表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/51

なにがまずい?

「調子に乗るな」


 俺の隣にいた男、二軍投手コーチの中溝が、切り捨てるようにそう言い放つ。


「ほんの数か月前までろくにアマチュアの試合にさえ出ていなかったやつが、先発で投げさせろ、だと? 舐めたことを言うのもいい加減に」


「中溝」


 中溝の話を途中で遮る。彼は一瞬、不満そうな表情を見せていたものの、それ以上言葉を口にはしなかった。

 中溝の後を引き継いで、俺は片崎に告げた。


「誰がどこで投げるか、それを決めるのはお前じゃない」


 そう口にしつつも、考える。

 本当に、彼女に先発投手は無理だと断言できるだろうかと。


 投手としての能力は、例えば筋力があるからとか、肺活量が多いからといった、数値化できるものだけで決めることはできない。

 ボディビルダーが投げれば、プロの投手より速いボールを投げられるわけではないし、マラソン選手が投げた方が、より多くの球数を変わらない球威で投げ込めるというわけでもないだろう。

 ボディビルダーと野球のピッチャーでは必要な筋肉が異なってくるし、走り続けるためのスタミナと、投げ続けるためのスタミナも別物だ。


 前例がないのだから、極論なことを言えば本当に女性の方が男性よりそれらの能力が劣るのかどうかもわからない。

 そもそも彼女の存在が異例中の異例なのだ。性別だとか経験だとか、そんなもので測る方が難しい。プロのバッター相手に通用するボールを投げうる女性投手、その時点ですでに自分や、恐らくは球界全体にとって想像の枠外だったのだから。


「お前じゃないが……」


 話しながらも頭の片隅では思考が動く。今度は片崎一人ではなく、チームの状況について脳内で整理していた。


 二軍の投手陣、その育成方針と状況。一軍の現状と将来的に必要となる先発、リリーフそれぞれの枚数。それらを頭の中で計算する。


 正直、欲しい。先発投手が、最低でも、もう一枚。

 ……なら、やらせてみるか。


「そんなにやりたいのなら、考えといてやる」


 やらせてみてダメだったら、またリリーフ投手として育て直せばいいだけだ。


「監督!」


 中溝が叫ぶ。その声には非難するような響きが混じっていたが、あえて反応を返さなかった。


「……ありがとうございます。よろしくお願いします」


 絞り出したような声とともに、片崎が頭を下げる。その様子に苦笑が漏れそうになった。

 お前の要求に前向きな返事をしてやったんだから、少しは嬉しがるとか、ありがたがるとかしろよ。やらせると明言しなかったのが、そんなに気に食わなかったのか?


 まあいい。ピッチャーなんて生き物は、それくらい自己中でないとやっていけない。それこそお前みたいな特殊な立ち位置のやつは、なおさらだろう。


 隣の中溝に視線を移す。眉間にしわを寄せ、頭痛を抑えようとするように左のこめかみのあたりを三本の指で押さえている。


 その様子にまた笑みが外に漏れそうになったが、さすがに今笑ったら今度こそ、怒鳴り声が俺の鼓膜を襲うだろう。頬の筋肉に痛みを覚えながらもなんとか無表情を保ちながら、片崎に退出を促す。


「話が終わったのなら練習に戻れ。そろそろ休憩も終わりだ」


「……失礼します」


 再び頭を下げ、片崎が監督室を後にした。


 

「少し、甘いんじゃないか?」


 片崎が監督室から出てしばらくして、中溝が横目で俺を捉えながらそう口にする。


 選手の前で監督にタメ口で話すのは示しがつかないと、普段は俺に対し敬語で接しているが、元々こいつとは同学年の同期入団だ。現役時代は二人でバッテリーを組んでいたこともある。

 それゆえに自然とそうなってしまうのか、二人きりになると、こいつの敬語はいつの間にか外れている。


「そうか?」


 そう言って首を傾げてみせたが、少しわざとらしかったかもしれない。もともと良いとは言えない中溝の目つきが、若干だがより険しくなった。


「あいつ本人にも言ったが、ろくに実戦での登板経験のないやつが、いきなり先発でやっていけるとは思えない」


「まあ、そうだな」


「お前もそう思っているのなら、なぜそれを言わない?」


「仮にできなかったとして、なにがまずい?」


「は?」


 中溝が困惑した声を上げる。軽蔑さえ入っていたかもしれない。だが俺はそれを無視して、言葉を続けた。


「プロに入って、先発投手になろうとして結局なれなかった選手、そんなのいくらでもいる。あいつだけが特別なわけじゃない。なにをそんなに心配する?」


「お前は投手のことを、先発とリリーフの違いを軽く考えすぎだ」


 中溝の眉間に刻まれている皺が深さを増す。俺は黙って話の続きを待った。


「先発として長いイニングを投げ切ることは、それをしたことのない人間の想像より、ずっと大きな負担がかかる。プロのバッターを相手に、中5、6日で投げ続けるとなればなおさらだ。その一回が致命的な怪我に繋がることも、ないとは言えない。投球のメカニズムが、修復不可能なくらい大きく狂うことだってある。これが二十歳を超えて身体の成長を終え、大学や社会人で先発経験も筋力トレーニングもそれなりに積んだ、投手としてある程度完成された選手ならもちろん話は別だ。だが十代の、仮に性別的なものを抜きにしても、ろくに実戦経験のないバッティングピッチャー崩れだぞ? 今中継ぎとして登板させているのも、俺からすれば早すぎる。少なくとも今年ぐらいは丸々一年、身体づくりに費やしてもいいぐらいだ」


 中溝の話を聞きながら、俺は自分の頬が少し緩んでいることに気づいた。こいつが同じチームの投手コーチであることを、ありがたく思う。


「優しいな、お前は」


「なんだ、気色の悪い」


 中溝が嫌そうに顔をしかめる。確かに気色悪いなと、自分でもそう思って苦笑を漏らしてしまう。

 だけど実際、俺はお前みたいに優しくない。


「俺はな、正直、あいつが活躍しようがしまいがどうでもいい……なんていうのはあまりにも語弊があるが、最悪あいつがプロでまったく通用せずにこの世界を去ろうが、怪我だのなんだので二度と野球ができなくなろうが、究極的にはそれは、仕方のないことだと思っている」


「お前……」


 中溝の顔が、声が、少しずつ険しくなっていく。

 俺は、弁解でもしているかのように口調が早くなるのを自覚しつつも、話を続けた。


「もちろん俺も、そんなことがないように最善を尽くすさ。選手たちのコンディションには常に目を光らせているつもりだし、球数も選手に合わせてある程度の制限を設けている。それはなにも投手に限った話じゃない。だがどれだけ周りや本人が気を使っても、壊れるときは壊れるし、どれだけ努力をしてもさせても、通用しないときは通用しない。そんなの、お前だって分かっているだろ? そんなことは、この世界じゃ当たり前にある、ただの日常だ。まして本人が先発をやりたいと言っているんだ。試しにやらせてみたとして、なにが悪い? その結果として本人が壊れようと、なにかの歯車が致命的に狂おうと、それはある程度、どうしようもない」


 中溝は、冷静であろうと自らに言い聞かせているのか、ことさらゆっくりと口を開いた。


「それを最小限にするのも、俺たちの仕事だろうが。それに、先発で投げさせることは、どうしても今やらせなければいけないことか? それこそ今年一年くらいは、身体づくりを中心に考えてもいいはずだ。将来的には、そちらの方が大きく伸びるケースも多い」


「そうだな」


 頷く。中溝の言っていることは正論だ。

 だがその正しさを貫けるほど、今のチーム状況は芳しくない。


「確かに、お前が言いたいことも分かるよ。もしうちの投手事情がもう少し恵まれていたなら、俺もそう考えていたと思う。だが現状はどうだ? 短期的に見れば、今年は一軍で怪我人が続出して、リリーフを中心に投手不足。長期的に見ても、先発ローテーションの4人目以降は固定できずに流動的。その上ローテーション投手のうち一人は、そろそろ年齢による衰えが誤魔化しきれない状態だ。リリーフであれ先発であれ、駒はひとつでも多く欲しい。現状、できるなら先発が欲しい。リリーフなら、今でも使えそうなやつが二軍に何人かいるしな。なんだかんだ先発投手を一人確立するほうが、リリーフを一枚増やすよりもずっと難易度が高い」


「あいつに、その先発が務まると?」


「さあな、それは俺にも分からん。正直あまり期待はしていないよ。お前の言う通り、一年目の高卒選手、それも投手経験があると言っていいのかも怪しい女子選手に、わざわざやらせる必要もないのかもしれない。まあ、万が一適性じみたものが見つかれば儲けもの程度の話だよ。その辺の適性ばかりは、やらせてみないと見えてこないからな。結果として使えそうになくても、それはそれで先発を諦めさせる、いいきっかけになるだろう?」


「それはそうかもしれないが……」


「それにここまで言っておいてなんだが、今のところ二軍の先発ローテーションは埋まっている。一時的に二軍で調整中の投手も含め、だがな。だから今すぐ片崎をそこに入れるとか、そういう話じゃない」


「……まあ、お前の考えは分かった」


 片崎個人に関する会話はここまでで、その後は元々話していた投手全体の起用方針や選手のコンディションの話に戻り、その後一時間ほどで俺たちは解散した。


 中溝と話していたとおり、俺はしばらくの間、片崎をリリーフとしてしか投げさせなかった。今先発ローテーションに入っている新人の中から一人ないし二人、先発投手としての芽が出てくれば、わざわざ片崎を使う必要もないのだから。


 だが怪我により二軍で調整中だったローテーション投手が復調して一軍に上がり、先発の枠が空いた。

 枠が空いているのなら使わない理由もない。俺はその抜けた穴に片崎を入れ込んだ。中溝はいい顔こそしなかったものの、止めもしなかった。


 とはいえ、さすがにいきなり先発として投げるのは苦労するだろう。そんな俺の、いや俺だけじゃなく、あいつの登板を知っている人間ならば誰でもそう考えるだろう予想を、あいつは超えてきた。



 試合当日、ここまで五回を投げて無失点。

 それも一人の走者も許さず、ここまでで費やした球数はたったの48球。1イニングあたり10球を下回るペースで、このままいけば九回まで投げ切っても百球にも届かない。

 その投球内容もいやに手慣れていた。


 平然とした顔で初球にカーブを投げてカウントを整えたかと思えば、二球目にインコース速球を投じてゴロアウトに仕留める。130キロそこそこのストレートを振り遅らせた次のボールで遅いチェンジアップを放り、バッターにまるで見当違いなタイミングの空振りを奪う。ときにクイック気味に投げ、ときにおそらくはわざとであろう、死んだような棒球を投げては凡打の山を築く。


 結果だけを見れば無駄なボール球は一切使わず、それでいて実際には際どいボール球をいくつも使いつつも、そのボールにほとんどのバッターが、ほとんどの場面で手を出していた。


 先発投手に求められる資質、球数を多く投げられることと同様に求められる、少ない球数で相手を抑える技術。今のところ片崎は、それを遺憾なく発揮していた。


 このままのペースでいけば完投、それも完封、下手をすればノーヒットノーランや完全試合までありうる、ここまでのピッチング。

 そんなに上手くいくとはさすがに考えていないが、しかしこいつは今まで、そういう俺たちの予想を易々と超えていったのだ。今回も同じように、初先発で完封ぐらいのことはやってのけるかもしれない。


 その予想はそう外れてはいなかった。少なくとも途中までは。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ