第1話 炎猫
友達が魔法×ヒーロー×動物ものの小説を書いてみたいと言っていたものの参考になればと書いていたら楽しくて許可もらって自分の作品として投稿させてもらいました。
薄暗い地下通路。そこに描かれた大きな壁画の前に、僕は立っていた。二足歩行の動物、禍々しい真っ黒な怪物、それらが退治し動物達の後ろには鉄塔のある町と逃げ惑う人間らしきものが描かれていた。
どうやってここにたどり着いたか分からない。だが、この壁画に書かれていることは全て現実になるのだと確かな不安と恐怖が胸に渦巻いていく。
「なーん」
肩を竦め、足元を見ると一匹の三毛猫の姿。メロン色の細い瞳孔に見つめられ、タジタジになっていると不意に猫は鼻を鳴らしちょこんと少し離れたところに座った。
「久しぶりだな?真雄人」
「えっしゃべっ」
驚愕のあまり声が出た。震えた弱々しい、大嫌いな声。
「元気そうでなによりだ。私はまだお前をあの場所で待ってる」
「あ、あの場所?」
猫はそれには答えず、立ち上がるとくるりとしりを向けた。可愛らしいふぐりを見て、こいつオスかと冷静に考える。
顔を上げると古びた鳥居が通路の奥にあった。石でできたこれまた太古からあるような祭壇に横一列に並んだ宝石が見える。
「龍神様のお告げがあった」
「お告げ? なんて?」
「来る災いが街を襲い、太古の生き神達が蘇ると」
なんの事か分からない。なのに、何故か腹が熱く強い使命感が湧き上がる。猫がこちらを見上げる。
「分かるか、真雄人。お前は選ばれたのだ」
何に。
「時は来た。心して受け入れるのだ」
何を。
「我らはあの場所で待っているぞ」
「待って!お前はなんだ、ただの猫なのか!?」
歩き去ろうとするしっぽに向かって僕は叫んだ。狭い通路に木霊し、壁に並んだロウソクが揺れる。猫は一瞬振り向いたが何も言わずしっぽを左右に降って掛け出す。慌てて僕は走り出した。鳥居を抜ける。僕も抜けようとした瞬間、目の前が真白く光って……。
ベッドから漫画と共に転がり落ちた。朝日が差し込むカーテン。倒れてもなお鳴り響く目覚まし。布団と一緒に雪崩落ちた漫画の単行本。静かなワンルーム。
ボーと床に座ってた僕は携帯の日付を見てギョッとした。4月7日。今日は大学の入学式だ。
時計の針は8時を指そうとしてる。
「やっばい!電車!」
慌てて飛び上がった瞬間ローテーブルに足の小指を強打した。
急いでスーツを着込み、リュックに昨日買ったカロリーメイトを投げ込んで定期券をひったくる。まだ積み上がったままのダンボールを避けながら狭い玄関までダッシュし革靴を引っ掛けて家から飛び出す。
心地よい春の陽気、ウグイスの囀りが心地よいが僕の心は焦燥と不甲斐なさでいっぱいだった。ボロアパートの階段を駆け下りまだ慣れてない街の駅に向かって走る。
道が分からないのと、大学に向かう電車は30分に1本しかない片田舎のここに、一昨日引っ越したばかりの僕は似合わない全力疾走で朝のラッシュを切り抜ける。
ギリギリホームに滑り込み、満員電車に体をねじ込む。何とか目的の電車には間に合い、「天照大学前行き……まもなく発車致します……」というアナウンスに胸をなで下ろした。
「はぁ、良かった。えっと……このまま乗っていっていいんだっけな」
スマホを取り出した時、ん?と僕は眉をひそめた。今9時になったばかりだ。おかしい。僕はタイムスリップする力も時の流れを操る力も持ってない。はてさて、どういう事だ?
朝の記憶を呼び起こし、しばらく固まる。そういえば、目覚まし時計を買ったのは三年前で、それまで一度も電池を変えてない。
「あ、あぁ……」
時計、止まってた……。
落胆しながらも1周まわって心に余裕が出た僕は、人の隙間から見える真新しい綺麗な街を眺める。
地元の東京から飛び出して四日目。南西部へ列島を降り何百キロ。ここは広島の離れにある神の塚島という埋立地にある小さな町。都市計画が指導してまだ4年しか経ってないこの場所は近未来をうたってはいるものの公共物の発展は未だに途上だった。海風を利用した風力発電と太陽光パネルが義務化されたクリーンシティ。立体電子パネルや研究所施設、外れたところに海軍基地もある小さいながらも活気のある街だ。
その中に聳える唯一埋め立て前から存在していた、神社を囲うように作られた大学が、天照大学である。複数の学部学科が島全体にあり、神学から工学、芸術や健康科学までもを学べる総合大学として有名である。
僕のこと、今戸真雄人は芸術学部美術学科デジタルイラスト理論専攻という極めて珍しい所への進学を決め、この春東京を出た。本当だったら東京藝術大学や日本大学、多摩美術大学とかでも良かったのだが、東京は息が詰まる気がしてお金を貯めてこの私立大学へ進学したのだ。それに僕は漫画家になりたいのだ。油絵や水彩画は勿論大事だろうけど直接漫画のなうハウを教わりたかった。
ここで漫画家へのスタートラインに立つんだと決意を新たにした時背後からか弱い、「た、助けて……」と声がした。振り返ると俯いて肩を震わせる女学生。その後ろに立ったサラリーマンの腕の動きや表情がおかしい。
「ち、痴漢……」と今にも消え入りそうな声で囁いた少女を見て思わず行動せざるを得なかった。
「……で、チカン野郎に殴られたと」
「うん……」
全体の入学式はもう終わっていた。頬を腫らして絶望する僕の脇で呆れ顔の幼なじみが青く染めた髪をかいている。頭一個分高い背丈に、しっかりした肩幅と厚み、小麦色の肌は如何にもスポーツをやっていましたと言わんばかりのハツラツとした風貌。面長だが割と整った顔立ち、太いまゆと大きな口が特徴の幼なじみ、三峯武尊は、中高と変わらぬジャージにエナメルバッグをもって大学の入学式に来ていた。
「遅刻してるのに、痴漢犯と2時間格闘するとかお前ほんとお人好しって言うかなんて言うか。まぁ、そこがマオのスゴイところだけどさぁ」
何を言わんとしてるのか、手に取るようにわかる。僕は昔から自分より正しさを優先し過ぎるのだ。
隣の幼なじみ、武尊と出会った時もそうだ。四歳の時、ゲームセンターで迷子になった武尊を見かけて母親の手を離し、声を掛けに行った。それで、自分も一緒に迷子になってしまったのだ。
「でも、お前に助けられた女の子は今日のこと絶対忘れないと思うぜ。俺も、お前が涙を堪えながら大声で俺の親探してくれたのすっげー覚えてるし」
「やめてよ、いい加減忘れて」
「なんでだよ」
空回りを続けても、どんなに後悔しても困ってる人を見たら体が勝手に動くのだ。買った漫画にはそれをヒーローの本質とか言っていたが、僕はそうは思わない。
助けられても他の人に迷惑かけちゃ意味が無いんだ。周りに心配かけたり結局怒られたりしちゃあ、ヒーローでは無い。いつか、テレビの中のヒーローみたくカッコよくスマートに人を助けられるようになりたい。
「で! どうよ、この髪、かっこいいだろー!!」
会話に急ハンドルが掛けられ、僕は促されるまま武尊の頭を見上げた。小中高と野球部に所属していた彼。見慣れた頭はキレイな坊主頭だけだった。それがたった半月で眉毛に掛かるくらいまで伸び、更にその毛先を青く染めて前髪の中央はさか立てる様にセットしていた。
「いいんじゃない? 大学生っぽいよ」
「本当か!? マオがそう言うなら間違いないな!」
「何? 他の人から何か言われたの?」
聞くとあからさまに目が泳ぐ。これは結構な人数に言われたんだろう。
武尊は明るくしっかりして居そうな割には、周りに簡単に流される節がある。素直で人を疑わない性格が災いしているのだ。まず、全体主義で狼の群れみたいに集団での行動が好きで僕といる時以外はクラスの全員と平等に仲良く遊んでいる事が多い。いつでも人だかりが出来ていて、その中心で指揮を執るのはいつだって武尊だ。野球部でも部長もキャプテンも務め、学級委員から生徒会長までもをやってのけている。真面目で、気配りが出来てなおかつ責任感もしっかりしてる彼は教師陣からも人望が厚く、様々な仕事を任されていた。
だが、ここで問題なのは彼がそれを望んで引き受けていない事だ。武尊はお願いに弱い。断り切れず仕事を一人で抱え込んで、風邪を引いたり肩を壊して卒業試合を見学になったりと大分苦労を抱えている。僕もそれを知っているからクラスに働きかけもしたが、あいつは苦しそうな笑顔で「いいよ、任せて」と言ってしまうのだ。
僕の正義感と同じで直そうとしてもなかなか治らない、こいつの短所。
「いつも言ってんじゃん。他人の目より自分の心を信じろってさ。お前が自分で似合うと思ってやったんだろ? 自信を持てよ、武尊」
「けどさぁ、やっぱりさぁ、気になるじゃんよぉ。これも、大学に溶け込みたくってやったし」
「溶け込むって……大丈夫、目立ってないから」
全国から様々な人が集まるのもあって、髪形服装も多種多様だ。黒髪、茶髪、金髪は最早オーソドックスと思うほど。赤青黄色緑ピンク紫灰色、二色遣いの上級者も居る。その中で青色の髪は金茶に続いて多い。武尊の事だから多分そう言うのも事前に調べてやってたんだろう。
お昼時の学食は二個とも大賑わいで、座る所が一切ない。僕らは唯一開いていた影の机に陣取った。
「お前は少しくらい周りを見て動くんだぞ。っていうか、お前サークルどうする?」
昼飯を取ってこようとするなり、ずいっとパンフレットが視界を隠す。うんざりしてそれを避けると小走りで武尊が付いて来る。
「漫研一択だろ。武尊こそ何処入るんだよ」
「スキューバダイビングサークル」
またそんなべたべたな……。一軍ピーポーに入りたいという魂胆が丸見えだ。
「運動部は? 陸上なら腕使わなくていいじゃん」
「うーん……もう、運動は良いかなって」
少し驚いた。あんなに体を動かして汗をかくのが好きだったのに。まぁ、色んな考えを経ての決断だろうと思い、深追いはしなかった。
そこへ、高校からの同級生らしき生徒が武尊に声を掛け、武尊は「御免、ちょっと学部の集まりに顔出してくる」と言って離れて行った。パンフレットを僕に押し付けて。
なんなんだあいつは。一人焼き魚定食を持って陣取った席に着く。顔を上げると、席を探してウサギ柄の弁当袋を持った女の子が何処か怯えた様子で周囲を見渡していた。
「ねぇ君!」
ビクッと肩と表情を強張らせて彼女はこっちを振り向く。僕は笑顔で手招きして武尊が座っていた席を指さした。
「ここ空いてるよ。座りなよ」
彼女は戸惑いながら周囲を見渡して、恐る恐るこちらにやって来た。大きな丸眼鏡に長い髪をツインテールにして、短いプリーツスカートに長いニーハイソックスを履いている割には気が弱そうで、始終俯きながら「すみません」と譫言の様に言っている。
「それ、手作りなの?」
綺麗なお弁当を見ながら僕は尋ねた。声を掛ける度にびくびくしながら俯く。
「あっ、えっ、えっと、ちが、違います。ハ、母です。作ったの」
「へぇ、ここの近くなの?」
「いや、広島の竹原の辺りに、は、母と」
「へぇ、出身もここなの?」
「ぃ、いいいえ、わたっ、私は、その、実は、埼玉で」
「ふぅん、僕も実は東京からこっち来たんだよね」
「そ、そうなんですね。わ、私なんかと違って、都会っぽいですもんね、ははは」
何か言う度に謝るみたいに頭をペコペコするから、満足にご飯も食べられていない。僕は気を使って黙った。彼女はちらちらとこっちを見ながら小松菜の和え物らしきものをひたすら食べている。
「あっ、あの!」
「うわぁ、何⁉」
突然の大きな声に驚いて顔を上げると、初めてその子と目が合った。大きな垂れ目が特徴的な普通に可愛らしい子だった。
「あの、お名前は……? 私、住吉出雲です。よ、ょよろしくお願いします」
「あ、ああ……僕は今戸真雄人。芸術学部の一年」
「そうなんですか! わ、私も一年で芸術学部で、もしかして文芸ですか⁉」
「いや、僕はデジイラ論」
「あ、そうなんですね」
分かりやすくしょんぼりされてしまった。そこへ、金髪に如何にも一軍という感じの女の子たちが群れを成してこちらへやって来る。席は探していなそうだ。寧ろ人を探しているようで、僕はまた声を掛けようとして立ち上がった。
「あ! みーつけた! ねぇねぇ、一女でしょあんた」
「ひょえ」
先頭の彼女が勢いよく出雲の肩を掴んだ。ビックリして彼女はカツレツを取り落とす。
「うちらに挨拶しないってどゆことー? 仮にもウチラ二女なのにさぁ。まぁ?うちらが一年の時はあんな真似したら校舎裏でマジボコられてたから。OBにはちゃんと挨拶すんだよー?」
「す、すみません……」
「チア部だろ、笑顔どうしたんだよ笑顔‼」
バンバンと威圧的に机を叩いて、後輩を叱る先輩。だが、怒り方が明らかに常軌を逸している。大人数で弱い立場を囲って責め立てるなんて。今にも泣きそうになりながら無理やり笑顔を作ろうとしてるのを、苛立った先輩はさらに手を振り上げる。思わず立ち上がり、その手を掴んだ。
「い、今は部活の時間じゃないでしょう? こんな大勢人が居るところで大声や騒音は迷惑ですから。もう今日はここらへんで許してあげてください。先輩方」
「は?」
またやってしまったと頭では理解しながら、もう引けない僕は二個も上の女性の先輩と睨み合う。女性だから手を上げてはいけない。いざとなったら僕を犠牲に彼女に学校関係者を呼んでもらう様にしないと。
「何? 別に君には関係ないよね」
「でも、彼女は僕の友達ですし、泣きそうになってるのをほっとく訳にはいかないので」
会って数分なのに、何を言ってるのだか。ちらっと出雲を見るとまた俯いて小さくなっていた。
「他の学食利用者も迷惑してますし、これ以上彼女に関わるなら最悪部活停止になる」
そう言いかけた事で乱暴に手が振り払われた。彼女たちはキッと出雲を睨み付け足早に静まり返った食堂を後にした。なんだか猛烈に気まずい空気感……。背中に刺さる冷たい視線が痛い。
「ご、御免ね。食事処じゃなくしちゃった……」
そう言ったところで出雲は勢いよく立ち上がり、食べかけの弁当を片し始めた。呆気に取られる僕に彼女は大きく頭を下げる。
「有難うございます。それじゃ」
はきはきと言うと、彼女は勢いよく踵を返して学食を飛び出した。生き場のない手が虚空を掴み、握りしめた。ああ、まただ。またやっちゃった。
ため息を吐いて席に腰を落とす。ひそひそと聞こえる、僕を馬鹿にする声。その声がぴたりと止んだ。ふっと焼き魚に人型の影が掛かる。顔を上げると煌びやかな衣装に身を包んだ真っ黒な男と、対照的な真っ白でシンプルな格好の美形が立っていた。
「君、とてもいいね、私は君と是非仲良くなりたい」
縁のない丸眼鏡、小さくて整った顔に金髪碧眼の美しい青年は優しい声色でそう言った。
「せやな。おい、一年。自分、名前は?」
真っ黒なカラスの羽を一枚のコートにしたみたいな男が上から声を掛ける。ソチラの男もスタイルが良く、二人並ぶと海外のハリウッド俳優が目の前に現れたかの様だ。だが、黒い方は何処かうさん臭さがある。
「僕? えっと僕は今戸真雄人です」
「へぇ、マオト君か。宜しくね、僕は考古学学科古代日本神学研究学部三年の三宅勇翔」
「ちゃうわ工学部考古学科古代日本神学研究専攻や」
「あれ?」
こんな神々しい見た目で噛むのか……。少し場が和んだところで、三宅先輩は胸ポケットからスッと名刺を差し出した。
「私達はこの大学、いやこの島、いやこの国を守る為に仲間を探していてね。君はとても見込みがあるよ。ぜひ、聖徒会に入って欲しい」
「せ、生徒会……?」
名刺をみると漢字が違う。聖なる使徒の会……。何だこれ、カルト教団への勧誘か?僕が当惑していると、黒い方がため息を吐いて三宅先輩を思いっきりハリセンでぶっ叩いた。
……というか、何処から出したんだよ、そんなデカいハリセン。
「阿呆、おみゃーは毎回説明が足りへんねん! 見てみぃ、かぁいそうにカルト教団かと思うてめっさ怯えとるやんけ」
「え? あ、美味しそうな煮豆」
「煮豆はどうでもええやろ! 後でコンビニで買うたるから今は勧誘に専念せえや阿呆!」
「あ、あの、何なんですか? 漫才?」
僕は早めに逃げる準備をして少し腰を上げる。その顔に、黒い方は指輪だらけの手をビシッと突きつけた。
「まぁまぁ、怪しいものじゃあらへんよ。ちょっと特殊なボランティアや。まぁ、ヒーロー研究会っていうのが正しいやろな。自分、結構正義感強すぎて正義感強過ぎて大変やろ? その衝動、制御できるゆうたらどうする?」
「衝動を、制御?」
「そや。ワシらはそないな事もお手伝いしとんねん。興味あったらこの名刺にある教室に来てや」
長い指がトンと机の上の名刺を叩いた。僕が呆気に取られてると、黒い方は三宅先輩の手を引いて颯爽と立ち去る。煮豆の小鉢は一枚の白い羽を残して無くなってた。
「大学支援本部 聖徒会執行部 西棟803教室」と書かれたやけに上等な名刺に僕は何か運命的なモノを感じていた。
ちょっと興味を惹かれている自分がいる。
その時、一人の教師が学食へ乗り込んできた。
「えー、これから学科ごとの入学説明会です! 前日に配布しましたハガキに書かれた指定教室に移動してくださーい。説明会は14時半より開始します。この説明会は今後の単位にも関わるので必ず出席してください」
急いでご飯をかき込んで席を立つ。遠くの方で申し訳なさそうにこちらを見つめる武尊と目が合った。
学食から出てから早三十分。僕はまだ指定教室に辿り着いていない。何処で間違えたのか分からないが、見た事ない通路へ来てしまった。近代的なコンクリート造りの地下通路とは違う、剥き出しの岩を削って作った様な、古くからある防空壕や城の隠し通路の様な……。でも、何処か懐かしいような。
奥から湿った冷たい風が吹いてくる。その風に導かれるように通路の奥へ進んでいく。振り返ると、来た道は闇に包まれていた。
なんか、デジャヴを感じるなぁ……。引き返そうとも思うけど、この先にも興味がある。というか、行かなくちゃと思ってしまう。
「マーオ」
進んでいくと先の方から懐かしい声がした。母さんの声だ。足の踏み込みがより深くなる。
実は、僕の母さんは既にいない。一人の身勝手な人間の行為でこの世から去った。
曰く、麻薬を吸って半狂乱になった強盗犯に、赤子を身籠った女性を守る為に、一人で僕の誕生日を祝うために買い物に行ったスーパーで、包丁を滅多刺しにされて、殺された。
あの日のニュースは今でも覚えている。強盗犯のパトカーに連行される姿も、死刑から執行猶予付きの終身刑になった事も、麻薬ではなく統合失調病による精神鋼弱であるという判決も、全部煮えたぎる怒りと後悔と、あの時母さんを直ぐに病院に連れて行けなかった行き場のない悔しさと共に覚えているんだ。
「母さん!」
「こっちよ、マオ」
「母さん!どこ!」
でも、何で大学の奥から声が? というか、そもそもここは何処なんだ。と色々考えている間に大きく開けた場所に出た。あんなに低かった天井が一気に高くなり、石の柱には様々な動物の彫刻が描かれている。精巧な作りだ。でも、何故か大きな引っ掻きあとや弾痕、何かで吹き飛ばされたあと、人の手で修復された跡もある。
「何だここ……古代遺跡、か?」
「おや、君が一番か」
突然後ろから声を掛けられ、振り返ると長身に長い口髭と顎髭を垂らした初老の男が目を細めてこちらを見ていた。なんか、見覚えあるような……。
「本来はここは一般生徒が入り込めない学校の最深部なんだけど、君はどうやらアニマ達に選ばれてしまったみたいだ」
「あ、アニマ? っていうか、貴方は生徒じゃないですよね?」
「勿論。僕はここの大学の学長さ」
「え」
「そして、アニマの長竜神ドラゴッドの依り代でもある」
「え?」
最後の一文だけは理解できないが、つまり僕は学長が居る学校の立ち入り禁止の場所まで無断で入ってきてしまったみたいだ。慌てて謝罪を述べ頭を下げると何故か微笑まれる。
「何も謝ることは無いさ。寧ろ君を歓迎しよう」
「なんっ、え?立ち入り禁止じゃ」
「普通はね? でも、君は特別な力がある」
「はあ」
言ってることが支離滅裂で、本当に学長なのかも疑わしい。地下金庫から金を取るために学長に化けた偽物じゃあるまいな?
「あの、僕は何に選ばれたんですか? というか、ここはなんの」
言いかけた時、突然ぐらりと地面が揺れ、天井から砂埃か降ってきた。さっきまで縁側で日向ごっこをする老人のように穏やかな顔が、瞬時に威厳ある大人の顔に変わる。
ただ事じゃないのは僕でもわかる。
「学長、これは!」
「いかん!奴らが嗅ぎつけおった!」
「え……? いや、違いますよ!地震です!危ないので直ぐに逃げて!」
「君、早くここから出たまえ! ここが割れるのはマズイ!」
「学長、あなたも逃げるんですよ!」
「僕はここにいなくちゃいけない。君、これを持っていきたまえ」
僕が掴んだ手に、学長は石のような物を握らせる。開いてみると、燃えるように赤い猫の形をした宝石だった。
「これだけでも守ってくれたまえ。君ならできる」
「何言ってるんです!? こんな石ころいらないですよ!逃げないと」
そう言ってる間にまたも大きな揺れが襲う。地面が波打ち、僕は学長に突き飛ばされるように壁際まで投げ出される。その瞬間、体が壁の中に沈んだ。意味わからない現象が立て続けに起こりパニックになりながらも、僕は学長に向かって手を伸ばした。
「ダメだ!一緒に、 学長―――!!」
とぷん、と泥沼に沈むように学長が壁の向こうへ消え……。
気がついて目を覚ますと、大勢の人の群れが迫っていた。さっきの地震から逃げる人だろうか? だが、それにしてはおかしい。全員が散り散りになって逃げている。背後を何度も気にしながら、何人かは流血していた。
人に突き飛ばされ、押し流されながら大学の裏門に向かって行く。
「マオー!どこだ〜!マオー!!」
阿鼻叫喚の混乱の中、唯一の安心材料が聞こえて来た。僕は人を避けながらその声の方に向かって走る。
「タケル!こっちだ!タケル!」
武尊の高い背丈と青い髪が幸いし、直ぐにその姿は見つけられた。タケルの長い腕を掴むと必死になって涙を目の端に浮かべた武尊が振り向いた。興奮のあまりか一瞬で頬が紅潮し、長い腕が僕を包み込んで、締め上げた。
「どこに行ってたんだよ馬鹿!アート棟にも来てないって出雲から聞いた時はもうダメかと」
「いでででででで!! いてぇよ、馬鹿力!また余震があるかもしれない、早く外へ」
そう呼びかけると、一瞬キョトンとして武尊は僕の後を追ってきた。
「地震?何言ってんだ?不審者だよ、不審者!!緊急メール見てねぇのか!?」
「は?不審者?」
話が噛み合わないが、僕らは人の居なくなった廊下を駆け出した。と、そこで曲がり角の右から先程食堂であった出雲が息を切らして走ってきた。僕の顔を見るなり大きな目に涙が滲む。
「よっ、よよよ、良かった!見つかったんですね」
「ありがとう、出雲ちゃん。早く逃げよ」
そう言った瞬間僕らの顔スレスレを何かがものすごい勢いで横切り、突き当たりの壁に突立った。血の着いた調理用の包丁だ。
ゾッと血の気が引く。
『よゴセ……。お前の入学資格……』
金属がすり合わされたような、耳障りな声が響いた。ツンと鼻につく、鉄錆の香りに胃がひっくり返る。恐る恐る3人同時に振り返ると、全身から刀剣を生やした不気味な男がギラギラと血走った目でこちらを見ていた。指のように手の甲から伸びた刃からはまだ着いたばかりであろう赤い液体が床に斑点を描いていた。
「ひっ、ひぃ」
「っ!!」
今にも腰を抜かしそうになる出雲の腕を掴んで自分の背で隠しながら、武尊も震えながら青い顔で怪物と睨み合う。その時、電撃を受けたように頭が真っ白になっていた。はっと我に返った時には、両手を広げて二人の前に立ちはだかり、下から睨み上げながら歯を剥き出しにして動物みたいに威嚇していた。
『おマエ……』
怪物がニヤリ、いや、グチャりと笑う。頭頂部まで避けた口に並ぶ無数の歯を見て腰が引け、後のふたりごと後ずさる。とその時、怪物と僕らの間につむじ風が巻き上がり、その風は怪物を簡単に巻き上げると全く別方向へ投げ飛ばした。
怪物は痛そうに叫びながら吹き抜けの下へガラス戸と一緒に転げ落ちる。何が起きたのか分からないまま、力だけが抜け尻もちを着くと何処か嗅いだことのある香水の匂いが漂った。と思ったら真上からふわふわと黒と白の羽が舞い落ちてきた。
「君たち、怪我は無いかい?」
「入学早々災難やなぁ! はよ、散れ!こっからはワシらヒーローの時間やで!!」
聞き覚えのある声に、僕は名前を叫びかけた。だが、それを床の崩壊が妨げた。声も出ないまま、体がふわりと浮き瓦礫も吹き荒れる中、白銀の巨大な鉄板の先がスーツの腕を割いた。
「マオ!」
「危ない!!」
白い鳥のようなヘルメットに真っ白な羽をもしたマントを身につけた男が僕に飛び付いた。一緒に落下しながら、男は優しく耳元で囁いた。
「耳を塞いでいたたまえよ」
「は、はい!」
疑いを持たず僕は耳を塞いだ。その奥から迫る巨大な刃。だが、男は腰に指した短い筒のようなものを加えると勢いよく吹いた。すると刃が空気の壁に弾かれるように真反対に押し返された。
『オレの……ぜい、ジュン……がぇして、かえしてぇえええ!!』
だが反対から振り上げられた刃から僕を庇った為に、白い男のマントと白いプロテクターが切り裂かれ、中から羽毛が飛び出した。
血を垂らしながら背中のスーツを突き破り腕が裂け、大きな白い翼が僕を優しく包む。その羽がクッションになり、僕は投げ出されはしたもののかすり傷のみで済んだ。
『オレ、だっでぇええ、オマえら、みだぃに、大学生に、なりだがったァァ!!』
怪物はそう吠えながら、立ち上がろうとしてる翼の生えた男を刃の峰で叩き払う。それは、ラウンジの机を吹き飛ばし、教室の壁を2つ壊して男を瓦礫の中に沈めた。
「ホワイト!!」
黒い男がギョッと目を見開いて叫ぶ。それを阻むようにみるみる巨大化していく怪物。なんの悪夢だ。こんな何かのパフォーマンスじゃないよな?
恐怖のあまり動けずにいると、白い男が瓦礫から飛び出し、僕を足で搦めとると、空へ向かって飛翔した。こちらに背を向けているのに背中に生えた刀剣が的確に僕らを串刺ししようとしなりながら襲い来る。
それを急旋回、ダッチロールのような急降下と急上昇、更には上下反転するような一回転で全てをかわし僕を上階へ戻した。
「阿呆!お前そんな怪我で飛ぶのは自殺行為やぞ」
「分かってるよ、でも、折角この大学に選ばれた子達だ。易々とモヤッキューの餌食になんてさせられないさ」
背中の深い切り傷は塞がることなく、更には会心の一撃を食らったせいで白い方は立っているのもやっとという感じだ。黒い方が一瞬こちらを一瞥した。
「何をボサっとしとんねん! はよ逃げや!!これは部活勧誘のパフォーマンスや授業の撮影やあらへんで!死にたくないなら出口まで走れ阿呆ども!」
黒い方は手に持った奥義で僕たちに迫る斬撃を突風で相殺して何とか防いでいる。白い男は笛の音で怪人を押しやろうとするが、刀剣でそれも防がれ、2人は太い刀剣の一撃を食らって吹き飛んだ。
僕は咄嗟に武尊と出雲の頭を掴んで後ろに飛ぶようにしてその刀を避けた。
『お前……』
怪人の濁った赤い目と僕の視線が工作する。その時ポケットから学長から貰った赤い石が転がり落ちる。
僕はすぐ様石をズボンのポケットにねじ込み、二人の手を掴んで立ち上がった。
「逃げるよ!」
「学校の裏口はそこから左に行ったところだ!」
「うわぁああん、おかぁさぁん!!」
倒れた衝撃で頭を強打して後頭部をさする武尊に、大粒の涙を流して恐怖に泣きじゃくる出雲の手を引いて、僕は指示された方に駆け出した。
「アニマストーン……。あの子やっぱりアニマに選ばれていたね」
「ああ……なおのことここであのデカブツは倒さなアカンな!」
黒いマントにヒーロースーツを着込んだ男と白いマントに両手から巨大な翼を生やした白い男は頷き合うと、武具を構えた。刀の怪物は予想通り雄叫びを上げながら一年生達が走り去った方へ行こうとする。
「どこ見とんのや、ウスノロ!」
黒い男の扇子から放たれた巨大な鎌鼬がやっと、怪人の腕を切り落とす。激痛に叫ぶ怪人に追い打ちを掛けようとした時、その背後から黒い刀剣が現れる。
「ブラック!」
白い男が叫び、ブラックを真横に突き飛ばした。その瞬間、黒い刀がホワイトの肩に突き刺さる。
「あっ!」
「ホワイト!」
空中でバランスを崩したホワイトは制御を失い、怪人の方へ墜落する。その時、ブラックもスーツを突き破って羽毛が吹き出した。
「テメェ俺のダチに何してくれとんじゃボゲェエエエエ!!」
我を忘れた彼の素が出た激昂と共に、巨大なカラスに身体が変貌していく。そしてカラスは甲高い声で鳴くと、ぐったりと意識をなくしたホワイトを握りしめた怪人に突っ込んで行った。羽は鋼鉄の刀に代わり、突風にまじり怪人の方へ飛んだ。
『ぎゃあああァァァ!!』
細かく薄い羽は縦横無尽に飛び回り、怪人の体を小さく何度も切り付ける。血の代わりに黒い液体が吹き出してもなお、白い男を離さないのを見て黒い男の怒りはピークを突破した。
「勇翔はワシんじゃ返せやぁ!」
突風の中に紛れ、巨大なカラスが怪人の腹部を深く切り裂いた。だが、苦し紛れに振り下ろされた刃が生えた巨大な拳がカラスの羽を鷲掴み、地面に叩きつけた。床が砕け、その下の地面にもめり込むほどの威力。羽が複雑に捻れ、全身に刀剣が突き刺さり、人型に戻った黒い男をもう片方の手につかんで怪物は天に向かって吠える。
虚空で不気味な笑い声が響く。
『今日のモヤッキューは上出来だな。アニマストーンの在処をあの子猫は知っている。追いかけて殺せ。そして全てのアニマストーンを回収するのだ』
『全て、この世界のためだ』
「でくっ、出口ってこっちじゃないのかよ!」
「いやぁあ!!何この人達、ごわいよぉおおお!!」
「出雲ちゃん声大きいよ! うわっ!」
「モヤッキー!!」
また行先をQの面を被った覆面の男達に阻まれ、慌てて進行方向を変える。怪人が追ってきている様にはみえないが、何処から侵入したのかこの覆面の男達が逃亡を邪魔してくる。直接の暴力は無いが、まるでどこかに追い込むかのようだ。
先程の仮面の男達のように武器がない僕らはただ翻弄され、誘導されるまま逃げるしかない。
「クソっ!どっかの教室に隠れようぜ、出雲ちゃん、もう涙で体力も限界だ!」
「おぼべばっ、ゲボ、ゴホッゴホッ」
最初から泣き叫んでいた出雲は、鼻水のせいで僕らよりも息が上がっていた。足もどんどん回転率を落としていて背後から追ってくる覆面の男達にすぐに追い付かれそうになっている。
でも、教室の方を向くだけで視界を阻むようにQの覆面達が飛び出して来て邪魔をする。
「畜生、このままじゃコイツらの思うつぼだ!」
やけくそに叫んだ。転びそうになりながら、角を曲がり、僕は咄嗟に突き当たりの教室のドアを開け乱暴だが出雲と手を繋いで走っていた武尊の服を掴んで中に投げ込んで戸を閉めた。
奴らの狙いは僕だ。
ドンドンと武尊がドアの向こうから叩く振動を感じながら、僕は扉が開かないように抑える。目の前には無数のオタマジャクシのように蠢くQの覆面達。
「おい!何のつもりだよ!マオ!真雄人!出せ!出せよ!!真雄人!お前また……!!少しは俺の言うことを聞けよ!」
「ごめん、武尊。けど、もうこれしかない」
「んな、事ねぇだろ!3人で生きてここから出るんだよ!」
一度覚悟を決めれば何も恐ろしいことは無かった。ポケットに宝石が入ってるのを確かめて、僕は背後の2人に言う。
「短い間だったけど、ありがとう。コイツらがいなくなったら、すぐに警察に行って。僕のことは気にしなくていいから」
「そんな事出来るわけねぇだろうが! ふざけんじゃねぇぞ! おい!」
「出雲と、父さんを、よろしく。あんたは最高の親友だったよ」
「やめろ!そんなん言うな!考え直してくれ!マオ!」
僕は飛び掛る大量の怪しい男達に、突進して行き10人くらいを押し倒して元きた道を引き返し手当り次第の曲がり角を曲がっていく。やはり、狙いは僕が貰ったあの石だ。面白いほどあの黒い覆面男たちが群がってくる。引きつけろ、引き付けろ、武尊よりも遠くまで、あの黒いヒーロー達よりも遠く。
僕一人の犠牲でこの事態が終息するなら。僕が皆の代わりに、コイツらの相手が出来れば。母さんへの贖罪も、憧れのヒーローへの道も同時に果たせると思うから。
武尊達の涙を見なくてよかった。そしたらまた迷ってしまって変にから回ってしまう。
涙を拭って痛む足に力を入れる。体力も長くはもたない。それでも、それでも少しでも遠くへ行かなくちゃ!
「モヤッ……キー!!」
「ぐあっ!?」
初めて、覆面達が直接攻撃を仕掛けてきた。体当たりを受けて僕は階段を転がり落ちる。足や腕を強打するがまだ走れる。階段を駆け下りていくと上から溢れんばかりの人達が手すりが音を立てて軋むほどの量で追いかけて来る。
手摺から飛び降り、段数をショートカットして地下を走る。見覚えのある道だ。朧気な視界にふと、猫の姿が影を落とした。
「このまま、壁まで行け」
「えっ、しゃべっ?!」
赤いブチのある猫は音もなく現れる。
「モヤッ!?」
「キー!! キー!」
何だ? 何故、あの覆面共がざわめく?
猫は先頭を走りながら僕の方に尋ねた。揺らめくしっぽのようなものはよく見ると炎であった。
「我が篝火の存在に気付かれた。この姿ではあの人間の中にある願いを導けない」
「お前、何なんだ!?夢にも、出て来た!」
「我々は人の強い意志に宿るこの地に残る神の守護者。人と魂の楽園アニティアを渡り両国の安寧と平和を守る使者である」
「アニティア!?」
「我は真雄人の燃え上がる正義に呼ばれた。真雄人、悪を断ち人を導く覚悟はあるか?茨の道を掻き分け後に続く弱き者の代わりに犠牲になる意思は、淀みないか!」
目の前は壁。もうダメかもしれない。だが、目前の希望を僕は掴んだ。それは猫の炎だ。猫はふっと笑うと光り輝き、赤い石に戻る。その石を握りしめ、僕は振り返った。
もう逃げられない。もう逃げない!!
「我が御霊に、かしこみかしこみ申す!」
パンッともう片方の手に何かが収まる。見ると、スマホ位のサイズの石版だった。それの穴に勢いよく宝石を叩き付けた。足がスリップしてそのまま背中から壁にドンッとぶつかる。光り輝く石版が姿を変え赤いスマホケースのスマホに変わる。
両手でそれを叩き開け、祝詞を叫ぶ。ありったけの願いと決意を込めて吠える。
「欲を律し、理を正す、何処の魂を救う力を与え給わん!!」
両手でスマホを包み込んで、中に封印された魂を解放するイメージで……打ち上げる。と、そこへ刃を生やした巨大な怪物が視界に入ってきた。その両手には食堂で見た三宅先輩達だ。生きてるのか怪しいくらい、出血しており糸の切れた人形のようにぐったりと脱力している。
それで制御していた堪忍袋の緒が、音を立て焼き切れた。
「願い、届けたり。真雄人、ソナタも、体を我に預けよ」
上をむくと、あの猫がこちらに飛び付いてくる其れをそっと抱き寄せると温かく優しい炎が全身を包んだ。炎は耳に、目に、臀に、腕と足に、纏い形を変えていく。服も焼け落ち固い鎧と全身をピッタリと包むスーツに変わる。手は獣の様な大きくて毛がびっしりと生えた前足に、後ろ足は爪先が縮小し燃える炎は鋭い鉤爪に変わる。耳は伸び左右に広がる。燃える炎はしっぽへと変わる。スマホは更に形を変えランタンになり腰にぶら下がった。
『チッ、1歩遅かったか……』
おかしな声が聞こえたが、構う暇はなかった。触れたものはあっという間に燃え上がる。僕は四つん這いになって覆面達の足元をすり抜けた。僕が駆けた道は赤く燃え上がり、火柱が進軍を食い止める。
『んだァァ!!お前はァァ!!』
「夜闇を導く、一筋の灯火、火焔の魔法使いアニマレッドだ!!」
無数に襲い来る刃が、とてもゆっくりに見える。全て一足で躱し、高く飛び上がる。
『キラキラと……輝きャガッでぇぇえええ!!』
「先輩たちを、返せぇぇえええ!!」
ランタンの炎が拳に灯り、前足の爪を増長させる。其れを怪人は片手の太い刀で防いだ。炎は鉄に阻まれ四方に散る。押し負ける訳には行かない。熱を込めろ、もっと、もっともっと!
「心を……もやっせぇええええええええ!!」
刀の一部が赤く更に黄色く、白くなって柔らかく溶け落ち、床に垂れると炎を上げた。
「おっらぁああ!!」
爪が刀を溶かし、破る。燃える爪は怪人の体を深く深く切り裂いた。先輩達は床に投げ出され、裂けた体の内側から若い男の頭が見えた。
乗っ取られていたんだ。この真っ黒なドロドロの沼に。僕は彼を助けるべく、その頭に手を伸ばした。すると黒いモヤが溢れ、対処する間もなく飲まれた。
黒いモヤが晴れた先は、真っ暗な闇だった。手に持ったランタンの明かりだけが頼りだ。
「ここは……何だ?」
パッと視線の先に一筋の光が点る。知らない子供だ。親に囲まれ、山積みになった参考書に囲われ、小さな机でペンを走らせる。
『頑張って。貴方は優秀な子よ、出来るわ』
『自慢の息子だこのまま維持するんだぞ』
両親は子供にとても期待している。まだ、子供はそれが嬉しいんだ。スっとライトが消え、隣にあかりが灯る。両親が1枚の紙を掲げ、子供を叱り付けている。
『あんなにお金をかけたのに』
『あんなにしてやったのに、期待を裏切りやがって!』
子供に容赦なく手を上げる。鈍い音に僕は身をすくめた。でも、照らさなくちゃいけない。その先に行かなきゃ行けない。
少年は遊びや、子供らしさを捨て、全てを勉強に打ち込んでいたらしい。友人もおらず、勉強以外の思い出もなく、百点を積み重ね親の期待を繋げる以外彼には無かったらしい。
そんなものじゃ、あっという間に瓦解するというのに。
少年は青年になり、最後の砦に敗北した。親の目指して入れなかった、大学への入試の失敗。彼は風邪を拗らせ、肺炎の一歩手前にもかかわらず、試験を受けた。恐らく風邪さえひかなきゃ余裕で合格だっただろう。だが、足切りの1歩手前で、蹴落とされた。
そして勘当された。全てに見放された代わりに彼はようやく自由を得られた。だが、彼は自由での生き方を全く知らず……。
「軍……服?」
次の灯りの先には、初めて見る異様な姿だった。銃刀法違反をものともしない、腰に提げた立派な太刀。時代錯誤も甚だしい、カーキ色の軍服と勲章達。彼は小さな懐刀を絶望に命を絶とうとしていた男に差し出した。
『そんな所で死ぬのかい?』
軍服は問う。
『何もせず何もなさず、何も成し遂げられないと、死んだらそこでそれを確定させてしまうよ』
『死ぬならば、我々の力になってくれないか?』
『こんな僕に……出来ますかね。出来損ないの、失敗作の、僕に』
『大丈夫。君の中のその真っ黒な感情、それが餌となる。君は身体さえ貸してくれれば良いんだ。我々の作戦の狼煙となってくれ』
軍服の男の顔はみえない。闇がまとわりついて正体を隠している。
「結局、ダメだった」
そんな声が闇の奥から聞こえた、誰かの苦しそうな声。全てを投げ出した、力のない声。
ランタンを振り回して煙のように絡み付く闇を払うと、中から蹲った僕より4つほど上の男が現れた。
短剣を前に男はうわ言のように呟き続ける。
「結局俺が関わったせいで、失敗した。また、俺のせいだ。俺がダメだから。俺が諦めたから、俺が、俺が……」
ランタンの炎が大きく揺れる。
「そうだ、死んで償おう」
「ダメだ!!」
僕は思わず叫んだ。男が振り返る。
「誰だよ」
「え、えっと……」
僕は辺りを見回すフリをして、言葉を探していた。下手な事を言ったら彼はその短刀で喉を突いて死ぬだろう。かと言って挑発すればこっちに刃が向く。時間も問題だ。
何か、何か言わなきゃ。
「貴方の、ヒーローです」
咄嗟の声だ。青年は深いため息をついて、刀に向き直る。
「俺を嗤いに来たんだな……。放っておいてくれないか。今俺は打ちひしがれてる」
「ご両親の期待はそんなにいいものだったんですか?」
青年は肩をふるわせた。
「放っておいてくれないか」
「放っておいて、貴方は何をするんです?」
「放っておいて、くれないか!!」
「何をしたらいいか、分かるのですか?」
「うるさいなぁ君は!!」
闇を叩いて男は怒鳴りながらこちらを向いた。やっぱり怖いみたいだ。拳が、声が、目が震えて血の気が引いてる。
「お父さんもお母さんも、貴方じゃないですよ。なのに、何故彼らの人生をなぞろうと思ったのです?」
「それしか教わらなかったからだよ!いい大学の医学部に入って、偉い先生になって二人を楽させるのが、僕の」
「ご両親の!願いだろ、それ」
「っ!」
言葉を詰まらせる青年の肩に手を置いて、真っ直ぐ向き合った。
「貴方は本当は何になりたかったんです?」
「言いたくない。言っても叶えられないだろう」
「叶えられなくてもいいじゃないですか。夢って理想だし、理想って届かないものだし。でも、人って理想を唱え続ければ迷わないと思うんですよ」
本心であり、それは僕の信念だ。
「僕は貴方のヒーローになりたい。貴方をここからより良い未来へ導く灯火になりたい。その為には貴方がどの道に進みたいか、知らなきゃ行けないから」
青年は僕の目を真っ直ぐ見つめて、涙を浮かべながら尋ねる。
「きいてくれるのか、俺のちっぽけな夢を」
「はい」
「笑わないでくれるのか、僕の夢を」
「はい」
最後は殆ど嗚咽だった。きっとこの人は誰にも理想を語れないまま、誰かの理想の上に乗せられて人生をめちゃくちゃにされてしまったのだろう。ずっと心の奥に隠したまま時に流され、やがてそれが降りかかる不幸のせいで見えなくなってしまったのだろう。青年はおうおうと肩を揺らし、泣きじゃくりながら僕の手を両手で握った。
「俺はずっと絵本作家になりたかったんだ」
「はい」
「昔連れてかれた図書館の絵本に感銘を受けた。自分もこんな凄い物語を作りたいって思っていたんだ」
「はい」
「でも、誰も許してくれなかった。なれやしないと馬鹿にして、諦めろと嘲笑って。友達も思い出もないお前になんて物語を作る才能以前の問題だって」
握られた拳が痛い。ブルブルと震え続ける手は、きっとこの人が十数年抱えた不安と恐怖だ。この痛みはこの人がだれにも打ち明けられなかった、積年の痛みだ。
「俺は人を刺してしまった。沢山の人を怖がらせて傷付けて、失望させてしまったよ……。どうしたらいい? こんな俺が夢なんて掴んでいいのだろうか?」
「掴みましょう。一緒に、こんな場所から出て、絵本を描きましょう」
だからもう震えなくていい。泣かなくてもいい。怯えなくてもいい。そう伝えたくて僕は強く手を握り返し、思いっきり上に引き上げた。ランタンを高く掲げて言う。
「顔を上げて!立ち上がって!夢は闇の先にある!だから顔を上げて前に進むんだ」
「でも、怖い。ここから出たらまた、色んな人にごちゃごちゃごちゃごちゃ言われてしまう。また、失敗作だって……」
「だから僕が来た!貴方を痛めつける言葉というナイフから、あなたを守る為にここに来た。僕は貴方を導くヒーローだから」
手を引いてランタンを高く上げて、闇を全部燃やし尽くしながら、僕は迷わず前に進む。まだ不安そうな彼に微笑みかける。
「未来はそんな悪くないよ」
そう言って進んだ先からひび割れるように光が刺した。ここを1人で出るのはとてつもなく勇気のいることだろう。恐ろしいことだろう。でも、僕がいる。僕が全力でその光を遮る庇になる。
白い光の外は瓦礫と涙を流す親友と警察が待つ現実だった。
「マオ!」
「今戸さん!」
出雲と武尊は無事だったようで、僕を見つけるや否や、ダッシュで駆け寄り僕を押し倒した。子供のように泣き叫んで再会を喜ぶ彼らを宥めながら救急車を探す。
「ええダチ持ってはりますなぁ」
真上から声が掛けられ見上げると、あんなにボロボロになっていたはずの先輩達が覆い被さるようにたっていた。ギョッと目を剥く僕らに、三宅先輩は笑顔で手を振る。
「なっ、なんっ、どっ、どど、えなっ」
「カァッカッカッカ! そらそうなりますわな。んま、説明は教室で詳しくしたるわ。せやから自分ら」
「この街を守る聖徒会に入会してあるからね」
「んね?!」
してある!? 過去形!? 拒否権は!? 基本的な人権は何処へ!?
これには完全に蚊帳の外だと思っていた武尊達も目を白黒させて問いただす。
「人生らって……自分達もっすか!?矢田先輩!」
「せやせや。見てはったけど、自分達もこのオト君と同じくこの街を守る資格がある」
「それに今は時を争う事態なんだ。だから、申し訳ないけど、勝手に聖徒会の入会手続きは済まして置いたんだ」
三宅先輩は得意げに優雅に入会書を取り出したと思ったその時、突風がその紙を全てかっさらって行った。三宅先輩は指先を見て暫く呆然としてたが、不意にこちらを向いて首を傾げる。
「飛んでっちゃった」
「ちゃったやあらへんわ!阿呆!!」
背中の羽毛コートから剣のようにハリセンを抜き取り、容赦なく綺麗な三宅先輩の顔面に叩き付ける。そこに隠してあったんだ、巨大ハリセン。
……ってそんな呑気に言ってる場合じゃない。
「そんな、横暴な勧誘に僕ら」
「あ、聖徒会権限で拒否は自主退学やでー、よろしゅうな?」
黒い矢田先輩は笑顔で振り向きざまにそういった。屈しないと言いかけた声が、掠れた呻き声になり、口は酸素を求めてパクパクと開閉する。横を見ると、武尊は僕の意見を求めるように、出雲に至っては何故か境地に達した修行僧のような穏やかな顔で合掌している。
僕がノーと言えば、武尊達も退学だ。僕は高速で脳を回転させ、行き着いた結論に深くため息を吐いた。
「……わかり、ました……」
「ほんまー!? わーい、後輩やで勇翔!かぁいいなぁ!」
「あ、蝶々」
三宅先輩に至ってはもう興味が目の前を横切ったモンシロチョウになってるし!!
何なんだ、本当にこの人達は、さっきのヒーローは、怪人は何者だったんだ? 喜んで小躍りしていた矢田先輩はくるりとコートを翻して指を鳴らすと、キメ顔で口を開いた。
「ワシは聖徒会副会長の矢田那智矢田那智!」
「私は聖徒会会長の三宅勇翔。二人とも3年生だよ」
「ほな、毎度よろしゅうな!1年坊主!」
背後でサイレンの音がする。おかしな先輩、奇妙な事件、怪人、軍服の男、そしてこの赤い宝石と自分が変身したあの猫。これらの因果関係も、聖徒会に入れば何か分かるだろうか?
「僕は芸術学部の今戸真雄人です」
「お、俺は総合情報学部の三峯武尊です」
「え、わ、わ、私は芸術学部、文芸の、住吉出雲、と申しまましゅ!?」
「OK、オト君、ケル君、ずもちゃんね!んじゃ早速会議室行こか!」
こうして僕の、いや、僕らの奇妙で突飛なキャンパスライフが幕を開けたのであった。
『第1話 ―完―』
昼でも夜でもおはよいと。
どうも、文月宵兎と申します。
普段はライトノベル系の大賞やコンテスト、pixivなどでの作家活動を趣味で行っていた者です。どうぞ、脳みその前頭葉の隅の表皮に近い辺に(フ)という1文字だけでも置かせて貰えたらと思います。
なろう小説、実は初投稿です。システムもどう表示されるのかも分からないままノリと勢いで投稿してるので、こうしたら良いよ、こうするのがマナーだよ、と赤子に教える感じでコメント等で伝えてもらえれば早くこの環境にも馴染めるかと思います。僕も赤ちゃんなんですバブー。
軽い自己紹介はさておき、今回の魔獣戦士アニマという作品なのですが、実は私信長乃社交というユーザー様と前からお知り合いでして、その方の小説の参考になればと思い制作したのが始まりであります。信長乃社交からはきちんと許可と内容、設定の確認も終えての投稿ですので、ご安心ください。
今戸真雄人くん、私の頭の中では結構お兄ちゃんしてる小柄なカワイイ系男子なのですが、皆様の頭の中ではどうなってるんでしょうか。ゴリゴリのウホムキ男子になどになっていたら面白いですね。今後完結したあと辺りにまとめた設定資料だったり、作者がイメージしてる登場人物のイラストなどをpixivにあげたりするかもしれないです。その時に自分の想像とどこまで合致してるかそこで一緒に答え合わせしましょう。
これから約6人ばかし仲間を投下など出来たらなぁと思いつつ、敵キャラもいい味出してる奴らを手駒として揃えてるのでそれをこの小説というデッキに加えるのが非常に楽しみで、ベッドの上でブレイクダンスしてます。嘘です。
今戸真雄人くんもお気に入りですが、なんと言っても矢田先輩と三宅先輩のコンビが書いてて楽しいです。三宅先輩のやべぇ部分今後も沢山出したいです。そしていずれは矢田先輩の腹に穴を開けてストレスでぶっ倒れさせたいですね。矢田ママ、頑張れ。この後私はもっと問題児を増やすぞい(*^^*)おや? 矢田先輩のツッコミが何処からか聞こえてきます。豆、巻いておきましょうか。ハハッ。
とまぁ、こんな感じで後書きという作者のオ○ニー行為にここまでお付き合い頂きまして、誠にありがとうございます。凄いですね、貴方は。この労力を別のことに使えば恐らくソシャゲでレアキャラ位は獲得出来ましたよ。
そんな感じで程よく読者を煽りつつも、ここまで設定や執筆した小説を読んでくださった信長乃社交様並びにアドバイスをくれた大学のゼミ友達に深く感謝申し上げます。また、ここまでお付き合い下さった心優しく寛大な御心の読者の皆様に陳謝及びビックLoveと特大の感謝をこの場を借りてお伝えさせて頂きます。そして、今後とも魔獣戦士アニマのご愛読を何卒よろしくお願い申し上げます。
では、次回はワンコ系大柄男子がびしょ濡れになる話です。