二つ目
話の途中で、阿郷さんのポケットが震えだした。
「すまん、ちょっと出てくる」
「ごゆっくり〜」
こんな騒がしい中で電話の声が聞こえるのかなとも思ったけど、観客席を離れれば、どうにか通話ができる程度には静かな場所があったらしい。10分もしないうちに、阿郷さんは小走りで戻ってきた。
「なんの話でした?」
「仕事のことだよ。ちょっと急用ができて、グリフィンズの球場に戻るはめになった」
「ありゃ、社ち、大変ですね」
「ほんとにな」
どっちに対する肯定だろう。
「休暇中に話しかけて悪かったな。そういうわけだから、ちょっと戻るわ」
あのときはそう言って、阿郷さんがいなくなってしまったから話せなかったけど、またしばらくして会ったときに、会話の流れで再度、聞かれた。
お前が投手を見るときに注目する点と言っていた、2つ目とはなんだ、と。
そのときに返した私の答えを、今目の前にいる投手は実践している。
アレンジ力。打者に慣れさせない能力。そのために、自己を変化させていく能力。
いくら特異なボールを持っていても、それがよほど強力でなければ、いつかは打者に慣れさせてしまう。
だから投手は、特に何度も同じ相手と対戦するプロのピッチャーは、変化することを強いられる。
それは短期的に見れば、例えば複数の球種を交えて緩急や軌道の変化をつけることや、打者やイニングごとに配球を変え、打者の目をくらませることだろうし、長期的に見れば、新しい変化球の習得や球速の向上、持ち球の質を磨くことなど様々だけれど、とにかく変化すること、進化することを求められる。
片崎渚は、常にそれを行なっていた。
1試合の中でもフォームに微妙な変化をつけて打者のタイミングを崩し、同じ速球でも複数の軌道を使いこなす。その上で日々、持ち球のバリエーションを増やし、球質・球速の向上をさせるなど、常に自己を変化・進化させ、投球の引き出しを増やし続けていた。
一般的に、初対戦では打者より投手の方が有利だと言われている。
初めて見るフォーム、初めて見る軌道のボールに合わせなければいけないから、その分だけ打者は、タイミングを合わせることが難しくなる。
もちろん投手も、データのない打者と対戦しなければいけない等不利な点もあるが、それは打者も同じだ。
そして、自らのタイミングで投げられる投手は、打者にタイミングを合わせる必要がない。野球というゲームは常に投手から始まる。投手が主導権を握っているのだ。
だけどそれは裏を返せば、対戦を重ねれば重ねるほど打者が有利になっていくということだ。
しかし彼女は、同じチームのメンバーと何度も対戦を重ねているにも関わらず、打たれない。打たせない。
それは打者に自分のピッチングを慣れさせていないから、打者の想定を自身の進化が上回っているからに他ならない。
(1つ目はないと話にならない。だけど2つ目は、プロに入ってからでも磨くことができる。とはいえ)
2つ目のアレンジ力も、誰でも身につく、誰でも手に入るというわけじゃない。
変化し続ける、努力し続けるというのは、どうしたって本人の性格や資質に左右されるものだし、どうすれば打たれないかを察知し、それを身につけるのは、どうしてもセンスや才能と呼ばれる類のものに依存する。
(けど、片崎渚はすでにそれを持っている)
だから通用すると思った。
だから欲しいと思った。
そのための手段は講じた。あとは彼女次第だ。
(そのためにも頼むよ、渚ちゃん)
私は彼女に両方の手のひらを向けて、念でも送るように両目をつむって力を込めた。パワー!
最後の打者を抑えたらしい片崎さんはマウンドを降り、私のPowerを察知したのかこちらに顔を向けて、その顔をしかめた。
なんなら舌打ちもしているっぽかった。ごめんて。
まあとにかく、やれることはやった。
あとは貴方次第だよ、片崎さん。




