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魔獣戦士 アニマ   作者: 文月 宵兎/原案 信長乃社交
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第2 水狼

友達に設定をお借りして書いたのが始まりの作品、第2話です。

本当にワンコ系がびしょ濡れになってるかは読んでからのお楽しみ。

第2話 犬と猫


あれは、夢だったのかもしれない。綺麗な校舎をぼんやり歩きながら僕はそう思った。何事も無かったような麗らかな春の陽気。だが、窓の外から見えるパトカーや救急車、事情聴取される親友にああ、やっぱり現実なんだなぁと分かる。

でも、普通だ。いや、警官が校内にいること自体異常ではあるのだが、あんな非現実的な状況にあった割には誰もパニックを起こしていないし、怪人が破壊したはずの壁や天井、ラウンジの床や教室は何事も無いように整然と美しいそのままの姿を保っていた。

「考え、当てたろか?」

唐突に前方を歩いていた、黒い長身の男……矢田先輩が首だけ後ろに向けてそう言った。

僕がいいですと言う前に彼はあっけらかんと言う。

「まるであの戦いは夢幻やったんやないかと思ったやろ?」

「ち、違いますね。僕は標準語ですし」

「あ? なんやなんや、関西来てんやったら関西弁差別すんなや、いてこますぞ1年坊主〜」

言葉は強いが、声色がなんだか気の抜けるイントネーションだ。かんらかんらと笑う先輩は僕の肩を叩きながら横に並んだ。

「せやけど、あの二人残念やなぁ。あの二人も素質ビンビンに感じんのになぁ」

「そうだねぇ。先生も、今年が要って言ってたし、あと4人くらいは居そうだけど」

「ふ、二人は関係ない、です。っていうか、僕はどこに向かってるんですか?」

さっきから見た事ない校舎内をウロウロし続け、さすがに疲れた僕は三宅先輩に強い口調で尋ねた。先輩はニコニコと天使のような笑顔でハッキリと言った。

「ごめんね、私にも分からない」

危うく頭から転ぶところだった。矢田先輩が大声で笑った後深いため息を吐いた。

「笑い事ちゃうわ。聖徒会室に案内すんのやろ⁉ 勇翔が言い出したんやで?」

「ほほ、そうだっけ?」

「なんで忘れとんのや!」

「ちょ、僕の上で喧嘩しないでくださいよ!」

 そう言ってると、不意に二人が足を止めた。釣られて止まると、そこはただの防火扉のまえであった。頭に疑問符を浮かべていると、二人は心配そうな顔で首から下げていたペンダントを開けた。

「なぁ、いけると思うか?」

「どうだろうね。これを壊されて五体満足だった事例はあまり聞かないし」

僕は二人の手の隙間から覗くその石を見てハッとした。あれはたしかに怪人が叩き壊していた二人の体から零れ落ちた白と黒の石だ。夢の中にもそれは出てきていた。ということはもしかして、二人も、僕と同じ夢を見たんだろうか。あの炎の尻尾を持つ猫にあったんだろうか。

そう考えていると、突然肩をしっかり掴まれた。ギョッとして振り返ると、矢田先輩と三宅先輩が電車ごっこをするように僕の後ろに連なっていた。

「なっ、何やってんすか」

「うっしゃ、オトくん、真っすぐ防火扉の中に飛び込むイメージで突っ込め!」

「はい!?」

 何の遊びだろうか? ハリポタごっこはよそでやって欲しいのだが……。だが、二人とも顔が真剣そのもの。笑って「ここからじゃホグワーツには行けないですよ」と冗談云うのも難しそうだ。

「な、何でそんなぐいぐい押すんです? え? 本気で言ってるんすか?」

「当たり前やろ。大丈夫や、オトくんは神使の依り代に選ばれとるんやから、この先の部屋にいく資格がある! せやからはよ走らんかい!」

「は? 何言ってんすか⁉ やめて、マジでぶつかるじゃないっすか⁉ 神使⁈ 意味わかんない事言ってないで押すのをやめてください‼」

矢田先輩が全力で押すものだから必死に抵抗しても体格の差で少しずつ前に押し出される。重心を低く、足を踏ん張るとその動きは防火扉に数センチの余裕を残して止まった。三宅先輩は本気で電車ごっこをしてるのだろう、ずっと後ろで美しい鼻歌を歌っている。と、それに気づいた矢田先輩が声を張り上げた。

「ぅおいっ! なに歌っとんのや阿呆! 勇翔、お前も押せや阿呆!」

「え? うん、いいよ」

「押さないでください、傷害で訴え……うぉあっ!?」

突如巨大な手が僕の背中を押し出した。重心とか踏ん張りとか、そう言うものではなく神のごとく不思議な力で体ごとふわりと浮いて防火扉に突っ込んでいく。ああもうだめだと目を瞑って衝撃に備える。その時一瞬、矢田先輩の言葉が頭を過った。扉の奥の部屋……。頭の中には地下にあった広い遺跡があった。その瞬間、体が何か空気の壁に飲み込まれるような違和感を感じ目を開ける。すると防火扉に接着している筈の肩がその先に沈み込んで、扉は水面の様に揺らめいていた。その扉の奥からは微かな土の匂いと藺草の香りがした。

「は……?」

僕の体も、矢田先輩も三宅先輩も防火扉の、ある筈のないその先の部屋に転がり出た。

強くなる藺草の匂いと何処か懐かしい香り。顔を上げると神棚と座敷に囲炉裏。そして低い机……。

「はぁ、良かった入れた……。ワシらのアニマストーンがぶち壊されとったから弾かれると思ったけど」

「はは、良かったね。弾かれないですんだよ。でも、武装(へんしん)は暫く無理だろうね」

「せやなぁ……。学長になんて説明しよ」

 先輩たちは何やら喜んでいるけど、僕はまた夢の続きを見て居る様な気分だ。日本家屋の茶室に知らない神棚、襖を開けると日本庭園が広がり、小さな池にはあのカコンと音のなる竹の飾りや灯篭、そして大きな朱色の鳥居の側面も生垣から見えた。快晴の空に庭のサクラの木がそよそよと優しく揺れている。振り返ると神社の祠の様な日本家屋だった。平屋作りで、中は異様に広い。空間範囲を逸脱した光景に頭が混乱して、頭痛がしてきた。

「かかっ、何や昔の自分達見てるようやんな勇翔」

「ほほほ、そうだね。私達もここに来たときは混乱したねぇ」

「お前はのほほんと茶ぁ入れようとしてはったけどなぁ」

「何懐かしさに目ェ細めてんすか! ここは何処ですか! 学校に返してください!」

パニックと怒りで動転した僕は矢田先輩に突っかかった。武尊たちへの誘いを断っておいて良かったこんな所に誘拐されたらあいつらも堪ったもんじゃないだろう。せめて僕一人なら先輩たちも何とか穏便にしてくれるだろうか。

「いや? ここは学校やで。学校の中にある、異空間」

「何言ってんだあんた! ふざけてないでちゃんと事情を説明してください! 警察呼びますよ!」

「ここ、圏外だけど、大丈夫かい?」

三宅先輩の優しい声に苛立ちがマックスになり、携帯を投げ捨てた。頭を掻きまわして絶叫しながら、何でもいいから八つ当たりしたい気持ちになる。

「まぁ、まぁ、パニックになるんもよう分かるわ。今から奥でここの場所のことも、神使のことも、その手に持ってる石も、怪人も、この聖徒会の事も全部説明したるから、とりあえずは落ち着いて、こっち来いや」

「そうだよ。美味しい自慢のお茶も虎屋の羊羹もあるよ。一緒にお茶しようよ」

矢田先輩、あなたの隣の人は全く違う意見を言ってますけど、突っ込まなくていいんですか?

そのちぐはぐの言動を見て怒りが一周して冷めていくのを感じ、深いため息を吐いた。拳を開くと大丈夫だという様に日の光を浴びて光る赤いネコ型の宝石があった。それを握りしめポケットに捻じ込む。

武尊は出雲は、あの時の怪人は覚えていないだろうか。二人の心に恐怖の記憶がこびり付か居ないと良いけど。その記憶を誤魔化せる様な説明が聞けるだろうか。


どうか、あれは全部幻だと言って欲しいのと。現実だと言って欲しい気持ちが、半分ずつ。


「分かりました、誤魔化さないで真実を言ってくださいね」

念を押して、僕は座敷に戻った。


「よし、ほんなら、まずはこの島の仕組みから説明しよか」

「え? そ、そんなところから?」

「せや。ここ神の塚島は数年前に出来た埋立地なのは周知の事実やろ? せやけど、ここが数百年前は別世界とここを繋ぐ神聖な禁則地だったことは誰も知らんやろ」

「き、禁則地……」

禁則地とは日本政府や自治体がその場に許可なく立ち入ることを禁じた場所のことを指す。企業の私有地や、軍事基地、または大昔から伝わる儀式やご神体を守る為に神社の管理者が定めたルールだ。そんな危うい場所だとは僕は勿論、この島に通う学生のどれ位が知っているのだろうか。

「そう。けど、大昔の話や。数十年前その最後の末裔が病死して以来、誰も管理をせず方々としていたところを勇翔のひいじいちゃんが買い取ってここを埋め立てして敷地を増やし最新鋭のクリーン都市の開発を政府と共に計画し始めた。忘れられていた神社は整備してそのまま観光地兼大学の研究組織に回したんや。そこで判明したのは神の遣い達が住むアニティアという世界が、位置的にはこの世界の次元の隣に存在している事が分かった。そしてそれの窓となっているのがこの大学の地下にある祠の奥の大魔鏡や。そのアニティアは神社が出来た時より前から鏡の一部を使って繋がっていたことが今の研究結果から分かっとるんや。アニティアと繋がっているからこの島は地震や家事、犯罪も少なく安定していると残された古文書から分かった。な、勇翔」

「ああ。考古学科は昔からそれについて研究していてね。開校から二十年余りたって分かったのはここくらいなんだ。アニティアは何故ここにのみ窓を残しているのか、アニティアの住人との交流は出来るのか。一部の例外を除いて、それらのことは判明していないんだ」

三宅先輩は少し真面目に声のトーンを落としそう告げた。一部の例外きっとそれが先輩や僕らなんだろう。

「お、勘付いたか。せや、一部と言うのはワシらの様な怪人と戦える一部の人間を指す。そんであの怪人たちはもう一つの平行次元から来てると言われとってな、何故アニティアとその別時空が対立してるのか、その争いが何故ここで起こるのかは未だによう分からんのや。せやけど、怪人は組織化されてて、人間の負のエネルギーを生かしたモヤッキューと呼ばれる怪人を、この世界を媒介に作り出すことによって一定の目的を果たそうとしているのが分かる。それと戦えるのはアニティアと唯一交信が出来、アニティアに見初められ依り代になった人間……通称アニマと呼ばれる戦士たちだ」

「アニマ……」

あの時自然に名乗った名前も、確かアニマだった。熱いお茶を啜り、ふとポケットの中にある宝石を取り出す。

「そう、それがアニマストーン。アニティアの住人であるものが自分の依り代として迷わないように自分の血肉や毛皮の一部を結晶化したものだ。それをこのアニマフォンっちゅー、御朱印? いや、ちゃうな。こいつは魔導書っつーのが近いな。これに嵌める事によりアニティアの住人、魔獣の魂を一時召還できるようになり、そいつらに体を貸す事で魔獣の能力や筋力、魔力を一時的に我が物に出来るっちゅーわけや」

先輩はそう言うとコートの内ポケットから黒い洋書のようなデザインのカバーを付けたスマホを取り出した。

「アニマフォンとアニマストーン、この二つが対となって魔獣と一つになるんが解放武装。魔獣はその個体によってそれぞれの力がちゃうくて、一人だけじゃ倒せない怪人も複数の魔獣の力があれば大きな力を生め、倒すことが出来る。そして、恐らく怪人の狙いはそこや。魔獣の力をあちらの世界に持ち込みたいんやとワシらは予想しとんのやけど……まだそれも研究途中や。アニマ達は数年に一度の周期で出現する怪人モヤッキュー達を倒し、瀬戸内海の海底にある封印の石に封印する事で難を逃れてきた。せやけど、その力は年々増し、犠牲になるもん達も増えとる。ワシらの代も八色の魔獣の加護を受けた先輩たちが居ったけど、全員が最終決戦で人柱となって怪人たちの封印と引き換えに命を落とした」

その言葉に血の気が引いた。この石を持ち続けるだけでも怪人に命は狙われるし、最終決戦や戦いの最中で命を落とす可能性があるのか。気が付くと手が震えているのが分かった。いや、手だけじゃない全身が直面する死に慄き、動けなくなっている。

「怖いやろ。この石には生と死が詰まっとんのや。せやけど、これを手放せば他の人間がアニマに選ばれて戦士になるし、これを逆に怪人側に渡せばこの地球が混沌の渦に飲まれるかもしれへん。そう考えると、自分位の命なんてどうでもいい、そうは思わんか?」

「!……確かに」

「阿保! 思うな!」

突然の罵声に僕は顔を上げた。へらへらして下がって居た眉がきゅっとつり上がり、細められた目がカッと見開かれ、少し茶色い目が真っすぐこちらを見ていた。

「あんさんは自己犠牲の気が強い。それも、アニマになる素質の一つや。せやけどな、その心持で向かっていった先輩は呆気なくワシの前で死んだわ。後輩守る言うて、死んだらそんなの手ひどい裏切りや。自分には、そんな人間になって欲しくない。ちゃんと自分の命守れるようになってから他人を助けんとあかん! そうやないと、結果的には残してきた人たちに深い深い傷を残してその罪を償えずに逃げる事になる。それだけは肝に銘じとき」

真に迫るその表情と声に何も言えず、僕はただ頷いた。そうすると、また瞳はすっと厚い瞼の奥に消えていった。

「悪い、柄にもなく声荒上げてもうた。けど、自分にはそれだけどうしても伝えときたくてな。無茶だけはせんといてな」 

矢田先輩は口調を和らげてフォローを付け加える。

「まぁ、一応釘は刺したし。話を戻すか。まぁ、アニマストーンとアニマフォンの存在が怪人共に狙われているのは今話した通り。だが、この石たちを奴らがどう活用し、この日本やアニティアにどんな影響が出るか。ワシらの代も奴らの組織の大ボスと交流はまだ出来てないもんでな、その目的を毎回聞けず仕舞いなんや。だが、分かっている姿で言うと、奴らは幹部、中ボス、大ボスと別れており、幹部は『七つの大罪』と呼ばれており、古今東西の武器の力を宿した魔人であるという事、モヤッキューを編み出す力を持ち、自在に操れるということ、カーキ色の軍服を身に着けておりよっぽどのことがない限りワシらん前には現れないという事だけしか分かっとらん。大ボスに関してはホンマに居るんかも不確かなんよ」

「じゃあ、先輩たちや僕が戦ったあのでっかい怪物も氷山の一角……と言うわけですね」

「そうだよ。怪人の襲来は過去に6回。五年周期で訪れているんだ。ただ、今回はイレギュラーだね、あと一年の猶予を残して怪人が発生した。だから、あと一年後に大きな災害か、日本を震撼させる地下鉄サリン事件と同じかそれ以上の規模のテロが起きるというわけ」

三宅先輩がそういうと、羊羹の切れ端が横に倒れる。其処にフォークを指して、矢田先輩は一口でそれを口に放り込んだ。僕は湯飲みを置いて彼らを見つめた。

「テロ? それは怪人たちが起こしたという事ですか?」

「いや。怪人たちはこの国に溜まる負のエネルギーを別の媒体に変え放出させる。怪人が増えれば増える程そのエネルギーは蓄積され、毎回その力は日本の何処かで厄災として爆発し日本が沈没する危機となる。それをアニマ達が力を浄化し、威力を最小限にしているんだ」

「でも、完封出来たんはこれまでも一度もあらへん。悔しいけどな」

矢田先輩が握り込んだせいで、緑茶の表面が揺れて畳に染みを残した。三宅先輩の笑顔も少し悲しげだ。歴代の先輩たちが失敗した任務、これを僕も担わないといけない……。心が鉛の様に重くなる。

こんな中途半端で、よそ者の僕に、それが務まるのだろうか。

「少し、怖がらせちゃったかな。御免ね、でも、事実なんだ。更に酷な事を言うと私達はもうしばらくは一緒に戦えない。君も見ただろう? 破壊されたアニマストーンを」

「やっぱり……」

僕は肩を落とす。畳の上には首や足の部分が取れ、全体に大きなひびが入った白と黒の石。

「アニマフォンだけじゃ変身は出来ない。更には怪人の探知も難しくなる。あとは、この聖徒会室にも私達だけじゃ入れないだろう。ここも、アニマフォンにアニマストーンの力を込めてアニティアとの境界を越えて作られた場所だから」

「そ、ここは部室兼緊急避難所でもあるんや。どうしても危機が未然に防げなかった時一時的に島民のみんなをここに集めて難を逃れたっていう事例もある」

そういって三宅先輩から受け取った古めかしいファイルには子供が書いた絵が挟まっていた。赤や紫と言ったヘルメットの男達と共にこの和室に団子になって怯える人型。そこに確かにカーキ色の軍服っぽい肩に飾りがある人物と爆弾の様な形の怪人が迫っている様子だった。赤い抱えられた少女らしき絵がやけにはっきり描かれている。きっと、この子がこの絵の作者なんだろう。

「何とか島の被害は防げたけど、その反動が、日本の東側に集中してね……彼女のご両親の故郷が津波で壊滅的な被害を受けてしまったのさ。面目ないが、この時動かなかったら関西から関東一体までが壊滅的被害に見舞われていたかもしれないんだ」

「あの大震災も怪人たちの集めた負のエネルギーなのか」

「せや。ほんで、あんさんに頼みたいんは早く残りのアニマを探し出して聖徒会に勧誘して欲しいんや。ワシらが戦えん以上これからは自分一人で強靭な怪物に立ち向かわなあかん。最初は1人でもどうにかなるかもしぃひんけど、厄災の日が近づくとそうもいかんくなる。この聖徒会に所属する限り、ワシらも裏から全力でサポートするさかい、せやから頼む、情けない先輩の一生に一度のお願いや。この聖徒会と神の塚島を守ってくれへんか?」

「本来は会長である私が真っ先に謝る所なんだけどな。真雄人君、私からもぜひ君にお願いしたい。世界の命運をどうか君に任せてくれないか。どうか、よろしくお願いします」

「えっ。ちょっと!」

二つも上の先輩たちが突然身をかがめ、深々と土下座をしてきた。そんな、入学早々こんな事になるなんて思っておらず、最初は勢いに押されてしまったが僕は改めて事の重大さとこの聖徒会が担う業務の重さに困惑していた。

正直こんなあやふやで命の危険も伴う仕事、やりたくない。でも、やらないと武尊や出雲、父さんや街のみんなも危険に晒すことになる。

でも、先輩のさっきの言葉や武尊の言葉が頭を過って答えを迷わせるのだ。

「す、すみません……突然の事なので、少し考えさせてください」

今の気持ちを正直に伝え、頭を下げた。先輩達はまぁ、そうだよなぁと腑に落ちた顔を見合せ頷いた。

「ええで。自分の人生やじっくり考えや」

「そうだよ。それに、私達に気を使わなくてもいいから、自分が後悔しない選択を選んでね」

「じ、じゃぁ、これ……」

僕は話の流れからアニマストーンとアニマフォンを2人に返そうとした。だが、二人は首を横に振って受け取らなかった。

「それは、あんさんのモンやろ。ワシらが受け取ってもなんも使い物にならへんねん。やけん、もしもの時のため持っときや。自分すーぐ面倒事に首突っ込んで行くんやろ。絶対手元にあった方がええ」

「那智の言う通りだよ。これは君を神様が確実に守ってるという証拠。肌身離さずこんな感じにして持ってるといい」

三宅先輩は笑顔で宝石に着いている鎖を掴んだ。その拍子にひび割れが大きくなり胴体と頭が真っ二つに裂け、畳にころがった。

「あらあら、取れちゃった」

「取れちゃった、やあらへんよもう……。あ、アホアホ、何でかけた先持とうとしとんねん。指切れたら怒られんのワシやのにもー、全く。これはあれやなデザ科のアクセサリー加工専攻の奴らんとこ持ってかんとアカンわ。ワシとてこんな割れてもうたら対処出来ひん」

え、ということはもしかして……。

「矢田先輩、アニマストーンに金具差し込んでネックレスにしたんですか!?」

というか、それは良いのか? 自己破壊はセーフなのか?

何とも線引きが曖昧で困惑する中、矢田先輩は明るく「せやで」と言って笑う。

「アニマストーンはこの動物の形さえ壊れなければ効力は失わんのや。ブレスレットネックレス、ピアス、イヤリング、指輪、ヘアピン、アンクレットとかにも加工してる先輩おったで」

「じ、自由度高いっすね」

「そうだね。まぁ、そうしないとポケットに入れてうっかり洗濯したり、駅のホームにうっかり落としたり、雨の日に側溝に落としたりして危ないからね」

「全部コイツがしでかした事なんやけどな」

「ほほほほ、面目無い」

上品に笑う三宅先輩の頭を小突きながら矢田先輩も笑う。仲良いなぁこの2人。

「ま、話すべき事は話せた! あとは時間と状況で自ずと理解するやろし、そろそろ学校戻りまひょか」

「そうだね、そろそろ延期になった新入生説明会も始まる時間だと思うし」

「ほなな。帰る時は普通にあそこの玄関から戻れんで」

膝を叩いて立ち上がる矢田先輩に釣られて立ち上がると、居間の奥の横スライドのドアを指さされた。とそこへ三宅先輩がそっと耳打ちした。

「くれぐれも、この事は迂闊に誰かに相談しないように、どこに敵が紛れてるか分からないからね」

「ま、説明したところで大抵の人は理解出来ひんやろ。あ、ついでに言うと芸術学部の子は第三体育館で情報部の奴らと合同や。そこでて左曲がってバーッと走ると着くで」

「あ、ありがとうございます!お茶菓子ご馳走様でした」

「いいえ〜。また食べにおいでね」

「はい」

玄関の引き戸を開けて外に一歩踏み出すと、確かに足場がしっかりとしたコンクリート作りになってる。顔を出すと桜の花のいい匂いと騒がしい生徒達の喧騒がわっと広がった。そこは中央校舎の中庭にある、赤い鳥居と桜の木の前だったようだ。

「あそこから見えてたのってまさか……」

瞼の裏に残る日本庭園と桜の木。ためしに裏をのぞきこんでも、学食のベンチと机だけだった。ここが、アニティアっていう別時空の窓なのか……。

「おおーい、マオ!」

その声に振り返ると、頬に大きな絆創膏を貼った武尊が走って来ていた。僕が置いていったリュックもしっかり持ってる。

「どこ行ってたんだよ。矢田先輩達は?」

「え!? あ、うーんと、えっと、学食でお茶してる……かな?」

僕は何とかありそうな言い訳を取り繕ってそう言った。ああ、でも上下関係に厳しい武尊のことだ挨拶に行ってくるって言いそうだ。どうしよう、嘘だとバレたら色々面倒だぞ……!?

「そう、なら良かった。早く体育館の方に行こう」

良かった?

引っかかる言葉に武尊を見上げる。珍しい、いつもツルツルした綺麗な眉間にシワが寄ってる。怒ってるな、こりゃ。大変ご機嫌ななめだ。僕のそばに居てこんな武尊を見るのは初めてだ。

「お前、何怒ってんだ?」

「お前、また俺の忠告無視して危険に飛び込んで行っただろ。しかも、事情聴取をオレと出雲ちゃんに任せて! あと、怪我の治療も全然してない!」

窓の外から見た景色を思い出し、そーっと武尊から逃げようとするが、しっかり首根っこを掴まれる。

「逃げるな。俺は全て分かってるからな」

「クソ……幼なじみが……憎い……」

この太い腕に掴まれればどんなきかん坊でも逃げる気を無くすというものだ。その腕を押しのけ、僕はため息をついた。

「ごめん、ちょっと先輩と話があって」

「お前さ、マジで聖徒会っていう謎サークルに入るのか?」

うぅ、言われると思った。恐らく、次に言うのは。

「「あまりいい噂を聞かないけど」」

武尊とほぼ同時にそう言うと、武尊はふぅと鼻を鳴らす。武尊はその人脈からかなりの情報通だ。友好関係からご近所情報、更にはここ一体にある会社の内部事情まで把握してる場合もある。

僕の小学校では、まず友達を作る為には武尊を攻略しろ、というのが定石で先輩も転校生も教育実習生も新米教師もましてはPTA会長もまずは武尊に声を掛けるくらいだ。だが、その武尊が唯一執着するのが僕だ。

何となく優越感もあるが、1人が好きな僕をどこに居ても直ぐに見つけて駆け寄る姿は正直鬱陶しい。まぁ、面倒見もいいし、友達が少ない僕のような陰キャはクラスの急な授業変更やテスト範囲の情報が流れてこない、それを毎回助けてくれるのが武尊でもあるから切り離せないのが事実なのだ。

「噂……噂ねぇ……。矢田先輩達と話してみたけどそんな悪い人達では無かったよ?三宅先輩はちょっと抜けてるけど」

ちょっとどころじゃないけど、多分頭の大事な部分ごっそり抜け落ちてる。絶対。

武尊はそれだけでは納得してなかった。

「今はな。でも、矢田先輩ってうちの高校じゃ喧嘩上等のヤンキーだって有名だよ。毎日他校のヤツらがうちの校庭に乗り込んで来て、それを大勢の舎弟たちと全員ボコボコにしてたし、学校の家庭科室でボヤ騒ぎも起こしたし、レイプ被害の主犯っていう噂もあるよ。三宅先輩はその矢田先輩の幼なじみらしいし、あの人もやべぇっていうのはよく聞くよ。何も矢田先輩でも倒せなくて危うく瀬戸内海に沈まされそうになった時に単身で乗り込んで、そこにいた組員全員とLINE交換して、更には矢田先輩のバックに着くようになったとかならなかったとか!家柄もここの土地を買える位の金持ちで、何かトラブル起こしたら会社ごとこの世から消されたとかいうさ」

「でも、所詮は噂だろ?僕は実際に見たもの聞いたものしか信じないよ!」

「でも、信ぴょう性は保証する。信じないまま後悔しても知らないからな。いいか、あの人達は普通じゃない、はっきり言って今回のあの怪人も……」

武尊が言いかけたのを僕は脇腹を肘で突いて止めた。わずかながら、顔を顰める武尊に僕は真っ直ぐ言い放つ。

「怪人から助けてくれたのは先輩達だ。それはどれだけ否定しようと変えられない事実だろ」

「…………マオ、お前さ、あの人たちみたいにとか言わないよな」

心が硬直した……気がした。武尊はいつもの人懐っこい表情から変わって何かを探るような、獲物を辿る肉食獣の様な表情をしていた。

でも何処か、寂しさをその瞳の奥に燃やしながら、僕をジッと見つめる。

「あんな危険な事、もう、二度とするなよ」

「……分かった。ねぇ、武尊お願いがあるんだけど」

僕にはどうしようも出来ない性格だ。お願いというと、武尊は絶対に断れない。僕のそれと同じように、武尊は誰かの願いや要求に全力で応えくれるから。

 「僕は、お前とどんなに約束しても、契約を交わそうと、誰かが助けを求めていたらその渦中に飛び込んでしまうんだ。それは、武尊が誰かのお願いを断れないと一緒でなかなか自分じゃ制御が出来ないからさ。もし、お前の手の届く範囲で僕が危ないときは、武尊が僕を助けて欲しい。甘えだってわかってるけど、僕が自分自身で自分の心を制御が出来るようになるまで辛いだろうがその役目をお願いしたいんだけど……どうかな?」

そう言うと、武尊は少し困った様な顔をしつつ最後にはやはり頷いた。

「分かったけどさ……、けど、俺お前が暴走した時は容赦しないからな。その首から血が出てもしらねぇぞ!」

「いいよ、武尊が必要と思うなら快くそれを受け入れる覚悟さ。その代わり、僕が変わらずお前の抱えすぎたお願いを分担していくよ。今までみたいに」

「何だ、結局小学校の時と同じか~。んじゃ、今年から改めてよろしく! 相棒」

武尊はまた満面の笑顔に戻って僕の肩をばしばしとその太い腕で叩いた。体育館に近づくにつれ人が多くなり、武尊に声を掛ける人も増えてくる。

「流石、もう友達を作ったんだな」

「ああ、何人かは入試の時からの付き合いだし、学校説明会で仲良くなった子もちらほらいるし……今度マオにも紹介するよ。他の学科の子のカワイイ子ともラインも既に交換済みだし。先輩にもパイプ作ったから楽単とか過去問の入手経路もばっちりさ!」

ぐっと爽やかな笑みで親指を立てて来るのを、僕はそうとう大学生活心配なんだなと思いながら愛想笑いでその考えを悟られまいとした。

本当に通り過ぎる人全員が武尊に向かって手をふったり、肩に触れたり、声を掛けていく。その代わり僕のことは「何だこいつ?」という目で眺めていく。何か、居心地悪いな。

「うぃっす~、タケル! あ、LINEで言ってたやつさ、あとでお願いな!」

「おけおけ~、カメラ持っていけばいい? 何か他にいるか?」

「あーんと、あとでLINEで言うわ!」

一人の明るい髪色の男子グループが一際大きな声で武尊にお願いごとの確認をしてきた。武尊はやはり、満更でもなさそうに鞄から中学の時に両親から譲ってもらったという大きな一眼レフカメラを取り出した。そのカメラで何度も写真をせがまれたっけ。

「早い仕事の依頼だな。何? 入学式記念の集合写真か?」

「惜しい! 正解は、入学式後に投稿するあいつらのWiitubeの動画撮影だ。ちゃんとギャラもくれるし、企画内容も問題なさそうなんだ」

そう言って躊躇いなく武尊はスマホのLINEのトーク画面を見せて来る。僕はちょっと心配しながらそのLINEを興味範囲で覗き込んでしまった。

入学式や大学入試の時の心情トークに学校案内……確かに見た感じは良いけど企画って人に見せていいのかな。しかも、武尊の友達とはいえ彼らとは面識ないし。そうモヤモヤしてると、一筋の悪寒が背中を駆け巡った。思わず振り返るが、そこには誰もいない。

というか、僕らの後ろには誰も来ていなかった。その意味を示唆するように予鈴が聞こえる。

「おい、武尊まずいよ、時間!」

「そうだった! 抱えて走っていいか?」

「よろしくお願いします」

武尊は足が速い。一方僕はインドア派オタク陰キャ。武尊が一度走ればその余波で消し飛ぶくらいには運動が出来ない僕が、小学校のころから体格が良かった武尊にしたお願い。

有事の際にはなりふり構わず僕を小脇に抱えて全力疾走して欲しいというものだった。

武尊は軽々と僕を脇に抱えてリュックを担ぐと、ドッという音と共に駆け出した。ぴんと張った姿勢としなやかなストライド。狼が草原を駆ける様なスピード。……羨ましいぜ。

彼のお陰で予鈴が鳴り終わる前には体育館の説明会会場の席に着くことが出来た。


「……これで基本シラバスの説明は以上です。ここからは教授紹介です。それぞれが現役で活躍する芸術家や研究者です。君たちの大いなる協力者になるので決して失礼が無いように。では、郷力教授からよろしくお願いします」

事務局の職員から紹介されたのは、教授と言うよりかボディービルダーみたいな体躯の屈強な男だった。ざわつくのは分かる。高校の時に校門の前で門番していた生活指導の先生のトラウマが蘇るというものだ。

「俺はスポーツ情報学科の郷力猛だ。授業は……」

他の教授たちも一癖も二癖もありそうな姿だ。そして、全員がどこかしらで見覚えがある。流石は天下の天照大学。教師陣の質も良いことから多くの生徒が集まるわけだ。

というか、もう十度目の強烈な眠気が……。何だろう、昨日はかなり早く寝れたのにな。寝ぼけ眼を擦りながらノートを取りたいが、頭が異様に重くて耐えるのもやっとである。

「私は……」

三人目の教授の時体も支えられなくなり、糸の切れた人形のように上半身を脱力させ、そのまま意識が途絶えた。



ガシャン!!

静かな会場にけたたましい音が響き、全員がその音のする方を振り返った。俺、三峯武尊も示し合わせたようにそちらを向いてギョッとした。思わず立ち上がりかけたが、周りに合わせるという俺の特性がその衝動にブレーキをかける。

「マオ……」

教員達の輪の中に見えた、黒髪はやはり親友の今戸真雄人だ。

彼は同じ東京から離れたこの神の塚島まで大学進学に来た、幼なじみでもあり、俺の大事なヒーローでもある。実際、幾度となく真雄人には窮地を救ってもらっていた。つい最近もおかしな事態に巻き込まれた時に自分の身を呈して守ってくれたのだ。

なのに、そんな恩人の危機に俺は立ち尽くし周りの声に耳をそばたてるしか出来ない。

「何? 何事?」

「あの人、入学式に遅れた人じゃない?」

「突然倒れたらしいよ」

「でも、なんか最初から船を漕ぐみたいにしてたけど?」

「ただ寝てるみたい」

「何? また延期?勘弁してよ」

周囲の知り合いの声からすると大事には至っていないようだ。でも、心配で俺は周りの目から隠れるようにしてこっそりと教授達の追って体育館を出た。

「ま、待ってください! 郷力先生!!」

一番最初に名乗り出て来た、筋骨隆々な情報学部の教授を呼び止める。その傍らに立っていた事務員の男が先に振り返った。

「どうしましたか? もしかして、この彼のお知り合い?」

「はい、保護者的な感じの、親友っす。俺がそいつ保健室に連れていくので、先生達は戻って下さい」

皆待たされ続けてうんざりしていたから、これ以上説明会を長引かせたりあまつさえ中止になんてなると困る生徒や保護者達も居るだろう。単なる思いつきでない事を自分自身に言い訳しながら先生から真雄人を受け取った。

郷力教授は深いため息を吐いて、太い眉を大きく張った眉間に寄せた。

「親友……と言ったか。ならば、友のために伝えてやってくれないか?入学式前日は夜更かしをしないようにと!」

「すやんぴ」

「は?」

腕の中で眠る真雄人は無垢な寝顔を浮かべていた。

……めっっっちゃ寝てる。普通に、家で夜眠るみたいに、寝てやがる。

「まぁ、初日だし、授業でもないからお咎めはこれくらいにしておいてやる。だが、講義中ならば容赦せんからな!親友の君も肝に銘じたまえ!」

「はい、すみません。ありがとうございます」

……本当は俺もコイツをぶん投げたいけど。3階の校舎から瀬戸内海に向けて全力投球したいけども。

俺はとりあえず中庭に出て学食の外ベンチに寝かせた。今は普通に寝てるけど、本当になんともないんだろうか。

あのQマスクの男達に1人で立ち向かってたし、矢田先輩や学長に抱えられてきた時は傷だらけで気を失ってたしその後遺症とかじゃないだろうか。

「……ふぁ?」

「お、起きた」

心配を他所に、真雄人は意識を取り戻し辺りを見回しながら起き上がった。

「あれ?説明会は?」

「……はぁ」

呑気な一言に俺は大きなため息を吐いた。キョトンと首を傾げる彼をしばらく見ていると、彼の頭の色が少し変わっているように見えた。前髪はうっすらと茶色に、後頭部の左側が赤くインクを被ったみたいになっていく。

「なんだよ、頭ばっかりみて……虫でも止まってたのか?」

「マオ、やっぱりあの怪人になにかされたんだろ! いや、先輩達に何か唆されたんじゃないのか!?」

「は?」

「だって、髪が急に赤くなるし!死んだみたいに寝てるし!記憶も無くなってるし! おかしいよマオ!今日は病院に行った方がいい、いや警察か??」

真雄人は怪訝な顔で立ち上がる俺を見ている。

「何で、警察なんだ。僕は何とも無いよ」

「お前説明会中にぶっ倒れておいて、なんでそんな顔出来んだよ」

こいつに恩がなかったら全力でバットで殴ってた。過去最高の打点を狙える位のスイングが見せれたと思う。

真雄人はいつもに増してマイペースに欠伸を噛み殺し、体育館の方に目を移した。

「僕倒れたのか……。なら、もう大丈夫だって言いに行かなきゃ。先生達も心配して……なんで止めんの?」

「お前!鋼のメンタルすぎるだろ!あの空気の中に戻れるわけねぇだろバカか!」

気を失ってから分からないのも無理ないけど凡そは予想出来んだろ! 大勢の前で前ぶれなく盛大に倒れて更にはただ眠りこけてただけだなんて、俺なら学校にも通えなくなるのに。

と思っていたら、いつの間にか真雄人がいなくなってた。まさか、回想中に体育館に戻ったのか!?

急いで立ち上がって辺りを見回す。すると泣きながら蝶と戯れる真雄人が植木の方に飛んでいくのが目に入った。まるで体と心がバラバラになって、別々の動きをしようとして困惑してるようだ。

「タケル!助けてくれ!! とまらないよぉお!!」

「まっ、分かった! 」

植木の中葉っぱや枝を髪にぶら下げながら、蝶にかぶりつこうとするのを後ろから羽交い締めにしてやっと止められた。 白い指の爪の間には土が入り込み、頬が植木の小枝で少し切れていた。

見ると、目も人間のものとは思えない動きをしてる。カッと見開かれた瞳孔が細くなったり太く広がったりを繰り返している。

なんか、見たことあるな、こんな動物。

「……落ち着いたか?」

「……なに、コレ。これが、僕?」

顔をのぞき込むと絶望のあまり自失して、呆然と土まみれの手を眺めていた。体が混乱と恐怖と不安でずっと震え続けている。

「マオ……」

そう声を掛けると俺を真雄人は思いっきり突き飛ばした。体を抱えながら、真っ黒な目が恐怖に見開かれ剥き出しになった牙が小刻みに音を鳴らす。

「ぼ、僕に近寄っちゃダメだ! これ、何?何が起こってんだ? とにかく、僕は普通じゃない。どうしよう……学校行けないよ……」

「落ち着けマオ。大丈夫、俺が何とかしてやるから、とにかく深呼吸して、気を沈めろ。そんな爪を剥き出しにされたら俺も近寄れない」

真雄人は自分の手を見て悲鳴を上げ腰を抜かした。それもそのハズ。人間のものとは思えない程の鋭利さと長さを持った爪を自分の体に突き立てていたのだから。

「何だ、何なんだよ……どうしたらいいんだよ、こんな、こんなぁ……」

痛みも感じてないのか、パニックで痛覚がバグってるのか血を腕から流しながら辺りを見回している。俺が近寄ろうとすると「フシャアーーー!!」と怒り狂った猫のように威嚇された。

「おやおや、これはかなり強い症状だね」

「かかっ、よう後輩。苦労しとんな?」

「え?」

俺もどうしたものかと動けないでいると、背後から声を掛けられた。振り返ると見覚えのある黒と白の人物。

同じ高校の先輩である、矢田那智先輩と三宅勇翔先輩が笑いながら立っていた。

「先輩?」

「安心せい、ワシらがあんさんの幼なじみどうにかしたるわ」

「君にも丁度話があってね。探す手間が省けて良かったよ」

2人は慣れた様子で真雄人に近づくとひょいと首根っこを掴んで持ち上げた。確かに真雄人は俺よりも小柄で細いが、卒業前の身体測定では確か60kgはあったはずだ。

「おうおう、こりゃあ随分神さんに気に入られとんなぁ」

「そうだね。このままの勢いならしっぽや耳とか生えてきそうだね」

「ちょっ!真雄人の人としての尊厳を奪わないでやってください!」

まるで子猫のように抱かれてる様子を見てたら、ついそう口走っていた。一方で真雄人は三宅先輩に顎の下を撫でられすっかり落ち着いていた。

「よし、勇翔のゴッドハンドで落ち着いたな。おい、1年坊主着いて来や。こうなった原因教えたる」

「はい? げ、原因って……やっぱり先輩達がなんかしたんすか!?」

「え?……私たち、何したっけ?」

三宅先輩は不安げに矢田先輩に耳打ちして背中から引き抜かれたハリセンで引っぱたかれた。久々に見た光景だが、俺達が通っていたところでは毎日のようにこのハリセンの空を切る音が、学校のあちこちから聞こえたものだ。

矢田先輩はハリセンを戻しながら深いため息を吐いて、真雄人を抱え直しながら歩き出す。

「これからなんかするんやろが。いやぁ、すんまへんなぁ。何するっちゅーても、オト君にとっては必要不可欠なもんや。せやから、そない怖い顔でガンくれんとったってや。別に危害を加える気はサラサラあらへん」

どうだか……。だってあの矢田先輩だ。真雄人を何処かのヤクザの身代金代わりに差し出したり、怪しいバイト先に売り渡したりがあるかもしれない。俺がちゃんと見張ってないと。

そうしてると、三宅先輩と目が合った。男の俺でさえもドギマギするような綺麗な顔が更に笑顔で絵画のような美しさを放つ。流石は高校内外から信仰信徒が群れを生していた人間だ。

「君の髪、面白い色だね。凄い似合ってない」

「……ん?」

「ばっ!」

国宝級の顔面に気を取られて、突然の言葉のナイフに対応が遅れた。真雄人を取り落としそうになりながらギョッと矢田先輩が目をむく。三宅先輩は天使のような笑顔のまま続ける。

「この真ん中のつんつんはなぁに?寝癖?直してあげようか」

「おまっ、何やっとんのや人の頭に! やめんか!」

手を舐め自分の唾で俺の髪を撫でようとした三宅先輩を、全力で止める矢田先輩。キョトンとした顔で小首を傾げる先輩に、矢田先輩はくどくどと小声で説教をしながらハンカチを渡す。

「そうなのか……。ごめんね、似合うと思ってるのに酷いこと言っちゃった」

「………もぅ、フォローしきれんわ……」

余計な一言も悪気が全くないのだろう。俺は何だか警戒する気も失せて、苦笑しながら「良いですよ」と答えた。

「ええやつやんなぁ、1年坊主〜。ほんまごめんなぁ、ウチの阿呆が……。後でしっかり叱っとくわ」

「良いですから……。とにかく真雄人を返してくださいよ。というか、どこに行くんです?」

「内緒の部屋」

「で、真雄人に何するつもりですか」

「……祈祷」

「今すぐ真雄人を返して下さい」

先輩の腕から真雄人を奪い取った。やっぱりろくな人間じゃなかった、この2人。聖徒会とかいう怪しいカルト宗教に真雄人を勧誘していただけはある。ああ、なんで食堂で気付いていたのに周りの友達を優先してしまったんだろう。真雄人の大学での顔見知りと言えば俺くらいしか居ないだろうに。

「まぁ、返したってもかまへんけど、このままじゃオトくんは神様の世界に連れてかれてまうで」

「……?」

「真雄人はな、神様に身体を貸して世界を守る戦士に今日任命されたんよ」

「…………日本語で頼みます」

「えーと、マオト、コノママ、ネコ、ナル、ワシラ、トメル。おk?」

「……なんも分かりませんよ!」

奪い返そうとする手を避けて俺は先輩達に向い立つ。矢田はふわふわしたファーコートの肩を上下させ、足を止めた。

「せやから、自分にも説明したるってゆうとるやんけ。ま、ええわ。友達見捨てたいならご勝手に。ワシらは優しい先輩戦士やさかい、そないなけったいなこと出来んわァ」

「くっ……!俺だってマオをこのままにする気は無いです!」

「でも、原因は分かっとるんか?街の医者に見せたらあっという間に精神科のモルモットやで?」

「その時は」

「まぁまぁ、廊下で言い合いしてても事態は収まらないだろう?さぁ、君も入って。お茶しようか」

突然背後に回った三宅先輩に肩を掴まれ、目の前の教室の中に押し込められた。中は教室と言うより部室のようで、事務用の机やソファーのある居間的な場所やスチールの本棚やロッカー何かがあった。

「ええやろ。ここが聖徒会本部。この学校と島の安全を守る要や」

そう言うと、先輩はいつの間に取り返したマオをそっとソファーに寝かした。その間、三宅先輩は戸棚から陶器で出来た徳利と二つの赤い盃を取り出し、ローテーブルに置いた。

矢田先輩がそれらを手に取り慣れた様子で真雄人の口に酒を一口注いだ。

その間呆然と立ち尽くしてる俺は遠い意識の中で「真雄人、まだ未成年なのに」とか思っていた。その意識を断ち切るようにローテーブルに小さな赤い鳥居と祠が置かれる。

「よし、準備出来たよ」

「ほな、始めよか」

2人はいそいそと床に正座し、深深と一礼したあと、神社で初詣する時みたいに盛大に2回手を鳴らした。

「御霊の神に畏み畏み申し奉る。その器未だ現にあり。何卒御魂をお返し賜りたく、願い申し上げまする。何卒何卒願い申す」

「おんかえりそわか」

謎の願い事を唱え、もう一度深深と頭を下げると突然、静かに寝ていた真雄人がごふっと酒を吹き出し、飛び起きた。慣れた様子で机の上を片付ける先輩二人を他所に、思わず真雄人に飛び付いた。

「マオー!! だ、大丈夫か?やっぱりあの変なやつから逃げる時とかに頭でも打ったんだろ?すぐに病院に行こう! ここの大学病院は腕がいいって有名だし、何も無くても検査しよう!!」

腕を掴んで出口まで引っ張るが、真雄人はじっと自分の膝の辺りを睨んで動かない。するりと手から腕を抜いて、彼は首を横に振った。

「いいよ、病院に行く程じゃないし、僕はその、別の僕と話してただけだから、平気」

平気? そんなこと言うやつが平気なのか? そんな訳あるか!

「つべこべ言うな!バカマオ!いい加減、自分を大事にしろっての……!!」

「いいって、マジで、武尊!」

腕を両手で掴んで引っ張りあげようとするが、真雄人も意固地になって重心を下に下に下げることで、何とか腰を浮かさないようにしている。体格差は多少あれど、青年1人を腕だけで引っ張り上げる力がない俺は膠着状態となった。

「あかんあかん! そない引っ張ったら頭ゴッチーんなるで!まずは一旦話ししいや!!」

「凄いなぁ。このまま引っ張り続けたら腕がゴムみたいに長くなる?」

「寝言は寝て言えボケナス!手伝えや!」

「うん。えっと……どっちを引っ張るのがいい?」

「引っ張んな!アホ!」

先輩達が間に入って手を引き離そうとする。結構力が強い。だが、意地でも負ける訳には行かなかった。と、その時ポケットの中の電話がけたたましく鳴り響いた。びっくりして思わず手の力が緩み、真雄人が後ろにひっくり返る。

「きっ、急に手ぇ話すなや!」

動揺してか、矢田先輩の関西弁がうつってしまっている。ごめんと謝ろうとする気持ちが、更に急かす電話の音に逸れて、俺は真雄人を一瞥しただけで電話を取った。

動画を撮る約束をしていた友達からだった。慌てて向かう事を伝えて、俺は真雄人達に向き直る。

「……付き合いだろ? いいよ、また今度説明するからさ」

何も言わなくても慣れてる真雄人は呆れたような、諦めたような表情でそう言って笑った。俺はすぐに駆け出したい思いを押し殺して、真雄人の肩を掴んだ。

「真雄人、端的に教えて欲しい。お前の身に何があったんだ?何であんな猫みたいな行動するようになった?」

真雄人は大きなつり目を見開いて、そしてやや伏せながら言葉を探す。

「僕にもまだ分からないけど。僕は猫の神様からこの日本を守る戦士に選ばれて……それでさっきはその猫の神様に魂を取られかけたんだ。 で、先輩達が神様に僕の魂を取らないようにお願いして一時的に元に戻ったって言う感じ……」

自信がなさそうに真雄人は後ろの先輩達を振り返った。矢田先輩は概ねあっていると言わんばかりに腕を組んで大きく頷いた。俺は混乱しそうな頭を何とか宥めて、そうなのかと一度納得したフリをした。

そう、振りだ。俺は真雄人の置かれた現状を全く理解してない。信じてもない。正直まだ何かの悪ふざけをしてるのではないかと考えてる。

「一旦はそういう事にしておくよ。じゃあ、すみません先輩、俺友達と大事な約束があるので、説明はまた別の日に!」

鞄の中のカメラとパソコンを確認して、先輩達に軽く会釈をして教室を飛び出した。


『うむ、良い体だな。コイツに決めた』

「!?」

廊下をすれ違うように、誰かが耳元で囁く。声が低くてしゃがれてて……という程度を越した、唸る獣のような声に足を止めて振り返る。さぁっと風が突然吹いて誰もいない廊下を流れた。一瞬狼のしっぽのようなものが廊下の端に消えた気がしたが、気のせいだろと思い踵を返す。

まだ、この時は知る由もなかった。緩やかに、静かにこの島が混沌の渦中に沈み、唯一俺たちがその沼から這い出すための蜘蛛の糸が見えているという事に……。


待ち合わせ場所に走って向かうと、既にメンバーは全員集合して待ちくたびれた様子だった。大声で謝り、そこに駆け寄るとリーダーの赤須に強めに頭を小突かれた。

「おっせーぞ、武尊! 今回は銀の盾が掛かったデカい企画なんだ。時間厳守で頼む」

「御免、ちょっと緊急事態が起こっちゃってさ……。カメラの準備は整えたよ。企画を教えてくれ」

赤須は名前にあう、赤く染めた前髪を搔き上げてニヤリと笑った。

 「まだだ。カメラマンのお前には視聴者と同じ目線で居て欲しい」

 そこで、集団の異様な空気を感じ取った。信頼に靄がかかるような、気持ち悪い感覚。そんな違和感を覚えつつ、俺もカメラを構えて三人に向かう。一人は俺と同じアシスタントで、演者は赤須を含めた三人。高校のクラスメイトで、その時から撮影を手伝っていたため、カメラワークも編集点もよく理解しているつもりではある。例えドッキリでも、唐突な報告動画でも動揺する事はなく、無事に撮影を終えた。

でも、今日は何だか一筋縄では終われない気がする。

「よし、じゃあOPから撮るか。何不安そうな顔してんだよ、大丈夫だって! ちょっといつもより過激かもしれないけど、絶対面白いから、今回こそは銀の鉾も手に入るって!」

銀の鉾、それは動画投稿者のビギナーズラックを突破した者だけが手に入れられる、照合であり、トップウィーチューバ―になる為のスタートラインと言ってもいいものである。赤須はそれを始めた当初から狙っていた。何故かと聞いたら、いつかこのメンバーの素晴らしさを世界中に広めたいという。

良いことだとは思う。でも、その思いは中々実らないものだ。動画投稿者は人の思いを相手にするもの。変わりやすい人間の興味を常に惹いていないといけない。その精神力と忍耐力は尋常ではないモノだ。それがあっても発想力と編集技術も必須である。努力だけでは報われない、才能だけでは花咲かない、そんな場所で彼らは血反吐を吐きながら戦っているのだ。

その雄姿を永久に閉じ込められられるのだから、この手伝いも悪くないとは常々思うのだが。まぁ、ウィーチューバ―のカメラマンも相当過酷だ。アスレチックじゃ倍以上の運動量を求められ、ドッキリはターゲットと一緒に驚かされ、美味しそうな料理は目前で食べられる。でも、楽しいのは嘘じゃないんだよねぇ。

カメラを調整して、挨拶と一緒に赤須達一人ひとりにクローズアップする。自己紹介、茶番、企画紹介と一連の流れを撮影する中、何故かリーダーの赤須は企画紹介を飛ばして、カメラを切るように言った。メンバーも驚いて、赤須を見る。

「おい、企画は? いいのか?」

「いいの、いいの。後でいうから」

「赤須……何かお前今日なんか変じゃないか? 何を隠してんだよ」

「面白い事だよ。ばらしたら動画がおじゃんになる。お前らには、あり得ない位ヒリヒリして欲しいんだ」

ヒリヒリ……何だかよくない響きだ。

俺達は赤須に言われるがまま、体育館裏まで案内される。ガイダンスは終わったのか、見覚えのある少女が体育館の隅で先輩に怒鳴られていた。出雲だ。その時は野暮ったいジャージに、メガネを外して、髪を高い位置で一つにまとめていた。そして、彼女を怒鳴りつけているのはあの日真雄人に制されていた、リーダー格の女性だった。その周りでは笑顔でリフトやアクロバットの練習をする、チア部の面々が居た。成程、ここはチア部専用の練習体育館なのか。

赤須は撮影を始める様に合図を出し、人差し指の先を出雲に向けた。

「えー、今日はあの見るからに芋っぽい女子、住吉出雲ちゃんをナンパして、ドッキリにかけようと思いまーす」

「はは……なんだ、陰キャ女子を揶揄うだけかよ……」

揶揄うだけって、でも、嘘を吐くんじゃないか。そんなの結婚詐欺と同じじゃないのか。でも、そういうナンパや街灯インタビューを装って視聴者をびっくりさせる企画も多く見かけるし……。いいのか?

「な、なぁ。これ大丈夫なのか? その……コンプラ的に」

「……ハハッ、分かってねぇなぁ、武尊は! 今はこういう過激なのが減ってるから視聴者も飢えてきてんだよ! これをチャンスと見ないでどうする! あと、ちゃんと彼女にも言ってあるしさ」

「本当か? なら、いいん……だけどさ」

 下ろしかけたカメラを構え直した時、背後から呼びかけられた。振り返ると、真雄人が立っていた。

 「何してんだ、タケル? あと、タケルのオトモダチ君達も」

 「……武尊、誰こいつ」

 「あ、ごめっ。マオ、ごめんけど今撮影中だからさ。今日は先に帰ってくれ。御免」

 真雄人にそう伝えに駆け寄ると、真雄人はツンと澄ました顔で俺を押しのけた。

 「それは別にいいんだけど、あのさ、お前ら。ウチの武尊に厄介ごと押し付けて逃げんなよ?」

 「は?」

 「あと、出雲ちゃんを泣かせるような真似したら、お前らで薄い本を大量に刷ってキャンパス中にばらまくからな」

 真雄人は何故か最初から喧嘩腰に赤須達にそう言ってさっさと立ち去ろうとする。なんであいつあんなに怒ってんだ? 赤須達もキョトンとしながら顔を見合わせる。

 「おい、マオどうしたんだよお前」

 呼び止めるとその手をグッと掴んで、彼は耳元で囁いた。

 「おい、ヤバいと思ったら隙をついて逃げろよ。あいつら、碌でもない事考えているから」

 「は? おい、真雄人!」

 立ち止まって、理由を説明をしてくれはしなかった。置いて行かれた俺達は顔を見合わせて首を捻った。だが、時間もない。「気にしないでいこう」という赤須の言葉に合わせ、気持ちを切り替える。

 でも、あの時の引っ掛かりも、この違和感も消えたわけじゃなかった。

 ヤバいと思ったら逃げろよ。

 その言葉の意図する先を、撮影後に知るのだった。


 撮影後、出雲の照れくさそうに笑う顔がやけに自然で、彼女はこんな演技をするのかと感心しながら、撮影したデーターをパソコンから編集を担当するメンバーへ送信した。

 「あ、あああの! 三峯君!」

 「うぇあっ!?」

 夕方の薄暗くなった路地裏の陰から突然声を掛けられ、うっかり手に持っていたパソコンを落としかけた。街灯の明りが眼鏡に反射して、一瞬顔が見えなかったが、声で分かった。

 「い、出雲ちゃん……。えっと、今日は協力ありがとうね」

「い、いえ。私こそ、ありがとうございます。あの、今日撮った動画後で編集してくださるんですよね」

「え!? あ、うん……楽しみにしてて……」

赤須は、そんな嘘までついていたのか……。出雲ちゃんはいつもオドオドして、青い顔を今日はほんのり頬を赤く染め、とても嬉しそうに口の端を上げっぱなしにしている。

「出雲ちゃんも、帰り道、こっちなの?」

「いえ、神北駅の方です」

「真逆じゃん!何で?」

「み、三峯君に、その、赤須君のこと聞きたくてですね……」

その言葉に俺は意表をつかれ、思わず唾を気管支に注ぎ込んでしまった。激しく咳き込む横で出雲ちゃんは飛び上がって、急いでハンカチを差し出しながら背中を摩った。

「だ、大丈夫です?春風邪ですか? それとも花粉症?」

「ゲフッ……いや、気にしないで」

その時眼鏡の奥の大きな目をマジマジと見入った。そのオドオドした引っ込み思案で恥ずかしがり屋な性格や、少しズレた言動などなければちゃんと可愛らしい女の子である。だがその性格故に、きっと悪意に付け込まれやすいのだろう。

「私、お恥ずかしながらこ、告白というのは初めてでちて……」

「告白?」

「はい、というより、男の子と話すなんてものも、生まれて初めてかも……。私は、ずっとみんなにトロ臭いとか、居ないものみたいに言われて友達も、殆ど居なかったし……取り柄も、容姿も人並み以下でしたので」

……だから、ナンパでも、告白と受け止めてしまうほどその心は純粋なんだろう。何度その心を砕かれても汚されても清らかで……。ああ、胸が痛い。

重い。足が重い。頭が重く痛い。

言った方が良いんだろうか。それとも動画にして昇華するのが誰も傷つかない方法か?

「?三峯君?」

いつの間にか先を行っていた出雲が振り返った。長いツインテールが沈みゆく夕日を反射して赤い光を照り返す。眩しいから、涙が滲んだんだと言い聞かせながら、目を拭って笑う。

「いや、なんでもないよ。赤須は……そうだな。出雲ちゃんが思ってるほどいい男じゃないかもよ? 出雲ちゃん可愛いしさ、他にもいい人いるし1回遊んだら直ぐに乗り換えてもいいんじゃないの?」

「でも、彼はずっと私のこと気になってたらしいですし。それに、彼が飽きて私を捨てるまで私はその愛に応えたいと思います」

どうしよう。こんな、恋焦がれる乙女の顔を見たらその先を未来を突きつけてしまえばどんなにショックを受けることだろう。でも、この胸の苦しさを俺はいつまで抱えられるだろう。

だが、この純粋無垢な少女の笑顔は真実をありありと突き付けた。赤須は、嘘をついている。そのことについて、俺は怒らないといけない。彼女の心を守るために、今日こそは流されてはいけないのだ。



「赤須、お前。出雲ちゃんに企画の説明してないだろ。出雲ちゃん、本気にしてるぞ」

その晩、家に着くなり開口一番口にしたのはその言葉だった。長い呼び出し音の後の騒がしいノイズに紛れて、赤須が気まずそうに言葉を濁す。

「あはは、バレたか。ごめんごめん。でも、ちゃんとアフターケアもするし、今回のドッキリ終わったらちゃんと付き合おうとか思ってるしさ! 大丈夫大丈夫、本当に俺住吉のこと気になってたんだ。あいつ結構いい体してるしさ、いい性欲のはけ口じゃないけどセフレくらいにはキープしときたいんだよなぁ」

「お前……そんな思いで彼女に向き合うつもりか!誰も得しないぞ!」

「いいのいいの。動画さえ伸びればさ!武尊が怒る気持ちも分かるよ? でも、これくらいしないとマジでヤバイんだよ俺たち……。頼むよ、武尊!お前しか受けてくれるの居ないんだ!」

断れ。

頭の中で強く自分に向かって言いつける。何回もその言葉で裏切られただろう。その言葉でいくつの損と負荷を背負ったんだ。忘れたわけじゃないだろう。あの悔しさを、虚しさを、忘れるわけが無いだろ。学習しろ。いい加減懲りろ。恩人に何度も言われただろう。

「……駄目?じゃあ、もういいや。別のヤツに……」

「や、やるよ!」

断れ。断れよ。ダメだ受けちゃダメだ。

でも、俺は群れを離れて生きれるほど、心が強くないのもまた、分かっていた事実であった。そして覆水盆に返らず。吐いた言葉は、LINEのメッセージとは違い消すことは出来ない。

「助かった……!! ここから新しい仲間足すのはマジでしんどかったんだ!本当にありがとう! あと、巻き込んでごめんな? まさかお前も住吉の事狙っているとはなー」

顔から火が出たのかと思った。

「バッ!馬鹿野郎が!そんなこと一言も言ってねぇだろうが馬鹿!」

赤須は電話の向こうでカラカラ笑うと軽くおやすみとだけ残し向こうから切電した。俺はより重くなった体を引きずるようにして、ベッドに倒れ込む。

「馬鹿は、俺だ……」

頭を抱えて蹲る。後悔と罪悪感と、背徳感に体がこのままいっそ引きちぎれたり潰れてしまえたらと思う。明日が来るのが怖い。目を瞑りたくない。

『何だ、見栄えがいいのは器だけか?久しぶりだな、小僧』

誰だ?

何処からか獣の唸り声が語りかけてくる。

『下界に降りてきてみれば、何だその軟弱な汚水のような心は』

『お前は群れを作る才能があるのに、何故自分を過小評価する?火の神はどうやら逸材だとほざいていたが、俺からすればまだまだ清めたらん』

『しかし、家宝は寝て待てだ。いずれその内側の汚れに気付いた時お前は美しい流水となり、民を潤し生命の要になりうるだろうよ』

流水に?なる?

獣臭が鼻を貫き、その臭さに目を開けた。囀る鳥の声。閉じたカーテンから朝日が差し込み、明るくなった部屋が現実を突きつけた。

何だ、夢……?

そのベッド脇に見覚えのない青い石が転がっている。おもちゃの宝石のようなちゃちさだが手に取ると石特有のひんやりした重厚感のある感触が伝わる。なんの石だろうか。宝石の中でも見覚えのない澄んだ青い石だ。宝石の中をのぞき込むと深い湖に落ちたような泡が下から湧き上がり、驚いて宝石を放り投げた。

何だ……まだ夢から覚めてないのかも知れない。頬をつねりながら本棚の横に転がる石を拾い上げた。怖くてまた中を覗くことは出来ない。

この痛みでも冷めないなら夢じゃないか……。カーテンを開けると桜吹雪とカラッと晴れた快晴が目を焼いた。このアパートのいい所は駐車場のど真ん中にどデカい桜の木がある事だ。

「……行くしかないか……」

服だけ変えて、顔と歯を磨いて家を出る。玄関の鍵を閉めようとする腕が重い。憂鬱だなぁ。ポケットの中には拾った謎の青い宝石。この石の調査をするって言うので企画をすり替えられないかな……。

それか、動画のデータを紛失したとか、そんな感じでみんなには悪いけど動画自体を上げられないようにするか……。

学校、行きたくないなぁ。真雄人と顔は合わせずらいし……。

悪い事だとは思うけど、仕方ないよな。俺だって1人になりたい時がある。

「サボろ」

決意は不意に口から出ていた。今日はただの学部の顔合わせミーティングだってみんな言ってたし、半日授業だし。行かなくても支障はない。学部の人とは昨日全員分LINEをゲットしてるし。まぁ、一応体調不良で休むって真雄人には言っておくか。

メッセージを送ったあと、ふっと身体が軽くなった。グッと身体を空へ伸ばし大きく朝の空気を吸い込んだ。甘い、桜の花の味を噛み締めて顔を上げる。

一眼を取り出して、今日は自由に新天地の景色を写真に収めよう。



「アイツ、嘘下手過ぎだろ」

正門前で鳴った携帯の通知。開くと武尊からのメッセージだった。あの武尊が仮病とは珍しい。しかも誰も誘っていなそうだ。

やっぱり、昨日の赤須とかいうクラスメイトのせいか……。それともあいつも、あの変な怪物に襲われたりしたのだろうか。

「おはようさん、オトくんや」

「うが!?」

突然背後から首筋をチョップされた。振り返ると今日も真っ黒一色の服を着た矢田先輩が陽気に手を振って居た。昨日と違うのは羽織ってるのが鴉と桜の和柄のガウンである事だ。桜の花びらを押し固めたような片耳のピアスがチラチラと光る。

「なんか、今日も凄い格好ですね」

「んー?ええやろ?桜と鴉。鴉の戦士だったワシにピッタリやろ」

「へぇ、鴉の。 というか、今日は三宅先輩はお休みなんですか?」

「親父さんに呼び出しくらって単位免除の遅刻や。自分も、三宅のおやっさんには気をつけなはれや?ゴッツおっかない軍曹やから」

「はぁ……」

先輩の親御さんにあうなんて卒業式位だろう。なんて思いながら僕は携帯に視線を戻す。武尊へのメッセージは文章の途中で止まっている。

「おやおやー? それ、あの青髪のお友達か?」

「はい、アイツ今日サボるらしいですよ」

適当に返事を返して、先輩を見上げた。

「昨日あんなことがあったから、あの、モヤッキュー?っていう奴らに攫われてないか少し心配ですけど」

「安心せぇや。今のところ靄の気配は彼の近くにはあらへんよ」

やけに確信を持った物言いに、僕は眉を寄せた。矢田先輩は得意げにニヤリと笑うと、手の甲を見せてきた。そこには手の産毛ではなく、黒々とした鳥の羽が生えかけていた。

「これ、ワシの能力。ワシはな、この羽を操ったりその羽から音の情報なんかを聞き取れんねん」

なんか、その能力何処かの漫画の高速ヒーローみたいだ。ちょっと羨ましい。

「この街にはワシがかれこれ年月かけてあらゆる所に羽を仕込んどる。怪しい取引も怪人の気配もそれで全部察知出来んねん」

「それが先輩が神様から借りた能力?」

「せや。オトくんにもあんねんで。まだ気付かないだけで。まぁ、あの青髪くんの近くにはおらへんけどなぁ、このキャンパス内には潜んでんねんで。嫌ァな気配がドンドン濃くなっとるわ」

「怪人が、ですか?」

うちなる正義が勝手に反応し身体を緊張させる。咄嗟にアニマフォンを構えていたのを矢田先輩に慌てて止められた。

「アホアホ! こんな人が多いところで出したらアカン! この人混みにどんな奴が紛れとるおもとんねん」

手からアニマフォンがもぎ取られ、リュックの中に投げ込まれた。声を出す暇もないくらい一瞬だ。呆然としてると脳天に軽くチョップが降ってきた。矢田先輩、ちょっと怒ってる。

「あかんよ〜、どんな人間も信用には値せんのや!用心しいや」

「はい……すみません」

肩を落として謝ると、矢田先輩はつり上がってた眉を下げていつもの調子に戻った。

「その子、探しに行かへんの?」

「昨日も殆ど説明受けられなかったので、今日は最後まで居ないと」

「真面目やなぁ。せやけど、今行かんときっと後悔するで」

「後悔……いや、今ここで武尊を追いかける方が、今後の学校生活において後悔する!」

「君、案外ドライやな。ま、スキにせえ。ほな、放課後な」

 矢田先輩はひらひら手を振りながら東校舎の方へ歩き去って行ってしまった。僕も自分の学科の棟がある方向へと進みだしたが、昨日の武尊の様子が頭から離れない。武尊に纏わりつくあの変な同級生同士の会話が、昨日何故か聞こえて来た。

 武尊にも内緒で、出雲ちゃんに悪質なドッキリを仕掛け、そのショックを受けた顔を配信する、という旨の計画をあのリーダー格の赤須と言う男は嬉々として語っていた。まるで、これで全てが救われるといったような口調だった。

 武尊は流されやすいが、悪いことに手を染められるほど根性は出来ていない。何より、女の子を泣かせるなど、あいつが許しても僕が許さない。

 でも、あいつらが禁句ワードを使って、武尊を騙し利用しようとしていたら。今回のさぼりも、実はあいつらの差し金だったら。

 芸術学部の校舎は目と鼻の先。しかし、一度止まった足は中々前に進もうとしない。学校生活も確かに大事だ。大事……だけど!

 「ああもう、あのバカ!」

 腹から怒鳴り散らしながら踵を返す。探す当てもないが、探すという行為だけでもやっておかないと、心が休まる気がしなかった。

 「あ、あの!」 

 正門の外まで走り出ると、突然気弱な女子に声を掛けられた。足を止めると出雲ちゃんが不安そうな面持ちで立っていた。

 「あの、三峯君は今日は一緒じゃないのですか? ちょっと、彼に用があって」

 「武尊に? 用? 御免、出雲ちゃん。今日武尊サボっててさ、申し訳ないけど一緒に探してくれない?」

 この際だからあの赤須と言う奴に誑かされる前に出雲ちゃんも連れて行く。しかし、この街はつい四日前に越して来たばかりだ。ずいぶん昔に島の外れにあるショッピングモールには行ったことあるが、ここの土地勘が全くないからどう探したらいいか分からない。

 「え、え、え!? さ、さささ探すって、何処を?! まって私待ち合わせあるのに」

 「大丈夫、そいつはいくら待たせても良いから!」

 そう言って、取り合えず参道を抜けた先の駅まで行ってみる事にした。




 青い空、まばらにある白い雲。生ぬるい風。平日のショッピングモールは親子ずれや年配の利用客で賑わっていた。幼少期の思い出を噛みしめながら、ゆっくりとモールの中庭を歩く。ここは、昔と変わらないから落ち着かない。少しくらい改装すればいいのに。あの日のままの外装にトラウマが過る。

 でも、あの時と違うのは自分一人でこのショッピングモールに足を運んだことだ。恐怖心を噛み殺し、店の中に入る。

 東京にあった様な大きな商業施設よりも広々とした空間に、様々な店や人が入り乱れている。脇を過った親子連れの甲高い声にドキリとして足が竦んだ。あの日の恐怖心はどうにも深く心の底に根を張っているようだ。

 「真っ赤なあのヒーローは……」

 ふいに、脳裏に懐かしい歌が流れ、つい口に出していた。幼稚園の男女に人気だった、ヒーロー番組のオープニングテーマだったっけな。あの時、真雄人が店の中で大きな声で歌いながら行進していた。泣きじゃくり、両親とはぐれた俺の手をしっかり握って。

 「泣いてる君の涙を、いつだって拭うために居るよ~」

 野球部の試合で一回戦落ちした日も、受験の第一志望が受かって真雄人と離れ離れになった時も、初めて好きになった人にこっぴどく振られた日も、クラスの出し物で大きな失敗をして今までの準備を水の泡にしてしまった時にも、この歌を歌えば何故かどうにかなるのではと思ってしまっていたなぁ。そして、真雄人の笑顔がお守りの様に瞼の裏に張り付いていた。

 だから、きっとこの選択も悪いことじゃない。そう思え、カメラを一握りし、入り口から一歩足を伸ばした。硬い床を踏みしめながら、入店まで信じられないほどの時間が経っているのに気づいた。きっと、変な人だと思われただろうな。

 一歩入ってしまえば何ともない。気持ちもちょっと大きくなって、顔を上げて歩き出した。なんだか、店が全てミニチュアに見えてしまうのは、それほど俺自身の身長が伸びたおかげだろうか。

 店の中身はやはり年月が経ってるからか、殆ど見覚えのないものだった。それが、安堵に繋がり普通にウィンドウショッピングを楽しめた。そこにふと目を引くものがあった。海に面した出入り口の脇に大きなスケートボードの練習スペースが作られており、そこに同年代位の男女様々な若者が技の鍛錬に励んでいた。海風と波のうちつける音に負けないくらいのヒップホップのサウンド。若者達の楽しそうな会話。ボードの車輪がコンクリートに叩きつけられる音は何だか突然ニューヨークの路地裏に迷い込んだかの様だ。

そこに見覚えのある男の姿を見つけた。目立つ金髪を逆立てたヘアバンドに、少し周りと違う顔つき。小柄なのに、手足だけがスラリと長い。その腕を振り回し、大きくUの字を描いたコースの左右で曲芸のような動きを次々と決めていく。

彼は確か、うちの大学の有名人の1人だったような。名前が確か黄山ゆづるとかいう……。

俺の中での有名人は2種だけだ。友達になるべき人か、ならざるべき人かだ。彼は後者だ。関西の中学では名の知れた問題児だと聞く。誰彼構わず喧嘩を売り、学校にも殆ど行かないような、でも、高飛びの選手でもあり、学年での授業で遅れを摂ることは一切ないのだそうだ。彼と同じ中学で3年間同じクラスだった友達はそう言って身震いした。高校からは大分丸くなったらしいけど、果たしてどうだろうか。

今だって大学の授業を堂々とサボり、友達と遊んでる。……俺が言えた立場じゃないけども。

「ん? あーーー!!」

ボーっとスケートリンクを眺めていたら突如、黄山がこちらを指さし叫んでいる。背後を振り返っても、カモメさえも居ない。ベンチには俺だけだ。

「お前、三峯だろ!友達百人で有名な!」

「……何だよ?」

何だか小馬鹿にしたような呼び名に、こめかみがピクリと反応する。だが、そいつはこちらの気も知らず、ボードを小脇に抱えて腕を伸ばし、グッと俺の肩を抱えた。初対面のはずなのに旧知の仲のような扱いにこちらも戸惑う。

「んな、カリカリすんなやー!フランクに行こうぜ!ブラザー! よー、みんな!コイツ俺の大学で同じなんだよ、仲間入れてくれー!」

「は?」

「あんな羨ましそうに見てたんなら、おめーも滑りたいんだろ!?見たところボードに乗るのも初めてっぽいから俺様が丁寧に教えてやんよ!」

こっちの理解が追いつく前に誰かのスケートボードが、足元に滑ってきた。ボードと黄山の顔を見比べて硬直してると、彼がまた前ぶれなく手を掴んだ。

「突っ立ってても始まらねぇぜ! おら、足乗せて!押すぜー!」

「え!?ちょっ待っ!?」

ボードに無理やり乗せられたと思ったら、突然背中を思いっきり突き飛ばされボードと一緒にそびえ立つ壁に叩き付けられた。

「お前センスねーな!ガハハハハ!」

「お前が説明も無しに無理やりやるからだろうが!俺の話も」

「先ずはボードの上でバランスを取ることだな!もう1回行くぜ!」

「聞いてくれーー!!!」

悲鳴のような怒声が風に乗って掻き消える。一瞬の爽快感もつかの間、バランスを崩した俺はコンクリートに頭から突っ込んだ。カメラを庇って肩を強打する。

「コケると思ったらケツに力入れんかい!へったくそやなー!!」

「いい加減にしろ!俺はボードなんてやりたくない! それにお前教え方が雑!! こんなんでよく友達が出来るな!?」

「あ?何だよ、そうなら早くそう言えって。 なまくらだなぁ」

コイツ、1回殴らないと駄目か!?

「ボードやらんならいいや。じゃーな、あっ、1回喋ったからって学校で友達面すんなよ」

やっぱり殴ろうか。

拳を握り締め、拳による交渉術をお披露目しようとしたその時だった。ポケットの中の携帯が驚くほどの大音量で鳴り響いた。着信相手は赤須だ。喉の奥がグッと音を立て、心がズンと重くなる。

「なんやねん、うっさいなぁ。 おい、ウスノロ、はよでんかいな」

「う、五月蝿いな、良いんだよ」

黄山は相変わらず付き纏ってくる。携帯を隠そうとすると、長い手がするりと携帯を奪い取った。

「何だよ何だよ、天下のお友達王が情けないやっちゃな!何?赤須?お前、コイツと喧嘩してんだろ。安心しろ!俺様が丁寧に拒絶してやんよ!」

「え!ばっか止めろ!」

手を伸ばすが、それをサッとかわして黄山はその軽薄な口調とデリカシーの無さで話し始めた。

「よー!赤須? どもどもー、あんなぁ、お前の友達の三峯君?何か今お前と話しとうないんやと! だから、しばらく電話せんたってや!三峯くん?えっと、今俺様の足元で泣いてるぜ☆」

泣いてるぜ、じゃねぇーよ。バカなのかコイツ……。

そんで勝手に電話切ってんじゃねぇ。仲間達のLINE交換を勝手にするな。止めろ、携帯返して欲しい以外何も望まねぇから、早く携帯返してくれ。

「ウェーイ!ボード仲間達のLINEも登録しておいたぜ! あと、何か赤須ってやつカメラのデータ寄越せって言ってたけど何?」

その言葉に少しドキリとしてしまう。その気持ちを噛み殺し、黄山から携帯を奪い取る。

「どうも! もう構わないでくれ。じゃ」

「なぁ、一言余計なこと言うけどさ、言いなりになるだけが仲間じゃねぇかんな?」

去ろうとした背中に黄山は突然的を射る言葉を放つ。振り返ると、ボード仲間達とハイタッチしながら黄山は続ける。

「何でもしてくれる三峯くんって、俺らの界隈でも有名だぜあんた。でもな、何でもやったら仲間じゃなくて依存になるからな。嫌なことはファッキューくらいくれてやっても案外友達が減ったりはしないぜ」

「……うるさい、な。他人が何を知ったような風に」

「知ってるよ。俺も昔はそんな感じになろうとして失敗したから」

ガシャっと音を立ててスケボーの端を踏みつけ立てる彼は、少し誇らしげに笑っていた。

「ま、なんでもいいや。たまにはコイツらとも遊んでやってなー!んじゃまたどっかでー」

嵐のような奴だ。だが、何処か眩しく思って、波の立つリンクに戻る彼を振り返って手を翳した。

まぁ、今後は関わる事はないだろう。

『おい、いつまで運命から逃げるつもりだ?』

海の方から人の声がして波間に目を凝らす。……何だろう。今日は何か変だわ。

逃げるように店の中に入ろうとして、ばったりと真雄人と出雲と出会す。二人もギョッと目を剥いてこちらを見上げてきた。

「え……っと? え? まさかの、そういう?」

「おまっ!探したんだぞ!!学校勝手にサボるなんて!昨日の今日は流石にタチが悪いぞ!!」

妙な勘ぐりは真雄人の怒りの説教に全て蹴り倒された。真雄人は容赦なく頬を抓りながらくどくどと説教をする。でも、何だかその一言一言が現実味がなくて、心には響かなかった。

「二人とも、俺の事探してくれたのか? いいのに別に……」

「「良くない(です)!!」」

物凄い必死の形相で二人は声を揃えた。いつの間にこんな仲良くなったんだ……二人とも。というか、

「出雲ちゃん、今日赤須と約束なかった?」

「あります! でも、三峯君にどうしても聞かなきゃ行けないことがあって……」

「聞かなくちゃいけないこと?」

出雲ちゃんはふと顔に影を落とし、絞り出すように言った。

「私、やっぱり、赤須君にからかわれて……ます、よね」

「え?」

ふと真雄人を見る。彼はそうだとでもいいたげな表情で何度もうなづいている。宛ら、軟派彼氏を全力反対した父親のような面持ちだ。100パーセント、コイツが出雲ちゃんに教えてしまったのだろう。

他人の気持ちより、正しさを優先する真雄人なら有り得る事だ。でも、こんな悲しそうな顔をするなら教えない方が親切だったのではと考える自分が居る。

「武尊、お前さ、全部知ってたんだろ?彼女、本気で付き合ってデートするんだって思ってたぞ」

「だからってお前馬鹿正直に伝えたのかよ? 出雲ちゃん傷付くだろ!」

「嘘つかれる方が傷つくに決まってるだろ馬鹿!」

平日のショッピングモールに若い男の怒声が響き渡る。真雄人も、俺も真剣だった。一方で出雲ちゃんはこうなる事は予想出来ていなかったのか右往左往していた。

「武尊、僕何度も言ったよな、自分の意見はちゃんと言えって。いつまで流され続けるんだ!主体性を持って行動しろ! いつか責任が取れない自体になったらどうするんだ!」

「主体性って……!真雄人、なら言わせてもらうが、お前は協調性を少し持ち合わせたらどうなんだ? 出雲ちゃんだって、赤須との約束があった上でここに来てるんだ。それになんでアイツが嘘をついてるって決め付ける?本当だったらお前の方が」

胸ぐらを掴みあった時、ふと横から拳が伸びて真雄人を殴り倒した。見覚えのある赤い髪がふと前に立ち塞がった。驚いて腰を抜かしかけたのを、メンバーの一人が支える。

「赤須……?」

今この場に居て欲しくない奴が助けに来てしまった。赤須はヒーローがギリギリ滑り込んだような顔でこちらを振り返り、大丈夫か!?と叫んだ。咄嗟のことに真雄人も俺も呆気に取られて動けなかった。

「お前……!赤須!僕は君にも言わなきゃいけない事がある!」

真雄人は頬を赤くしながら立ち上がる。赤須は拳を構えて、自分より頭半分ほど低い真雄人を小馬鹿にしたような嘲笑と共に笑った。

「来いよ、ナード君。こっちにはカメラがあるんだぞ。手を出したらそっちに非があるように編集も出来る!」

「手なんか出すか!僕の事はいくら殴ってもいい!どんなに酷い編集をされて非難されようが僕にとってはどうでもいい! だけど、武尊と出雲ちゃんを騙して自分達の利益だけに利用するのは止めてくれ!二人は大事な友達なんだ!」

自分より背も体格も勝る真雄人は臆すること無く、堂々と出雲ちゃんと俺を背に庇い、両手を広げてそう言った。正しく、ヒーローと言っても過言では無い。

でも、本来はそこに居るべきなのは俺だ。なのに、何を守られてるんだ、俺は。

「はっ!お前のせいで今日の大型企画はおじゃんだちくしょう!その代わりだ、今日のネタになってもらうぜ、ヒーロー気取りのクソナードがよォ!!」

「今戸くん!!」

出雲ちゃんが驚くべき力で真雄人の服を引いて、赤須の大きな拳を避ける手助けをした。でも、俺は震えて立ち上がるのも出来なかった。

真雄人は恩人だ。出雲ちゃんも大事な友達だ。でも、赤須達も友達だ。選べない、俺は2人と同じくらい六人も大事なのだ。

そんな事をちんたら考えている内に真雄人の腹を横から助っ人に来たメンバーの蹴りが捉えた。肉を殴打する鈍い音。出雲ちゃんの泣き叫ぶ声。野次馬のヤジ。

この喧騒の中、俺の周りの音だけ静寂だった。恐ろしい程の静寂だった。と、その時銃声が空気を一変させた。

見開かれた赤須の目。右肩に咲く水っぽい赤い花。凍りつく周囲。その時やっと俺の手が動いた。真雄人を抱き締め、もう一方の手を赤須に伸ばす。

「助けて」

はっきり、赤須はかすれた声でこちらを見ながら言った。その瞬間、肩の丸い銃創からボコりと血のあぶくが黒いインクのような物と混ざり、泡立った。

これは、大学のラウンジで見た事がある。

泡は赤須の全身をみるみる覆い、両手にガトリングが着いた巨大な銃人間となり、建物を破壊する位の声量で吠えた。

カメラを構えていた奴らも力の抜けた手からスマホを取り落とし、一目散に逃げ出した。その背中に銃が振り下ろされる。

「アカン!間に合わへんかったわ!」

上空から聞いたことのある声がしたと思ったら目前を黒い影が素早く横切った。

「大丈夫かい?真雄人くん、彼女は私たちに任せて。アニマになって奴を覆う靄を祓うんだ」

真っ白な羽が降り注ぐ。学校一の有名人である三宅先輩が上半身だけ人間になって、他は真っ白な鳩に姿を変え、天使のように真雄人の横に舞い降りている。その隣に漆黒の羽が落ち、頭上に影が落ちる。見上げると、矢田先輩が巨大なカラスの足に、撮影班の子を二人抱えて着地した。

「よっ、ケル君やな!ご愁傷さま、自分も戦士にもれなく選出されとるで! でも、今はお友達とにげぇや!」

ビキビキという音を立てて、矢田先輩の足が小さく、人間の足に戻っていく。羽も引っ込み、人間の姿に戻る。何だかエイリアンや、妖怪の変化のようで妖艶でおどろおどろしい。

「呆けてる場合ちゃうで!怪人や!店の外には出さんようにワシらが食い止めるさかい、ケルくんは友達とずもちゃん連れて逃げるんや!まだお告げ来とらんやろ!」

「に、逃げるって……」

怪人? 赤須が、怪人? 鳥人間? 三宅先輩と矢田先輩? もう、何が何だか分からない。

「にっ、逃げましょう!私達じゃ邪魔になります!」

出雲ちゃんが、腰を抜かした俺の腕を掴んで引っ張った。メンバー達は三宅先輩の誘導に素直に従ってもう遠くまで逃げていた。きっと、動物的生存本能だろう。頭が直ぐに切り替わり、俺も立ち上がり出雲ちゃんの手を引いて走り出した。

「危ない!」

その足元に銃弾の雨が降り注ぐ。それは逃げ遅れた人にも当たり、黒いモヤが傷口から広がっていく。人が次々、昨日追い回してきたQの覆面達に早変わりする。弾丸が恐らく、そのトリガーか。

その中の人達は無事なのか。人が変わるところを見てしまえば迂闊にこちらも手を出せない……。

あっという間に囲われた。俺は出雲ちゃんの手を握りしめながら、壁際までジリジリと追い込められる。

「出雲ちゃん、一瞬だけ、俺が隙を作るから」

後退しつつ、落ちていたテニスボール大のコンクリート片を掴んだ。歪だが、本当あの時の練習がこんなところで役立つなんて。リハビリも、続けるものだな。

「三峯くん」

「一人、傷付ける。お願いだから、嫌いにならないでくれ、よ!」

二本の指で石を握りこみ、脇から追い込む奴に狙いを定める。俺の形相に驚いたようで覆面が動きを止めた。

そうだ、動くな。そのQの真ん中を突き抜けたらお前死ぬからな。

でも、俺はお前をぶっ殺すつもりで投げるからな!!


大きく振りかぶり、肩と腕に久しぶりの負荷がかかり、骨や筋肉が音を立てて硬直するのが分かった。だが、手首は柔らかく、少し横に軌道を書いてしなった腕が球を話した瞬間バチンと反対の肩を叩いた。

「モヤッ!?ギュ!?」

メゴッという音と共にQの仮面がコンクリート片によって大きく歪む。そして球の勢いと一緒にきりもみ回転しながら面白いくらい吹き飛んだ。俺は大声で叫びながら、出雲ちゃんの腕を前に引いた。

「走れ!!」

手を離した瞬間、出雲ちゃんが一瞬こちらを振り返る。彼女は目の端に大粒の浮かべながら叫んだ。

「皆さん!頑張って!!」

その言葉にハッとさせられる。そして俺は次のコンクリートを掴んでいた。振り向きざまに彼女に向かって笑って言う。

「ああ、頑張るさ!」

覚悟が前向きな方向に変わる。出雲ちゃんが矢田先輩や三宅先輩と並んで走り去るのを見届け、コンクリートを投げようとした瞬間、背後から羽交い締めにされた。振り払おうとした腰や足、手にもQの覆面達が群がり、力の限りに押さえ付ける。

『お前が元凶だ……』

赤須だったマシンガン怪人が赤く光る瞳をこちらに向け、恨みったらしくそう告げた。

『お前を殺すところも動画に撮ってやる。このヒーローも、世界征服する様子も!全部俺が独占してやる! これで俺様も有名人の仲間入りだァあああ!!』

頭が銃口からビデオカメラに変わる。どこかで見覚えのある様相だが、恐ろしさが全く緩和されない。両腕の銃口がいっせいにこちらに照準を合わせる。逃げようにも足を取られて一歩所か首すらも動かせない。

怪人はニヤリと笑い邪悪に囁いた。

『サァ、ショータイムのハジマリだ』

無機質な声にぞわりと背筋があわ立つ。

明確な死。

だが、俺はそれを享受していた。

「始まるかぁ!!」

横から熱風が吹き込み、顔を腕で庇った。赤い炎が一閃、迸り目を細めた刹那、怪人が轟音を立てて横倒しになっていた。目の前に赤く燃える猫の耳と猫の足、そして赤い毛並みのしっぽの先にランタンを引っ掛けた不思議な姿で降り立った。

「真雄人!」

「武尊、お前も逃げろ。ここは僕に任せて、早く!!」

「任せてって……」

真雄人はパーカーのポケットから赤い宝石と見たことない携帯を取り出した。こちらを一瞥した目は猫のように瞳孔が縦に細まっている。こいつは炎の悪魔に魂を売ってしまったのか?

だが、ふと、その宝石に既視感を感じていた。ズボンのポケットの中、青い石の感触がまだある。

真雄人は慣れた手つきで、左手の携帯に右手で持った石を思い切りはめ込んだ。それを両手で挟み、二回大きく打ち鳴らす。

「解放武装! 我が御霊に畏み畏み申す!」

 『お前は要らねぇえエエ!!』

 「真雄人! 危ない!」

 真雄人は奇妙な行為と呪文を続ける。俺が庇いに行こうとした瞬間、真雄人の足元から渦巻くように業火が上がり、怪人と一緒に飛びずさった。炎の中で真雄人の体や服が火の粉を纏いどんどん変化していく。五指の手は丸まり、そこに燃え移った様に赤い毛が生え広がる。そして、それを覆い隠すように赤いスーツが全身を覆い、大きな炎はプロテクターとなって急所にしっかりと収まった。

 いつかのヒーロー番組で見た変身シーンが、今、目の前で繰り広げられている。思わず手の甲を噛むが、痛みも感覚も、意識もしっかりしていた。つまりこれは夢じゃない。

 腰を抜かした俺の耳に、亡霊のように矢田先輩の言葉が蘇る。

 「これが、戦士……?」

 「夜闇を導く一筋の光、火焔の使い、アニマレッド参上!」

 人が変わったかのような動きで、ビシッとポーズを決めると、真雄人は脇目も振らず敵へ突っ込んでいく。

 「な、何なんだ、真雄人、これは一体……」

 そう零した時、真雄人が目の前で銃弾に当てられこちらに吹っ飛んできた。慌てて助け起こしに行くがその行く手を怪人の連射が阻む。

 『オ前の人気も、友達も、名声も、手に持っている石も……ゼンブ、我々のもの……』

 ……我々?

 「武尊!」

 気が付くと、体が宙を浮いていた。全てがスローモーションで、遠ざかる景色の中、真雄人が固く大きな銃身に叩き潰されるのがゆっくりと流れて行った。

 「まおっ、んがっ!」

 柱に激突。その時、後頭部の方から強い衝撃が迸り視界が二重、三重にブレる。音が遠ざかる。轟音が聞こえなくなる。

 「まお、あか、す……」

 薄れゆく意識の中、真雄人らしき赤い人影と灰色の人影がぶつかり合い、赤い方が頻繁に吹き飛ばされる。それも、だんだん輪郭が無くなり、景色と溶け合う。

 「二人とも、喧嘩、しない、で……」

 無力だ。真雄人もこのままじゃ出雲ちゃんも助けられない。それに怪人も元は友達だった。大事な仲間だ。二人とも、俺の命より、大事なんだ。そのどちらも、優柔不断な俺は選べない事が、決断する力が無いことが、辛い。悔しい、悔しいよ……。

 「誰か、お願いだ……」

 這いつくばりながら石を握りしめ、胸に抱え込む。俺も戦えるほどの技術や決断力があったなら……。誰かを救えるほどの力があれば……。

 「俺に、道を、示してくれ……」

 弱いセリフだ。でも、まだ俺は誰かにあの言葉を言ってもらわなくては動けないのだった。嗚咽を飲んで、足に力を入れる。

 「武尊! お願いだ!」

 光が差すように、真雄人はふらふらになりながら俺に何かを投げつけた。すると、怪人の様子が変わる。分かりやすく狼狽え、標的を俺に移した。射撃すればいいものの、何かを喚きながらこちらに殴りかかって来る。それを、真雄人は燃える鉤爪と拳で横に往なした。

 真雄人から受け取ったものは手のひらサイズの石板だ。真雄人は殴り返され、店の中に突っ込み、ヘルメットが割れてもなお敵にぶつかっていく。

 「武尊、情けない話だけど。今すぐ! 力を貸してくれ! このままじゃ、この島も日本もこの怪物に、赤須に! 壊される!」

真雄人の腰に掛けられたランタンが揺れる。そこから炎が吹き上がり、真っ直ぐ怪人の頭に向かって伸びる。真っ直ぐ怪人を指さしながら真雄人は叫んだ。

「僕が絶対みんなを助けるから! 僕を助けてくれ!」

その言葉に漸く迷っていた心がピタリと指針を決めた。どうしたらいいとか、そんなのは分からない。だが、直感的に立ち上がり青い石を石板の窪みに押し込んだ。その瞬間、そこから水が溢れ、俺はそれに飲まれた。


渦巻く水流の中、息をしようと口を開けた。泡だけが立ち上り、声にならない。

『よぉ、小僧。久しいな』

目を開けると足元に青い毛並みのオオカミがのんびりと腹ばいになって寝ていた。オオカミは三日月のように光る目をこちらに向け、フッと笑った……のだろうか。

『お前は、欲張りだな』

人語を話すオオカミはそう言い放つと、スックと立ち上がりこちらに向き直る。

『だが、それこそ群れの長の資質だ。欲張れ、欲しがれ、その貪欲さと向上心と、仲間を思う気持ちで群れをまわせ、この水流の如く、常々に』

オオカミはそう言うと一声吠えた。

『俺からの忠告は以上だ。まぁ、及第点だが、お前の願い聞き届けたり。さあ、その体を明け渡すのだ』

回る水の中俺は迷いなく、両手を広げ自分の腰くらいある狼を抱きしめた。身体が疼き、見ると全身の骨格から変化していた。手はオオカミの前足に、足や耳も水が当たるところは全て獣のものに変わる。そこを隠すように青い布が覆い隠す。

腹の底から力が漲り、溢れる。気が付けば俺は人知れず獣のように空に遠吠えをしていた。

『バカ、な!直前まで、アニマの、気配、ナカッタ!?二人目の戦士……、マスター、どうしよう!?』

怪人はこれが予想外だったのか、分かりやすく焦っている。手を上に向けると空気中の水蒸気が集まり、野球ボール程の水の水晶が出来る。

「マオ、待たせたな」

「待たせすぎっつーの。あと五秒で僕は土に帰ってたぞ」

「はは、言うぜ相棒。おい、デカブツ!こっから先は碧水の使いであるアニマブルーが相手だ!!」

『な、なにィ!?』

相手は火薬を使う銃の怪人だ。火薬は水で湿らせてしまえばもう使い物にならないはず。 水の球を握り込み、力を込める。狙うは顔と利き手の右のガトリング。水の玉は力に呼応してハンドボール位の大きさになる。それをおおきく振りかぶって火薬口目掛けて投げ付けた。

『はっ!玉遊び、カ!?イヌッコロ!!』

巨大な弾丸を交わしながら次々と水を投げつける。小さな水の玉では大したダメージでは無さそうだが……。攻撃をする度に球数が減っていくのがわかる。

そしていつしか、鉄砲はただの鉄の筒に変わった。

『玉が!?』

「マオ!」

「分かってら!!」

自暴自棄になって腕を振り回す怪人を真雄人が囮になって集中的に払い、いなしていく。その隙に渾身の力で飛び上がり、ここら一体の水を右手に集中させる。

もっと、もっと大きくだ。こいつの体を全て飲み込んで流し尽くせ!!

「喰らえ!特大魔球だ!!」

『んぁ?ンギャアア!?』

怪人が真雄人のパンチで足をくじかれ、その場に腰を抜かす。そこにガスタンク程の巨大な水の塊を叩き付けた。高速で回転する水は怪人の姿諸共浮き上がらせ、溶かし、浄化していく。


そして剥がされた先に気を失ってぐったりしている赤須が見えた。俺はその中に飛び込み、手を伸ばす。掴んだ瞬間、水風船が顔面を直撃するのと同じ衝撃を受けた。目の前に濁流が流れ込む。

『何でこんなにも上手くいかないんだ』

『どうして俺だけ? こんなに一生懸命考えてるのにこんなにこき下ろされなきゃいけない!!』

『違う、俺が表現したかったのは』

『こんな、人の汚いところを映す動画じゃないのに』

『どうしてこうなってしまった?』

波が押し寄せる。水の渦の奥に、小さく縮こまって震える赤須の背中があった。波に触れる度に強い拒絶と自問自答する言葉が頭に直接注ぎ込まれる。これは、赤須の感情の濁流だ。

赤須の背中を見る。沈んでる。このままじゃ、溺れてしまう!

『こんな事したくなかった』

『どうして、もっと早く気付かなかったんだろう』

『こんな動画で仲間達も、視聴者も笑顔に出来ない』

『でも、どうしたら良かったんだ?何が正解なんだ?』

『どうしたら、俺の野望もみんなの事も満足出来るんだ?』

疑問を掻き分け、何度も足を取られ押し戻されながら、何度も赤須の名前を叫ぶ。口に入る水は冷たくしょっぱい。

『俺が最初から一人でやってれば欲は満たされていたのか?』

『俺には仲間なんて相応しくなかったのか?』

『でも、アイツらは俺を信じてくれたじゃないか!』

「違う!赤須!違うぞ!!」

手が届きそうになった。でも、もう体は殆ど飲まれている。その指先を掴みかけて波に防がれた。赤須が深い青に沈んでいく。息を大きく吸い込んで俺もその渦の中に飛び込んだ。

赤須、お前は確かに1人で暴走してた。でも、何も言わなかった俺達も同罪だ。賛同は共犯だ。同調も同犯だ。それを知っていて俺は、流されるままになって一緒に呑まれた。その罪を知ってて叱る勇気がなかった。

ちゃんと赤須には謝らないと。赤須は出雲ちゃんや俺達に謝らないといけない。

『死ねば、全部許されるのかな……』

沈む赤須の手には拳銃が握られていた。水を搔く手に力が込められる。

「違う!死はお前の救いじゃない!」

水中に俺の声が響く。この声なら、届く。

「赤須!ごめん、こうなったのは俺が何も伝えられなかったからだ!俺が流されたせいだ!俺があの時一言ダメと言えばお前は撃たれずに済んだかもしれない!本当にごめんなさい!!」

赤須の手に漸く届いた。拳銃をむしり取り、引き上げる。

「さぁ、俺は言ったぞ!!お前はそのまま負け犬みてぇに逃げ遂せるのか!?」

赤須が驚いた顔で俺と相対する。

「俺達にお前も言わなきゃならないことがあるだろ!!」

泡だけがキラキラ星のようにきらめく中、赤須は叱られた子供のように顔を歪めた。

『ごめん……なさい』

紺碧の海底に光が差す。水が落ちていく。頭から順々に海面に出ていく中、赤須は泣きじゃくっていた。いつも明るくみんなを引っ張るような赤須がこんな泣いてるのは初めて見る。

『ごめん、みんな。俺のせいで』

「違うよ、俺たちのせいでもあるから。だから、いいよ。もう謝らなくていいよ」

『ぅ、うわぁーん! あーん!』

なんか、分かった気がする。俺達には言葉がある。ぶつかり合ったら喧嘩して、納得したら謝って、嫌いになって誰もいなくなるわけじゃないんだ。

喧嘩したら仲直りすればいい。曲げたくないところは曲げなくても、対話して理解し合えたり、妥協し合って、友達は増えるんだ。続いていくんだ。

一人になることは怯えなくていいのだ。

「おかえり、武尊」

俺にはいつだってそばに居る相棒がいるから。俺にとってのヒーローはすぐ側にいるんだ。

「なっ、なんでお前まで泣いてるんだよ!?」

そう思ったら目頭が熱くなってボロボロ泣いていた。

「ごめん、俺、お前の言うこと、信用しなくて、上手く出来てなくてごめん。次からちゃんと自分の意見、言えるように頑張るよ」

そう言うと真雄人は少し驚いた顔をし、何故か照れくさそうに目を逸らした。

「お、おぅ……。まぁ、僕も言い過ぎた。ごめん。僕も、武尊みたいに周りを見て動けるように善処するよ。あと、助けてくれて、ありがとうな」

真雄人は笑顔で手を差し出した。夕日がその背に差す。

「仲直り、しようぜ」

「勿論」

握手を交わすと、後ろから拍手が聞こえてくる。振り返ると、矢田先輩達が立っていた。

「いやぁ、青春やな! ええな! こういうのも!」

「感動しますねぇ」

「三峯くん、今戸くん!赤須くん!!」

出雲ちゃんが瓦礫の上を滑って転びながらこちらに駆け寄ってきた。また涙をボロボロ流しながら俺達に抱きつく。良かった、彼女も無事だったんだ。ほっとしたのも束の間、ショッピングモールの惨状が目に飛び込んできて、血の気が引いた。

「こんなにして、損害賠償とか、請求されたりとか……ないよな?」

「まさか!そんなんだったらヒーロー漫画が成立しない」

「それは漫画だろ? ここは現実だ」

「安心したまえ聖徒達よ」

言い合ってると更に後ろからダンディな男の声がした。そちらを見るとパンフレットに書いてあった学長が口髭を撫でながら立っていた。ひょっと息が詰まる。気が付いたら俺は土下座していた。

「ん?ダンゴムシの真似?」

「うわっ!?武尊!? 大丈夫か、頭打ったのか?」

呑気な三宅先輩と驚く真雄人。どうしてこいつらはこんな能天気何だろう。こんな状況で学長が来たということは退学の危機だというのが何故分からない!?

「ま、こんな時にセンセが来はったらそりゃ、そうなるわな。ケルくん、安心しいや。この人はワシらん味方や。それも特級のな」

「大丈夫、君達を勘当するような事はしないよ」

学長は穏やかに言うとパチンと指を鳴らした。すると、積み上がった瓦礫や弾丸の残り、めちゃくちゃになってしまった店内が瞬く間に修繕されていく。

「すっげぇ!魔法、魔法だよ!武尊!!」

腕を掴んで興奮気味に言う真雄人を他所に俺と出雲ちゃんは呆然と立ち尽くしてしまった。学長はフォッフォッフォと笑いながら指を鳴らして歩き去っていく。

「あ、あの人は一体??」

「うん。あの方はこの学校の学長にして、今世最強の守護者、龍神の依代に選ばれて早70年の超大物アニマ使いだよ」

「アニマ、って俺がさっき変身した?」

真雄人は頷く。矢田先輩はカラカラ笑いながら、肩を叩いた。

「その話はゆっくり会室でしよや。美味しい羊羹あんねんで」

「うん、一息で説明するのは難しいですからね」

そう言って俺は言われるまま大学に戻る事になった。

ここから運命の歯車は次第に狂い始めていた。


昼でも夜でもおはよいと。

どうも文月宵兎(フミヅキヨイト)でございます。


第2話も直近投下失礼しました。一話の直後のお話です。アニマは1話完結というより、登場人物事に別れるので、時系列がその直後からだったり数日空けたりがあるかと思います。


今回は三峯武尊(みつみねたける)のお話でした。彼は元野球部でピッチャーを専門にしておりましたが、卒業前の春体で肩の脱臼で出場するのが叶わなかった可哀想な子でもございます。

皆さんは大学デビュー、どうでしたか? 私は大学デビューの為に髪を伸ばすぞ!と意気込み、伸ばし続けておりました。ある意味真逆の大学デビューで垢抜けないという選択をとったおかしい人です。あと、メイクとか服とかも制服が無くなったのでより増えていき独自のファッション(オタク特有の謎ファッション)を貫いていきましたね笑笑ああ、痛々しい。でも、周りの人達もかなり個性バチ強学科だったので浮くことはありませんでした。不幸中の幸いです。

今回はアニマという特異な存在を説明する回でもあったので、少し中だるみが心配ではあったのですが、皆様ちゃんとついてこれてますか?作者もまだ書き始めなので設定が少しワヤワヤしちゃってます。ヒーロー戦隊ものと和風ファンタジー組み合わせて、更に大学と架空の島も出てきちゃってるので、地形や建物の位置だったりをちゃんと何処かでしっかり説明出来るように地図何かもそのうち作ってくださる優しい人が居たらと思います。作者もやってみましたが、頭がゲルアメーバなのでダメだった。伊能忠敬やっぱり凄い。

第2話ですがここまでで登場人物もかなり増えてますよね。皆様一人一人の立ち位置だったり把握出来てますか?もう次の話からほぼ説明無しで行くので不安な人は1話から読み直してオリジナル設定資料作りましょう。素人作成の小説で人物像などを書き留めておくと矛盾点などが見つかって楽しいかもしれないですよ。

まあ、中身も殆どない後書きですが、今回も信長乃社交さんにはたくさんの御協力を頂きました。ありがとうございます。

そして今回もこんなクソ後書きにお付き合いくださった優しい読者の皆様。誠にありがとうございます。あなた達は優しいを超えて変態なのかもしれないですね。

今回も程よく読者を煽り奉ったところで、次回もご愛読よろしくお願い申し上げます。

そして次回、泣き虫ヒロインのチアガール姿を拝みましょう。

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