プロ2年目シーズンが終了して
先発投手として15試合に登板し、97イニングを投げ、6勝4敗、防御率3.53。
昨年の、自分のプロ入り2年目の成績だが、これらの数字を見るたびに苛立ちを覚える。すべてが中途半端だ。
周囲は、メディアや解説者、チームの首脳陣さえ、2年目の数字としては上々だなどと言ってくることが、苛立ちを増長させていた。
なにが上々なものか。自分より成績の良い選手が、いったい何人いると思っている。
防御率はリーグ平均の3.42を下回った。イニング数は規定投球回に到達せず、そもそも7月に右脇腹の炎症を起こしてしまったせいで一度、2ヶ月ほどローテーションを外れてしまっている。
「……っふ!」
だから自分にとっての2年目シーズンが終わった今は、1シーズンを乗り切るための身体を作るトレーニングに時間を費やしている。
けど、
「あ゛〜、ぎっづ……」
「きついとか言いながら私より重いバーベル持ち上げるのやめてもらっていいですか?」
同じチームの投手である中田さんと一緒にトレーニングすることは、予定に入れてはいなかった。
「そう言われてもな、パワー系のやつで俺がお前に負けてたらお終いだろ」
「それは確かにそうですけど」
「おい、肯定するな。そういうの言っていいのは俺自身だけだかんな!」
「ああはい、すみません」
「面倒くさそうにもするな!」
そんなこと言われたって、面倒くさいものは面倒くさいのだから仕方がない。思わず小さなため息が漏れてしまったが、そちらは気付かれなかったようだった。
「でもバックスクワットくらいなら俺も自主トレでやってるんだよな。他になんか変わったこととか特別なこと、やってねーの?」
私も拒否しなかったとはいえ、勝手についてきておいて文句言わないでください、そう言おうとして口を開く前に、
「でしたら、こういったものはどうでしょうか?」
このトレーニング施設の女性トレーナー、小林さんが、以前私にも勧めてくれた器具を中田さんに紹介してくれていた。
彼女が持っているのは、人の足裏より一回りほど大きい、割れ目の入った板状の器具だ。
「なんですか? そのかまぼこ板のでかい版みたいなやつ。それで何をしてどうなるんスか?」
分かりやすくはてなマークを頭に浮かべた中田さんに対し、小林さんは丁寧に説明を始めた。
「これは足の前の部分と踵を分離して動かせる器具なのですが、足指、足首、アキレス腱、膝関節、そして股関節との密接な連動とその円滑向上のために作られました。前足部と後足部に分割されたボードを、さまざまな傾斜やねじりの動きによって足の感覚領域を広げる効果が期待できます」
「なるほど?」
あまりピンと来ていないような反応だった。おそらく一度使ってみれば、なんとなくでもどういったものかは分かると思うけれど。
「具体的にどうやって使うんスか?」
「様々な使い方ができますが、単純に足の指を動かしたり、片足でこの上に立ってバランスを取ったり、ですね」
「ちょっとやってみていいっスか?」
「もちろんです」
小林さんの許可を得た中田先輩はおもむろに立ち上がり、その器具の上に右足を乗せて左足を上げた。
「うおっ、なんとなく予想できてたけどこれ、バランス取るの結構キツいな」
「……私、次のメニューに移ってますね」
終始そのような感じで一通りのトレーニングメニューを終えベンチに腰掛けていると、そのとなりに中田さんが座り込んできた。
「お前、オフシーズンにこんなことやってたんだな。なんか地味?なメニューも多いけど」
彼の言葉に私は頷いた。
「まあ、そうですね。私の場合、頑張っても160キロのストレートなんて贅沢なものは投げられそうにないですし。結果的に身体のバランスを整えるメニューが多い方かもしれません。仮に、どうにかして150キロくらいのストレートが投げられるようになったとしても、それくらいの球速なら今のNPBではそこまで珍しくないですし、そのためにコントロールや球質が落ちたら目も当てられないですから。まあそもそも現状、最速でも140キロにさえ届いていないんですけど」
「その150キロ台のストレートが武器の俺に対するイヤミか?」
「そんなことないですよ。最速150キロならともかく、先発で常時150前後が出せるなら話は別でしょう? NPBの平均より速いんですから」
「そりゃどうも。つまりお前的には、球速アップはあんまり重視してない感じか?」
「そんなことないですよ。むしろそれが最優先事項かもしれません。その上でバランスを崩さないように気をつけているというだけで。優先しているのは最速の更新より、平均球速を上げることではありますが」
「お前くらいのスピードだと、変に球速を上げたほうが平均に近づいて打ちやすくなる、とかになったりしないもんかね?」
「あくまで私の体感ですけど、これくらいの球速が出てないとバッターに速いと思ってもらえない、っていうラインがあるんですよ。それがだいたい132、3キロあたりなんですが、去年の私は平均球速がそこに届かなかったので」
「132、3キロって、ずいぶん中途半端な数字だな……」
「あくまで私の体感です。ただ、もう引退した選手ですが、史上最年長勝利の投手記録を持つ左投手も、全力で投げて133キロに届かなくなったら引退すると言っていたらしいので、感覚としてはそんなに間違ってはいないのかなとは思いますが」
「ふーん、そういうもんか。俺なんかは133キロなんて変化球のスピードじゃね?と思っちゃうけどなあ」
「直球のイヤミやめてください」
私がちょっと本気で苛ついたことになんか気付くそぶりもなく、先輩は鷹揚な態度で話を続けていた。
「そういやなんでお前、俺がついてくるのOKしてくれたワケ? なんかお前なら、気が散るから嫌だとか言って断ってきそうだなって思ってたんだけど」
「ああ、確かにそう言おうかなとも思っていたんですが」
「思ってたのかよ」
先輩が睨め付けるような視線を投げかけてきたが無視した。話が進まないから。
「常時150キロを出せる人の身体なら、同じメニューをやってどこがどれくらい違うのかとかを知りたかったんですよ。私よりどれくらい重いバーベルを持ち上げるのか、とか」
「ああそういうこと……」
「中田さんこそ、どうしてわざわざ私のトレーニングに付いてきたんですか?」
「そりゃお前、俺にお前みたいなコントロールがあったら無双できそうだからに決まってんだろ」
「ああ、なるほど……」
「おい、そのしみじみと理解したような顔マジでやめろ」
そう言われても、リーグ最多四死球を毎年争っていれば、こんな反応をされても仕方ないと思う。
「それならたぶん、今日付いてきた意味はあんまりないですよ。別にコントロール向上を目的にしたメニューじゃないですから」
「ええ? マジかよ、俺のこれまでの労力はなんだったんだよ……」
いや知らないですよ、勝手に付いてきただけじゃないですか。
……なんて、さすがにそれは口に出さなかったけれど。
「コントロールを良くしたいのなら、投げ込みが一番手っ取り早いと思いますよ、結局」
「こっちゃそれで良くならねーから苦労してんだよ……」
なんかコツとかねーの? そう言って私に尋ねる先輩を見て、こっそりと小さく息を吐いた。別に、この人と野球談義をしたかったわけじゃないんだけどな。
まあいいか。こちらばかり情報を提供するのも癪だし、せめてこの人からも目新しい情報がないか聞き出そう。
そう軽く心に決めて、私は口を開き始めた。
「えっと、先輩に合うか分からないので、良くなる保証はできないんですけど……」




