3ボール2ストライク
「……ボール!」
2ストライク2ボールの並行カウントから投じられた、外角低めへのストレートの判定が一瞬、遅れてしまった。
それほど際どいコースに、ストレートが投げ込まれた。
(相変わらず、凄まじいな……)
片崎の登板する試合で主審を務めたことは、以前にもあった。そして、その度に感心を通り越して驚嘆する。とにかくコントロールが良い。キャッチャーの構えるミットが、ほとんど動かないのだ。
体感としては、ミットが動くのは大袈裟でなく一試合に2、3球、多くても5球程度のように思える。
そのうえ、はっきりとした逆球がいくときは大抵バッターが打ち損じ、コースも際どいところにばかり投げ込まれるものだから、それらは失投ではなくむしろ意図的なものなのではないかと疑ってしまう。
そういったボールを除いてしまうと、本当に失投と言える球は一試合にあって1、2球程度なのではないだろうか。
しかもそれらの球も、せいぜいがミットの構えられたコースより少し内に入った、またはやや外に外れてしまったといった程度のズレで、あからさまな失投というのはちょっと記憶にない。もしかしたら、本当に一球もなかったのかもしれない。
今の球だってそうだ。初球と同じ外角低めへ、初球よりほんの少し、それこそボール半個分にも満たないほどわずかに外へ投げ込まれたストレートに、思わず手が上がりかけた。
これをボールと判定できたのは正直なところ、打席に立つ藤畑がこの球を堂々と見逃していたことも大きかった。
藤畑が選球眼に優れた選手であることは、私たち審判の間でも共通の認識になっていた。一部の同僚たちにいたっては、藤畑の打席では判定をする必要がない、彼が手を出さなければボールなのだから、そのとおりに声を上げればいいだけだ、などと冗談混じりに言い合っていたくらいだ。
ただそんな彼も今年は、一軍に戻ってきてしばらくの間はらしくなくボール球に手を出す打席もいくらかあった。だがシーズン中盤の6、7月頃にはもう、完全に今までの藤畑に戻っていた。
(とはいえ、本当に選手のリアクションで判定が左右されるようじゃ、お終いだよな……)
そうなってしまったらもう、審判など不要になってしまう。
とはいえ、こんなことは試合中に考えることではない。落ち込むのも反省するのも、試合が終わった後でいい。
ふと、打席の中でバットを構え直す藤畑の様子が目に入る。
(……フルカウントとはいえ、藤畑はもう、ボールゾーンの球は振らないんじゃないか?)
なぜそう思ったかは、私にも分からない。
彼にも打率4割がかかっているのだ、普通に考えたらもう、ここで見逃すわけにはいかない。
私の記憶違いでなければ、仮にいま四球で出塁することができたとしても、それでは打率が4割を切ってしまうはずだ。前人未到のこの記録を達成するためには、ヒットを打つしかない。
それにもかかわらず、彼はボール球を、少なくとも打てそうにないような球を無理に振りにいくことはないだろうと、彼の打席での雰囲気がそう感じさせていた。
逆に片崎の方は、ノーヒットノーラン継続という観点から見れば、無理にここで彼を抑える必要はない。四球はヒットではないから、たとえ彼を歩かせてもまだ記録は続くことになる。
ただし、彼を歩かせれば、逆転のランナーを出すことにはなってしまう。
(……さて、この場面、いったい何を投げるんだ?)
思わずそんなことを考えてしまう。いかんな、判定に専念しなければ。
私は心の中で頭を振り、投球動作に入った片崎へとあらためて意識を集中し直した。