正体
キャンプという、この夏、最大のイベントを終えてしまうと、残りの夏休みは、まさに矢の如く過ぎ去って行った。気がつくと、新学期までのカウントダウンが始まり、そして、さらに気がつくと、明日からは新学期である。
去年までの僕ならば、夏休み最後の一日を、だらだらと憂鬱な気分で過ごしていたことだろう。
でも、今年は違う。
新学期の始まりは、新たな冒険の始まりだ。明日も、明後日も、きっと何か新しいものが僕を待っている。そう思うと、ワクワクする気持ちを抑えるのが難しかった。
「匠。あなた、変わったわね」
夏休み最後の夕食を食べながら、母さんが言った。
「そう? 特に、変わってないと思うけど」
僕はちょっととぼけて、そんな返事をしたが、本当は自分の変化に気づいていた。おそらく、あのキャンプの夜が僕を変えたのだ。
「なんだか。お父さんと同じ目をしているような気がするの」
ゆきが、水野さんの正体に気づいたのは、夏休みが終わって、しばらく経ったある日のことだった。いつものように図書館で時間を潰していた聡と僕に走りよると、ハーハーという荒い呼吸の中で、ゆきは、必死に言葉を絞り出した。
「水野さんの、正体が、わかったの」
全速力で校舎から図書館までを駆け抜けてきたゆきの呼吸は、しばらくの間、ハーハーと大きく乱れたまま、元に戻らなかった。一刻も早く、聡や僕に真実を告げたかったのだろう。だから全力で走って来たというのに、言いたいその言葉を、苦しくて喋ることができない。ゆきにとって、そんなもどかしい時間がしばらく続いた。そして、ようやく呼吸が落ち着いたときに、彼女は言った。
「お化け捜査官の詩の作者よ。間違いない」
「どうしてわかったの」
「なんと国語の教科書に載ってたのよ。水野さんは、かつては、漂泊の詩人なんて呼ばれて人気があったらしいの」
僕は、先日、水野さんに会った時のことを思い出してみた。その格好からは、詩人らしさはつゆほども感じられなかったが、少しばかり、漂泊感はあった。漂泊の詩人というよりは、さまよえる登山家という感じだった。
そう言えば、自動車を使っていたな。
漂泊というのなら、やはり、歩いていて欲しかった。しかし、寄る年波には勝てないということか、それとも、若い頃より少しばかり裕福になった老後を楽しんでいるのだろうか。
「やっぱり、幽霊じゃなかったんだ」聡がなぜか勝ち誇ったように言った。
「でも、一年前に、行方不明になっているのよ」
「え」僕も、聡も言葉を失った。
「それじゃあ、僕たちの目撃情報って、結構、貴重なんじゃないの」
「行方不明なんだから、死んだ訳じゃないよな。だったら、幽霊じゃない」
聡のこだわりは続く。
「でも、あの歳で行方不明だと、普通は、亡くなっている可能性も考えるだろ。だとするとやっぱ幽霊かも知れない」
僕の言葉の後に広がった沈黙。その沈黙を破ったのは、ゆきだった。
「とにかく、これではっきりしたことがあるわ。水野さんは、聡君と匠君がお化け捜査官であることを知っていた。もともと、お化け捜査官は聡君のお父さんが始めた遊びだった。これは、つまり、聡君のお父さんは、水野さんと面識があったということにならないかしら」
「つまり、俺たちの親をモデルにあの本を書いたということか」聡が言った。
「そうよ。間違いないわ」
「八月一日の午前四時に、霧ヶ峰で、お化け捜査官に会えると、水野さんは信じていた。自分の本を読めば、いつか必ず、お化け捜査官達は、そこにやってくると考えたのよ。そして」
「俺たちが本当に現れたと言うわけか」
結局、水野さんは、幽霊なのかそうじゃないのか。結論は出なかった。でも、大きな謎の一つは解けた。水野さんと、僕らの父さん達の間に交流があったのは間違いないだろう。
あの時、水野さんはこう言った。
「やっと来たか。思ったより遅かったけれど、そんなことはどうでもいい。この日が本当に来たんだ」
水野さんは、おそらく何年もの間、待っていたのだ。やがて彼らの子供達が、すなわち、僕達が現れるのを。
そう。自分とお化け捜査官たちとの間にある縁の強さを、ずっと試していたのだ。
なんという強靭な精神力だろう。