小さいわたしと大きなプリンともっと大きな妹と
「ねえ、お姉ちゃん、わたし良いこと思いついちゃったの」
ふふん、と胸を張って笑う妹を見て、わたしは少し嫌な予感がしながらも、何?と尋ねた。
今現在、わたしと妹の2人が囲む机の上には小さなプリンが1つだけある。今からこれを分けようとしているのだけれど、やっぱり2人で一個のプリンだと明らかに少ない。ジャンケンをするか、半分個するか、どちらにするのか話し合おうとしているところだった。だけど、妹の提案はわたしが思ってもいなかったようなものだった。
「このプリンさ、2人で1つだと少ないよね?」
「うん」
「ならわたしたちが小さくなってこのプリンを分け合ったらいいんじゃないかな? そしたらいっぱい食べられるよ!」
「いや、小さくなるってどういうことよ?」
「えーっと……。こういうこと!」
妹はいきなり、わたしに向けてスプレーを吹きかけてきた。
「え……、ちょっと!?」
突然の出来事に思わず驚きの声をあげてしまう。
辺りが突然真っ白い霧に包まれて周囲が良く見えなくなった。そこからゆっくりと霧が晴れていくと、ビルみたいに大きな妹が笑いながら、机上にポツンと佇むわたしのことを見下ろしていた。
「だいたい100分の1くらいの大きさかな? これならお姉ちゃん、いっぱいプリン食べられるでしょ?」
「確かにそうだけど、こんな大きさじゃプリンどころじゃないんだけど!」
「大丈夫だって、プリン食べたら戻してあげるからさ。この大きさならいっぱい食べられるよ」
見上げると、プリンはアパートみたいに大きなプラスチックケースの中に入っていた。今のわたしの大きさなら1ヶ月かけても食べ切るのは難しそうな超巨大なプリン。当然食べるにはプリンの入っているケースをよじのぼって中に入らなければならないけれど、ツルツルした表面を何メートルも登っていくなんてとてもじゃないけど無理だ。
「これよじ登らないといけないの……?」
「よじ登るって、そんな難しいこと今のちっちゃなお姉ちゃんには無理でしょ」
ケラケラと小馬鹿にしたように笑う妹の姿を見て、少しムッとした。
「じゃあ、どうやってプリンを食べれば……、ってちょっと!」
いきなりこちらに妹の巨大な指先が近づいてきて、思わず逃げてしまう。
「あ、ちょっとお姉ちゃん動かないでよ。わたしが摘んで中に入れてあげないと、プリン食べられないよ?」
突然自分の身体の数倍サイズの指先が迫って来ているのだから、とてもじゃないけど、無抵抗にそのままつまみ上げられることなんてできない。反射的に逃げてしまう。
「ちょっと、こっちに来ないでよ!」
「お姉ちゃん、じっとしてくれないと間違って潰しちゃうじゃん」
「怖いこと言わないでよ! ……ってちょっと!」
前方にドシンという大きな音と共に、突然巨大な壁ができた。妹が手を横にして机に置いただけだけど、今のわたしにとっては、とてつもなく巨大な壁としていく手を阻んでいた。慌てて逃げる方向をを変えようと思ったけれど、後ろを向いたら、手のひらの壁も同じようにわたしの目の前に移動して、結局逃げ場を失ってしまった。
ほんの少し手の位置を変えれば、妹は片手で、しかもわたしに触れることなく動きを封じることができる。上空から見下ろす妹にとって、わたしの動きは簡単に把握できてしまっているようだ。妹はそれを確認しながら手を動かすだけで、簡単ににわたしを包囲することができた。
「ふふっ、今の小さなお姉ちゃんならわたしの片方の手のひらだけでも十分逃げ道を塞げるんだよ?」
普段はわたしよりも10cm以上小さな妹に翻弄されてしまっていた。
身動きが取れなくなったわたしのことを、妹がもう片方の手を使ってつまみ上げると、乱雑にプリンの中に投げ入れた。わたしの感覚で5mくらいの高さから放り投げられたことへの恐怖を感じる間も無く、すぐに柔らかいプリンの上で身体が跳ねた。
身体全体で乗っかったにも関わらず、プリンはまった崩れることなく元の形を保っていて、いかに今のわたしが軽いのかということを思い知らされてしまう。
「さ、まずはお姉ちゃんが好きなだけプリン食べていいよ。後の残ったものをわたしがゆっくり食べるから」
「ちょっと待ちなさいよ。あんたも小さくなるんじゃないの……?」
「なんでわたしが小さくなる必要があるの?」
無邪気に妹が小首を傾げた。
「なんでって、プリンをいっぱい食べるために……」
「お姉ちゃんが小さくなって満足いくまでプリンを食べても減る量なんてわたしの一口分にも満たないんだから、わたしはほとんどプリンを丸々一個食べられるわけだし、十分いっぱい食べられるよ。わたしの分のプリンのことまで心配してくれてありがとね、お姉ちゃん」
別にわたしはそんなことを心配しているわけではない。どうして妹だけ元のままで、自分だけこんな小さな、うっかり指先で潰されかねないようなサイズにされてしまったのかということに対して不満を言っているのだ。
「あんただけ元の大きさでズルいのよ! あんたもちゃんと小さくなりなさいよ!」
そうやって大きな声を出すと、妹がくすくすと笑った。
「小さくなってあげるから、わたしにスプレーを吹きかけてよ」
そう言われても、今のわたしには自力でスプレーを吹きかけることはできなかった。全体重をかけて押さえても、スプレーは噴射されないだろうし、そもそも噴射するためのボタンまでよじ登ることができない。というよりまず、妹の助けがないと、このプリンの入ったプラスチック容器から出られそうにない。
「自分で吹きかけなさいよ!」
「えー、やだよ。なんで自分からそんな小さな女の子の指先にも勝てなくなっちゃうような身体にならないといけないのさ」
そう言って指先でわたしのことを軽くと触ると、妹の指先の力が加わったプリンの床が少し沈んだ。わたしは上半身だけプリンから出ているような形になってしまう。
「あんたね! 人のこと勝手に小さくしたのに、自分勝手過ぎるわよ! そういう自分勝手なことばっかりするから、友達少ないんじゃない――」
「もう! うるさいなぁっ!」
まだわたしが喋っている途中なのに、妹はわたしの体を上から押さえつけて、完全にプリンの中に沈めてしまった。プリンの地面はわたしが全体重をかけても形を崩さなかったのに、妹の指先の力を加えたら簡単に崩れてしまった。
「ちょっと、何するのよ! 早く出しなさいよ!」
なんとか上に出ようとするけれど、柔らかいプリンの地面は底なし沼みたいで、もがいても上に出られず身動きが取れなくなってしまった。
「今のお姉ちゃんはわたしがいないと何もできないんだから、むやみにわたしのこと怒らせない方が良いと思うよ?」
少し怒ったようにそういうと、妹はドスンドスンと大きな足音を立てながら、どこかに言ってしまった。
「ちょっと! わたしのこと置いていかないでよ!」
周囲をプリンに囲まれて何も周りが見えないような状況で、一人にさせられてしまって心細い。辛うじて上を向いたら遥か高くに部屋の天井らしきものがぼんやりと見えるだけだった。
「もう、どういうつもりよ……」
ため息をついていると、またドスンドスンと足音が聞こえてきた。
「わたし、友達少ないこと気にしているのにそれを言うなんて酷いよ! お姉ちゃんごと食べちゃうから!」
「え、ちょっと、どう言うこと?!」
妹の宣言に続いて、スプーンがプリンをわたしごと掬う。
「ちょっと、やめなさいよ!」
このままだと妹の口内に入れられてしまう。わたしは慌ててスプーンが高い場所に持ち上げられてしまう前にプリンの上に飛び降りた。
「どうせ逃げたって最終的にわたしに掬われちゃうよ? お姉ちゃんが逃げられる範囲はわたしの手のひらよりも狭い場所なんだから」
妹の言うとおりである。この鬼ごっこは圧倒的にわたしが不利なのだ。しばらくの間は掬われるたびに柔らかいプリンの上に着地をすればいいけれど、最終的に妹が全部プリンを食べてしまえば硬いプラスチックの上に飛び降りることはできない。
「まあいいや、お姉ちゃんはとっておきのデザートだから食べるのは後にしてあげる」
そう言って、妹はわたしを掬うことをやめて、ムッとした表情のまま、黙々とプリンを食べ進めていった。その間にもどんどんプリンの形は変わっていき、足場が崩れて行くたびに、わたしはコロコロと下に向かって転がっていった。
とにかくプリンがなくなるまでに逃げる術を見つけなければならないのに、考えている間にもどんどんプリンは妹の大きな口の中に運ばれていき、プラスチックの壁は高くなっていく。とりあえず妹がわたしの足場を低くしていくから、それを防ぐために、ツルツルと滑る壁をよじ登ろうと試みる。
「えいっ!」
思い切ってジャンプして壁に捕まろうとしたけれど、綺麗なプラスチックの壁に足場はない。ただ無意味に壁をズルズルと滑り落ちていくだけであった。そんなわたしの姿をみて、妹がアハハ、と大きな声で笑った。
「お姉ちゃん可愛いー、頑張れー」
そう言いながら、プラスチックの壁から滑り落ちるわたしの落下点にスプーンを置いた。
「ほらほらー、頑張ってよじ登らないと、落ちたらわたしのスプーンの上だよぉ。お姉ちゃんの体よりずっと大きな口で食べちゃうよぉ」
ふざけるな! と大きな声を出す余裕もない。
妹の楽しそうな視線に晒される中、ツルツル滑るプラスチックの壁を登ろうとしたけれど、当然すぐに落ちてしまう。結局、妹の置いていたスプーンの上にポトリと落ちてしまった。妹の小指の先ほどしかないわたしにとってはスプーンはエレベーターみたいに大きかった。
「ふふっ、お姉ちゃん捕まえたー」
そのままものすごい勢いでスプーンを上昇させたので、振り落とされないようにバランスを取ることに必死で、とてもプリンの上にジャンプする余裕なんてなく、あっさりと顔の前まで持ち上げられてしまった。
妹はわたしのことを大きな瞳の前に持ってくる。
「お姉ちゃんは一体どんな味がするんだろうなぁ。プリンより美味しかったらいいなぁ」
そう言って妹は巨大生物みたいな舌で唇をペロリと舐めた。
「ねえ、冗談でしょ……。姉のことを食べるなんてふざけてるにも程があるわ!」
「お姉ちゃんがいけないんだよ。わたし、友達少ないの気にしてるんだから……」
「謝るわよ! さっきのは謝るわ。悪かったから許してよ……」
「ダメだよ。わたしを怒らせたらどうなるか、身をもって体感してもらうんだから!」
そう言い切ると、妹はわたしを乗せたスプーンを一気に口の中に運んだ。
「ちょっと、やめてよ!」
だけど、わたしの叫びは虚しく、簡単に口の中に入れると、そのまま妹はパクンと口を閉めてしまった。
「ちょ、ちょっと……」
外からの光が何も当たらない口内はとても暗く、プリンの甘い匂いがしていた。そして、プリンとわたしという、妹にとっての食べものが口内に入ったことで、唾液の水嵩はどんどん上がっていく。
「ちょっと、溺れちゃう!」
妹の唾液がすでにわたしの背丈を超えてしまっていて、必死にもがいて浮上する。時々プリンのかけらが体にぶつかってきて、水中を移動するのも難しい。そんな時に妹が提案してきた。
「そうだ、お姉ちゃん。わたしの口内にあるプリン綺麗にしてくれたら許してあげる。お姉ちゃんまだプリン食べてないし、わたしの食べカスがお姉ちゃんの分ね」
ケラケラと楽しそうに笑う妹の声が口内で反響して耳が痛くなる。
「ふざけないでよ! 何が悲しくてあんたの食べカスをわたしが食べなきゃいけないのよ!」
「嫌ならいいんだよ? そのままお姉ちゃんごと飲み込んでから歯磨きするから」
妹がわざと大きな音を立ててごくりと唾を飲み込むと、ダムの水みたいな勢いで唾液が妹の喉奥という深い暗闇へと吸い込まれていった。
わたしのことは器用に飲み込まないようにしてくれたけど、あそこを流れていくと、胃液に溶かされてしまうのかと考えるとおぞましくなる。そんなわたしの気持ちを察したのか、妹が言う。
「わたしの栄養になるか、わたしの歯ブラシになるかどっちが良い?」
妹に食べられてしまうなんて、そんなの嫌だ。わたしは仕方なくプリンの塊がたくさん浮いている唾液のプールを泳ぎながら、奥歯の方へと向かった。
「こんなんどうやって食べろって言うのよ……」
わたしの背丈くらいの大きなプリンと対峙する。とりあえず少し齧ってみると、初めは唾液のねっとりした感覚がやってきて、気持ちが悪かったけど、次第にプリンの甘みが後からやってくる。一度妹が咀嚼したものであるのに、悔しけれど美味しいと感じてしまった。
とはいえ、一欠片だけでも自分の背丈くらいあるプリンを食べるのは、当然時間がかかる。
「おねーちゃん。まだ口内の掃除終わらないのー? そろそろ飽きちゃったから飲み込んで良いー?」
必死なわたしとは対照的に間伸びした呑気そうな声で問いかけられる。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。飽きたならさっさと吐き出してよ!」
「うーん、どうしよっかなぁ」
「どうしよっかなぁって……」
「決めた! 飲みこもっと!」
「嘘でしょ!?」
ビルも飲み込めそうな大きな口が開くと、そこからゆっくりとスプーンが入ってきて、残ったプリンが運ばれてくる。
「お姉ちゃんと一緒に飲み込んじゃうね」
なんとか抗おうとしたけれど、口内とはいえすでに妹の体の中に入っているような状態で抵抗できるわけがなかった。
スプーンに乗ってやってきた巨岩のように大きなプリンの塊にわたしの体は抵抗できなかった。
「や、やめなさいよ!!!」
ゴクン
プリンの塊がゆっくりとわたしの体を揺らす。プリンの中に埋まったわたしは真っ暗な食道の中をゆっくりと落ちていった……、はずだった。
「……ちゃん」
何か聞こえた。
「……えちゃん」
「お姉ちゃん……」
なぜか妹の声が口内で聞いたような爆音ではない、普通の声として耳に届いてくる。ゆっくりと目を開けると、目の前にはいつも通りの小さな妹がいた。
「ヒィっ!!!!!」
普通の妹に体を軽く揺らされていただけなのに、先ほどまでの体験のせいで普通の状態でも妹に恐怖を感じてしまっていた。
「そんなに驚いてどうしたの?」
可愛らしく小首を傾げる妹を見て、わたしはゆっくりと息を吐き出した。
「夢……?」
「何が?」
不思議そうにこちらを見てくる妹を見て、夢だと確信した。
「とりあえず、わたしはあんたに食べられてないのよね?」
「どう言う意味?」
「ううん、なんでもない。ちょっと怖い夢を見てたのよ」
「よくわかんないけど、顔洗ってきて、シャキッとした方が良いんじゃない?」
「そうするわ、ありがとう」
わたしが部屋から出ていこうとしたときに、妹が後ろから声を発した。
「あのスプレーまだ残ってるから、これからはあんまりわたしのこと怒らせないでね、可愛いお姉ちゃん」
振り向くと、妹はクスクスと笑いながら、楽しそうにスプレーを振っているのだった……。