入学式と保健室のVenus 4
「まったくもう!傷ついちゃうわ!」
野太い裏声が後ろから降ってくる。両肩を持ってグラグラと左右に揺らされる。痛てぇな畜生。
それでも綾だけはコイツから逃がさねえと、こんな怪力野郎に取って、非力な綾じゃまるで赤ん坊みたいなもんだろう。
何とか揺らされている体を踏ん張り、眼前の綾を見据え声を張り上げる。
「綾!早く逃「あっ、もしかしてヴィーナスさんですか?」
俺の後ろから声をかける人物に気が付いたのだろう。綾がとんでもないことを言い出した。
お前バカ野郎、簡単にあの指示書の内容を…というか、このムキムキマッチョの変態白衣野郎がそんな訳がねぇだろうが。ヴィーナスなんていうの…
「あら!もしかして貴方達、守ちゃんが言ってた弟君たち?」
急に揺らされていた肩の力が弱まる。裏声の変態ボイスが響く。
…ヴィーナスなんて呼ばれるのがこんなおっさんな訳がッ!
突然肩に置かれていた両手が、俺の体をぐるりと回転させ後ろを向かされる。
目の前に現れる太い腕の先には、ゴツイ白衣の変態がこちらを見据える。
「まあ!言われてみれば貴方、まもるちゃんにそっくりね!あらあら、兄弟揃って男前じゃない!うふふふふっ」
変態は俺の兄貴にも面識があるようだ、
くっそ!!既に兄貴も罠にかかって居たのか。そして、俺達をおびき寄せる餌として使わされていたのか…
「やっぱり、ヴィーナスさんなんですね!取りあえず保健室に入ってもいいですか?」
おい、待て綾。グイグイと俺の背を押して保健室にいれんじゃねぇ。まだコイツが味方と決まったわけじゃねえだろ。
「待て綾!コイツが例の奴だという確証は何処に「ダイジョブだよー。ほら、早く早く」」
そんな俺の抵抗も虚しく、俺はまた保健室の中へと引きずり込まれた。
綾…すまない、俺がもっと慎重に動いてさえ居れば。
されるがままに椅子に座らされる。綾と言えば、この変態を目にしても表情は変えず、隣の椅子にサッと座っちまいやがった。お前、目の前のコレが怪しいとは思わねぇのか?
幼馴染に戦慄を覚えつつ、小声で問いかける。
「おい、綾!お前怪しいとは思わねぇのか?見るからに変態じゃねぇか!」
ヒソヒソ
「何言ってるの、保健室は校内に一か所なんだし、白衣も来てるんだから保健の先生で間違いないでしょ?」
ヒソヒソ
あーダメだ、こいつは例えゾウとか、ライオンみたいな猛獣に白衣を着せて、この部屋に飼われていたとしてもそれを保健医と断定するに違いない。だってそれよりもヤバいのが白衣を着て部屋にいるのに保険医と言って聞きもしないんだ、そんくらい白衣が持っている偽装効果に騙され、看破できねぇんだろう。
「武さ、なんか失礼なこと考えてない?」
純粋な心のままここまで年を重ねた友人が、ジト目で俺を睨んでくる。もっと世の中に蔓延る闇についても話しておくべきだった。
「あなた達、飲み物は珈琲で大丈夫かしら?お砂糖とミルクもあるから安心して頂戴」
世に蔓延る闇を体現した存在が問いかけてくる。
「あ、僕ミルクだけて大丈夫です」
「あら、そうなの?なかなかヘルシー思考ね。武ちゃんはどっちも入れて砂糖少な目、だったかしら?」
平然と言い放つ綾。そしてなぜ俺が飲むときの分量を知っていやがる。
「うふふっ、イイ女には秘密が多いのよ?」
目の前にコーヒーカップを置きながら、俺にそう声かける白衣の漢。ヤバい、殺される。
俺の疑問を感じ取ったのか、そんなセリフを吐きつつ片目をパチリッ。
なんだあれは、思わず逃げるように視線をカップに移す。何とも趣味の良いピンクの花柄が施されたマグカップだ。
俺の心境を表すかのように、珈琲とミルクが混沌と渦を巻いている。ほろ苦い。
「それで、先生が『保健室のヴィーナス』で間違いないでしょうか?」
珈琲を一口、ゆっくり堪能した綾はカップを置き、目の前の自称乙女野郎に問いかける。
「ええ、そうよ」
椅子に座り、足を組んでこちらを見ると綾の質問に答えた。
「私は金星 勇美この高校の養護教諭よ」
今、俺の耳に聞こえている声は幻聴だろうか…まさか、この珈琲に毒が!?…ポスッ。
俺がカップに注目した所で、横から小さな拳が打たれた。動揺していた俺を綾が叩いたようだ。
横を見ると綾の小さな手が握り拳を作り、俺の肩口に当てられていた。わかったって、そんなに見るな。
「うふふ、可愛い」
そんな俺達の様子を見てか、顎に手をあてほほ笑むようにこちらを見る金星教諭。やめろ!その裏声と足を組んだ座り姿勢をやめろ!!
俺の抗議と絶望の視線は虚しく躱され、奴は言葉を続ける。
「年齢と身長、体重はヒ・ミ・ツ☆ スリーサイズは…これもヒ・ミ・ツ☆ごめんなさいね?」
なんか雑音を発している変態。もう帰っていいだろうか…、まて、綾、拳をグリグリするな。落ち着け。
「普段はこの保健室で、生徒たちの健康と安全を守っているわ。保健委員会の副顧問も任されているの。悩める十代の可愛い生徒達から相談を受けたり、サボりを企む悪い子に愛を説いたりするのも得意よ?」
つらつらと続ける裏声の抑揚が、俺のメンタルをガリガリ削ってきやがる。珈琲の香りに含まれるリラックス効果がなければ倒れていたかもしれない。それを見越して珈琲を淹れたのかと勘繰りたくなる。
「…そして、この学校の行いを正す活動。生徒達のレジスタンス活動を監督しているわ」
妖艶に、俺達を見据えて目の前の男は囁いた。
やはり綾が傍に居ると話を進めやすくて助かります。
あー、ヴィーナス書くの楽しい。