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入団テストの準備と本番と、それから

 正直、入団テストをクリアできたのは、かなりギリギリだった。


 ピッチングが悪かったわけじゃない。二次試験の実戦登板で私は2イニングを投げ、一本のヒットも許さず、一人のランナーも出さなかった。

 苦戦したのは一次試験の方だ。


 試験の内容は50メートル走と遠投。事前に聞かされていた合格基準はそれぞれ、6.5秒以内と90メートル以上。


 遠投に関しては、そこまで心配していなかった。以前サンダードッグスの練習場を使って遠投をさせてもらったときは、100メートル以上の距離を投げることができていたから。

 問題は、50メートル走の方だった。


 私は高校進学以降、自分の50メートル走のベストタイムを知らなかった。

 校内の体力測定で測ったことはある。だけどそのときは本気で走らなかった。

 中学のときは本気で走っていた。タイムは二年生の時点で7秒をギリギリ切れるかどうかくらいだったと思う。それは女子中学生としてはかなり優秀な部類の数字だったようで、測定以降、陸上部の部員たちからたびたび勧誘を受けるようになってしまった。


 それが正直うっとうしくて、高校に上がってからは学校では本気で走らず、本気で走るのは個人的な走り込みの際だけだった。


 それも一人では記録を測ることも難しかったから、高校に上がってからの自分の50メートル走のタイムがどれほどの数字なのかは、入団テストのために、サンダードックスの球場で測定してもらって初めて知った。


 6秒台後半、調子のいいときで6.5秒にギリギリ届くかどうか。それが測定時点での私の50メートル走のタイムだった。


 本番では6.5秒を切らないといけない。しかもそれはあくまで最低基準だというのに、その時点での私は、調子が悪ければそこにさえ届かない状態だった。一次試験で落とされれば、ピッチングをすることさえさせてもらえない。


 入団テストまではまだ一か月あった。それまでひたすら50メートル走の練習をした。


 メインはとにかく50メートルを走った。

 筋繊維の回復のことを考えると、毎日行うわけにもいかない。週3回、サンダードックスが利用する練習場を、選手たちが使っていないタイミングで使わせてもらった。


 タイムの測定と、フォームチェックのための動画撮影をしてくれる人が必要だったから、球団スタッフの中で協力してくれる人を探す必要もあった。


 大半の人には忙しいから、選手でもない相手になんでそんなことを、そんなようなことを言われて断られた。

 ブルペンキャッチャーの柴原さんにもお願いしてみたが、今はたまたま仕事が立て込んでいて、明るい日中のうちはとても時間が作れそうにない、とのことだった。それでも私の投球練習には付き合ってくれているのだから、こちらとしては感謝しかないけれど。

 そうして探しているうちに、協力してくれる人がなんとか二人、見つかった。


 一人は投手コーチの葛西さんで、事情を聞かれたからくわしく話すと、暇なときならと、あくび交じりにそう言って引き受けてくれた。

 これでお前が本当にプロ入りでもしたなら、それはそれで痛快だしな、と、そう言って笑っていたあたり、私が本気でプロになれるとは思っていないようだったけれど、協力してくれるのなら文句はない。もともと突拍子もない話ではあるわけだし。


 もう一人は、広報部署で働いている篠田さんという女性職員だった。

 年齢はたぶん私の母と同じか、少し年上くらいで、女の子がプロ野球選手になんてなったら夢みたいじゃない!漫画とか、フィクションの世界でしか見たことがないもの。こちらもそう言って笑っていた。


 葛西コーチはお手並み拝見、とでも言いたそうな、どこか挑発的な笑みだったけれど、篠田さんはただ目の前で起こっていることに興味があって仕方がない、という様子だった。


 面白がられるのはあまりいい気がしないけれど、篠田さんの様子から嘲るような印象は一切なくて、ただ目の前の状況を楽しんでいるだけのようだったから、不快ではなかった。


 コーチにはタイム測定を、篠田さんには動画撮影をお願いした。


 とはいえ篠田さんはあくまで広報部署の職員で、選手のサポートを専門にしているわけじゃない。だから内心、撮った映像がブレてしまうんじゃないかと心配していたけれど、本人が「娘たちの運動会とかで動画は撮り慣れているから心配しないで!」と話していたとおり、撮ってもらった動画に乱れはなかった


 単純な50メートル走に加えて、ジャンプや坂道ダッシュといったトレーニングも行い、筋力強化に努めた。


 ただ、肉体を強化するということは、身体が変わるということだ。

 短距離を速く走るために変化していく肉体に合わせて、キャッチボールの際やバッティングピッチャーとして投げる際に、その身体に合わせて動きを微調整していく必要もあった。ピッチング自体を崩してしまえば元も子もない。


 練習の成果としては、6.5秒以内をある程度安定して出せるようになり、ベストタイムでは6.4秒を切った。


 つまり、ギリギリだった。


 本番で少しでも不調だったなら、おそらくタイムを切れていなかっただろうし、測定者によって多少の誤差やブレもありえた。そもそもタイムを切っていたとしても、必ずしも合格できるわけじゃない。

 6.5秒はあくまで最低基準であって、他の参加者の記録次第では、一次試験の時点で落とされる可能性は十分にあった。結果として二次試験に上がれたのだから、記録はクリアできていたのだろうけど。


 続く二次試験の実戦登板では、合格に足る結果を残せたはずだ。


 2イニングを投げて走者を出さず、1イニング目は三人の打者全てを三球三振に仕留めた。狙って、三振を取った。


 打たせて取るピッチングでは偶然だと思われる可能性があったから、偶然の余地の入らない三振という方法でアウトを3つ、重ねた。


 次の回も投げさせてもらえるようだったから、今度はあえて打たせて取るピッチングをしてみせた。

 打たせて取るのならば、バットを折る、というのが一番印象に残るアウトの取り方だと思ったから、軌道が僅かに異なる速球を3つ使い、インコースのボールに手を出させてバットを折った。


 バットをへし折った瞬間、もしかしたら私は、少しにやけていたかもしれない。


 打者を三振で打ち取るのももちろん気持ちが良いけれど、バットをへし折るというのも別の快感がある。


 二次試験での登板では、思うようなピッチングができていたように思う。これで合格できないのならば、もうどうしようもない。


 ただ、野球では、入団テストではやれることはやったけれど、未成年の私には、それとは別にドラフト会議の前にやらなければいけないことがあった。


「母さん」

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