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悪魔の花嫁と蒼き死神  作者: 奏 舞音


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第17話 記憶の中で

 エレノアは幸せの絶頂にいた。

 顔は緩みっぱなしだし、心臓はバクバクとうるさい。

 【新月の徒】が何かを企んでいる中、不謹慎だとは分かっている。

 それでも、この胸の高鳴りを止めることはできない。

 何故なら、エレノアは今、ジルフォードに横抱きにされているのだ。


(あぁぁっ! ジルフォード様の腕の中っ!)


 ジルフォードのたくましい腕に抱えられ、エレノアは彼の首に腕を回してしがみついている。

 密着している部分から、ジルフォードの体温が感じられて、とても冷静になどなれそうもない。

 このままでは本当に幸せすぎて昇天しそうだ。

 現実を忘れて、自分の幸せに浸っている場合ではないというのに。

 エレノアの心は揺れていたが、これ以上ジルフォードに甘えられない。


「あの、ジルフォード様……もう、降ろしてくださいませ」

 弱々しく、エレノアはジルフォードに提案してみる。

 しかし、ジルフォードは首を縦には降ってくれない。

「駄目だ。ただでさえ無理な頼みを聞いてもらっているのに、怪我まで悪化したら大変だろう」

「そんな、大丈夫ですわ……」

「足、痛んでいるだろう?」

 エレノアはその問いに口ごもる。

 ジルフォードは、墓地までの距離をエレノアに歩かせないために腕に抱いてくれているのだ。たしかに、ファーマスの家まで動いたことで足の傷は熱を持っている。その傷の痛みに気付かないふりをしていたのに、ジルフォードにはバレバレだったらしい。

 歩く歩幅は大きくて、スピードも速いのに、エレノアの身体に負担がないように気遣ってくれているのが分かる。優しいジルフォードの腕のぬくもりに包みこまれて、エレノアは自分が何をすべきかを忘れそうだった。


 まず向かうのは、レミーア教会だ。

 記憶の中で見た男たちが墓地に来ているかどうか、【新月の徒】と関わりがあるか、エレノアが覗いて確かめる。

 レミーア教会墓地と共同墓地、可能性はどちらにもある。

 だから、取引が行われる夜までに場所を特定しなければならない。

 今はまだ昼過ぎで、調べる時間はある。

 しかし、確実にキャメロンとファーマスの無事を確かめるためには、【新月の徒】の潜伏先も見つけたいところだ。

 そのため、ロイスは町で聞き込みをして回っている。

 女性を一人誘拐しているのだ。それも、宿屋という人の多い場所から。

 何かを見た者がいるかもしれない。グーゼフの町の人間は皆、ロイスがジルフォードの助手だと知っている。ロイスもまた、誰が協力的かを知っている。

 だからこそ、ジルフォードはロイスを一人で行かせた。ロイスならば大丈夫だと、信頼しているから。

 そして、墓地で【新月の徒】の痕跡を探すためには、エレノアの力を使った方が確実だ。

 そういう事情もあって、エレノアは今ジルフォードと二人きりなのだ。

 愛しいジルフォードと二人きり。それも、彼の腕の中。

 こんなに幸せなことがあっていいのだろうか。

 しかし、今は幸せに浸っている場合ではない。

 それに、ジルフォードの息遣いや体温を感じられるこの至近距離は正直、胸が苦しい。


「いえ、これは、私の我儘でもありますし……ジルフォード様の腕の中だなんて、その、緊張してそれこそ心臓が……」

 ジルフォードは、エレノアが自分のことを好きだということを忘れているのだろうか。

 好きな相手の腕に抱かれて、どきどきしないはずがない。

 ジルフォードは誰も愛さないと言っていた。

 それでも、こんな風に優しく宝物のように扱われてしまったら、勘違いしてしまう。エレノアを好きになってくれるのではないか、と。そんな、無駄な期待を膨らませてしまう。


(分かってる。ジルフォード様が私のことを何とも思っていないことぐらい)


 ジルフォードは、エレノアの力について何も聞いてこない。

 信じてくれたことは嬉しかったのに、それが何だかとても寂しかった。ジルフォードに頼られて、誰かを救うことができるのなら、それはとても嬉しいことであるはずなのに。

 何も聞いてこない、ということはエレノアに興味がないということだろう。

 いくら優しくしてもらっても、心配してくれても、ジルフォードはエレノアに興味がないのだ。愛する愛さない以前の問題だ。

 そもそも、エレノアという存在に、ジルフォードは極力踏み込もうとしない。まるで、知ったら戻れない何かがあると知っているかのように。

 だから、エレノアはジルフォードの腕の中での幸せを胸に沁み込ませて、早くこのぬくもりから離れたかった。あまりに心地よ過ぎて、幸せ過ぎて、もう二度と離れたくないと思ってしまいそうだったから。

 普通の女の子だったら、好きな人とずっと一緒にいたいと思うことは当たり前なのかもしれない。

 でも、エレノアは違う。もうすでに、運命が決まっている。“悪魔の花嫁”として、生贄になっているのだ。

 ずっと一緒にいたいなんて気持ちは、悲しいだけだ。

 叶えられることのない願いは、苦しいだけだ。


「ジルフォード様はお優しいですけど、残酷ですわ。私の気持ちなんて、これっぽっちも考えてくださらない」

 黙って歩き続けるジルフォードの耳元で、エレノアは口を尖らせた。

 好きでもないのに、優しくしないでほしい。でも冷たくされたくない。側に置いて欲しいし、本当は優しくしてほしい。

 いつか覚める夢だとしても、幸せな記憶にしたい。

 そう思って、ジルフォードの側にいることを選んだはずなのに、側にいるだけでは満たされないものがある。彼の役に立てる、というのに、ジルフォードの中には入れない。

 彼を知れば知るほど、エレノアはどんどん好きになっていた。

 記憶の中の〈蒼き死神〉ではなく、ジルフォードという一人の男を好きになっていた。

 だから、一方的に想うだけで満足していた過去の自分には戻れない。

 ジルフォードに会うまでは、気持ちを伝えるだけでいいと思っていた。求婚だって、はじめから本気にされないと分かっていた。

 それでも、外の世界に出た高揚感と、恋をしていたジルフォードに会えたことで、もう少し夢をみていたいと思ったのだ。

 そして、知った。恋が、幸せで甘いだけではないことを。

 ジルフォードの心にエレノアの居場所がないことが、とても苦しい。

 エレノアは、ロイスのように信頼関係で結ばれている訳でも、ベリルおばさんのように駆け引きできる立場でもない。

 それどころか、エレノアはジルフォードにとって厄介な存在だ。何があってジルフォードが帝国軍から離れて収拾屋をはじめたのかは分からない。それでも、皇帝である父と何かがあったことは間違いない。そうでなければ、〈蒼き死神〉として帝国軍で活躍していた彼が、こんな場所にいるはずがない。

 皇帝の娘だと知れば、ジルフォードはエレノアをどうするのだろう。

 いや、もう知っているのだろうか。

 ジルフォードのことだ。何となくでも、勘付いているはずだ。

 それでもあえて、互いに何も聞かないでいる。

 今、考えるべきは、キャメロンとファーマスのことだから。

 エレノアが黙り込んでいると、ジルフォードが溜息を吐いた。


「……だから言っただろ。俺みたいな男を好きになるな、と」


 少し悩ましげな声で、ジルフォードが言った。

 エレノアは、それだけで顔が熱くなった。ジルフォードはエレノアの告白を忘れていない。エレノアの気持ちを、覚えてくれている。

 好きだと言われた訳ではない。恋仲になれる訳でもない。

 それでも、ジルフォードの中にエレノアの居場所を見つけた気がして、嬉しかった。

 記憶とは、そういうものだ。誰かの中に、自分の記憶がある。好きな人の一部になれるのだ。しかし、人の記憶は上書きされて書き換えられていく。それでも、心に強く残っていれば、その記憶はきっと消えない。

 エレノアの存在は、ジルフォードの中で生き続けることができる。

 自分に告白をしてきたおかしな娘、という記憶でもかまわない。

 ジルフォードの記憶に、エレノアという存在を刻むことができるのならば。


「エレノア、泣くな」

 ジルフォードの少しごつごつした指が、エレノアの頬に触れた。

 いつの間にか流していた、涙をすくうために。

「無理です。だって、私はジルフォード様が好きなんですもの。嬉しいんです、とても」

 エレノアは、隠された皇女だ。身の回りの世話をする侍女も、見張りの騎士も、エレノアと深く関わろうとしない。エレノアは、その誰とも口を聞くことなく育った。エレノアが特定の人間と親しくなることを避けるためか、皆顔を隠していた。

 ただ、エレノアは記憶を覗くことができた。他人の記憶の中で、人は人と接する時に素顔を晒していることを知った。楽しく笑い、腹が立てば怒る。感情を表に出して、会話をしていた。そして、皆が誰かの記憶で生きていた。

 しかし、エレノアの中身は空っぽだった。

 誰とも話した記憶がない。毎日、同じ景色を見て同じような生活をして、独りで生きていた。エレノアの記憶にも、エレノアと話し、感情を見せ合い、親しくする人が欲しかった。そう願っても、エレノアと普通に接する人など側にはいなかった。

 ただ一人、素顔を晒し、エレノアに接してくれた女官は、すぐに側から消えてしまった。エレノアと親しくなることは禁じられていたのだ。彼女は、その禁を破ったために、エレノアの前に二度と現れなかった。

 だから、その時にエレノアはもう諦めたのだ。誰かと親しくなることも、誰かと心を通わせることも。


 みんな、エレノアをヒトだと思っていなかった。

 〈宝石箱〉の中にある、高価な宝石。エレノアは、彼らにとってそんな存在だった。

 誰の記憶にも刻まれない、ただのモノ。

 いつか、悪魔に捧げる、大切な生贄。

 表面はきれいに磨かれていても、内面はボロボロだった。

 心を捨てた父のように、エレノアも自分の感情を殺していた。

 しかし、〈蒼き死神〉を記憶の中で見て、変わった。

 誰の記憶にも残らなくてもいい。ただ、この人の記憶に残りたい。

 自分のために、その感情を動かしてほしい。自分のために涙を流して欲しい。

 エレノアの名を呼んで、触れて、その存在を記憶に刻みこんでほしい。そう強く願っていた。

 ジルフォードがエレノアの告白を覚えていてくれたから、〈宝石箱〉で抱いていた願いを、ふと思い出したのだ。

 だから、エレノアはこんなにも嬉しくて、涙を流す。

 悲しみの涙ではない、これは嬉し涙だ。


「ジルフォード様、お二人を無事に救い出せたら、大切なお話があります」


 気を抜けば溢れそうになる涙をこらえて、エレノアは微笑んだ。

 今回の件が終わったら、すべてをジルフォードに話そう。

 そして、自分はジルフォードの前から去る。エレノアの秘めた覚悟に気付いたのか、ジルフォードは真剣な顔で頷いた。

「わかった」

 ジルフォードは短く答えて、フード越しにエレノアの頭を撫でた。

 その手つきがあまりに優しくて、エレノアはまた泣きそうになった。


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