主観と証明
たとえ投げる場所がプロ野球の舞台になったとしても、通用する自信はあった。
けれどプロのバッター相手に投げたことがない以上、それは主観的なものに過ぎず、実際に投げてみなければ本当に通用するかどうかは分からない。
しかし二軍の選手相手に限っていえば、自分の自信が間違っていないことを証明できていた。
現に今も、アマチュアで大いに期待され、メディアでも大きく取り上げられていたドラフト1位入団の四番打者を、平凡なフライに打ち取った。
インコースギリギリから、さらに内に食い込むように動く速球で、狙い通りの内野フライ。
空振りでもゴロでもフライでも、二軍相手ならばほとんど狙い通りに打ち取ることができていた。
初めはリリーフとして短いイニングを投げていたが、先発をやりたいと何度も志願していたからか、はたまた単純に先発として適性がある選手が不足していたのか、徐々に先発として使われることも増え、その度に結果を出していた。
先発初登板時こそ、球数的にはまだ七十球程度だったにもかかわらず七回途中で球威、制球ともに乱れ、結局は八回途中で降板し、先発投手としてのスタミナ不足を思い知らされたが、それもここ数試合で克服しつつある。もともとバッティングピッチャーとしては、一日のトータルでそれ以上の球数を投げていたのだ。
それにもかかわらず初登板時にスタミナ切れを起こしたのはおそらく、二軍とはいえプロ野球の舞台では打者のレベルも上がり、バットにボールを当てられる機会も増え、その結果たとえ無意識でも全力に近いボールを投げる機会が増えたこと、なまじゴロに打ち取った結果、自分自身の守備機会が増えたことが原因だろう。
だから守備練習と投球練習を短い間に繰り返して、身体にその動きを慣れさせた。どこが自分の身体が壊れないラインか、チームのトレーナーの意見も判断材料にしつつ、自分の身体の状態を見極めながら。
それに加え、走り込みやメディシンボールなど、今必要だと思われる各部位の筋力向上にも継続して努めた。その結果、試合でも百球程度ならば球威も制球も落ちることなく投げ続けることができるようになった。
そして百球を問題なく投げ切れるようになれば、よほど打たれるか粘られない限りは九回まで投げ切れる自信があった。初登板時もペース的には百球未満で完投できる範囲内だったのだから。
ただし二軍である以上他の選手も登板させる必要があるためか、最後まで投げさせられる機会はほとんどなく、それが多少なりとも不満ではあった。
初めは多少戸惑った球場ごとの環境の違い、例えばマウンドの硬さや高さ、屋内か屋外か、風の強さや陽の強さ、明るさ、そういった外的要因にもある程度、慣れた。
唯一の女子選手ということもあってか、二軍にも関わらず登板した試合ごとに無駄にマスコミがうるさいが、私のインタビューに対する受け答えは淡々とし過ぎてつまらないのか、それとも別に原因があるのか分からないけれど、あまりマスコミへの受けは良くないようで、球団が想定していたほどの盛り上がりはないようだ。
球団からすれば物足りないかも知れないが、それは私の知ったことではないし、むしろ好都合だった。
登板する試合ごとにいちいち話しかけられるのは、それも一人や二人でなく五人、十人となってくると鬱陶しくて仕方がない。もっとも一軍に上がればそれ以上の人数を相手にしなければならないのだろうけれど。今から気が滅入り、考えるたびに舌打ちしそうになってしまう。
結局この日も、七回まで投げ切ったところで監督から交代を告げられ、残りのイニングはお預けになった。
そうやって二軍で先発として投げ始めてからしばらく経ち、八月が終わりを迎えた頃、試合後にグラウンドで二軍監督から声をかけられ、
「明日から上に上がれ、一軍だ」
そう告げられた。
正直、やっとかという思いが強かった。
九月の初旬ともなれば、ペナントレースも後半戦だ。
アマチュアではほとんどバッティングピッチャーしかやってこなかった投手が、一年目から一軍に上がると思えば大抜擢なのかも知れないが、一軍で使えると思わせるだけの成績は、これまで二軍で挙げ続けていたはずだ。
「先発ですか? リリーフですか?」
「リリーフだ」
そうだろうなとは思った。一応聞いてはみたものの、一軍で先発していた投手が二軍落ちしてくる様子はない。
先発の枠に空きができたわけではない以上、求められているのはリリーフなのだろう。
不満がない、と言えば嘘になる。しかし二軍にいるよりは、たとえリリーフでも一軍で投げられた方がいい。
使う側からすれば、こちらの意向など何の意味もないのだろうが。
「分かりました」
二軍監督の北村さんが頷く。
「一軍は別世界だぞ。スイングスピードもコンタクト能力も選球眼も、何もかも」
「はい」
分かっている、などとは言えない。一度も一軍で投げたことがないのだから。
だが、そうでないと困る。一軍で投げても退屈するようならば、いよいよ私の居る場所がないのだから。