進路相談
「母さん」
呼びかけると、テレビに映るニュース番組をつまらなさそうに見ていた母が、ソファ越しに振り向いた。
「なに?」
私に似ているとよく言われる切れ長の目が、私を見つめる。
意識したことはないけれど、私と母の顔立ちはよく似ているらしい。
つりあがり気味で切れ長の目も、顎に向かって細く尖っていくような顔の輪郭もそっくりだと、父や親戚の人たちからは、昔からよく言われていた。
「進路のことなんだけどさ」
「なに? ずいぶん真面目な話じゃない」
そう言って母が笑う。突然の話題だったからか、その笑みが少し硬いようにも見えた。
「まあね。実は就職したいところがあって、もう面接も受けてきたんだ。合格するかはまだ分からないけど」
「は?」
母の顔が怪訝そうに歪む。でもまあ、そういう反応になるだろうな、と思った。
すでに高校三年目の秋。もうほとんどの人間は、とっくに進路を決めている時期だ。私自身、校内の進路希望調査では地元の大学名を記入し、提出していた。
正直、希望、というほど積極的な思いはなかった。
在籍しているのが普通科の高校だったし、両親も、特に就きたい職業がないのなら進学しておいたほうがいい、どこで野球をしているのか詳しくは知らないが、せめて地元の大学に進学するのに困らない程度には勉強もしておけ、そういう旨のことを何度か口にしていた。
勉強自体は特に好きでもなければ得意と感じたこともないけれど、特別苦手というわけでもなかったから、それほど苦痛ではなかった。
野球以外にやりたいこともなかったから、空いた時間に授業の復習でもしておけば、学力でそこまで困ることもなかった。偏差値上位の有名大学にでも進学したいのならば、話は別なのだろうけど。
もっとも、そんなことを抜きにしたって、事前に何の相談や連絡もないままいきなり、面接を受けてきた、なんて言われたら、誰だって驚くかもしれないけれど。
「え? なに、冗談なの? それとも本気?」
「本気」
「……面接ってどういうこと? あんたいつの間に? 本当に言ってる? どこの会社?」
「静濱グリフィンズ」
そう言っても、母は首を傾げるだけだった。それはそうだ。母は元々野球に興味がなかった。プロ野球の球団名を言っても伝わらないだろう。
「ごめん、回りくどいよね。正直に言う」
正直に言うのはいいけれど、信じてもらえるかな。口に出す寸前、そんな考えが頭をよぎった。
「私、プロ野球選手になる。そのための入団テストも受けてきた」
「はっ?」
さっきから母の眉はずっとひそめられたままで、次の言葉が出るのにもずいぶん、時間がかかった。
「あんたが野球をしてたことは、なんか知らないけど社会人野球?かなんかのチームで投げさせてもらってるのも聞いてはいたけど……。あんたの言ってるプロ野球っていうのは、女子プロのこと? 確か女子にもプロ野球があるんだよね?」
母さん、そんなこと知ってたんだ。少し驚く。野球に興味がない人だったから、そのへんの事情なんて知らないと思っていた。
「ううん、女子プロ野球じゃなくて、プロ野球」
「……ちょっと待って、え?」
何を言えばいいかも分からない様子のままうわごとのような言葉をこぼし瞬きを繰り返す母に、私は告げた。
「私に、その入団テストを受けるように勧めてきた球団職員の人が、今度事情を説明しに来たいって言っているから、会ってくれないかな」
「……待ってよ、急にそんなこと言われたって」
「お願い」
母の言葉を遮るような形で、私は頭を下げた。
母も父も、自分の願望や事情を勝手に押し付けて、子どもの意思を無視するような、そんな親ではないと思う。
それでも、プロ野球に入る、入りたいなんて、そんなことを言われたら混乱するだろうことは、反対するだろうことは、さすがに私でも分かった。
突飛過ぎて、言っていること自体を信じてもらえないとしても、おかしくないと思った。
でも、
「お願い」
それがたとえ私を心配してだとしても、親心だったとしても、そんなもので私が行く先を止めないで欲しかった。
ずっと欲しかったものが、そこでなら手に入るかもしれない。ずっと飢えていたものが、満たされるかもしれない。
だから、応援なんてしてくれなくていいから、肯定なんてしないでいいから、止めないで欲しい。
「…………」
沈黙は十秒くらいで、その間に二度、母は小さく口を開け閉めしていたけれど、実際に言葉を口にしたのは三度目だった。
「ごめん、突然のことで頭が整理できない。お父さんとも相談するから、返事はそのときにさせて」
「分かった」
後日、父も含めて家族全員に事情を、状況を話した。
当然のごとく父も困惑していたけれど、球団職員の人と会ってくれることにはなった。
その当日、スーツ姿の二人組が家に訪れた。
一人は私をスカウトした張本人である木庭さん。
もう一人はスカウト部長と名乗る、阿郷さんという男性だった。
五十代くらいに見える男性の阿郷さんはともかく、女性で、しかも年齢は二十代の、せいぜいが半ばほどにしか見えない木庭さんを見て、両親は目を丸くしていた。
二人をリビングに通してすぐ、母は二人に問いかけた。
「あの、娘をそちらの球団に、選手として雇いたいというのは本当なのでしょうか?」
「はい」
阿郷さんがそう頷く。壮年男性が話した方が説得力があるという判断なのかなんなのか、木庭さんは玄関での最初の挨拶以降、口を開いていなかった。
「女子野球、とかでもなくて?」
「はい。男子、という表現は適切でないでしょうが、皆さんがただプロ野球と言われたら想像するであろう、日本野球機構が統括しているリーグ、そこに所属するチームのひとつ、グリフィンズの選手として、片崎さんを我が球団に預けてはもらえないでしょうか?」
「どうして、うちの娘なんですか? 他に男性の選手でいくらでも、優秀な人はいるでしょう? どうしてわざわざうちの娘を欲しがるんですか?」
「それは……」
阿郷さんが何かを口にしようとする、その前に、
「ダメなんです」