どういうところ
『喜んで、入団テストを受けさせてもらいますね、スカウトさん』
そのセリフを引き出せただけでも、ひとまずは大成功だ。
もっとも、彼女の境遇や、グラウンドでの様子から推測できる性格を考えれば、ほとんど断られる心配はないと思ってはいたけれど。
今日もサンダードッグスが練習を行っている球場にお邪魔させてもらっている。お目当ての片崎さんは、この日もバッティングピッチャーを務めていた。
バッティングピッチャーでありながら、普通にマウンドから打者を相手に投げている彼女を観察しながら、以前スカウト部長の阿郷さんから聞かれたことを思い出す。
スカウト部に配属される前、観戦に来ていた夏の甲子園の、確か二回戦だったと思う。選手を見にきていたらしい阿郷さんと、たまたま合流したことがあった。
ひどく太陽の光が照りつける夏の日。
いくら知り合いづてに入場券をタダでもらったからって、このバカみたいな暑さの中、貴重な夏季休暇のうちの一日を使ってまで、こんなところに来なければよかった。始めはそう後悔して、でも観ているうちに暑さも忘れた。
忘れて、観るのに夢中になって。七回裏にリリーフとして登板した投手が投げ始めた頃に、後ろから声をかけられた。
「よう」
私に覆いかぶさる、横にも縦にも大きな人影と、野太い声。振り向くと、見覚えのある中年男性が私を見下ろしていた。
「どもです。スカウトのお仕事ですか? ずいぶんな重役出勤ですけど」
声をかけてきたのは、グリフィンズのスカウト部長、阿郷さん。
同じ球団職員だということもあって、この人とは以前も話をしたことがあった。
もっとも、広報部とスカウト部では畑違い過ぎてほとんど交流もないから、彼と話したことがあるのは偶然の産物みたいなものかもしれないけど。
「ちょっとトラブルがあって遅れたんだよ。お前こそこのクソ暑い中、仕事でもないのに野球観に来てんのかよ。好きだね、お前も」
「いやー、さすがに後悔してますよ。いくらタダ券が手に入ったからって、こんなあっっつい中くるんじゃなかったー!って。まあ観てるうちに気にならなくなりましたけど」
「いや気にしろよ。少なくとも水分補給はちゃんとしろよ」
「大丈夫でーす」
飲みかけの、凍らせたスポーツ飲料入りペットボトルを掲げてみせる。ついでに麦茶版もあります。
「ならいいが……。ここ、座るぞ。なんか知らんがお前の隣らしい」
私の目の前で、阿郷さんがチケットをひらつかせる。
「おおー偶然、いや運命ですね!」
「お前の運命の相手がこんなおっさんでいいのか。それも世帯持ちの」
「禁断の恋ですね!」
「うるせえ小娘」
大げさに顔をしかめながら、阿郷さんがベンチに腰を下ろす。
「なあ、木庭」
「はい?」
振り向くと、なぜか阿郷さんは真剣な顔をしていて、なんだなんだとこちらは困惑してしまう。
私たちが二人でいてそんな真剣な話になることあるか? ないでしょ。
「お前は選手を見るとき、どういうところを見ているんだ?」
「へ?」
突然の話題に困惑してしまう。どういうところ、と言われましても……。
プロ野球球団のスカウト部長様にお答えできるような、大層な回答は持ち合わせておりません!なんて言って、誤魔化そうかとも思ったけど、阿郷さんの表情が妙に真剣で、ふざける気にもならなかった。
「そうですね……」
一応こちらも真剣に考える。別に隠すようなことでもないし、素直に答えればいいか。
「野手は個人的に、投手以上に判断が難しいので、特別ここ!というポイントはなかなかピックアップできないんですけど、投手に限って言えば、特に注目しているのは2つ。1つ目は、どれだけ平均から外れているか、です」
「どれだけ平均から外れているか……球速が他より速いとか、そういう話か?」
「分かりやすいところだとそうですね。でもそういう誰にでもすぐ分かっちゃうところだと、他のスカウトの人たちだって当然把握しているだろうし、他球団を出し抜けないんじゃないですか?」
「なんでお前がスカウト目線なんだ。言っていることはそのとおりだが」
そのスカウト様からの質問だからだよ。そっちこそなんでこんなこと私に聞くんだ。
別にいいけどさ。野球の話をするのは嫌いじゃないし。
「例えばなんですけど、私は今リリーフで投げているピッチャーの子なんか、面白いんじゃないかなって思うんですよ」
阿郷さんの視線を誘導するような気持ちで、目線をマウンド上の投手に合わせる。
「ああこいつか。確か名前は……吉津、だったか?」
「あ、知ってる選手なんですね。注目していたんですか?」
「いや、たまたま春の地方大会でも登板を目にしていたから、なんとなく名前を覚えていただけだ」
目線はあくまでグラウンドに落としたまま、阿郷さんがマウンドにいる投手の評価を口にする。
「サイドスローから放つストレートの球速は130キロ台中盤から後半、ごくまれに140キロを超えるくらいか。変化球はスライダーと、たまにカーブの2つ。カーブはある程度狙ってストライクゾーンに投げられるようだが、変化は大したことない。スライダーも似たようなもので、多少空振りを奪ってはいるが特別鋭い変化をしているようには見えない。コントロールはそれなりにまとまっていそうだが……」
私と話をしながらも、グラウンド内の情報はちゃんと目に入れていたらしい阿郷さんが、そこまで言って首を傾げた。
「そんなに特徴的な選手か? サイドスローの高校生としては球速はあるし、球の走りも悪くないが、それ以外取り立てて秀でたところがあるようには見えないが……」
「阿郷さんはあの投手のフォームを見て、どう思いましたか?」
「フォーム?」
一度だけ私の方に振り向き、再度マウンドへと視線を落とした阿郷さんは、間違い探しでもするみたいに少し目を細め、顎に手を当てて唸った。
「特には……。腕が滑らかに振れているのはいいことだと思うが、サイドスローとしてはわりとオーソドックスなフォーム……」
阿郷さんがそこまで口にして、なにかに気づいた様子で一度口をつぐんだ。
「オーソドックスなフォーム、だと思ったが、なにか少し変だな? フィニッシュの形がちょっとオーバースローっぽい……リリースもか」
「ですよね、私もそう思いました」
我が意を得たり、って、こういうときに使うのかな。なんてどうでもいいことを思いながら笑ってみせる。言いたいことがすぐ通じる人と話すのは楽しいね。
「サイドスローのフォームなのに、投げているストレートの回転・軌道がオーバースローに近い投手、打ちづらいと思いません?」
「……そうだな。バッターはどうしても、投手のフォームから次に来るボールの軌道を予想してしまうから、バックスピンのかけづらいサイドスローのフォームから、思ったより沈まないストレートを投げてこられたら、確かに打ちづらい。現に……」
話の途中で、軽い金属音が耳に響く。あの投手のストレートを、打者が打ち上げた。ファーストフライ。
「少なくない数のバッターがあいつのストレートの下を振って、空振りやファールになったり、内野フライで仕留められたりしている」
一塁手が後ろに下がってボールを捕まえた。アウトだ。
「これがお前の言う、平均から外れている、か」
「そうですね」
頷く。グラウンドに目を向けたまま、私は自分の意見を補足した。
「別に逆でもいいんですよ。いかにもホップするストレートを投げそうなフォームで、手元に来て思ったより沈む速球でもいいし、ピッチャーの手元から離れた瞬間の予想と、大きく外れる変化球でもいい。思ったより大きく曲がってもいいし、小さくてもいい。思ったよりボールが来ないでもいいし、予想より来ている、伸びてくるでもいい。とにかくバッターの予測する軌道と一致しないこと。その不一致が、バッターの対応できる範囲から外れていること。そういうボールが、一番打ちづらいんじゃないかと思うんです。バッテリーが一生懸命、打者の狙っている球種を探って、それとは別のボールを投げようとするのも、ある意味ではそういうことですし」
「なるほどな。まあ言わんとすることは分かる。だが……」
3つ目のアウトを空振りの三振で奪った投手が、マウンドを駆け降りる。
「吉津だったか。確かに面白い投手だが、このままドラフトにかけられるかというと厳しいな。今のままだとプロではどうしてもスピードが、出力が足りない。取り立てていい変化球があるわけでもないし、慣れられたらプロの打者たちはすぐに対応するだろう。これでもっとガタイがよけりゃ伸びしろに期待して下位指名もありえたが……。ウチには育成ドラフトもないし、大学や社会人を経由させて、どれだけ伸びるかといったところだな」
阿郷さんの見立てに私も頷く。
「そうですね。それは私もそう思います。ただ、少し変則気味にも見えるフォームですから、進路先の指導者にフォームを弄られたりする可能性があるのがちょっと怖いですね。一番の特徴が無くなっちゃうわけですから。それに」
「それに?」
「彼はまだ二年生です。伸び盛り真っ只中の高校生ですから、急に球速が上がるケースは珍しくない。あと5キロ球速が伸びるだけでもかなり変わってくると思います。歴代ナンバーワンのストレートを投げるとさえ言われた某球団の元クローザーは、ストレートに伸びを感じさせる一番ちょうどいい球速は、140キロ台中盤から後半だ、なんて主張をしていたくらいですし」
「だとしてもあと5キロ足りないが」
「球速をそこまで求めるのなら、大化けでもしない限りは進路先の育成手腕に期待するしかないですね。サイドスローは体感速度が5キロ増し、なんて言葉もありますし、プロに入ったら入ったで、案外通用するかもですけど。大学や社会人に行くにせよ、阿郷さんがプロの舞台へ引っ張っていくにせよ、ちょっと楽しみな選手だとは思います」
「小娘のアドバイスだけで、ドラフトにかける選手を決められるかよ」
「あはは、そりゃそうだ」
「けどまあ、そうだな。参考にはさせてもらう」
「光栄です!」
ビシッと敬礼してみせたけれど、阿郷さんからそれに対するリアクションはなかった。なんでさ。
「そういやまだ聞いていなかったが、2つ目は……」