アクシデント
翌日以降の試合でも、片崎は好投を続けた。
十試合を投げ、ヒットこそ何本か打たれつつも、ここまで無失点を続けている。
十球中十球、構えたところに投げられる精密なコントロール。
打者のタイミングを大きく外すチェンジアップと、目線を逸らすのに効果的なカーブという、二種類の変化球。
球速は出ずとも気持ち悪いほどに伸びるストレート。それに加えてストレートと同じ球速帯で投じられる、左右や下へと動く速球。
これだけあれば、ここまでの好投もラッキーや偶然だけで片付けられるものではないだろう。
もっとも俺は初め、この動く速球に関しては意図しないただの癖球だと思っていた。
指に引っかかったり過ぎたり、逆に抜けたりしたボールが、意図せずカットしたりシュートしたりしているのだと、そう思っていた。投球練習前のキャッチボールの時点でも、ときどき球が左右に動くことがあったからなおさらだ。片崎自身これらの球について特に何も言ってこなかったことも、その思い込みに拍車をかけていた。
だが何球も受けていれば、さすがに違和感に気づく。
あまりにも毎回毎回、コーナーに決まりすぎなのだ。
これだけ完璧にボールを操れるやつのストレートが、こんなにも意図せず右へ左へと動いたりするだろうか?
しかも真っ直ぐに来るときは、これでもかというほど綺麗な縦回転のストレートが飛び込んでくるのだ、違和感を抱かない方が難しい。
癖球でも制球に優れる投手も稀にいるが、それにしても出来過ぎだ。そもそもそういう投手は大体、投げているボールが常に癖球だったりするしな。
だから俺は直接片崎に訪ねた。
お前、たびたび速球を意図して動かしてないか?と。
あいつは悪びれることなく答えた。
「はい。動かしてますよ」
あんまりにもしれっと言うものだから、こっちはがっくりと肩を落としそうになってしまった。
かわりに少し非難じみたものを視線に乗せて、片崎に言ってやる。
「それならそうと言ってくれりゃよかったのに」
「サインにするほどでもないかと思いまして。球速はストレートと変わらないですし、変化もボール一個か半個分くらいでしょう? ノーサインでも捕球には影響がないと思ったんです」
「取れる取れないは別にしても、知っていたらサインとして出せるだろ? 空振りじゃなくてゴロが欲しいときとか、カット気味のボールを投げさせてゴロに打ち取る、とかさ」
「まあ、そうですね」
素直に頷いてこそいるものの、表情に面倒そうな様子が滲んでいるように思えてならない。
……わざと言わなかったな、コイツ。
「次からそういう指示も出すから、サイン決めとくぞ」
俺がそう言うと、片崎はどこか嫌そうな様子を滲ませながらも頷いた。
「分かりました。……それはそれとして、ただのストレートのサインでも動くボールを投げるくらいは目をつむってください。カット系のサインのときにストレートを投げる、みたいな真似はしないので」
片崎の要求に対し、一瞬だけ思案する。だがそれくらいの要求は受け入れていいように思った。
今までもそうしてきたわけだし、それで打ち取ってきたのだ。投手の目線からでしか気づけない点や、投手ゆえに働く勘もあるだろう。
「まあそのくらいなら……。というか、もういっそストレートのサインも別で決めるか? 速球なら何でもOKのサインとは別に」
「面倒くさくないですか?」
ついに口に出しやがった。
俺は肩をすくめ、少しだけの嫌味を含めて言ってやる。
「別に、お前は七色の変化球持ちってわけでもないから、サインの数を増やしてもそこまででもないだろ」
「ええまあ、そうですけど……」
この嫌味に対して片崎は、そこまで不快そうな様子を見せなかった。ただ嫌がるそぶりを見せただけだ。まあ、球種なんて多ければ多いほどいい、なんてものでもないからな。
これ以上チクチク余計なことを言うのも大人気ない。俺も素直に説得に頭を切り替える。
「バッテリーで意思疎通も出来てなきゃ、打ち取れるバッターも打ち取れないだろ。これくらいは合わせとこうぜ」
「分かりました」
不承不承という感じで頷くな、このド新人。
まあ素直に頷くだけいいけどよ。今までそれで抑えてきたのに必要か?ってとこなんだろうな。いかにも投手じみた俺様思考だ。
気持ちはまったく分からんというほどでもないが、打ち取れる手段はこちらでも把握しておきたいんだよ。
なんて、そんなひと悶着こそあったが、ピッチングは優等生のそれといっていいほどに優秀だった。なにせ未だに無失点が続いているのだ。
使えるリリーフが一人増えるだけでペナントレースはずいぶん楽になる。
片崎の加入はチームの順位向上に大きく貢献した。
九月初旬の時点では4位と5位の間を行き来していた順位は、9月20日現在で3位に上昇。
このままあと数試合3位をキープできればクライマックスシリーズへの出場権を得、チーム初の日本一も少しは見えてくる。
今日の試合もすでに九回裏ツーアウト。
先発の水島は頭に絶をつけていいくらい好調で、ここまで一人で投げ抜いている。
ヒット自体は何本か打たれたものの、失点はソロホームラン含む二点で抑えていた。
そしてヒット数こそ大して変わらないものの、こちらのチームは打線がうまいこと繋がり、なんとか三点もぎ取っている。
あとアウト一つで勝てる。水島にとっては今季初の完投勝利というおまけ付きだ。
このまま勝てたら一言、称賛の言葉くらいくれてやるか。あいつは今年、勝ち星に恵まれず苦労していたし。
先発投手なら誰だって出来れば完投したいもんだ。それが出来たんだから一言くらい褒めてやってもいい。あまり調子に乗っていたら尻を叩いてやる必要もあるが、あいつの場合はどちらかというと委縮してないか心配してやる方が先だ。
チームは勢いに乗っている。このままいけば日本一も完全な夢物語ではなくなる。
カウントはツーストライク、ワンボール。
(とはいえあと一球、気を抜くなよ)
自分と水島、両方に言い聞かせるように一度、ミットを叩き鳴らす。
なにせリードはたったの一点だけだ。ソロホームラン一本ですべてがひっくり返る。
水島へ向けてサインを出す。スクリュー。あいつの決め球だ。
ツーストライクからであれば易々とは見逃せない。こいつを低めに、ストライクからボールになる球を。
水島が頷く。左腕をしならせ、ボールは放たれた。
コースは、少しだけ甘い。ギリギリだが、ストライクゾーンに入っている。
だが変化は鋭い。ホームベースに近づくにつれ、右バッターのアウトコースへと大きく曲がり落ちていく。
バッターが動いた。そのまま空振りしろ!
だが願いも虚しくバットがボールを捕まえる。打球音は捉えたときのそれだ。
ライナー性の打球、その行方は水島の左腕、手首の辺りを直撃した。




