやってくれ」


「構いませんが……この子は?」


「新しいスタッフ候補だよ。ボランティアだけどな」


「は?」


 彼は目上の相手を敬うことのできる人間だが、今回ばかりは怪訝な表情を隠そうともしない。それも仕方ないとは思うが。

 それを無視して話を続けた。


「マシンの球ばっかり打つより、生身の人間が投げる、生きたボールも打った方が練習になるだろ? 結構いい球を投げるんだよ、あの子。バッティングピッチャー専門にさせるのが、ちょっともったいないくらいにな」


 あまりチームの投手にやらせる訳にもいかないだろ? 投手の肩は消耗品だ。最後にそうつけ加えてやった。


 肩の怪我で引退した俺の言葉がそれなりに刺さったのか、倉敷はそれ以上なにも言ってこなかった。


「おまたせ、片崎さん」


 昨日の別れる間際に教えてもらった彼女の名前を呼ぶ。呼びかけられた片崎さんは軽やかな足取りで俺の隣まで駆けてきた。


「さっそくだけど、このおじさん相手に投げてくれる?」


「監督、俺まだ一応は二十代なんですけど……」


「現役女子高生からすれば、二十代半ばの男なんかおっさんだよ」


「女子高生?」


 俺の言葉に倉敷が目を丸くする。


 その様子はこんな大男には不釣り合いに見えて、なんだか可笑しくて内心笑ってしまいそうだったが、それを表に出すのはなんとかこらえて真顔で答えた。


「女子選手がまともに野球をできる環境はまだ少ないってことだよ。片崎さん、肩慣らしはいる?」


「軽く作ってきましたけど、何球か投げさせてもらっていいですか?」


「もちろん。萩野!」


 このチームの正捕手の名を呼ぶ。低く響く、はいという返事とともに彼が走り寄ってくる。


「受けてやってくれ」


「わかりました」


 ひとつ返事で快諾してくれることに思わず頷く。


 後から考えれば、わざわざうちの正捕手に受けさせる必要もなかったかもしれないが、まあいい。コントロールのいい投手ほど、キャッチャーの良し悪しが響くものだし。


 軽いキャッチボールの後、マウンドで準備投球をする彼女を眺めていた倉敷が、ぼそりと呟く。


「確かに、悪くない球を投げますね」


「だろ?」


「球速的には130くらいなのかな。回転がいいのか、ホームベースのあたりに来ても球が垂れない。コントロールも良さそうですね」


「ああ、それは保証する。たぶん、現役時代の俺より上だ」


 倉敷が驚いた様子でこちらに目を向ける。俺が真剣な声で言うものだから、冗談に聞こえなかったのだろう。

 実際、本気で言っているのだが。


「いや、いくらなんでもそれは買い被りすぎでしょう」


「いやマジで」


 俺の表情がよほど真剣だったのか、倉敷の目が見開く。別に、俺とお前は直接対戦したこともないのに、ずいぶん評価してくれてるもんだ。


「とはいえそれだけだ。特別な変化球でもあれば別だけど、おそらくそれもない。普通に打っていいぞ」


「……いいんですか?」


「当たり前だろ」


 彼女を見つめたまま、俺は答えた。


「バッティングピッチャーとして連れてきたんだ。そうでないと困る」


「東野さん!」


 マウンドから自分を呼ぶ声が聞こえた。肩は充分温まったらしい。軽く手を振ってそれに応える。


「倉敷」


 俺の声に、打席に向かおうとしていた倉敷が振り向く。


「打ってこい」


 倉敷はなにも答えなかった。

 当たり前だと思っているのか。失言だったかと少し後悔する。ことバッティングにおいては、人並み以上のプライドを持つ男だ。

 打席に向かう広い背中を眺めながら、少しワクワクしている自分に気づく。


 中学かそこらで実戦経験が止まっている投手に抑えられるほど倉敷は、独立リーグは甘くない。けれどどこまで足掻けるか、食い下がれるか。なぜか片崎が簡単に捻られるとも思わなかった。


「葛西さん!」


 投手コーチの名前を呼ぶ。

 自分より年上で、このチームのコーチ歴は今年で五年目になるこの男は、はいと野太い声で返事をすると、恰幅のいい体を揺らしてこちらに向かってきた。


「悪いんですけど、主審を任せていいですか?」


「ずいぶん本格的ですね」


「それくらいの方がいい練習になるでしょう。毎回というわけにもいかないでしょうけどね。葛西さんの喉が潰れてしまうだろうし」


「そんなヤワじゃないですよ。そんなに暇でもないですけどね」


 苦笑いを見せながら、葛西さんはキャッチャーの後ろへと小走りで向かっていった。

 選手の準備が整ったのを見届けた彼が叫ぶ。


「プレイ!」


 片崎さんが投球動作に入った。

 バッティングセンターで見たときと同じ流麗なフォーム。

 そこから放たれたストレートが外角低めに決まる。葛西さんの判定はストライクだった。


 倉敷はこの球に手を出す様子もなく見逃したが、意図的に見逃したというよりも、手が出なかったように見えた。

 離れて見ているにも関わらず、倉敷の目付きが険しくなっているのが分かる。


(今の一球で本気になったな)


 球速は測っていないが、おそらく130キロ前後だろう。

 しかし、コースが厳しかったことを除いても、倉敷は打ちごろのボールという反応をしなかった。体感ではより速く感じるのだろう。

 相手投手に向ける彼の目が、なによりそれを物語っていた。


 二球目、インコースを抉る速球を、倉敷は強く弾き返した。


 高い弾道のライナーになった打球は、わずかに切れてレフトポール外側へのファールになる。


(少し、ボール気味の球だったな)


 なまじストラックアウトでの投球を見たあとだと、今の球もわざと外したのではないかと思えてくる。仮にそうだったとしたら、大したものだ。コントロールもそうだが、打者の打ち気を見破る観察眼のようなものを、彼女はすでに持っているのかもしれない。


 三球目は、より厳しく懐をつくストレート。


(おいおい、一応バッティングピッチャーだってことを忘れてないか?)


 こんなことで怪我でもされたら困るのだが……。しかし平気で相手の身体近くに投げ込める胆力は、投手になくてはならない素質ではある。

 バッティングピッチャーに必要なものかはさておき、だが。


 次は外だろうと思いきやまたインコース。それもストライクゾーンをかすめるようなボールだった。

 不意を突かれてか、ボール気味だったためか、倉敷はこの球に手を出さなかった。審判の判定もボール。


 片崎からすれば見え見えのアウトローに投げるより、インコースに投げてまたいつ内に来るか分からない恐怖心を植え付けたいのだろう。それだけ倉敷を警戒しているということでもある。

 しかし決め球はアウトコースだろうと予想する。そしてその予想は当たった。


 一球目と同じ映像を巻き戻して見ているかのような、外角低めギリギリのストレート。

 倉敷もそれを見逃す訳にはいかず打ちにいく。捉えた当たりの打球はライト方向への大きなフライになった。


(入るか?)

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