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ブルペンキャッチャーの新しいお仕事

 肩を故障して捕手としてグラウンドに立つことができなくなった俺を、このチームはブルペンキャッチャー兼球団スタッフとして拾ってくれた。そのことには本当に感謝している。

 ただそのときは、バッティングピッチャーのボールまでわざわざブルペンで受けることになるとは思っていなかった。

 しかも、

 

「そろそろ座ってもらっていいですか?」

 

 マウンドから俺にそう声をかけてくるのは女性、それもまだ少女と呼ぶべき年齢の選手だった。

 バッティングピッチャーのことを選手と呼ぶべきなのかは分からないが。

 

「おう」

 

 頷き、キャッチャースボックスに座り込む。

 別に、バッティングピッチャーの球までわざわざ受けるのが嫌だとか、そういうわけじゃない。

 ただ、バッティングピッチャーといういわば裏方が、わざわざブルペンで投球練習をするだなんて、ずいぶん贅沢だなとは思った。

 

 ただしそんな思いも、座って彼女のボールを一球受けた瞬間に霧散してしまった。

 

(おいおい、ずいぶんいい球放るじゃんか)

 

 球速的には130キロに届くかどうかくらいだろうか。独立リーグ全体のレベルから見ればもちろん遅い方だが、高校一年生の投げるボールとしては、女子ということを差し引いてもそう遅くない。

 しかも、

 

(構えたとこドンピシャで来たぞ)

 

 糸を引くようなストレートが、右打者のアウトローに構えたミットへと吸い込まれるようにして突き刺さった。

 

 まだ一球目だし偶然かとも思ったが、二球目、三球目と連続で構えたミットの位置に寸分の狂いもなくボールが来れば、さすがに偶然で済ませるのは無理がある。

 

(キャッチボールの時点で球の回転も良いし、構えたミットのとこに来てるなとは思ってたけど、ここまでかよ)

 

 まだストレートしか投げていないが、使える変化球が2つくらいあって、球速があともう5キロほど速くなれば、独立リーグでも即戦力として使えてしまいそうだ。

 

(もしかして監督、こいつが上手く育てばそのまま選手として契約しようとか考えてたりすんのかな)

 

 つい数時間前に監督とこの少女が交わしていた会話を思い出す。

 

 

「誰か、キャッチャー相手に投げさせてもらうことはできませんか?」

 

 少女、たしか名前は片崎だったか?が、監督と話しているところに、俺は偶然通りかかった。

 

「以前お話ししましたが、野球部に所属しているわけではないので、投球練習ができる場所がほとんどないんですよ。あのバッティングセンターに頻繁に通い続けられるほど、一般的な高校生のお財布事情は芳しくないので」

 

「うーん、事情は理解できるが……」


 監督が渋い顔で腕を組む。まあそれもそうだろう。


 ブルペン自体が空いている時間帯はあるかもしれないが、さらにキャッチャーまで用意しないといけないとなるとなかなか厳しい。そもそもただのバッティングピッチャーのためにそこまでしてやる義理もないだろう。

 ……いや、彼女のことをただのバッティングピッチャーと呼ぶのが正しいのかは微妙なところだが。


 一般的なバッティングピッチャーはマウンドより近い位置から、打者にとって打ちやすい球を投げるのが一般的だが、彼女の場合はマウンドから投げているうえに、わざと打ちやすい球を投げているとはとても思えない投球をしている。そのことをチーム、というか監督が容認しているようだった。むしろ積極的にそうさせているように見える。

 彼女が続けて言った内容に監督が同意したことも、それを裏付けていた。


「それに、バッティングセンターの投球練習場じゃ、自分の球の軌道を確認するのにも限界があるんです。ホームベース側にいる人間の視点が欲しい。バッティングピッチャーの投げる球が良くなったほうが、バッティング練習の質も上がるでしょう?」

 

「まあ、確かにそれはそうだが」

 

「なんとかなりませんか? 練習道具のメンテナンスも球団の仕事のうちでしょう?」

 

「練習道具のメンテナンス、ね」

 

 少女の自虐的な言葉に、監督は困ったように嘆息してから頷いた。

 

「わかった。確約はできないが、空き時間にブルペンが使えないか調整してみよう。それと」

 

「あっ」

 

 監督と目が合い、思わず小さな声を上げてしまった。

 

「彼とも相談してみるよ。このチームのスタッフで、ブルペンキャッチャーも務めている柴原さんだ」

 

「あー……どうも、球団職員の柴原です」


 俺がぺこりと頭を下げながら言うと、向こうも小さく会釈を返してきた。

 

「はじめまして、片崎渚です」

 

 

 そんな流れで、彼女のピッチング練習に付き合うことも俺の仕事のうちになったが、それは思ったより退屈しない時間だった。

 というのも、

 

「次、スライダーいきます」

 

 彼女が試行錯誤していく過程を、一番身近で見届けることができる役目でもあったからだ。

 

「ナイスボール!」

 

 最近覚え始めたという、鋭く横に曲がる変化球を捕球して思わず叫ぶ。

 変化のキレもコースも決して悪くない。今の時点でも十分武器になりそうなボールだった。

 

「次ストレートいきます」

 

 宣言し、放たれたストレートは相変わらずのコントロールで構えたミットへ収まった。のだが、

 

(ん?)

 

 受けた瞬間、わずかな違和感があった。

 

「ナイスコース!」

 

 だが今の球だけがたまたまそうだったのかもしれないし、わざわざ口にするほどのことではないだろう。そう思ってその違和感については口にせず返球したのだが、

 

「なんか、ストレートがちょっと沈んでます?」

 

 片崎の方から、俺の感じた違和感についての答えを返してきた。

 

「あー、やっぱそうだよな。気づいてたのか」

 

 嘆息し、片崎が頷く。


「ここからじゃいまいち分からないので、キャッチャーの視点から意見が欲しかったんですけど、やっぱりそうなんですね」

 

「沈むってほど極端ではないけどな。いつもより若干ストレートに伸びがないかな?ってくらいで」

 

「スライダーを投げ始めてからなんですよね、この違和感」

 

「まあ確かにたまにいるな、スライダーを投げ始めてストレートの質が変わるピッチャー」

 

 どうもスライダーを横に曲げようと意識しすぎて手首が寝てしまう癖がついたり、腕が今までより横振りになったりしてしまうらしい。

 見たところ片崎のフォームに異変は感じられないが、手首の角度や指先の感覚に微妙な狂いが生じているのかもしれない。

 

「このスライダーを投げるのはやめておいた方が良さそうですね」

 

 片崎の決断に俺も同意する。


「ちょっともったいない気もするけど、そうかもな。でも球種がストレートとカーブだけはちょっと寂しくないか?」

 

「私もそう思って、一応他の球種も練習してはいるんですけど、今の時点じゃ使い物になりそうにないんですよね」

 

「まあとりあえずそれも投げてみろよ。投げているうちに良くなるかもしんないし」

 

「分かりました」

 

 頷き、片崎が次の球種を宣言した。


「フォークいきます」

 

 腕はしっかりと振れている。そこから放たれたボールは途中で落ち始め、ホームベースの奥でワンバンした。それを身体で止める。 

 うーん、これは……

 

「微妙でしょう?」


 俺が何かを言う前に、片崎がそう口にした。

 

「そうだな。落ちるタイミングがちょっと早くて変化もやや緩い感じがする。もう少し打者よりで落ちればバッターも振ってくれるかもしんねえけど、今のままだとちょっと厳しいかもな」

 

「やっぱりそうですよね」

 

「でもまあ、もうちょい投げてみろよ」

 

「はい」

 

 だがその後も何球か試してみたが、俺たちが納得のいくレベルのフォークは投げられなかった。

 

「今日はこのへんにしとくか」

 

「……はい」

 

 どこか納得いかない様子ではあったが、それでも片崎は大人しく頷き、俺たちはクールダウンを始めた。

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