秘密
あれから、十年が過ぎた。
時の流れというのは、なんと不思議なものだろう。霧ヶ峰の夜のように、永遠とも思えるような凝縮された時間があるかと思えば、十年前の少年時代が、つい昨日のことのように思えることもある。
僕と聡は、それぞれ、東京で暮らしていた。東京の大学に進学したのだ。ゆきは、高校を卒業してから、地元の小さな企業に就職した。流石に、お化け捜査官は過去のよき思い出となっていた。
でも、僕らの交流は続いていた。
僕と聡は東京で時々、酒を飲んだ。ゆきとは頻繁に会うことはなくなったが、正月に帰省した時には、必ず会っていた。
「おばあちゃんがね、去年亡くなったの」
その年の一月。久しぶりに三人で集まった時に、ゆきは言った。
「最後にね。おばあちゃんが、お化け捜査官の話をしてくれたの」
聡の父さん、そして僕の父さん、そして、ゆきのおばあさんは、小学校の頃、仲の良い三人組だったそうだ。そして、予想していた通り、彼らは、お化け捜査官を名乗っていた。聡のお父さんは、『お化け捜査官は昔流行った遊びだ』と、言っていたらしいが、本当は、流行ったのは、三人の中だけのことだった。
父さんがこの町にいたのは、ほんの一年間ほどのことだったらしい。父さんの父さん、つまり、僕のおじいさんは、この町が縄文時代の遺跡発見で大騒ぎになった時に、考古学の研究者として、一時的にこの町に移住してきたようだ。
だから、彼ら三人が本当に親密に過ごした時間は一年だけだった。でも、その一年は、三人にとって、とても大切な思い出の一ページになった。
父さんがこの町を離れるとき。
「また会えるのよね」ゆきのおばあさんは泣きながら言った。
「もちろん」
父さんは、そう言った。でも、もしかしたら、もう会えないんじゃないかという予感が、三人の中にはあった。当時はメールも、電話すらも家には無かった。
「手帳、無くすなよ。なあ、こうしようぜ。将来もし、俺たちに子供ができたら、この手帳を渡そう。しかも、ただ渡すんじゃない。何か子供達がワクワクするような、そんな渡し方をするんだ」
そう言った聡の父さんの目にも、涙が揺れていた。
「ワクワクする渡し方なんて、わからないわ」
ゆきのおばあちゃんは言った。
「大丈夫。じっくり考えよう。俺たちには時間があるんだ」
聡の父さんは言った。
数年後、ゆきのおばあちゃんは、自分の息子に、お化け捜査官の手帳を渡した。でも、残念ながらそれは、不発に終わった。息子はそんなものに、少しも興味を示さなかった。
そして、息子が結婚し、ゆきが生まれた時、いつの日か、今度はゆきに手帳を渡すことを夢見た。その日のことを想像しては、こみ上げてくる笑いを必死に抑えるのが大変だった。
ゆきが十才になったとき、作戦を決行した。
ゆきの名前が書かれた手帳を、こっそり、一本杉の根元に埋めておいた。あとは、うまくゆきを誘導して、そこを掘らせればよかった。ゆきの妹のプレゼントを、一本杉の根元に埋めるという提案をしたのも、実は、おばあちゃんだった。この作戦はうまくいった。ゆきはお化け捜査官に夢中になった。
数日たって、ゆきが連れてきた友達の名前が、上野と浜だと知ったとき、おばあちゃんは、最初に驚き、次に運命の不思議さに感動した。
「二人とも、どうやって手帳を渡したのかしら」
そのことは、すごく気になったが、ゆきには、まだ種明かしをするわけにはいかなかった。おばあちゃんは、子供達に自分の思い出が押し付けられることがないように、慎重に見守ることにした。
昔、『お化け捜査官の詩』の作者である、水野さんは、古墳の近くに、小さな小屋を建てて暮らしていた。もちろん、正式に土地を所有していたわけではなく、勝手に家を建てて住んでいた。今で言うホームレスというところだが、自分で建てたその家は、ブルーシートを使ったような簡単なものではなく、かなり本格的で、凝った出来栄えだったそうだ。そして、日本中を歩き回っては、詩や小説を書くという生活を送っていたらしい。おそらく当時、二十代か三十代前半だったと思われる。
聡の父さんは、その年の差をものともせず、水野さんととても仲良くなった。しばしば、水野さんが自作した家に遊びに行っていた。当時は、もう少し乾いた場所で、古墳の形もはっきりしていたという。
水野さんは、聡の父さんの言葉をヒントに、『お化け捜査官の詩』を書きあげ、出版した。これは、僕達が想像した通りだった。
ゆきのおばあちゃんは、水野さんのことはあまりよく知らなかったらしい。でも、聡の父さんが、こんなことを言っていたことを、おばあちゃんは覚えていた。
「水野さんと、霧ヶ峰で会う約束をした。いつか、遠い未来に」
それが本当はどう言う意味だったのか、おばあちゃんは深くは聞かなかったらしい。どうやら、聡の父さんは何かを企んでいる。それは彼の目を見ればわかった。キラキラと楽しそうに輝く瞳の中には、出番を待つ、たくさんの星達が輝いていた。おばあちゃんは、それらの星々が飛び出してきて、自分をワクワクとさせてくれる日が来るのを、楽しみに待つことにした。
その後、もともと放浪癖のあった水野さんとは連絡が取れなくなってしまった。
ゆきの話が終わった。
「水野さんは、あの時、僕らが霧ヶ峰に行くことを事前に知っていたんだろうか」
「いや。あの時の様子から考えると、多分、水野さんは、毎年、八月一日に、あそこに行っていたんだ。もしかしたら、俺や匠の父ちゃんとは、何回か、会っていたかもしれないけどな」
「水野さんは、本当に、幽霊だったってことはないのかしら」
「流石に、それはないだろう。車、運転してたし」
だいたい、おおよその事情が明らかになった中で、僕には一つだけ気になることがあった。
「あのさ、俺、どうしても気になることがあるんだけど」
「夕子のことだろ」
「そう」夕子とは、何者だったのだろうか。
「匠の父ちゃんは、さすがだよな。手帳を幽霊から渡してもらうって、最高じゃん。これ以上ワクワクする渡し方を考えるのは難しいな」
「やっぱ、聡は、夕子は幽霊だと思うわけか」
「そう。いいじゃん。俺たちお化け捜査官の歴史の中で、あれだけは、本物だったってことで」
「なあ。もしも俺たちに子供ができたら、やっぱり手帳を渡そうな」
「何か、ワクワクする渡し方を考えないといけないわ」
「ちょっと待ってくれよ。幽霊から渡す以上にワクワクする渡し方なんて思いつかないよ」
「大丈夫」
聡が笑いながら言った。
「俺たちには、まだまだ時間があるんだ」
終。